ここは常春の小さな王国ラベンダーバレイ。
今日も薄紫のラベンダーリーフが、王国を守るようにそびえ立つ渓谷の裾野でゆらゆらと揺れている。
「まったく、あなたという方は・・・・・・・・」
うららかな日差しの中、大勢の人混みの中で、ブレンダの張りのあるバリトンが呆れ気味に響いた。
今日は月に一度の大規模な市が城下街で催される日。
諸外国から、さまざま品物を持って集まってきた商人たちが、街の広場にテントを張り、絨毯を敷き、所狭しと珍しい品々を広げている。
いつもなら、幾日も前から連れて行けときゃんきゃん子犬のようにまとわりついて駄々をこねるハーティが、今回はやけに大人しいなと、怪訝には思っていたのだが・・・・
どおりで、駄々をおこねにならぬはずだ・・・・・・
いつのまにか城内から姿を消したハーティを、市場で捕獲したブレンダは、やれやれと苦笑を漏らしながらハーティの背後にピッタリとついた。
それでなくても、お后から疎まれている姫なのだ。
うっかり、一人にさせれば、事故にでも見せかけられて何をされるか分かった物ではない。
そんな、ブレンダの心労も知らずに、のんきなハーティはこうしてしょっちゅう城を抜け出すのだから、実際の所堪ったものではないのだが、そんな姫の無邪気なお転婆さを可愛らしいと思ってしまうのだから、恋とはやっかいなものだ。
「シィ−−−、駄目だよブレンダ。僕だってばれたら、廻りが煩いからね」
人差し指を、バラ色の唇にあててウィンクするハーティの装いは、どこから手にいれたのか、今も、そのあたりにいる町の男の子と同じような衣装だった。
白い木綿のシャツに、チュニック丈のパンツとお揃いの短いベスト。腰には鮮やかな緋色のサッシュが揺れている。
長い、黄金色の巻き毛はサッシュと同じ緋色の帽子の中に隠して、短い後れ毛だけ白い襟足に可愛らしく覗いていた。
本来、ハーティに取っては身分こそ違え、今着ている衣装の方が身にあっているはずなのに、性別を知っているはずのブレンダでさえ、少女が男装しているような錯覚に陥るほど、今、目の前にいる、少年は可憐だった。
「どこでそんな衣装を手に入れたのです?」
「内緒♪」
トコトコと露店を眺めながら歩くめっぽう小綺麗な少年の後を、城下でも町娘たちに絶大な人気を誇るブレンダが闊歩して行く様はなにやらやけに人目を引くのか、さっきから皆が買い物の手を止めて、ぽかんと眺めていた。
みなの視線を集めていることに気が付いたハーティは、手にとって眺めていた南方の不思議な色の石の彫刻を急いで店主に戻し人気のない場所に歩いて行く。
「もう、ブレンダ、いい加減に帰るか、僕から離れてよ。
折角、お忍び気分で市場に出かけてきたのに、これじゃなんのためにこんなかっこしてきたのか分かんないじゃないか」
廻りに誰もいないことを確かめたハーティはぷんすかと小さな肩を怒らして、ブレンダに向き直った。
だか、こんなところに大事な姫一人を置いて、ハイそうですかとブレンダも引き下がれるはずはない。
第一放っておけるくらいなら最初からわざわざ探しにはこないというものだろう。
「お言葉ですが、姫を一人置いて、わたしだけが城に戻るわけには・・」
ブレンダが、ハーティに言葉を返していたその時、広場の入り口がやけに騒がしくなり、なにやら大層な一行が鳴り物入りで市場へと入ってきた。
綺麗に、いや綺麗と言うより派手に着飾った連中が、一人の青年を取り囲みながらやってきたのだ。
廻りにいた市民たちは、急いで脇により、その一団のために道をあけている。
「あれ、なに?ブレンダ?」
仰々しい取り巻きに囲まれた一団を見ながら、ハーティがブレンダに尋ねた。
「ライアン様でしょう。城下に出られるときはいつもああやってお取り巻きと護衛を引き連れておいでになりますから。ハーティ様も少しは見習っていただきたいものです」
「ふうん、義兄さんか・・・僕、謁見室でしかお顔を見たこと無いから分かんなかった。ちょっと、そばに行ってみてこよっと」
