Special

 

この世で、誰よりも大切な俺の半身を、車道から守るように道路わきに立ち、人待ち顔に見上げた丘の上には、開拓されてまもない洒落た外観の住宅がこれでもかと言わんばかりに立ち並んでいる。

その向こうに拡がる青々とした山並みの稜線を、くっきりと際だたせる澄みきった青空が、まもなく訪れるであろう真夏を、沈黙を保ちながらもはっきりと示唆していた。

 

 

都会とは比べ物にならに程澄んだ空気の中を、まるで滑空でもするかように勇貴は急な斜面を自転車で滑り降りてきた。

俺達の姿を見つけるやいなや、褐色の額に僅かに汗を滲ましながら、駅前の駐輪場に滑り込み、耳障りなブレーキ音を立てて勇貴は自転車を止めた。  

「蓮!慎!ごめん。待たせたか?」  

こいつは俺の親友で、事も有ろうに俺の双子の弟、蓮の恋人でもある。

兄弟のデートにのこのこ付いていく趣味なんか無いって言ってるのに、今日に限ってやたらとしつこく蓮が俺を誘うから、いつもはいいムードになると如何にも邪魔だと言わんばかりに、目で俺に消えろ言うにっくたらしい勇貴には目を瞑って、仕方なく道化に甘んじてやろうと思ったのに、 あろう事か勇貴の奴は約束の時間に十五分も遅れて来やがったんだ。

「気にしないで、僕たちも今来たところだから」  

蓮の奴は待たされたことなど忘れてしまったかのように、嬉しそうに勇貴にかけ寄り笑い掛けている。

「何いってんだ蓮?早めに来てたから、もう二十分以上も待たされてるんだぞ!」  

まったく、蓮の奴は勇貴のこととなると俺さえもあっさりと裏切るんだから始末に負えない。

「悪い。慎。出がけに電話が掛かってきたんだ」  

自転車から降りて来た勇貴は、ふてくされてそっぽを向いた俺に丁重に頭を下げた。  

まあ、本来、遅刻なんかしない勇貴の言うことだからまんざら嘘でもないんだろうけど。

「電話って?」  

蓮が小さな声で訊く。

「うん・・・十一時頃がいいって」

二人だけの会話。

もうそこには、恋人同士の空間って奴がぽっかり、ふんわり出来上がって、俺は何とも、面白くない。

「じゃあ、そろそろ行かないといけないね」 

バスターミナルの大きな時計を見上げて蓮が応えた。  

ますます、イライラしてきた俺は、苦虫をかみつぶしたような顔で、大様に尋ねた。

「で、俺をどんな良いところに連れてってくれるっていうんだ?」  

その途端、意味深な表情をした蓮と勇貴がお互いの顔をパッと見合わせた。

「何なんだよ!」

蓮がニッコリ俺に微笑んだかと思うと、

「いいから、ね?こっちだよ」  

俺の腕を絡め取り、蓮は誘うように歩き出した。

「れ、蓮?」

こうなったら白状するが、情けないことに俺はこの双子の弟の蓮に滅法弱いと来てる。こいつの願い事ならば、きっとどんなに意にそぐわないことでも、最終的には九九%は聞いてやるんだろうな。

はぁ・・・重度のブラコンなんて、マジで情けねぇ・・・  

 

俺達が、特に蓮が街をこんな風に歩くと、多くの人が、まるで吸い込まれるように振り返る。

俺達はここからほど近い山の奥にある村に住んでいて、この辺りでは【郷守の双子】と呼ばれる、ちょっとした有名人なんだ。

それに俺の横を歩く、俺より一回り小さい蓮は、白磁の肌に漆黒のさらりとした髪と切れ長で綺麗な黒瞳を持ち、まるで天上人が舞い降りたかのように途轍もなく美しい。   

周りの奴らは俺達のことをそっくりだと言うが、俺みたいながさつな奴とは違い、蓮は本当に[特別]なんだ。    

 

 

「さあ入って、慎」  

俺に向かって、その麗しい顔に極上の笑みを浮かべたまま、蓮が喫茶店のドアノブに手を掛けた。

手を掛けたそのノブに、大きな[closed]の札が掛かってるじゃないかと異議を唱えるすきもなく、すかさず勇貴が俺の背を押して店の中へと進ませる。    

 

