Crystals of snow story

*わかばのきもち*

若葉堂一周年記念お祝い作品

赤茶けて乾き切った、広大な地表の上に、忽然と現れる緑のオアシス。

人類に残された、命の源。

透明なドームに覆われた、アルカディア・・・・・・

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「なんかさぁ・・・・」

森の中央に立つ白い塔の開閉式の丸い窓から、上半身を大きく乗り出したハルが、目の前に広がる広大な森に向かって、独り言のように言った。

「なにがです?あまり乗り出すと危ないですよ、ハル」

キースはゆったりとしたイスに深々と腰掛けて読んでいた分厚い書籍からサッと顔を上げて独白癖のある恋人にさりげなく尋ねた。

愛しい恋人に虚しい独り言などさせたくない、無意識の行動である。

だが、とうのハルは虚しいなどとは欠片ほども思うことなどなく、恋人であるキースのことなどすっぽりと抜けて、一人空想の世界に入るのが至極好きときている。

「緑色にも色々あるんだなぁ・・・・・・・、メトロにこんな森なんかないもんなぁ・・・」

キースが訊いたことには、言葉を返さずに、ハルは一人言葉を続ける。

ハルは緑に人一倍の憧憬を持っていて、キースと出会ったのも、関係者以外立ち入り禁止のこのアクアドームにこっそり忍び込んだのがきっかけだった。

アクアドームの管理者であり研究員でもあるキースは、緑と霧に煙るドームの中でばったりと出会ったこの少年に一目で恋に落ち、当局に連行しなければならない立場にありながら、さんざん逡巡したあげく、弟と言う名目で許可証を申請し、ハルに与えたのだ。

またしても、自分だけの世界に入っているらしい恋人に、あきらめの笑顔を向けて、キースはパタンと音を立てて本を閉じると、左肩の前に流してゆるく編んである亜麻色の髪を指先に絡めながら、一方的な会話に返事を返した。

「そうですね。メトロにはあるのはせいぜい観葉植物の鉢植ぐらいですからね」

それまですっぽりと自分の世界に入っていたハルが、観葉植物とキースが言ったとたんに蜂蜜色の巻き毛を踊らせて、パッと振り向いた。

キースを引きつけてやまないハルのしなやかな容貌はどこか猫科の動物を思わせる。シャープなスタイルに光が当たればキラリと金色に光る不思議な色彩の大きな瞳を持っていた。

猫科と言っても・・・・アニマルパークで飼われている虎やライオン・・・・とは違う、もっと美しく敏捷な、そう、たとえば野生の山猫・・・・・・・・今はもうどこにもいない、簡単に人には馴れない魅力的なけもの。

「そうそう、俺の部屋にもあるぜ!ベンジャミンだっけ?!」

「ベンジャミン?あの幹がくるくる絡まる、あれ、ですか?」

「うん。それ!3ヶ月前にマーケットで見てすごく欲しくなって買ったんだ」

「メトロの空気は乾燥しているから長くは育たないし、値段も半端じゃないでしょう?緑がみたいなら、私のところへ来ればいつでもみれるのに」

そのために、ハルのために、我が身を危険にさらしてまで、通行証を手に入れたのだから。

「だって、欲しかったんだもん」

足早に部屋を横切り、キースの目の前に来たハルはひょいっと肩をすくめた。

ハルの愛くるしい表情に、思わず緩みかけた口角をキースはなぜか、きゅっと引き締める。

「どうしても、手に入れたかったんだ。あんな値段なんて安いものさ」

夢見るようなハルの表情、緑をこよなく愛する数少ない現代人。

緑を手に入れるために危険も顧みず、警戒の厳重なこのドームに忍び込んだのはほかでもないハルなのだ。欲しい物のためには、ハルはそんな無茶をする。

キースはハルの細い腰に腕を伸ばし、真剣な面もちで尋ねた。

「ハル。お金はどうしたんです?」

「なんの?」

「ベンジャミンを買った、お金です。ハルにおいそれと払える金額じゃないでしょう?」

観賞用の植物の値段は恐ろしいほど高価で、下層階級の子供であるハルが使える範疇の金額ではないからだ。ベンジャミンの立派な鉢物なら、小型のモービルが一台買えるだろう。

