☆偽りの恋人☆

 

「光一朗、遠慮しないで、何でも好きなもん選んでいいぜ」  

俺は腰に手を当て、自慢げに光一朗を振り返った。

「そうかい?じゃあ、珈琲でも貰おうかな」

「コーヒー?昼飯、食わねぇの?」  

ざわざわと混雑した日曜日のお昼時、マクドナルドの注文カウンターの前で、俺はキョトンと光一朗の整った横顔を見上げた。  

俺と光一朗のデートは何時の間にやら、週に一度の日曜日、それも何故か9時から5時までのお子様タイムと決まってて、俺の僅かなプライド保持のため月に一度だけ俺が光一朗に奢る事になっていた。  

まあ、俺が奢るのは光一朗の連れてってくれる、レストランなんかとは格段に違う、超チープなハンバーガーかファミレスと相場は決まっているのだが、それでも光一朗はいつもにこやかな表情を崩さずに美味しそうに食べてくれるのに。

「悪いね、正臣。折角奢ってくれるって言ってるのに、いま、あんまり食べたくなくて・・・」  

申し訳なさそうに、俺に謝った光一朗の顔色を改めて見てみると、白いのを通り越して少し青白い。そう言えば朝からなんとなく口数も少なかったような気がする。   

まぁ、元々俺達ってふたりっきりになると、何となく口を噤んでしまうから、会話が弾むって訳じゃないんだけど・・・  

「帰ろう、光一朗」  

俺はむんずと光一朗の肘を掴んでガヤガヤとした店内を抜け出して、駐車場に止めてあるオフホワイトのシーマに向かって歩き出した。  

まったく、具合が悪いなら、悪いって言えよな!俺ってそんなに信用ないのかよ!  

光一朗の手から車のキーを取り上げた俺は運転席のドアを乱暴に開けて、光一朗を車内に押し込んだ。

「俺が運転できたらいいんだけどな・・・運転できる?」

「ああ、悪いね。大したこと無いんだよ」  

かがみ込んだ俺に向かって微笑んだ光一朗の額には、秋だって言うのに汗がじっとりと滲みだしていた。  

俺は無意識のうちに子供の頃母さんがよくしたように、光一朗の白皙の額に前髪を掻き上げたおでこをこちんと当てて熱さを調べてみた。  

俺の意外な行動に驚いたのか、光一朗は大きく目を見開いて超至近距離にいる俺の顔を見詰め返してきた。  

なんだか、無性に照れくさくなった俺は、

「いったい何時から具合悪かったんだよ!凄く熱いじゃないか!無理してまで俺に付き合うこと無いんだぜ!ちゃんとしんどいならしんどいって言えよな!」  

照れ隠しにわざと怒鳴ってから、助手席に回り込んだ。    

 

「米、ある?」  

初めて足を踏み入れた光一朗の寝室。思えば俺って誰かの寝室に入ったのなんか、初めてかもしんないな。

ゆっくりと見回した薄暗い寝室には据え付けのウオークインクロゼットの他にはテレビとサイドテーブルがポツンと置いてあるだけで、部屋の真ん中には一人で寝るには不必要な程、広いキングサイズのベッドがデンと置かれていた。  

大きなベットだなと思った途端、きちんとベッドメイクされているにも関わらず俺の心臓が何故かキュンと竦む。

「あるけど・・・何もしなくていいから」 

「食うもん、食わないと直んないぜ、ほら、光一朗は早くベッドに入いんなよ」   

言いようのない息苦しさを隠したまま、上掛けを捲ってやった俺に、

「正臣・・・」

「ん?」

「ごめん・・・着替えたいんだけど」

「あっ・・そうか・・・ごめん」  

ポンポンと枕の位置を手直ししてた俺が、おもむろに振り返ると間近に光一朗のアップがあった。

僅かに上気した色っぽい頬と薄茶の瞳が熱の所為で艶っぽく濡れて、なんだかマジに見詰め続けてると俺の方が今にもオーバーヒートしちまいそう・・・

「お、お粥作ってきてやるから!着替え済んだら、ちゃんとベッドに入っとけよな!」  

真っ赤になりながら、あたふたと寝室から逃げ出した。      

 

そうだよなぁ・・・・・あの年までなんにもないなんて事、ないよなぁ・・・。

俺と知り合ってからだって、あるんだろうな・・だって、もう一年半だもんな・・・・。  

俺になんもしないのは、それはそれで間に 合ってるからなのかよ・・・・ 俺って、なんか情けない・・・なんかぐちぐち、女みてぇ・・・  

 

