スターライト・セレナーデ

6 話

「今、ここに居るのは、俺や・・・・・舞ちゃん」

尊さんの、押さえた低い声が、僕の耳元で囁いた。

わかってる。

わかってるんだ、僕だって、ちゃんと・・・・・・

いくら辛いからって、智也さんの使っていたこの部屋に僕が足を踏み入れなくても、ここだけ時が止まっている事などないってことを。

「わかってる・・・よ」

絞り出すように言葉を出すと、身体の強張りが僅かにとけた。

肩を掴んでいた尊さんの腕が前に回り、僕は後ろからそっと抱きしめられた。

「俺は淑貴さんに欲情なんかせえへん。
俺を駆り立てるんは、いま目の前におるつれない人だけや。
この部屋のベッドに横になって、淑貴さんの艶っぽい喘ぎが聞こえてくると。
舞ちゃんもこの部屋で・・・・・
このベッドのある所で・・・・・・
智也さんに抱かれてたんかとおもたら・・・解ってるんや。
愛しおうてたら当たり前のことやて。
せやけど、我慢できへんねや。
体中智也さんへの嫉妬で爆発しそうになるんや」  

僕を抱きしめて胸の辺りで交差している尊さんの指が微かに震えている。

押さえた声音には辛そうな響きがあって、僕への気持ちを言葉以上に雄弁に語っている。

そっかぁ、そうだったんだ。

尊さんは僕と智也さんがキス以上の深い関係があったって思ってるんだ。

「尊さん・・・・・・・・・最近僕のこと避けてるじゃない」

背中に尊さんの温もりを感じながら、嫉妬してたのは僕だけじゃないと知った僕はずっと喉元に止めていた言葉を口にした。

ホントは『僕のことが好きだから?好きで、辛いから、僕にあんまり会わないようにしてたの?』と、素直にそう聞きたいけど、僕はまだ心の内の全てをあなたに開くことが出来ない。

「舞ちゃんの望まへんことはせえへんて約束したけど。
俺の気持ちだけがドンドン膨らんで、でも、まだ舞ちゃんの気持ちは俺には無いって知ってるから・・・・
でもな、自制出来る自信なんか無かった。
二人きりになるんが恐かったんや」  

おずおずと僕の身体を自分の方へと廻す。

僕を見つめる、尊さんの真摯な眼差しが、また言葉以上に僕に気持ちを伝える。

あんまり神妙な尊さんの顔を見てるのって、なんか恥ずかしい。

「でも、避けすぎじゃない?尊さん。毎晩、帰ってこないじゃない」  

甘えるように額を尊さんの肩に埋めてもう一度訊いた。

「バリに行くのにお金いるやろ?
舞ちゃんをいつも俺がつこてるような胡散臭いチープなホテルに泊まらせる訳にはいかへんからな」  

僕に廻された腕に力が籠もり、

「バリにいくんだけは、キャンセルは無しやで
俺、変なこと考えてへんから。
舞ちゃんにきれーな海、みせたりたいんや。
あーちょっと、ちゃうか。
みせたりたいなんて、おこがましいなぁ、2人で、きれーな海、みたいんや。」  

