★忘れられない恋人★

 

身体がピリリと引きつる。    

聞き慣れた電子音を聴くたびに、焦燥感と縋るような愛しさをない交ぜにした、焦れるような感覚を再現させる。 

あれから半月も経つと言うのに。    

道ばたで、喫茶店で、駅で、学校で・・・ 

それがメロディだろうが、ただの電子音だろうがお構いなく、誰かの携帯が鳴るたびに、俺の身体がピクリと引きつるんだ。  

 

「嶋村!お前どうする?」  

あの日を境に極端なほど付き合いの良くなった俺をにこやかにクラスメートが誘う。  

映画に、買い物に。軽い食事に、酒に。  

急激に素行の悪くなった俺に両親はヤキモキしていたが、時折実家に帰ってくる姉貴が男の子なんだから少々今のうちに遊んでおく方がいいのだとかなんとか、上手く取り繕ってくれていた。  

例の見合い話は俺にかけた鎌だったのか、どうやら姉貴には、薄々俺と光一朗の関係が普通じゃないことがわかっていたのかも知れない。  

その俺が光一朗と一晩過ごした次の日から急に荒れだしたのだから、自ずと理由は明白だと言わんばかりに、姉貴は俺を気遣ってくれていた。    

 

 

十月も終わりに近づいた秋の夜風は火照った身体に心地よかった。  

漆黒の闇にぽっかり浮かぶ中秋の名月が、ほろ酔い加減で家路につく俺のお供をするべく音もなく後を付いてきていた。

「う〜さぎ、うさぎ。なぁ〜に見ぃて跳ねるぅ〜」  

甘さで誤魔化されたカクテルをがぶ飲みしたせいか、可笑しくもないのに、クスクスと笑いがこぼれ、天を仰ぎながらふらふら歩いている俺の足下がおぼつかない。

「じゅ〜五夜、おつきさま見て、は・・・・・・ぁ・・」  

後一つ角を曲がれば我が家だと言うところで、俺の拍子はずれの歌がパタリと止み、俺はクルリと一回転をした。  

月光を浴びてキラリと光る金のエンブレム。 磨き上げられたオフホワイトのシーマが目の前に止まっていたからだ。  

スタスタと反対方向に逃げ出した俺の後ろで、車のドアが派手な音を立ててバタンと閉められた。  

走ろうとしても、アルコールに支配された俺の足はもどかしいぐらい上手く動かず、背後から革靴が立てる乾いた足音が足早に近づいてくる。  

俺の鼓膜の奥でドクンドクンと鳴り出した鼓動と光一朗の立てる足音が共鳴する。

「正臣?」  

聴きたくない。二度と・・・・・・

俺の名を確かめるように呼ぶのはやめてくれ!  

鼓動も光一朗の声も遮断するために暗灰色のアスファルトに俺は耳を塞いで崩れこむようにしゃがみ込んだ。  

スーツの膝を直に地面につけて、俺の前に回り込んできた光一朗も傍らにしゃがみ込む。

「正臣・・・逢いたかった・・・・・・」  

そんな声で俺を呼ぶな・・・呼ぶな!  

