**未来への予約**

 

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皆が学食のほうに流れる昼休みとあって、全く反対方向にある体育館裏の広場は人影がない。

その事を前から知っていたのだろう、荻野は迷わず木立に囲まれた広場まで俺を引っ張って来たかと思うと、広場の中央の木陰になっているところに座るように促した。

「先生!さっきのは何なんですか?」  

俺の前に胡座を組んで座り込むと、切り口上で荻野は言った。 「何って、俺何か悪いことしたっけ?」  

何のことか十分承知の上で、わざととぼけて首を捻って見せた。

「なにって・・・どうしていちいち脱がなきゃならないんすか!」   

日に焼けた頬をさらに赤らめて、俺を睨み付ける。

「みんながさぁ、脱いで欲しそうだったかぁ〜ら」  

顔を近づけて悪戯っぽく答えた。

「先生は誰かが脱いで欲しがったら、すぐに脱ぐんすか?」

「荻野は?一人で怒ってたよね。そんなに見たくなかったの?」

「見たいとか見たくないとか、そんな話じゃないでしょう!
俺はそんなに簡単に肌を晒しちゃいけないって言ってるんです!」

「そりゃあさ、女の子なら上半身裸になったら大変かもしれないけど。
荻野みたいなこと言ってたら、俺、水着も着れなくなるよ。そうじゃない?
上半身裸の男なんて夏になればその辺にごろごろいるじゃん。それに見られたって減りも汚れもしないって言ってくれたのは荻野だろ?
だいたい、荻野だって部活の後、汗かいたらランニング脱いで水被ったりしてるじゃないか?」

「うっ・・・そ・・・・それは・・・」

「お前上手に描けてたよ。俺の絵」  

上気したまま言葉に詰まっている荻野の髪を後ろに撫でて、優しく笑い掛けた。

「また俺のこと子供扱いするんだ高城先生は」 

ぷいっと拗ねて横を向く姿が何とも可愛いい。

「だって、7つ違うんだよ俺と隼人は」

「先生?今なんて?」

「だから俺は今、24だって」

「そんなこと知ってる。その後」

「ん?隼人って言うんだろ?お前の名前」

「うん」  

大きな身体に不似合いなほど、はにかんで返事をした。

「なに?隼人って呼ばれると嬉しいの?」

「他の奴には滅多に呼ばせない。特に桐生の奴らには絶対に。でも高城先生が名前で呼んでくれたら俺嬉しいっす」  

脳天気に見えるけど、校内での軋轢は結構根が深そうだ。

裕征が言う通り、隼人は隼人なりにいろいろ有るのかもしれないな。

「じゃあ、みんなの前では荻野にしとくよ。何かとやっかむ奴もいるだろうからね。
隼人もさ、二人の時は俺のこと名前で呼んでいいよ」

「え?未、未来さんって呼んでいいんすか?」 

ビックリしたように目を見開いて隼人は俺をマジマジと見た。

「ずっとここの講師を続ける気もないしね。講師をやめたら先生も変だろ?
なんなら呼び捨ててくれても良いよ。未来ってね」

「とんでもない、未来さんで十分ですよ。でも臨時講師の期間が過ぎたらどうするんです?」  

隼人の顔が曇る。

「隼人のおかげで人好き合いもたまには良いかなって思い始めてね。
通訳の仕事に本腰を入れようかと思ってる。
母親が多国籍な生まれでね。英語の他にフランス語とドイツ語が話せたんだ。
おかげで日常会話ぐらいなら俺も話せるし、今までの実績もあるから本腰を入れればかなり忙しくなると思う」

「会えなくなるって事?」

「そりゃ、今みたいには会えないだろうね」

「未来さんは・・・俺なんかのこと会えなくなったらすぐ忘れちゃうんだろうな」  

隼人は悲しそうに睫毛を伏せた。

「そう思うんなら予約しとけば」  

もう一度優しく髪を指で梳いてやった。

「予約?!?」

「そう。ロンドンに個人通訳として雇われて上げるよ。どう?
代金はメダルに触らしてくれるだけで良い。
もちろん、黄金色のが希望」

「未来さん・・・」

俺の唐突な申し出に、隼人は目を文字通り白黒させながら会話の内容を咀嚼し喉を鳴らして飲み込んでいく。

「予約するの?しないの?どっち?」

「す、する」

「メダル取らなきゃ駄目なんだよ」

「うん。わかってるよ。約束する」

「じゃあ、交渉成立だ」  

木立に囲まれた広場の真ん中で胡座を組んだまま座っている隼人の口唇に、立て膝を付いて伸び上がった俺は、そっと触れるだけの優しいキスをした。    

 

焦る必要はない、隼人が俺に対して持っているのは愛なんて呼べるようなものではなく、単に憧れにすぎないことを俺は知っているし、俺の隼人に対するこのこそばゆい様な感情も俺自身いったい何なのかまだ掴みきれずにいるのだから。  

さあ、昨日から今日に掛けての出来事を小枝子はなんて言うだろう。

久しぶりに電話ではなく会って話すのも良いかもしれないな。

俺の愛した慶吾と裕征の想い出を、供に語り合うために。  

今日こそ小枝子も心の壁を取り払って、俺に本当のことを話すだろうか?

『ねえ未来、私本当はずっと慶吾のことを愛していたのよ』と。

 

*** END ***