Crystals of snow 10万hitお祝いv
氷川雪乃サマに捧げる....
【散りゆく花たちに】
「大学行っても頑張れよ」
学校は休みだというのに何やら忙しげな職員室を背に、俺、西村雅司(まさし)の担任をしてくれていた中年の化学教師がそう送り出す。
卒業式以来の母校に一緒に訪れた親友と共にぺこりと頭を下げた。「本当に1年間有り難うございました」
生徒会活動も積極的に参加し成績は良かったが、決して優等生で無かった俺とコイツ、黒岩圭吾に散々胃の痛くなる思いをさせられただろう担任教師は、満足そうな笑顔を向け背中を押す。
俺達はもう一度小さな会釈と共に「失礼します」と言い残し、職員室を後にした。どうしても高校生気分が抜けず、来客用ではなく、生徒が出入りする昇降口から学校内に侵入した俺達は小一時間ほど前に来た廊下をゆっくりと引き返してゆく。
ざわめいた職員室とは打って変わって静かな校舎内。
歩く度にキシキシと小さな音を立てる木張りの廊下。
クリーム色の下地にうっすらついた黒ずみ。
渡り廊下の割れたガラスには、まだ補修用のガムテープがくっついてるのを見つけて、まだ直していないのかと、二人で笑った。
卒業してからまだ一ヶ月ほどしか経っていない校舎がやけに懐かしく感じられたのは、この街を離れゆく郷愁のせいかもしれない。
前期試験で無事目標の国立大学に進学を決めた俺達は明日、18年間暮らしたこの古い街を離れることになった。京都というこの街は決して嫌いじゃない。
ただ、旧家である家のつながりやしきたりに縛られない生活がしたかった。
自分の知らない街を見てみたかった。そこで、暮らしてみたかった。
俺の祖父は日本舞踊のある流派の家元で、家は代々その流派を受け継ぎ、守り、次世代に繋げてゆく家系にある。
俺は次男で、生まれたときから家を継ぐのは長男の兄と決まっているけれど、それが家に縛られないこととは結びつかない。ゆくゆくは家に戻らなければならない。
それは十分承知で、だからこそ、大学くらいは家を離れ自由に生活してみたかったから府外で受験をし、合格出来た。「雅司、生徒会室寄ってくか」
昇降口の手前で、それまで黙々と横を歩いていた圭吾が口を開いた。
このまま真っ直ぐ進めば、1年の後半からほとんど入り浸り状態だった生徒会室がある。
部活動の活動場所も生徒会室内にあった俺達は、教室よりも学校中のどこよりも多くの記憶が生徒会室に詰まっていた。「そうだな」
俺は静かに頷いた。
まだ新入生歓迎会の準備には早いから、この校舎内同様きっとあの部屋にも誰もいないだろう。* * *
「相変わらずキッタネー部屋だな、オイ」
扉を開けた途端目に飛び込んできた惨状に、圭吾は吐き捨てる。けれど、それが言葉通りの意味でないことなど分かっていた。
この部屋は俺達がいる頃もいつも散らかっていた。
ワイルドな外見とは裏腹にどこか几帳面な圭吾はなんとか片づけようとことあるごとに努力していたのだが、その他大勢の人間が散らかし放題なものだからちっとも成果は上がらなかった。
けれど、そんな部屋が俺達には学校中で一番……きっと自分の部屋よりも居心地が良かったのだ。
生徒会室のある本館はその他の校舎よりも古い分、扉などは頑丈な一枚材だったりするのに、やたらすきま風が吹いて冬はもの凄く寒かったり、逆に夏は風が通り抜けにくくてサウナのようだったり。
生活環境としては最悪に近かったのだが、そこで過ごした時間は不思議と良い思い出だ。「変わんないな、ここ」
「ああ、相変わらずキタねー。俺らが入ってきた時もビビったけどな、最近は上手がいるみたいじゃねぇか」
圭吾は床に散らばったプリント類を物ともせず、窓際まで行くと勢い良く窓を開けた。
途端に柔らかい風が飛び込んでくる。「紙が飛ぶよ」