店の奥にあるカウンターの中の人影が親しげに俺に向かって声を掛けてきた。

「おう」  

聞き覚えのあるちょっとドスの利いたバリトン。

くそ!俺の視線の先にこの世で一番会いたくない奴が居やがった。

「ちっ!そーゆーことかよ!!!」  

クルリと踵を返して店から出ようとした俺の前に、扉を塞ぐようにして蓮が立っていた。  

これが勇貴や他の奴なら突き飛ばしてでも出て行くんだが、蓮となると話は別だ。

「なぁ、蓮。悪い冗談はやめてくれ」 

肩に腕を載せ、愛しく麗しい蓮の顔を見て溜息を吐いた。 

自分なら決して俺に突き飛ばされる事はないと確信して、たおやかに微笑んでいる蓮が憎たらしい。

「ごめんね。慎。勇貴さんが、崇さんと約束したのに一向に慎が『うん』と言ってくれないって悩んでたものだから」  

悪戯っぽく俺を上目遣いで見ながらそう言った。  

そうだろう、そうだろう。お前は大事な勇貴さんの為に、俺をこんなにもあっさりと裏切るんだな。うっ、うっ。 わぁったよ。お前の言うことなら俺は何でも聞いてやるよ。ああ、くそったれ! 

落ち込んでる俺に、追い打ちをかけるように、

「そんな所に突っ立ってないで、こっちに座れよ」  

崇は照れくさそうにカウンターを叩いた。 

逃げられないのを覚悟した俺は、屠殺場行きの家畜にでもなった気分で足取りも重く、カウンターに向かう。

「済まないな。お姫さんにまで迷惑かけちまって」

「良いんですよ。慎は意地を張ってるだけなんですから。じゃあね慎。一時間ほどしたら迎えに来るからね」

「あぁ?」

なんだってぇ〜!? 

素っ頓狂な声を出した俺を無視するように、憎たらしい恋人達は手に手を取って、いそいそと出ていってしまった。

蓮〜!!!俺って、いったい何なんだよぉ・・・・  

 

「何が良い?」

「何でも」  

憮然とした態度で応えた俺に、別段気を悪くするでもなく、崇は紅茶の用意をし始めた。 

改めて店内を見回すと、落ち着いた色調ながら、パッチワークのタペストリーなんかが壁に幾つも飾られていて、如何にも女の子達の喜びそうな店だった。 

きちんとティーコゼまで掛けたティーポットが、カップと砂時計を添えられて俺の前に置かれる。

「その砂が全部落ちたら注いでやるから」

整ってはいるものの、強面な顔と店の可愛らしい雰囲気がミスマッチだぜ崇さん。

「いいのかよ、日曜日に店閉めてて」  

淡い水色の砂が落ちていく様を見詰めながらポツリと言った。

「お前以上に大事な物なんか無いさ」

「けっ!相変わらず訳の分かんないことばっか」  

俺の荒い言葉に軽く肩を竦めて、砂の落ちきった砂時計をどけると、崇はティーカップに紅茶を注いだ。  

何かのフレイバーティーなんだろうが、今まで嗅いだことのない不思議な甘い香りに、強張っていた気持ちがフッと和らいでいく。

「これ、何?」

指先で湯気がフワリと立ち上る、ティーカップを指さした。

「アプリコットティー。俺は割と好きなんだがな」

「アプリコット?ああ、杏かぁ」  

気のせいか普通の紅茶よりもオレンジの色が鮮やかな気もする。

改めて、クンとあまやかな香りを吸い込んでから、口唇にカップを運んだ。   

誰もお客なんかいないのに静かに音楽も流れてて、クーラーの効いた店の中で何とも言えない不思議な香りのする紅茶をゆったりと楽しんでいると、目の前に居るのが一番嫌な奴だと言うことを忘れてしまいそうだ。    

紅茶を飲み干す間、じっと俺を見詰めて黙っていた崇が躊躇いがちに口を開いた。

「慎・・・・また、今度俺に会いに来てくれるか?」  

カウンター越しに俺を見下ろすようにそびえ立っている崇は、その姿から想像もできないほど頼りなげに俺に尋ねたんだ。

「俺はあんたになんか会いたくないね」

「慎・・・」

似合いもしない、情けねぇ声出すなよな、あんたらしくないぜ。

「まあ、たまぁに・・・のどが渇いたら来てやっても良いけどな」  

仕方なく言った、俺の一言に、崇の奴と来たら、こっちが恥ずかしくなるくらい素直に破顔した。

「変な期待はすんなよ。俺にその()は無いからな」  

俺は内心慌てて、冷たく釘を刺した。

「なぁ、慎。俺、お前にもう一回だけキスしたい」  

なっ!何を言い出すんだ?今、その気はないって言っただろうが!