14.5人の仰々しい塊のなかに、記憶にある兄の顔を捜そうと、一団の方に駆けだしかけたハーティをブレンダが慌てて引き戻す。
「駄目です、姫。そんな格好でライアン様とお会いになっては」
どう見たって少女が男装しているようにしか見えないのだが、そこはやはり秘密を保守せねばならない使命をもつブレンダは姫の男装をライアン王子に気取られるわけにはいかない。
「あ、そっか。ま、いいや」
一瞬怪訝そうにブレンダを振り返ったハーティだが、自分の装いに気が付いたのか、すんなりとブレンダの言うことを聴いた。
いつも、このくらい素直に訊いてくださればわたしも苦労しなくてすむのですけどね。
そんなことを考えながら、また露店のほうに関心を寄せ始めたハーティから数歩離れた場所で護衛していると、ライアンの護衛についてきた宮廷兵士の一人がブレンダの肩を叩いた。
「やぁ、ブレンダ、久しぶりだね」
「ああ、テレンス、今日はライアン様の護衛なのかい?」
「そうなんだ。ライアン様が珍しく市が見たいなんて仰ってね。
ところで、ブレンダ、あの子は君の知り合いかな?ライアン王子があの子と話したいそうなんだが、連れてきてくれないか?」
テレンスが、紫水晶のツボを覗き込んでいるハーティを指さした。
「いや、知り会いじゃないんだ」
王子が姫に会いたいだって?あの子が姫だってことに気が付かれたのか?
「知らないってことないだろ?さっきそこで、話していたじゃないか?」
「ああ、さっきあの子がポケットから5リーフ落としたから拾って渡してやっただけだよ。まぁ、それでも知り合いだっていうのなら、ちょっと待っててくれ、王子にお会いするように言って来るから」
テレンスにそう嘯いたブレンダは、勇みそうになる足をわざとゆっくりと動かして、今度は紅水晶で作られた、美しいペガサスの小さな置物を手に乗せて光にかざしているハーティに近づいた。
「やぁ、君、それが気に入ったのかい?」
テレンスにも聞こえるように、ほんの少し大きな声でハーティに声を掛けた。
事情を知らないハーティは、ムッと顔を曇らせて、可愛らしい頬をぷっくりと膨らませる。
「もう、ブレ・・」
「そうか!!それが欲しいなら、買って上げるよ。そのかわりちょっときてくれないかな?ライアン王子が君にお会いしたいそうなんだ」
『姫・・黙って訊いてください』
わざと大げさに、ハーティの手のなかから小さなペガサスを指でつかみ取りながら、ブレンダはこっそりと耳元で、囁いた。
『いいですか、これをわたしが買ってる隙に、路地へ逃げ込んで城に戻って下さい。
今はたぶん、まだ、王子はあなたではないかと疑ってるだけでしょう。
こんな格好のままでライアン王子にあなたを会わせるわけにはいかない。さぁ、私が影を作りますから、皆に気づかれないうちにすぐほどけるようにサッシュを緩めて。
あなたが走り出したら、わたしはサッシュを掴みますから、そのままにサッシュを解いてにげてください。分かりましたね?』
眼差しでわかったよと頷いたハーティは、ブレンダが、「これは150リーフでいいんだね?」と言いながら、大男の露天商に代金を支払っている隙にさっと走り出した。
「待ちなさい、君!!」
ブレンダが、さも驚いたふうに、呼び止めながら緋色のサッシュの端を掴んだが、緩めて置いたサッシュははらりとほどけ、ハーティは人混みの中へ上手く紛れ込んでしまった。
「ブレンダ!」
一部始終を離れたところで見ていたテレンスが、慌てて駆け寄って来たが、そこにはもうハーティの姿はなく、ブレンダが茫然と赤いサッシュとピンク色のペガサスを両手に持って立っているだけだった。
「すまない、テレンス。逃げられてしまったよ」
「ああ・・・・どうしよう・・・」
テレンスが両手で頭を抱える。
「仕方ないさ、あの子だって急に王子に謁見しろと言われておどろいたんだろうさ」
その二人の元へ痺れを切らしたのか、ライアン王子がぞろぞろと取り巻きを引き連れて現れた。