小さなホーローの鍋でコトコト粥を炊きながら、俺は足下にじゃれつく小さなルルに小声で尋ねた。

「なあ、あのベッドに誰かくんのか?ルル」 

二人で使ってもまだあまりそうな大きなベッド、そりゃ・・・光一朗ならいくらでも相手はいるだろうけど・・・・  

見なきゃよかったな、寝室なんて・・・胸が苦しいよ・・・

光一朗・・・    

 

光一朗は俺の作った粥もどきを何とか茶碗に一杯食べて、クスリを飲むと昏々と眠ってしまった。

俺は広いベッドの端に浅く腰を下ろして、時折額のタオルを変えるほかは、普段は恥ずかしくてしげしげと見ることの出来ない光一朗の顔をじっと眺めて過ごした。  

何でこんなに綺麗なんだろう・・・  伏せた睫毛の長さに、整った高い鼻梁に、僅かに綻んだ形のいい口唇に、俺は改めて感嘆の吐息をついた。

温もってしまったタオルを再び冷たく絞って、火照った額にそぉっと載せる。

「へえ、光一朗、こんな所に黒子あるんだ・・・」  

こめかみのほんの少し下、髪で普段は隠れている辺りにポツンと小さな印。  

もしかしたら、俺しか知らないかも知れない、小さな秘密・・・

「俺はあんただけが好きだよ・・・光一朗・・たとえあんたのベッドに来る女がいたとしても・・・」  

いまさら引き返せない、俺の光一朗への切ない想いを、寝顔に小さく呟いた。  

不意に、光一朗が『んっ・・』と、吐息を漏らして寝返ったので、俺はビクンと跳ね上がり、ベッドわきのサイドテーブルに、ガタッ!と派手にぶつかってしまった。

「いけねぇ」   

倒してしまった、高価そうなアンチックな置き時計を元に戻そうとした俺は、その後ろに小さな写真立てがあるのに気がついた。

「へぇ・・・高校生の光一朗だ。なんだよ、結構かわいいじゃんか♪」

笑顔で、写真立てを手にした俺が見た物は、モスグリーンの制服姿の光一朗と、親しげな笑顔の友人達。  

今の俺とさして変わらない年頃の光一朗をニンマリと眺めているうちに、カタカタと小刻みに、俺の手の中で四角い木枠の写真立てが震えだした。

「誰なんだ?・・・・こいつ・・・」  

光一朗の隣で笑っている少年に目を留めた途端、 俺の笑顔がスッ〜と引いていく・・・・・・  

光一朗が見合いをするかも知れないと思いこんだときのショックなんてもんじゃなかった。体中に無数の虫が這いずり回るほどの邪悪感が俺を一気に襲う。  

幾ら、おめでたい俺だって、一年半ものあいだ何もないなんて思ってやしない。俺に何も求めない以上、大人の光一朗に生理的欲求を満たす相手が誰かいるのかも知れないと、心の片隅で思ってた。

無理矢理そんなことからは目を背けてきたけど、幾ら綺麗だと言っても作り物の人形じゃあるまいし、ごく当たり前の欲求ぐらいは持ち合わせてるハズなんだから・・・・

だから、もちろん俺は何もそこまで光一朗を神聖視してるわけじゃなかったんだ。

それはそれで、仕方ないって・・・・  

だけど、だけど、ベッドわきのサイドテーブル。

置き時計の影に隠すように密かに置いてあった少し色褪せた写真。  

他人のそら似なんて呼べないほど俺によく似た光一朗の旧友。その横で屈託のない笑顔で笑ってる、まだ幼さの残る俺の知らない光一朗。    

いつもいつも、不安だった。

なんで、あんたみたいな人が俺なんかをって・・・バッカみてぇ・・・俺じゃなかったんだ・・・光一朗が見詰めてたのは俺の向こう側にいるこの少年だったなんて・・・・  

 

薄暗い居間のソファで、ぼんやりと宙に意識を手放していた俺は、ポケットの中の小刻みな振動で僅かに現実へと引き戻された。

『正臣?』  

だれ・・・・?

『正臣なんでしょう?』  

ああ、なんだ・・・

「・・・・姉さん?」

『姉さんじゃないわよ!何やってんの?もう、夜中の2時よ!別に男の子なんだから外泊したっていいけど、連絡ぐらい入れなさいよね!』  

きぃ、きぃ捲し立ててる横で、赤ん坊の泣き声がして、母さんが何か言ってるけど何を言ってるのか、俺には解らなかった。

「光一朗が・・・熱だして・・・いま、光一朗の部屋にいるんだ。電車が走り出したら帰るから」  

そうだ・・・光一朗の熱下がったのか見に行かなきゃ・・・・

フラリと立ち上がり、まだ姉さんは携帯の向こう側でなんか喚いてたけど、俺はぷつりと携帯の回線を切って、ポケットに突っ込んだ。  

 