狼狽えて、ガタンと椅子を鳴らした俺に、追い打ちをかけるように上体をカウンター越しに屈めた崇は、

「忘れられないんだ・・・」  

切ない色を浮かべて切れ長の瞳を泳がした。

「忘れるも、忘れられねえもないだろう!人のファーストキスを無理矢理奪いやがって!」 

怒りにまかせて怒鳴り返した後、仕舞った!とあわてて手で口を押さえた。

「お、お前・・初めてだったのか?」  

驚きと、喜びを綯い交ぜにして崇は上擦った声を出した。

「どうでも良いだろそんなこと!」  

カァーと頭に血が昇る。

「あの後は?あの後も誰にもさしてないのか?」

嬉々として崇は俺に念をおす。

何がそんなに嬉しいんだよ。くそったれ!俺にキスしょうなんて物好きは他にいねえっての!

俺と蓮には昔からのしきたりで三鬼と呼ばれる護衛が付いていて、勇貴の奴も蓮に初めてキスした時は、手ひどく殴られたんだ。

「ああ、もう。煩いな!俺達にキスしようなんて命しらずのバカは、あんたと勇貴ぐらいのもんだよ」    

咄嗟にカウンターに手をついて、店から出ようと勢いよく立ち上がった俺の手首を崇が素早く掴んだ。

「まだ行くな・・・」 と低い声で引き留めた。

「は、離せよ」  

ここ一〜二年で、遙かに腕力の増した俺さえも、ままならない力で崇は俺を離そうとしない。

「痛いんだよ!離せよ!」

「お前が大人しくもう一度座るんなら、離してやる」

流石に凄みをきかすと迫力がある。

「ちぇ!」  

舌打ちをして、再び椅子に腰を下ろした。

「お姫さん達が戻るまで、ここにいる約束だろ?」

「俺はそんなこと言ってないだろうが」

「お姫さんが、言ったんだ」  

全く。どいつもこいつも、俺の弱点にこれでもかとつけ込んでくるのかよ。  

片手でこめかみを揉みながら、ぐったりとやるせない吐息を吐いた。  

「まだ、惚れてるのか?」  

労るように崇は俺に訊いてきた。

「俺が?誰に?」

「お姫さんに決まってるだろう?」

「ばかか?あんた!俺と蓮は兄弟なんだぜ」

「兄弟だろうが、男だろうが惚れちまうもんは、どうしようもねえだろう?」

「あんた、やっぱ、変な奴だな?普通はそんなこと考えないもんだぜ。  

俺は確かに蓮に特別な感情を持ってるよ。それが惚れてるって言うのと同じなのかどうなのか、他の誰かに惚れた事なんて無いから俺には分かんないけどな。

ともかく蓮は【特別】なんだよ。たとえ蓮にとって俺が勇貴より、数段落ちる存在だとしてもな」

どれほど蓮を大切に想っていても、俺はあいつに何もしてやれない。守ってやりたかった、どんなことをしても。

アイツだけが俺にとって、たった一つの宝物だったんだ。

「慎・・・・」

崇の大きな手が俺の腕を掴む。

「俺にはお前がいつだって一番だ」

「べ、別にあんたの一番になんかなりたくないよ」  

ムキになって拒んでるところに、にこやかに談笑しながら蓮と勇貴が外のなま暖かい空気を連れて店に入ってきた。

「さて、これで帰れるんだな」  

何となくホッとして、崇の手から逃れるように、今度はゆっくりと腰を上げた。

「・・慎・・」  

帰りかけた俺を追いかけるようにカウンターの外に出てきた崇は、情けないほど、やるせない響きで俺の名前を呟いた。  

全くこいつは掴み所がない、命知らずのバカかと思えばやけに繊細な一面を覗かせる。

「わかった。わかった。また来るって」  

崇に背を向けたまま素っ気なく返事をすると、後ろから腕を廻した崇に俺は力強く俺を抱きしめられた。

「た、たかし・・・」

「待ってるから、きっとだぞ」  

藻掻く俺にそう囁くと唐突に崇は腕を放した。    

 

ぽかんと口を開けて俺達の抱擁を見ていた蓮と勇貴を、首まで真っ赤になりながら引きずって店の外にズンズン出ていった俺は、初めて店の看板に目を遣った。

「くそぅ!何が『妖精の森』だぁ!『悪魔の森』にでも変えろっての!」  

一人カッカと憤慨しながら叫ぶ俺に、蓮と勇貴はさも可笑しそうに笑いながら後から付いてきた。  

 

夏が間近に迫り、燦々と降り注ぐ陽光が目にもまぶしい初夏の午後のことだった。               

〈終わり〉

 

 

たしか、5000HITの時に裏を作ってあげた企画作品だったと思います。

「龍」は結構好きな作品で、とくに慎はお気に入りなもので、彼を主人公に書いてみました。

なかなか、upする機会がなかったのですが、30000を機に上げさせて頂きますね。