**未来への予約**
( 5 )
マンションのエントランスから出てきた俺を見た途端、荻野は大きく手を振った。
「ごめん待たせたな」
四車線ある国道の車の流れをかいくぐって道路を横切った俺は、息を切らして荻野の前に立った。
「いいすよ。半分はすっぽかされるんじゃないかって思ってましたから。きてくれただけで嬉しいっす」
こっちが照れくさくなるような笑顔で応えた。
「そーとーいい加減に見えるんだな」
苦笑した俺に、
「そ、そんなんじゃなくて。俺なんかの手の届かない人だって、ずっと思ってたから」
しどろもどろになりながら答えた。
顔を赤らめている荻野の言葉に肩を竦めて、
「その辺の居酒屋で良い?それともショットバーかなんかの方がいいか?」
俺は尋ねた。
「色気無いっすけど腹減ってるから。なんか食えるとこがいいっす」
「そうか。俺はあんまり出かけることがないから旨いかどうか分かんないけどな」
割と大きな全国チェーンの居酒屋が駅前に有ったな、と思い出して歩き出そうとした俺はコンビニの入り口から3つの頭が覗いているのに気が付いた。
「荻野。あの子達なんか荻野に用があるんじゃないの?」
荻野の肘を指で小突いた。
「ああ、あいつら妬いてんですよ。
なんで俺が先生と待ち合わせなんかしてるんだって、さっきからしつこくて」荻野はかなり自慢げに振り向くと、まだ覗いてるバイト仲間とやらに、これ見よがしにピースサインを出してニマッと笑った。
俺も振り向いて笑みと供に軽く会釈をすると、3人とも真っ赤になって引っ込んでしまった。
☆★☆
「先生。だめですよ。さっきみたいに、誰彼なしに笑い掛けちゃ」
「そぉ?怒った顔よりいいんじゃないの?」
「先生の笑顔はなんて言うか・・・そう、罪作りな笑顔なんすよ。解ります?」
真顔で俺に進言する。
「罪作りな笑顔って、なにそれ?」
頭一つ上にある荻野の真剣な顔を見て吹き出した。
「俺、ボキャブラリーが貧困だから旨く言えないすけど。
先生に笑い掛けられると、嬉しいようなバカにされてるような、複雑な気持ちになるって言うか・・・
でもって俺以外の人にもその笑顔を向けてるのを見るとなんか胸が苦しくて・・・」それってもしかして食いすぎで苦しいんじゃないの?
仕事帰りのサラリーマンで賑わう居酒屋の隅に座って、荻野の旺盛な食欲に唖然と見とれていた俺に、荻野はひとしきり腹に食べ物を詰め込んだ後、俺の笑顔について説明し始めた。
「お前。俺に惚れてんの?」
この豪快な食べっぷりを見ていると、比喩でなくほんとに頭からガブリと食べられちゃいそうな気がしてきた。
「え?」
「今の話を聞いてると、愛の告白に聞こえるのは俺が自信過剰なのかな?」
枝豆を一つ口に放り込んでから、中ジョッキを左手で持ち上げて、冷えた生ビールを飲んだ。
「そ、そうなのかな・・・・・・・・・?」
俯いて囓りさしの焼きおにぎりを指でつつきながら荻野はしきりに首を捻る。
「なに?自分でも分かんないの?」
「俺さあ、一年以上ずっと先生に憧れてたから。
一生俺なんかとは接点の無い世界の人だと思ってたし。
黒塗りのお抱え運転手の付いた高級車が迎えにきて、いつもはラフなジーンズ姿の先生がパーティーにでも行くみたいに、かっこよくタキシードを着て出ていくのを何回も見たしね。
それに昨日の男や違う男もいたけど、先生の腰に手を回して自分の物だって言わんばかりにエスコートしてただろ?