僕に言うって言うより、尊さんは自分自身に言い聞かすように付け加える。

「じゃあ、どうして?どうして、僕に谷川さんと付き合ってるのかなんて訊くのさ?」  

たしかにあの時尊さんは僕にそう聞いた。

尊さんの真意を知りたくて、ふれ合うほど近くにある小麦色の顔を見上げた。

「お似合いや・・おもたんや。
ほんまに舞ちゃんの幸せだけを考えるんやったら、俺なんかと付きあうんやのうて、あんな可愛らしい女の子と付き合う方がええんやて」  

僕の顔を見ないように形のいい眉を寄せてきつく目を瞑る。

「ほんとに?ほんとに、尊さんはそれでいいの?」  

白いコットンシャツの襟元をきつく掴んで、聞き咎める僕の言葉を遮るように、尊さんは激しく口唇を重ねてきた。 

逞しい背中に腕を廻して縋り付いた僕をまさぐるように抱きしめる尊さんは何度も繰り返される口づけの合間に『誰にも渡したりせえへん』と囁き続けた。

  *:.。.☆.。.:*

「バイト・・遅れちゃうよ・・」  

狂おしい口づけの後、やっと自由になった口唇を震わせながら僕は囁いた。

「そうやな」  

そう応えながらも尊さんは一向に僕を抱く腕を解こうとはしない。

まるでこの腕を解いたら二度と僕を捕まえられないとでもいうように。    

「ほら、見て。久しぶりだね星空なんか」  

駅まで尊さんを送りに出た僕は、ずっとたれ込めていた雲が消えて、星空の覗いた空を見上げて言った。  

僕の肩に腕を廻したまま、尊さんも上を向いて、

「やっぱ、あかんなぁ。都会の空は。バリ行って、もっと綺麗な夜空二人で見ような」

「うん」  

頷いた僕の頭のてっぺんに尊さんは弾むようなキスをした。

「でも、あんまり無理しないでね。
僕お年玉をためた貯金なら有るし、日曜日ぐらいならバイトも出来るから」

「心配せんでええって。
もうちょっとしたら夜のバイトはやめるしな。
後ちょっとで必要なお金貯まるんや」

「そんなにお金になるバイトって、いったい何してんのさ?」

何となくやばそうな感じ・・・

「なんにもないからな。
変なことは一切してへんから、変に気ぃまわさんとってや?」  

不意に立ち止まり僕の顔を真剣表情で見詰めて訊いた。

「ボーイズ・バーって知ってるか?」

「ううん」  

横に首を振る。  

バーって言うんだからお酒飲むとこなんだよね?  

尊さんはちょっと困ったような顔をして、

「ほんなら、ホスト・クラブは知ってるやろ?」

「うん」  

縦に首を振る。

男の人が女性客の相手をする高いクラブの事だよね?

知ってるって言ってもテレビで見たことがあるだけだけど、ナンバーワンホストとかって、派手なお兄さんの特集を組んでたりするもん。

でも、まさか・・・・・・・尊さんが?

「ボーイズ・バー言うのんは、ホスト・バーの若い子バージョンいう奴なんや。
女子大生や、まあほんとはあかんのやけど、女子高生なんかも来る。
さすがに、ピンドン何本ももってきてーってなお客さんはおらへんけど、それでも何で子供があないにお金もってんねんやろ言うぐらいの金持ってな」

つまり、そういう、女の子達の相手をして高級なバイト代を稼いでるわけだ。

懐疑的な目つきになった僕に、

「せやから、なんにもないて、確かに店ふけてからお客とどっか行く奴も居るけど、俺はそんなことしてないって。
なあ、信じてくれるやろ?」  

暗がりの中で周りに誰もいないのを確かめると、僕の身体をクッと抱き寄せた。

「さあね。僕には分かんないよ」  

またしても始末の悪い僕の嫉妬心が鎌首を擡げて、拗ねた口調に変わる。

「そんな可愛らしい顔して拗ねたら、この路地に引きずり込んで押し倒してまうで」  

誰も通りそうにない、真っ暗な路地を見やって尊さんは僕の口唇に軽いキスをした。

「バ、バカ」  

真っ赤になった僕に、さも可笑しそうに笑い掛けながら、

「バカとでもアホとでも好きなように言うて。今の俺は舞ちゃんに何言われても全部【愛の調べ】に聞こえるんやから」

尊さんは優しげに目を細めた。    

足下に昨日までの雨の残した泥濘がまだ残っているけれど、もうすぐ訪れる夏の日差しにきっと乾いて綺麗になくなるだろう。  

僕の心に残る悲しみも、きっと尊さんが癒してくれるように。

都会の星空はその煌めく姿をほんの少ししか覗かせてくれないけれど。

僕はきっと、きっといつか、その総てを手に入れることが出来るような気がするんだ。  

智也さんへの愛を抱いたまま、尊さんの腕の中で。             

〈終わり〉