「正臣?」  

額に手を載せて熱を確かめると、光一朗はうっすらと瞼を開いて、俺の姿を見つけるとフッと柔らかく微笑んだ。  

何故光一朗が俺の名を口の端に載せるとき、必ず確かめるように語尾が上がるのか、ようやく解ったよ。

俺の声が分からない訳じゃなかったんだな、俺が『正臣』本人かそれともあんたの想い出の中に住むあの少年かを無意識のうちに確かめてるんだ。 

「熱、引いたみたいだな」  

額に載せた手をそのまま滑らすように動かして、光一朗の栗色の髪をゆっくりと梳いた。

「悪いね・・・こんな時間まで。家に連絡入れないと・・・」  

片肘を着いて、上体を起こした光一朗の声は、喉が痛むのか、いつもより僅かばかり低い。

「姉さんに、ここにいるって、言っといたから」  

大丈夫だからと首を横に振った。  

俺の指がゆっくりと向かい合った光一朗の頬の輪郭をなぞる。

憶えていたい、俺が初めて愛した人。   

そっと薄い唇に指先を当て、いつもとは違う行動に戸惑ったように俺を見詰めている光一朗に俺はぎこちなく微笑んだ。

「光一朗、知ってた?俺、あんたに惚れてたんだぜ」

「惚れてた・・って・・・嫌だな、今は違うのかい?」  

俺の気持ちも知らずに、光一朗は目元を和ませて、茶化すように訊き返す。

俺は微笑んでいることさえ辛いのに。

「光一朗には分かんないよ・・・俺の気持ちなんか。惚れてたんだよ。初めてあった日からずっと・・・・」

喉元に堅い物が込み上げきて、言葉がうまく続かない。

「分かってるよ・・・・・・僕もだよ」  

優しい言葉に、揺らめく甘い瞳に、騙されてしまいたくなる。

今だけ、今夜だけ・・・偽りでもいい・・・・・

吸い込まれてしまいそうな深い琥珀色の瞳に呟いた。

「お、俺のこと好きなら・・・証拠見せてよ・・・」   

全てを言い終わらないうちに、力強い腕に引き寄せられて、ふんわりと微かにコロンの香りが漂う光一朗の広い胸に抱きしめられた。

「正臣?」  

光一朗の口唇が俺の耳朶に触れ、掠れた声が愛撫するかのように俺の名を呼んだ。  

いつもの声とは違うのに、語尾だけがいつもと同じように上がる。

腕の中に抱き留めた、俺が誰なのか、確かめるために・・・・      

 

愛しさ、切なさ、憎しみ、嫌悪・・・・

様々な想いが俺の中で怒濤のように渦巻く。  

光一朗の口唇が俺の肌に触れるたび、写真の中の少年が俺の中で勝ち誇ったように笑う。 

光一朗の手慣れた愛撫や、俺を傷つけまいとする心配りさえ、鈍い痛みに変わる。  

ふれ合う光一朗の口唇も肌も、何もかも全てが熱のせいなのか、火照ったように熱かった。  

俺も少しずつ焼かれていく、苦しみ悶えながら、嫉妬という名の、揺らめき立ち上る蒼い業火に・・・・  

何度も、何度も、掠れた声で、くり返し、囁かれる俺の名前・・・・  

まるで、俺の存在を確かめるために繰り返される、呪文みたいに・・・・・  

そこにいるのは誰?俺なの?それとも・・・・・・

苦悶とも快楽ともつかぬ表情をして、光一朗の琥珀色の瞳の中に映っている、お前は誰なんだ・・・・・・?      

 

「寒ぅ・・・・」  

真っ暗な道を、駅に向かって歩く俺の息が僅かに白い蒸気になって揺れる。  

後、数時間もしたら、光一朗は見つけるだろう、居間のテーブルの上に置かれた写真立てと俺の携帯を。  

ポツリポツリと始発に乗る人達に混じって切符を買い、ホームのベンチに腰を下ろし電車を待っていると、少し離れたところでサラリーマンの携帯が鳴った。

聞き慣れた電子音に、ドッキっとして、思わず音のする方に身体を向けてしまう。

「はは・・・」  

寒々しい苦笑が俺の口唇から零れ落ちた。 

今はもう手元にない俺の携帯が鳴るはずはないのに、どこかで期待してるんだな、ほんと俺って女々しい奴。  

アナウンスと共に駅に滑り込んできた、始発電車に俺は重い足取りで乗り込んだ。  

ラッシュにはまだ早い、閑散とした電車は、扉をシューっと音を立ながら閉め、白みかけてきた朝の光の中をゆっくりと走り出した。                 

END