普通ならいやらしいとか変だって感じるはずなのに、先生も周りに居る他の人たちもあんまり綺麗すぎて現実味が無くて、スクリーン越しに見てるみたいな気がしてたんだ。
その人がさ、急に目の前にきて、俺に惚れてるのかって訊かれてもあんまり非現実すぎて、そんなの分かんないすよ」「正直だね、荻野は。そんな風に俺のことを見てたんなら、俺と知り合いにならなかった方が良かったかもしれないな」
「そ、そんなことないっすよ」
「本当の俺を知ったらきっと幻滅するさ。俺なんか誰かに憧れて貰えるような、そんな立派な人間じゃない。ずるくて汚なくて弱い人間なのに」
「そんな・・・」
「荻野も結局は俺のこの顔が好きなんだろ?」
頬杖を付いて間近に顔を寄せる。
「もちろんっすよ。先生の顔がきらいなやつなんか居ませんよ」
僅かに顎を引いたものの、俺の目を見ながらきっぱりと断言する。
「男の顔が綺麗でなんになると思う?荻野」
「何になるって・・・良いんじゃないですか綺麗な方が?」
「お前、俺と寝たい?」
触れんばかりに口唇を荻野の左耳に寄せて囁いた。
「え・・・」
焼き鳥の串を持ったまま荻野は絶句した。
「ほら、否定しないだろ?
そう言うことなんだ。普通ゲイでもない限りたとえそこそこ見れる相手に寝たいかと訊かれても即座に否定するだろう?
それなのになまじっかこんな顔に生まれたばっかりに、俺の中身なんかお構いなしに、本当に寝るかどうかは別にしても何割もの男が俺を同姓としては見てくれない。
つまり極々当たり前に、誰もが持っている同姓の友人が普通には持てないって事なんだ。
たとえば、お前の仲のいい友達が、終電に間に合わないとか何とか、そんな理由でお前の部屋に泊まりに来たとしても、別にどうってことないよな?
特別に意識したりしないだろう?
所が俺がそんな事しようもんなら『実は、前から俺もお前が好きだったんだ』とか言いながら抱きついて来るやつがいるんだよ。
それでも綺麗なことは良いことだとお前なら思えるか?」「それは、ちょっと辛いかもしれないけど・・・」
「そうだろ?かなり辛いもんだぞ。
昔はそれでも俺のことを変な目で見るんじゃなくて、友人として見てくれる奴が居ると信じていた頃もあったけど、それもみんな間違いだった。
みんながみんな俺をそんな風に見るって事は、俺にも何かそう思わせるところが、この顔以外に有るのかもしれないけどな」喧騒と紫煙の入り交じる中ですら、既にいくつかの絡まるような視線が執拗に俺にまとわりついて来ている。
「出ましょうか?」
酔客のあからさまな視線に気づいたのか不意に荻野が立ち上がった。
「そうだな」 伝票を取りレジで金を払って表に出ると、荻野がレジの金額分に相当する枚数の千円札を俺に渡そうとした。
「いいよ。俺が誘ったんだから」
「何いってんすか。俺一人が食べただけで先生はビールしか飲んでないのに」
「バカだな。子供はちゃんと、ごちそうさまでしたって言えばいいの」
笑いながら荻野のポケットにお札をねじ込んだ。
「先生。俺、子供なんかじゃないよ」
俺の手首をグッと取って、険しい顔で俺を見下ろした。
「気を悪くしたんなら謝るよ。悪かった」
たかだかこんな事で揉めたくない俺は、ふっ、小さなため息とともに謝った。
「謝って欲しい訳じゃない。俺は・・・・・・・」
荻野は激しく首を横に振った。
「なあ、荻野。俺なんかに子供扱いされたくないって思うお前の気持ちはよく分かるさ。
だけどもし、俺じゃない、他の先生なんかがたまたまお前に飯を奢ったとしたらそんなにムキにならないんじゃないのか?
俺だけに大人に見られたい。強く見られたい。それって俺を女性扱いしてるってことなんだぜ。
確かにお前の方が俺なんかより、遙かに腕力も体力も上だろう。今掴まれてる腕にしたって、お前が本気で離したくないと思えば、俺には振りほどくことが出来ないかもしれない。
でも、お前みたいに大柄でスポーツをしてる奴なら、お前の周りにいる大人の中にも山ほど俺みたいに小さくて弱い奴がいるんじゃないのか?
そいつらにも今と同じ事を言うのか?」「先生は他の人とは違う!」
「一体何が、どう違うっていうんだ?
俺の外見だけを見るから違うように思うんだよ。同じ100円のチョコレートでも包装紙が豪華だとちょっと高級に見えるだろ?
だけど食べてみれば中身は同じ。何も変わりはしないんだ。
出来ることなら中身に似合う紙で包み直したい。目立たない普通のチョコレートになりたいんだよ俺は」
6話へいく?