俺になんか逢いたくないくせに・・・

あんたが見てたのは、アイツのくせに・・俺に・・・逢いたかったなんて言うなよ・・・

「正臣・・酔ってるのか?」

「さ、さわんな!」  

光一朗の指先が躊躇いがちに俺の肩に触れた途端に小さく叫んだ。  

相反する俺の想いが沸き上がり、小刻みに身体が震え出す。  

瘧のようにカタカタと・・・  

あの夜のように、身代わりでも構わないと俺の身体が今にも叫びだしそうになる。

光一朗と一緒にいられるのなら、それでも構わないじゃないかと女々しい俺の一面が浅ましく鎌首を持ち上げそうになる。  

認めたくはない・・・俺はそこまで落ちぶれてなんかいない・・・  

俺を俺自身を愛していない光一朗なんていらない。  

俺はダミーなんかじゃないんだ。

「関係ないだろう・・・俺だって酒ぐらい飲むよ」  

地面に両手を着いて、ふらつく身体を立て直した。  

立ち上がった俺の前に光一朗も続いてスッと立ち上がる。  

月の蒼白い光に照らされて、碧色の陰影を纏った光一朗は、この世の人じゃないみたいに恐ろしく綺麗だった。

「もう、俺に構わないでくれよ。幾ら俺がアンタに参ってても、身代わりなんかまっぴらだ・・・」  

俺を見詰めていた光一朗が眉をほんの少し顰めて僅かに視線を逸らした。

「光一朗なら身代わりだろうがなんだろうが構わないっていう奴はごまんといるよ。  

そっくりって訳にはいかないかも知れないけど、俺みたいな顔ならそこらへんに幾らでも転がってるさ。

なんて名前かしんないけど、アイツ似た奴で、俺なんかより素直で大人しいのでも見つけなよ」  

俺はこんなばかげたゲームからは降りるよ。 

俺の淡々とした罵倒に、黙ったまま立っている光一朗に背を向けて歩き出そうとした途端、手首を強く掴まれた。

「な、何!」  

引き寄せられて、抗えないほどの力で抱き竦められた。

「すまなかった・・・」  

光一朗の声が震えている。

「バカ力だすんじゃねぇよ!は、離せ!離せって!」  

腕の中でジタバタ藻掻いている俺の耳元で、

「・・・愛してるんだ」  

光一朗の苦渋に満ちた囁きが耳朶をかすめた。  

愛している・・・愛してるって・・・誰をだよ・・・・・  

俺の身体から抗う力が抜けていく。

「ああ、愛してるんだろうな・・・」   

可笑しくもないのに、クスッと笑いが漏れた。

「身代わりの俺にさえ一年半も手が出せないほどに光一朗はアイツを愛してるんだよ。  

どういう経緯でアイツを手放したのかは知らないけど、我が儘な俺の機嫌をとってまでアイツの身代わりを手放したくないほど、光一朗はアイツを愛してるんだよ」  

キッと睨み付けた俺の間傍で、光一朗の琥珀色の瞳が揺れた。

「違う・・・正臣・・」  

歯切れの悪さが図星だって答えてるじゃないか、光一朗。

「じゃあ、言えよ。身代わりなんかじゃないって。アイツのことなんか関係ないって!

俺を、嶋村正臣自身が最初から欲しかったんだって!  

言えよ!言って見ろよ!」  

悔しくて力任せに掴んだスーツの襟首を両手で捻り上げて叫んだ。

「詰られても仕方のないことをしたと思っている。

正臣の言うとおりだ。僕は紳司の変わりに正臣を手に入れたかったのかも知れない」  

残酷な言葉が俺の胸をザクリと切り裂く。

幾ら分かっていたこととはいえ、直接光一朗の口から聴きたくはなかった。

「・・・よせ・・・」  

首を激しく横に振り、再び両手で耳を塞ごうとする俺の両手首を光一朗はむんずと掴み、言葉を続けた。

「僕は正臣を失いたくない・・・  紳司の身代わりだとか、そんな事じゃなく僕は正臣を失いたくないんだ。  

この二週間、僕なりに考えた・・・僕にとって正臣が紳司の身代わりでしかないのなら、このまま正臣に会わないで置くべきだと思ったんだ。  

でも、僕は、正臣を正臣自身を失いたくはない。

何を勝手な事を言ってるんだって、正臣は思うだろう。でも、正臣が許してくれるなら、もう一度初めからやり直させて貰えないか」 

ゆっくりと俺の手首を掴む光一朗の手が外されていく。

「今、正臣の手を離すことがどれほど僕にとって恐ろしい事か正臣には分からないかも知れない。

何故あの時手を離してしまったんだろうって、僕はまた後悔するかも知れない。 

でも、選択権は正臣にあるんだ。

僕を許してくれるなら、もう一度一からやり直させてくれるなら・・・・明日の放課後、僕の所に来て欲しい」  

そう言い終えて、両手で俺の頬を包んだ光一朗は、最後にフッと淋しそうに微笑むと、俺を置いて車に乗り込んだ。  

茫然としたままの俺の返事もきかず、振り向くこともなく、シーマは闇の中へ滑るように走り去ってしまった。      

 

ベッドにパフンとダイビングした俺は、無性に腹が立っていた。

その辺にあるものを手当たり次第に投げ散らかした後、真夜中の散らかりまくった部屋を見下ろした俺は今度はゲラゲラとバカみたいに笑いだした。

「ああ〜!畜生!光一朗のバカ野郎〜!」  

あんな事を言われて、俺にどうしろって言うんだ?

結局は俺に選択権なんかありゃしない・・・

情けなくって、涙が滲んできた・・・

『正臣自身を、失いたくない』

殺し文句を、言うだけいって、さっさといなくなりやがって・・・・・・

「情けねぇ〜!俺・・・一生アイツから離れられないのかもしんない・・・」  

ギュッと大きな抱き枕を抱きしめたら、今度は暖かい涙がポタポタとスカイブルーのピロカバーに落ち始めた。

次々に落ちる涙はゆっくりと木綿生地(コットン)に染み込んで、そこだけが藍色に変わっていき、少しずつ藍色の輪が重なり合っていった。    

 

 

「何処に行く?」  

翌日、校門の傍に止められていたシーマに制服のまま乗り込んだ俺に、光一朗が何事もなかったかのように尋ねた。

「どこでも、光一朗のいきたいとこでいいよ」  

膝の上の学生鞄を抱きしめながら、光を吸って濃いグレーに変わってしまったサングラスで、相変わらずなんの表情も表さない整った横顔に、俺は不機嫌に答えた。

「僕の行きたいところで、いいんだね?」  

チラリと俺の方に視線を遣った光一朗がからかうように俺に尋ねた。

「え?」  

いつもと違う光一朗の返事に、戸惑う俺を乗せて、車は静かに走り出した。

「ど、どこいくんだよ・・・」  

あたふたとし出した俺に、

「どこでもいいと言ったのは正臣だろう?」 

ふふんと、形のいい口元を綻ばして光一朗が勝ち誇ったように笑う。

「クソ〜!なんだよ、その偉そうな態度は!」  

昨夜許してくれって言ったのは光一朗のほうなんだぞ!!

それなのに、突っかかった俺に声を立てて笑う光一朗の笑顔に、キュンと胸の高鳴る俺って・・・俺って・・・

まあ、いいや・・・  

 

道路わきの銀杏並木が少しずつ色づいて、 遠い山並みも彩りを添えだした初秋。  

俺と光一朗の恋も新たな彩りに染まりだしたのかも知れない。  

光一朗の忘れられない大切な想い出を糧にして。

何時の日かきっと、素直に聞ける日が来る。

きっと、何時か・・・・              

〈END〉