「宗志さん!」
夕食の買い物に二人で出かけた下町の商店街で、涼一は急に大きな声で真横に並んで歩いていた俺を引き留めた。
夏の初めの午後はすでに5時近くになっているとはいえ、汗ばむほど蒸し暑い。
ここのところの急激な暑さになれない人々が口数も少なくばて気味に歩いているところに、それでなくとも人目を惹く美貌の持ち主が大きな声を出したものだから、スーパーのビニール袋を下げている主婦から学生鞄を持っている学生までもが一斉に俺たちに好奇の視線を向けた。
「どうしたんだ?急に?」
まぁ、静かにしていたって、涼一といればジロジロ見られるのはいつものことだし、当の本人は見られていることすら気にしていないのだが・・・・
『別に見られたってへるもんやないしな』と涼一はいつもなんでもないことのように笑う。
確かに見られただけで減りはしないだろうが、中にはいかにも好色そうな目つきで涼一を見ている男もいて、俺の目の届かないところで危険な目に会いはしないかと心配になるのだが、まさか閉じこめて置くわけにもいかないから、困ったものだ。
「あれや。あれ、僕に買うて。な、ええやろ?」
「こうてって・・・・・なにを?」
ぐいぐいと腕を引っ張られながら、僅かな持ち合わせしか無い俺は高価なものじゃなきゃいいなと思いながらも、滅多に何かを買ってくれなどと言わない涼一が何かを強請ってくれることがなんだか無性に嬉しい。
涼一が引っ張っていった先には靴屋と文房具屋に挟まれた小さな花屋。
所狭しと切り花や小さな鉢植えが店先に並んでいる。奥にあるガラス張りのショーケースの中には一本が何百円もするような高価な花が鎮座していた。
花が欲しいのかと思ったが、涼一は花には目もくれず店の隅っこを指さした。
「ほら、あれ、買うて?」
涼一の強請っているものを目にした途端、俺は思わず頬が緩み、まだ指を指したままの涼一の髪をよしよしと撫でていた。
「なんだ、涼。今年も何か願い事なんかあるのか?」
色とりどりの花の置いてある店先の済みに『七夕用の笹あります』の文字と一緒に1メートルほどの長さに切りそろえられた薄緑色の細い笹が十数本置いてあったのだ。
「もちろんや。宗志さんも一緒に短冊に願い事書くんやで。なぁ、ええやろ。小さいのでええから笹買うて、な?」
「ベランダに立てればいいから、大きくてもいいよ。涼が好きなの選べばいい」
「ほんま?おおきに、帰りに折り紙と短冊買おな」
涼一は満面の笑みを浮かべて、笹選びに取りかかった。
まもなく一本の笹を選んで、お店の小柄な女の子に、包んで貰った。涼一と同じくらいのその子は頬をほんのり赤らめてボーっと涼一に見とれ、何度か笹を取り落としそうになっていた。
☆★☆
「よかったなぁ、今夜は晴れて。一年も逢うの我慢したのに逢われんかったら、絶対可哀想やもん」
白い絣の浴衣を着た涼一はベランダの窓を開け放して少しだけ高さのある窓枠に腰掛けるように座り、夜風にさらさらと音を立てる笹の葉の間から晴れ渡った夜空に向かってそう言った。
都会では天の川まではハッキリ見て取れないが、この天気なら二人の逢瀬が阻まれることは無いだろう。
「そうだな。一年は長いからな」
俺も涼一の横に腰を下ろし、そっと肩を抱いた。
人工芝の敷いてあるベランダは素足の足の裏に心地よく、少しくすぐったかった。
一年前のあの日、再び逢える確証もなく訪れた約束の橋。
どれほど、また逢えたことが嬉しかったことか。
そして、その夜に俺たちは初めて愛し合ったんだ。
一年に一度しか逢えない織り姫と牽牛のように、何度も何度もお互いを求め逢ったあの夜。
去年の七夕は俺たちにとって、とても大切で忘れられない夜だった。
「うん・・・・・・あの時逢われへんかったら、宗志さんが来てくれへんかったら、僕どないしてたんやろ、おもうわ」
あの夏、願をかけていたんだと言った長い髪は、直に出会った頃の長さに切りそろえられて、サラリとした黒い髪ごと小さな頭が俺の肩に僅かな重みを載せた。
「案外今頃いい人が出来てるんじゃないのか?こんなちっぽけなアパートに住んでる俺なんかよりずっと金持ちかもしれないぞ」
肩を抱いている腕の指先で涼一の髪や柔らかい耳たぶにいたずらをしながら、俺はからかうように言った。
「また、そんな意地悪ばっかり言う。宗志さんなんか大嫌いや」
上目使いに睨み上げられて、ぷっと吹き出してしまう。
涼一もつられてクスッと笑った。
「一昨年の七夕も涼はこの浴衣着てたよな」
あの時、高見沢との言い合いを俺に見られて、動転した涼一が俺の部屋にやってきたときも涼一はこの白い絣の浴衣を着ていた。
山梔子の花弁を揺らして飛び出してきた涼一は、激しい口づけのなごりで普段はサクランボ色の唇が血のように紅く染まり、妖艶なほど綺麗だった。
あの夜のことを思い出すと、未だに俺の胸はチクリと鈍い痛みを感じる。
「え・・・・・・あ。そう言えばそうやったかな・・」
あの時のことを思い出したのか、涼一は急に真っ赤になって顔を逸らし、もじもじと浴衣のあわせを手で直し始めた。
「あの時は、押さえるの大変だったんだぞ」
紅い耳たぶに囁いた。
その後、俺の部屋に来た涼一の浴衣姿か艶めかしくて、どれほどの自制心がいったか今思い出しても笑えるほどだ。
「押さえるって・・・・?」
怪訝そうに涼一が聞き返してきた。
「浴衣って、素肌の上に着るだろう?だからさ・・・・つい・・」
剥いじゃいたくなるんだよ。と続けたら、涼一は恥ずかしそうに「今も?」と微笑んだ。
返事の変わりにゆっくりと俺を誘う白いうなじに唇を押しあてた。
甘い吐息を漏らした涼一の裾が僅かにはだけて、俺を一気に煽り立てる。
くぼみのある官能的な下唇をきつく吸いあげながら、はだけた裾を割って片手を差し込むと、身体を震わせてギュッと俺にしがみついた涼一は掠れた声で懇願した。
「あかん・・・・ここはいやや・・・・はよ、ベッドにつれてって・・・」
さらさらと笹の葉が歌う。
俺たちが二人で書いた願い事を叶えるために。
サラサラと音を立てる真っ白なシーツの海の中で、涼一のなめらかな素肌の上を浴衣もさらさらと歌うように滑って落ちた。
さらさら、サラサラ・・・・・・と俺たちも結ばれながら星空に上り詰めていく。
七月七日、特別な日、『ずっと一緒にいられますように』と書いてある四角い短冊を星明かりがほんのりと白く照らしていた。
〈END〉
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