Crystals of snow story
*ANGEL*
15
身体がふわっと、宙に浮くのを感じた。
差し出した手ごと抱きしめられ抱き上げられたことに気づくのに、どれぐらいの時間を要したことだろう。
ほんの刹那、一瞬の事だったのだろうが、セルには今起きている出来事を咀嚼するのにかなりの時間が掛かったような気がしていた。
地に着かない足がゆらゆらと揺れるのは、眞一が荒い呼吸を整える間もセルは宙に浮いたまま、走ったせいで激しく上下している眞一の胸にしっかりと抱きしめられていたからだ。
しっかりと抱きしめられ、肩口に埋めた鼻腔に、普段の柔らかなコロンの香りに混じって微かな汗の匂いがする。
汗の匂いなど決して快いものであるはずもないのに、その香りがセルの体内に眞一を求める激しい渇望を生み出した。
このまま時間が止まってしまえばいいのに・・・・・
このまま、この人の中に溶け込んでしまいたい・・・・・・・・
セルはギュッと眞一のシャツを掴んだ。
最後にひとつ、大きく長い息を吐いた眞一は、ゆっくりとセルを降ろすと、シャツを握っていたセルの両手を覆うようにしっかり握りしめて、同じ目線まで身体を屈めた。
「ひさしぶりだな」
柔らかな眼差しが優しく微笑む。
セルのしたことを怒るでもなく、問いただすわけでもなく、眞一は包む混むような笑顔でセルを見つめている。
「元気にしてたかい?」
どう返答して良いいのかわからないセルは、二度目の質問にコックリと頷いた。
「そうか・・・・・よかった・・・・」
両手を握りしめていた眞一の大きな手が今度はそっとセルの両頬を包み込む。
セルの視界から眩しい夏の日差しがふっと翳る。
唇に優しさが触れたとき、セルの蒼い瞳から大粒の涙がひとつこぼれ落ちた。
「で?何があったんだ?」
経年を経たしっとりとした木造家屋の中は涼やかな冷房機器に冷やされて、座っている畳すらひんやりと心地よかった。
眞一に手を引かれ初めて訪れた眞一の部屋を不思議な感覚で見回していた。
「セル?」
きちんと小綺麗に整っている部屋ではあるが、いつものお洒落な眞一の雰囲気とはかけ離れた部屋に気を取られているセルに眞一は再度呼びかけた。
「あ・・・・は、はい」
「ハイじゃないだろう?何か理由があって俺を避けてたんじゃないのか?」
セルを責めているわけではないが、真実以外は受け付けない強さを眞一の声は物語っていた。
果たしてどこから話せばよいのか、暫く逡巡したのち、セルは両手を膝に乗せて居住まいを正すと眞一の顔を見つめた。
「さっきの綺麗な人は眞一さんに取ってどういう人ですか?」
「さっきの???」
自分のした質問への答えではなく唐突に返された質問に眞一は唖然として、思わず聞き返す。
「ええ、さっき僕がこの家の前で出会った綺麗な人です。この家に用事があって来て居るんだと仰ってました」
少なくとも、この部屋に入ったときには誰かがここにさっきまで居た形跡はなかったけれどと、セルは心の中で続ける。
「ああ・・・・・・・綺麗な子って、鈴矢くんのことか?」
そういえば、鈴矢に言われて、セルが来ていたことを知ったのだなとすっかり忘れていた事実に眞一は小さく苦笑した。
「ことかといわれても、僕はお名前を知りませんから」
またしても、さっき彼にあったときに芽生えた、嫌な気持ちがセルの中に蘇る。
まず、このことを確認してからでないと、眞一を避けていた理由を言うわけにはいかないとセルは思っていた。
ふふっと、セルの胸中を見透かすように眞一がセルの顔を覗き込んだ。
「すっごく、可愛いだろ?あの子」
憎たらしいほど幸せそうに微笑んだ眞一を蒼い瞳がキリっと睨み返す。
「だっ!だから綺麗な人って言ってるじゃないですか!!!」
「綺麗なだけじゃなくて、セルとは二学年しか変わらないんだが、最近はそこはかとない色気もあるんだよなぁ」
からかうようなゼスチャーで手を伸ばし、セルの髪に触れると絹糸のような金の髪を指先に巻きながら眞一が言った。
「しかし・・・・残念な事に、弟の想い人なんだな、これが」
「想い人・・・・?」
「そそ、ずーーーっとバカみたいに幼稚園の頃から片思いって奴をやってる。
鈴ちゃんの方も、最近は研二の事を意識してるし、実際は両思いなんだろうが、そこはまだ中2の子供同士のことだから、旨く意思の疎通が行ってないようなんだ」廊下を隔てた先に、当人達がいるのか、眞一はチラッと閉ざされた襖越しに視線を向けた。
「でも・・・・・弟さんのって・・・・・あの人もいくら綺麗とはいえ男の人でしょ?」
二人のいるであろう場所を見つめている眞一につられるように、セルの声も小声になる。
「倫理だの道徳だの、そんなものは後から人間が作ったものに過ぎないだろ?」
セルに視線を戻さないまま眞一が続けた。
「お互いがお互いを惹きつけあい、惹かれ合うんだとしたら、それは魂のレベルなんだろう。
純愛なんて、こそばゆいようなものが有るんだとしたら、そこに性別だとか年齢だとかそんなものは関係ないんじゃないか?」眞一の表情が見えないがその言葉にはどこかセルに向けてというより、自分自身に言い聞かせているような響きがあった。
眞一の言葉を聞きながら、セルの頬は小さな希望に紅潮する。
「じゃぁ・・・・・あの・・・・眞一さんも・・・・・あの・・・その・・・・・女の人じゃなくても、鈴矢さんとかも・・・・好きになったかもしれない?」
鈴矢に自分をだぶらせて、セルは消えるような声で尋ねた。
ゆっくりと眞一はセルに視線を戻し優しく笑った。
そうだね。っと・・・・答えるかのように。
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