「う・・・・・・。いいじゃんか、俺が稼いで買ったんだから!」

しっかりと捕まれた腕の中で体を捩ったハルは明らかに当惑の色を浮かべて、キースから顔を逸らした。

「まさか・・・・・・?」

キースの形のいい眉が疑わしげに上がり、薄いプラスッチクレンズの奥から、アイスグリーンの瞳がハルを射る。

「ち、ちがう!!!からだなんか、売ってねぇって!!!俺が信じられないのかよ!」

「こと、植物のことに関しては、ハルは歯止めが利きませんからね・・・・なにをしでかすか分かった物じゃない・・・・では、どうやって工面したんですか?言ってご覧なさい」

優しい優雅な物腰とは裏腹に、キースの声音は堅く容赦ない響きでハルを促した。

「一回。100レードル・・・・・・・」

頭をうなだれて、ぼそりと呟いたハルの前髪の隙間から、いたずらを見つかった子供のような瞳が見え隠れしている。

「100レードル?何を一回100レードルで売ったんです?」

体を売るには安価な値に、キースは内心ほっと、息をついたが、胸の内を悟らせぬように、厳しい口調でなおも尋ね、ハルの身体を真側まで引き寄せた。

「それに、一体いくらしたんですか?」

「3000レードル・・・・だから、キスを30回売った」

「はぁ?誰にです!!!」

「いちいち、名前なんか、しらねーよ!!マーケットの隅っこで引っかけたんだから!身体売る方が手っ取り早かったけど、キースが売るなって言うから・・・」

「・・・まったく、君は・・・・・・・・」

報われない想いに、臍を噬みながらキースはこめかみに手を当てた。

メトロのダウンタウンに育ったハルに時代錯誤の貞操観念などないのは承知上で始まった間係だった。ハルのように容姿の優れた子供がマーケットで客を取ることなど、今では珍しくも何ともないことだからだ。

お互いが知り合う以前からハルはそうして生きてきたのだと、頭で分かってはいても、胸の痛みは何も変わらない。

「怒ったのか・・・・・なぁ」

「怒ってませんよ」

「怒ってんじゃんか・・・」

「どうしてそんなことまでしてベンジャミンが欲しかったんです?メトロに緑がなくてもここに来ればいいじゃないですか。そのために・・・・・・」

「ずっと、ここにはいられないじゃん」

「毎日、来てるじゃないですか?」

「でも、夜には帰るし、夕方までこれないじゃんか」

「それはそうですが・・・・・・そんなに君は・・・」

確かにキースも人工的にしろ僅かに残った植物をこよなく愛している、愛しているからこそ、カレッジで植物学を学び、アクアドームの研究員としてここにいるのだ。

渋面を作ってるキースの顔を、膝にひょいっとまたがって覗き込むと、

「だって、似てるんだもん」

そんな顔しないでよと、身体をすり寄せながら、首に腕を回す。

「なにがです?」

甘える仕草に、つくづく、恋愛なんて言うものは惚れた方の負けだなとキースはため息をついて尋ねた。

「キースにさ」

「え?」

「色も、緩く絡み合ってるところも、キースの髪ととってもよく似てるんだ。それから、葉っぱの色がキースの目の色そっくりで、俺、一目で惚れちまったの」

ゆっくりとハルの唇がキースに降りてくる。

「・・・・ハル」

予想外の言葉と行動に赤面するキースにハルはにっこり微笑み掛けた。

「だから、怒んなよ・・・な?もう、しないって約束するからさ」

「君って子は・・・・」

「でも、キースはそんな俺が好きなんだろう?」

「全く・・・ハルにはかなわないですね」

キースは苦笑を漏らしながら、きらきらと金色の瞳を輝かしている恋人をぎゅっと抱きしめた。

「私を裏切った罰に、私にも30回のキスをしてくれますか?」

「何回でも、キース。森の中の葉っぱの数だけしてあげるよ・・・・・・」

ハルの指先がキースの眼鏡をはずすと、ささやきが、沈黙に変わった。

END

【若葉堂】さまに献上した作品なのですが、残念なことに閉鎖されてしまうので、うちに持って帰って来ました。

とても素敵なお話を書かれる作家さんなので、もし出来るなら戻ってきていただきたいですね。。。続編を献上する予定もあったので、残念です。。。いや、うちのはどうでも良いんですが、むこうの続きが読みたい〈涙〉