Crystals of snow story

*十六夜の恋人*

44444番記念リクエスト小説

「イスに座っている老婆・・・・・」  

真っ暗な草むらに一定空間を開けて並んで座っている俺の横で、光一朗が長い沈黙を破って発した言葉がそれだった。  

こんな人里離れた場所にふたりっきりでいるというシュチュエーションに、何を話せばいいのか分からず立てた膝を抱えたまま、トクトクと鳴る胸を両手で覆い隠していた俺は、その謎めいた言葉にぽかんと口を開けて、吸い込まれるような闇の中、僅かな月光に照らされている綺麗な横顔を見上げた。  

二時間のドライブの末にたどり着いたのは高い山のハイウエイ沿いにある展望台。

草むらでは、姿を隠したままの秋の虫たちが、俺たちの廻りで切なく寂しげな音色をとぎれることなく風流に奏でていた。    

**********

今日の午後、突然、月見に行かないかと、誘われた。    

いつもの日曜日ごとのデートじゃなく、こんな風に突然光一朗に誘われたのは初めてのことだった。

『月見って、15夜は昨夜だぜ?』  

別段興味はなかったけど、昼休みに傍にいた女子たちが、ちょうど月見の話をしていて、とりあえず昨夜が15夜だったと言うことは知っていたんだ。

『今から、迎えに行くから』  

俺の質問を無視するように、電話はあっさりと切られ、気が付けば異議を唱えたかいもなくこんなところにまで連れてこられたというわけだ。  

横にいる光一朗は、職場からそのまま俺を迎えに来たのだろう、髪の色と良くマッチしたソフトブラウンのスーツ姿のままだった。

俺はこんな光一朗は好きじゃない・・・・・・・ 

あまりにも格好良すぎて、大人びていて、そんな光一朗に俺があまりにも不似合いだってことを、重々承知の事実をあからさまに思い出させるから。   

だから俺は、いかにも颯爽としたスーツ姿の光一朗と一緒にいるときはよけいに口が重くなり、身体を堅くしてしまう。

まあ、どっちにしても、俺たちは普通の恋人同士なんてものとは、根っから、かけ離れてるんだけど。  

***********

「正臣にはあれが老婆に見えるかい?」  

光一朗の視線を追っていくとまん丸の蒼い月。

「なんで、老婆に見えなきゃなんねぇの?月の模様は餅をついてるウサギだろう?」  

俺にはとてもじゃないけど、そんな風には見えないけど・・・・・

「イギリスではイスに座ってる老婆だって言うんだよ」  

ほら、あそこ、と光一朗が指を指すけど、とても老婆になんか見えやしない。

「イギリス人て、変わってなんだな?どうやったらそんな風に見えるわけ?」

「じゃあ、蟹には見えるかい?」

「カニぃ???」

「蟹に見えるっていう国が一番多いらしいよ」

「なんで、あれがぁ?・・・・
あっ!」  

もう一度、月の表面を見てみると何となく蟹に見えだした。

「蟹はわかりやすいだろう?」

「ウサギの耳に見えるところが、はさみなんだよな?」

「そうだね」

「へぇ〜、面白いよな?月はウサギっておもいこんでて、今までほかに何に見えるかなんて考えてもみなかったよ」  

新たな発見に興奮気味の俺の横で、光一朗は静かに微笑んでいる。

「そう言えば俺、月なんて、じっと見たの久しぶりだな」

「そうだね、都会は夜も明るいから、こんなに綺麗に月の模様は見えないからね」  

確かに、山の空気は澄んでいて、廻りに月明かりをじゃまするライトがないから、頭上に昇っている月は都会とは比べものにならないくらい綺麗だ。  

静かな時間。  

この世に存在するのは俺と光一朗の二人だけ、そんな錯覚を起こしそうな、世俗から隔絶された空間。  

またしても、ここにいるのは二人だけだと、思い出して、優しげな微笑みを浮かべている光一朗を直視することが出来なくなった。。。

胸の芯が火照ったように熱い・・・・・・

でも、胸の熱さとは反対に薄手のシャツ一枚キリの身体は夜気にさらされて時間が経つごとにじわじわと冷えていく。  

