お 猫 さ ま

 

ここは南里大学病院の特別VIP室。

ちょっとした応接セットに、広いベッドが置かれ、冷蔵庫はもちろんのこと、専用の浴室まで完備された特別待遇の病室だ。

時折、都合の悪い記事の出た大物政治家などが愛用している胡散臭いへやでもある。

「う−−−ん。もうお腹いっぱい」

何度も口とお椀を往復する匙から逃げるように、雅之はイヤイヤと首を横にふった。首を振った拍子に柔らかな黒髪がふわっと揺れて、少々やつれてはいるが何とも可愛らしい。

「もうちょっと、食べろって。まだ半分も食べてないだろうが」

結局。連休の最終日だというのに今夜一晩、事件は解決したものの大事を取って、経過観察のために病院に泊まることになった雅之のベッドの横で、澪は甲斐甲斐しく雑炊を南の口に運んでやっているのだ。

「だってぇ・・・点滴したからお腹すいてなしい。もう食べられないんだもん」

「仕方ないな、なら、フルーツでも食うか?」

サイドテーブルに食器を片づけた澪は籠盛りになっているフルーツの方に手を伸ばす。

「ううん。いらない・・・それより、澪、ごめんね。まだ痛む?」

籠に延ばされた澪の手に手を重ね、肌に残る引っ掻き傷の跡をゆっくりと撫でた。

「大丈夫だ。それより、もう俺に触っても平気か?」

「うん。。。」

指先が澪の肌を感じると言いようのない安心感が体中に拡がっていくのがわかり、何となくこそばゆいような感触に少し照れくさくなって雅之は俯いてしまう。

まだ半信半疑なのか、澪は俯いてしまった雅之の顔を真剣な表情で覗き込んで、そっと、触れてきていた雅之の指先を握り込んだ。

「あっ・・・」

ぴりっと電気が走るような気がした。

「まだダメか?俺に触られるのいや?」

「ううん。違う・・・・・・・・」

雅之は慌てて、顔を上げると大きく頭を振った。その頬は傍目にも分かるほど赤く上気している。

「なんだよ、赤い顔して、変な奴」

「だって・・・・・・」

澪の手のひらがゆっくりと腕をなぞり、首筋から頬に上がってくる。雅之は震えが走るようなその感触にうっとりと瞼を閉じた。

「可愛いな、南は・・・」

歌うような澪の囁きが吐息になって、まだ触れていない唇に掛かる。

身体がふわっと浮き上がったような、そんな浮遊感に襲われながら、雅之は訪れる熱い口づけを受ける為に丹唇をそっと綻ばせた。

 

「結城先生、これでいいですかぁ?わっ!!!ごめんなさい!!!!!」

叫び声と同時にバタン!!と扉が閉まり、ちっ!っと舌を鳴らした澪が「良いから入れ!」とドアの向こうに声を掛けた。

児玉が、もう一度、恐る恐る部屋を覗くと、呆れたようにサイドテーブルに肘をついている澪と、真っ赤になった顔を半分布団に隠しながらも、クスクス笑っている雅之と目があった。

「気のきかんやつだな、お前は。ささっと、荷物をそこに置いて帰れ」

「澪!ごめんね、児玉ちゃん。わざわざロッカーまで荷物を取りに行ってくれたのに」

仏頂面をしている澪をちょっと睨み付けて、雅之は児玉ににっこりと笑い掛けた。

「いいんです。先生の憎まれ口にはなれてますから。じゃ、僕はこれで。結城センセ、南里さんをちゃんと休ませて上げなきゃダメですよ」

「うるさい!さっさと帰れ」

「ほ−い♪お休みなさぁい」

「ありがとね、おやすみなさい」

パタンとドアを閉じた児玉はここ数日の憂鬱も晴れ、足取りも軽く帰っていった。

「イイコだね。児玉ちゃん。可愛いし」

「ああ、でも、南の方がずっと可愛いぞ」

「うそ・・・・・あの子みたいに僕は若くないもん」

わざとらしく拗ねてみせる雅之を澪は笑いながら抱きしめた。

「バカだな、南は」

「だってぇ・・」

「好きだよ」

「あ・・・やん・・・」

首筋に唇を這わせながら、ゆっくりと澪は雅之をベッドに押し倒し・・・・・・・

「は〜い!そこまで〜!!」

パンパンと手のひらを打ち鳴らす音が広い病室に鳴り響いた。

「きゃぁ!!」

「おおはしぃ〜!!たくっ!お前ら、俺に何か恨みでもあるのか?!」

「なにいってんですか、結城先生。ここは仮にも病院内のれっきとした病室ですよ?はい、どいてどいて、南里さん、検温して血圧を測りましょうね〜」

澪を押しのけて大橋はベッドの横に腰を下ろした。

「はぁあぁ、もう!・・・計ったらさっさと出てけよ」

ぶつぶつと文句を言いながら、澪は栗色の髪をがしがしとかきむしっている。

だいたい、連休前から禁欲生活を強いられている上に、さっきから二度もストップをかけられているのだから、かなり苛ついているのは仕方ないだろう。欲求不満の糸がそろそろ、プツリと切れそうである。

「こりゃダメだなぁ。南里さん普段は血圧110あるかないかなのに、150もありますよ。さあ、横になって、安静にしてください」

「え?そ、そんなに?」

そりゃぁ、あんな所に踏み込まれたら血圧も上がるだろう、誰だって。

「南里さん、一時間ほどしたらまた計りに来ますから、それまで眠ると良いですよ。さぁ、結城先生はもう、部屋から出てください」

「お、おい。大橋!なに言ってるんだよ、俺はここに・・・」

「残念ですが、うちの病院は完全看護なので付添は認められてないんですよ。ささっ、先生、もう面会時間はとっくに過ぎましたから、お帰りください」

医者らしく小難しい顔をした大橋は澪を病室から押し出した。医者の仮面の裏でぺろりと赤い舌を出しながら。

 

数分後、緊急外来の出口で、帰れ、帰らないの押し問答をしている澪と大橋に一人の青年が近づいてきている事にまだ二人は気付いていない。

真っ赤な薔薇の花束を腕いっぱいに抱えていそいそとお見舞いにやってきた優しげな容貌の青年は、先刻雅之に「抱いて」と言われて骨抜きにされた、謙斗青年その人であった。

 

三つ巴の渦中の人はそのころ、特別室のベッドの中、久しぶりに安らかな寝顔ですやすやと眠りについていた。

無邪気で可愛い寝顔のこの男。

南里雅之。27歳。

自覚はないが罪作りな男である。