「テレンス、何をしている。さっきの少年を私の所へ連れて来るように命じたはずだが」
「も、申し訳ございません、王子」
深々と頭を下げているテレンスを、ライアンは冷たい眼差しで見下ろした。
「申し訳ない?あの子はどこにいるのだ?」
ハーティと一月違いのこの義兄もやはり王族の証である美しい紫色の瞳を持っており、どこかハーティと面差しが似ているなかなかの美青年ではある。
ただ、上品な貴族的な顔立ちながら、ハーティの花のような口元と違い、薄い唇がどこか酷薄な印象を与えているのだ。
「申し訳ございません、ライアン王子。わたしの手元にサッシュだけを残して、あの少年は消えてしまいました」
深々と腰を下げながら前に進み出たブレンダは王子の元にハーティの残したサッシュを差し出した。
「そなたは・・・・確かブレンダと申す、アンジェリカ・ハロルドの側仕えの騎士だったな?」
「はい。幼い頃から、アンジェリカ様にお仕えさせていただいております」
「そのお前が何故、あの少年と一緒にいたのだ?」
やはり、ばれているのだな・・・・・・・
ブレンダの背中に冷たい汗が伝い落ちるが、ここは平然と振る舞うしかない。
「実は姫に頼まれ、南海に住むという海竜の虹色の鱗がこの市にないか、探しにきたのですが、先ほどたまたまあの少年の落とした5リーフを拾って声を掛けたのでございます」
「ほう?では、偶然ここであったと、申すのだな?」
「仰せの通りでございます、王子」
ブレンダの答えに、ふふっと意味ありげに笑うと、ライアンはシュルシュルと音を立てながらブレンダの手の中らかサッシュを抜き取った。
「これはこれは、町人の子にはもったいないぐらい、良い薫りがする・・」
くんっとサッシュの匂いを嗅いだライアンは目の前に控えているブレンダにそっと顔を寄せた。
「のう、ブレンダ」
「はっ」
「そなたも、宮中では名高い浮き名を流しておるそうだが、私は少々、甘ったるいおんなどもには飽きが来ておるのだ」
「はぁ・・・・」
飽きが来てるって・・・・王子は姫と同じ年のはず・・・・
「しかし、むさ苦しい男は、私の審美眼にはあわぬ」
・・・はぁ・・・?
「そなたのような美青年も悪くは無いが、顔ばかりでなく頭も良いと来ては出来が良すぎて癪にさわる」
伏せたままの、ブレンダの顎をクイッと持ち上げて、ライアンはくくくッと目元を細めて笑った。
「私はさっきの少年が気に入ったのだよ、ブレンダ」
・・・・・ライアン王子は何を言っておられるのだ?
まさか・・・・?
「ははは、そなたでもそんな顔をすることがあるのだな?何もそんなに驚かなくともよいだろう、男色は貴族のたしなみだそうだからな」
だ・・・男色ぅぅ・・・?
「さて、私は城に戻るとするよ、今日の市では素敵な物が手に入ったからな」
ひらひらと掴んだ緋色のサッシュを振りながら、ライアンはくるりと踵を返す。
「テレンス!城に帰り次第、御触書を出すのだ。
このサッシュの持ち主を、私に引き渡した者に50000リーフの金貨を払うとな。
それから、皆で手分けして町の中を一軒一軒しらみつぶしに少年を捜せ。隠し立てするものは極刑に処すとな」
ライアンが取り巻きや護衛に次々指図をしている間。
ブレンダの頭の中に寒々とした木枯らしが吹いていた。
ああ、なんてことだ・・・・・
これではまるでシンデレラではないですか・・・姫・・・・
まさか、ライアン王子が男装の姫を見初めてしまっただなんて・・・・・
思いもしないことの成り行きに、ポツンと手元に残っている紅水晶のペガサスの置物にはぁあ・・・・と深い溜息を付くブレンダのことなど、知る由もないハーティは、もう少し市場にいたかったのにと城の自室のベットの上で、ひとりゴロゴロとしながらふてくされていた。
ここはラベンダーバレイ。
一年中薄紫色のラベンダーリーフがその土地を覆う常春の不思議な国のお話。
END
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