この展望台のある山の標高はかなり高いのだろう、まだ、秋も初めだというのに、空気が澄んでいてヒンヤリと吐息が白むほど冷たい。

「正臣、寒くないかい?」  

暖をとろうと身体を小さく丸めた俺を見とがめた光一朗が、ん?と横から覗き込んで訊いた。

「もう、十時前か。風邪をひいちゃいけないな、帰ろうか?」  

心配そうに俺と腕時計を交互に見る。

「・・・・・・・」  

まだ・・帰りたくないよ・・・・・

立ち上がり掛けた光一朗とは対照的に微動だにしない俺に、

「帰らないの?寒いんだろう?」

光一朗はちょっと小首を傾げ、戸惑うように問いかけた。 

あんたが暖めてくれよ・・・・・  

喉元まで出かかってる言葉が言えなくて、俺は膝を抱く腕にますます力を込めた。

「黙ってたら、分からないよ」  

もう一度膝を折り真側に寄った、形の良い薄い唇から零れる暖かい息が俺の頬を掠める。

そんなに近寄られたら、トクトクと高鳴る心臓の音が、光一朗にも聞こえてしまいそうだ・・・・・

もう少し一緒にいたい、ただそれだけなのに、なんでそんなことが言えないんだろう・・・・・・・・・なんで、光一朗は俺の気持ちを分かってくれないんだろう・・・・・・・・
言い出せない言葉に心が押しつぶされてしまいそうだ。

「まいったな・・・そんな顔されたら、どうしたら良いのか分からなくなる・・・」  

パサッと布が風を切る音がした後、ため息のような笑い声と一緒に光一朗が脱いだ上着ごと俺をすっぽりと抱いた。

「あ、あんたが風邪・・・ひく」

「いいよ」

「い、いいって、風邪ひきたいのかよ」  

さっき吐息が触れた熱い頬に、今度は柔らかい唇がゆっくりと触れる。

「風邪をひいたら、また正臣が看病してくれるんだろう?」  

意味深な響きの甘い声が俺の耳をくすぐる。

「・・うっ・・な、なにバカいってんだよ!」

「そうだよね・・・・バカみたいだよね。
僕は正臣の前にでると、ただの愚か者に成り下がってしまう。
自分でも一体何をしてるんだろうって、時々おかしくなるよ」

俺の背中で光一朗は自嘲するように笑った。

「か、帰る・・・・」  

光一朗の言っている看病の意味になんて応えていいのか分からずに、俺は身体を捻って広い胸に両手をつき、暖かい腕から逃れようとした。

「今夜は逃げないで・・・・」  

逃げたくても逃げれなかった。俺は忘れてたけど、こいつは綺麗な見かけとは裏腹に俺の何倍も力が強いんだ。

「頼むから、このまま、もう少し、僕と月を眺めていこうよ」 

誰にもじゃまされない二人だけの世界で・・・・・・  

身動きできない力でがっちりと押さえ込まれた俺は仕方なくもう一度暖かい腕の中に身体を預けた。

俺の目にはいるのは光一朗の姿と果てしない宇宙だけ。

ただじっとこうしていると、俺たち以外の誰もこの世界には存在しないようなそんな気がした。  

だからなのか、月の光に照らされた麗しい顔がゆっくりと近づいてくるのも拒まずに、瞼だけを俺はゆっくりと閉じ、揺蕩うように闇の中に溶け込んでいった。        

**********

山から降りてくると、下界は町の灯りでチカチカといろんな色が氾濫してとても綺麗だったけど、さっきみたいな神秘的な美しさはもうここにはなかった。  

でも、夜だからいつものサングラスをかけずに車を走らせている光一朗の横顔は照らすものが月光だろうがヘッドライトだろうが全然関係ないくらい綺麗だ。  

こういうのを惚れた欲目とでも言うんだろうなと・・・ひとりで、クスっと笑ったら、『どうした?』と横目で見られてしまった。

「あは、別に・・・・それより何で、急に月見になんか行く気になったんだよ?」  

突然の呼び出しなんて・・・・柄にもなくメチャ嬉しかったんだから・・・

「月見団子食べたんだ」  

フロントグラスを向いたままの光一朗がにっこりと言った。  

はぁ?だんごぉ〜?
ずいぶんエリートだって光一朗のこと、姉さんたちから訊いてるけど、俺は時々こいつの言ってることがさっぱり、わかんないんだけど・・・・
それって、俺がバカだからってことかな?

「団子食うのと、俺と、月見がどう繋がるんだよ?」

「団子食べたら、正臣を思いだした」  

俺って・・・団子から思い浮かべる顔なのかよ?

なんか、ちょっと腹が立つ。

「なんで、俺が、団子なんだよ!」

「なぜと訊かれても困るよ。思い出したんだから」  

あはは、と声まで立てて笑うなってんだ!

「昨日、女の子たちが休憩時間に買ってきたものを僕にもくれたんだけどね。それが本当に美味でね」  

ああ、そう、おもてになることで。

「だから、正臣と

・・・・・・・あぁ!」  

光一朗の左手がハンドルからはずれて口元を大げさに押さえた。

「わぁっ!!ど、どうしたの?」

「忘れてた・・・・」

「あ〜びっくりした・・・なんなんだよ?」

「後ろ」  

光一朗が立てた親指で指した後部座席に小さな包みが一つ置いてあった。

「なに?あれ?」

「月見団子」

「だんご、買ってきたのかよ?」

「そうだよ、月を見ながらその月見団子を正臣と食べようと思って買ってきたんだから」

「なんだよ、じゃぁ、元々は団子食うためにあんなところまでドライブしたわけ?」

「そういうことかな。綺麗な蒼い月に団子、ススキも揺れてたし、風流だったろう?」

「風流って・・・光一朗って、おじんくさ〜」

第一肝心の団子、食ってねぇじゃん・・・変な奴〜



 

夜半過ぎにようやく車は俺の家の前にたどり着いた。  

いつもならもっと早い時間に俺を送り届ける光一朗は、お詫びを言った方がいいだろうかと真剣な顔で尋ねたけど、むすめっこじゃあるまいし、そんなことされたらかえって怪しいからやめてくれと押しとどめた。

俺はまだ母さん達にカミングアウトするほどの度胸はないんだから。

「じゃな、お休み」  

車のドアノブにかけた俺の手に光一朗がさっきの包みを押しつけた。

「持って帰ってくれないか」

「え?いいよ。光一朗これ好きなんだろ?食べなよ」

「僕が持って帰っても一人じゃ6個も食べれないよ」

「じゃあさ、半分ずっこしよう」  

がさがさと袋を開き始める俺を制して、

「僕はいいよ、甘いものならさっき十分頂いたから」  

光一朗の目元が優しく和む。

途端、さっき触れられた唇と胸の芯が熱く火照り出す。

「・・・・・たくぅ・・・・スケベおやじみたいないい方すんなよな・・・」

赤くなった俺は、光一朗をキッと睨み付けた。

「仕方ないだろ?僕は正臣から見ればおじさんだもの」

悪びれもせず、にっこりと微笑む余裕の笑みがにくったらしい。

「なんかさ、だんだん、光一朗の性格悪くなってきてねぇ?」

「そう?誰かさんほどじゃないけどね」

「誰かさんて、誰だよ!まったく・・・さっさと、帰れ!」  

勢い良く車から飛び出してバタンとドアを閉めると、楽しそうに笑いながら光一朗は元来た道に向かって走り去って行った。

 

車の赤いテールランプが見えなくなるまで見送って、やれやれと頭上を見上げたら、さっきよりぼんやりとはしてるものの丸い大きな月が俺を悠然と見下ろしていた。

「あんたのせいかな?今夜の光一朗はちょっとばかしへんだったよな」  

ルナティック、月夜の晩のオオカミ男しかり、人は月光にさらされるとちょっとばかし熱に浮かされたようになるという。

「俺も、あんたに浮かされたのかもしんねぇけど・・・・」  

月を見上げながら、包みから取り出した団子を、俺はゆっくりとほおばった。    

〈END〉