「構わねぇって、元々何がどこにあるかなんて分かってねぇよ。どうせ汚いなら、空気くらい綺麗な方がいいだろ?」
勝手な理屈で圭吾は更に隣の窓も開けてしまった。
そして、窓の下のスペースを利用して作られた棚の上のファイルを適当によけて腰掛け、ぐるりと室内を見渡す。
俺も置いてあったポットやらティーセットやらをどけて隣を陣取った。「もうここが俺らの居場所じゃないんだな」
ふいにそんな言葉が口をついた。
何代前からあるのかわからないこのポットや、整理整頓という言葉をまるで無視した机の上の散らかり様は自分たちがいた頃から何一つ変わっていないのに、自分たちはここからいなくなるのが、妙な気分だった。「まぁ……いろいろあったからな……」
「初めてキスしたの、覚えてるか?」
「したっつーか、されたっつーか……奪われたな、あれは」
圭吾は喉の奥で小さく笑う。
変わらない声に俺は、ちょうど1年前の春休みの出来事を思い出した。
忘れられるはずもない、自分にとっては一大決心だったことだ。圭吾を好きだと自覚したのが1年の夏休み。
当然好きだと伝えることは出来ずにいた。
けれど、言えないことが……気づいて貰えないことが苦しくて、どうにも出来ずに悶々とするだけの日々にとうとう耐えられなくなったのが3年になる春休み。
今から思えば、16歳から17歳なんて時期によくあれだけ我慢が出来たと思う……が、俺はとうとうキレてしまった。「圭吾が悪いんだ。人の気持ちも考えないで恋愛の相談なんてしてくるからさ」
「何だよ、俺のせいかよ?
まさかお前が俺のこと好きだなんて夢にも思わなかったって」お互い視線を合わせ、どちらともなく微笑んだ。過去に文句を行ったところで、それらはすべてもう戻れない時間の中に置いてきてしまったのだから。
開いた窓から吹き込んでくる風は、外の陽気とは裏腹に肌寒い。
だいぶ陽も翳ってきていて、空はもう薄暗く染まり始めている。しばらく無言のまま、室内を眺めていた。
すると、びゅうと強い風が吹き抜けた。
その風に乗って、はらはらと一枚の桜の花びらが迷い込んでくる。
たった一枚だけ、真っ白な雪のようなそれ。「裏門の桜か……?」
俺は偶然にも目前で勢いをなくした花びらを掌の中に捕まえる。
ふと、裏門に抜ける道の桜が思い浮かんだ。
この学校は正門の前にもかなりの本数の桜が植わっていて近所でも評判だが、俺はたまたま見つけた裏門の桜の方が気に入っていた。桜の種類が違うのか、花の色が濃い正門のものとは異なるオフホワイトの桜は裏庭にたった一本しか植わっていない。
1年前勢い余って唇を合わせてしまった俺はこの部屋を逃げ出して、気がついたらその桜の下にいた。
一本だけの老木なのに凛と大きく咲き誇っている姿を見ていたら、泣きたくなって。
屈み込もうとした腕を息切れした圭吾が捕まえて……。「見てくか、最後だし」
そういって立ち上がった圭吾に続いて、俺も棚の上から降りる。
窓を閉めると、俺達はきっともう訪れることのないだろうその部屋を後にした。* * *
絶対に人なんていないと思っていた裏門の桜の下に、ぽつんと小さな影があった。近づいていくと、その横顔が見知ったものだということに気づく。
「……涼一?」
満開の桜の木の下、それを見上げていたのは1学年後輩の百瀬涼一だった。
俺が思わず呼びかけてしまった声に反応して、鮮烈な印象を身に纏った少年が振り返る。
「雅司さん……。今日何かあったんですか?」
「明日引っ越すから、ちょっと挨拶に来たんだよ」
「そうですか……」
柔らかく笑って、涼一は並んで立つ俺達を見るとほんの少し寂しげな表情をした。
こんな表情をするヤツだっただろうか。確か前はもっとどこか斜に構えた……何もかもを諦めてしまっているような荒んだ感じがしていた。艶やかに伸びた黒髪が全体の印象を和らげているのかもしれない。「お前ももう受験生だな。受けるとこ、決めてるのか?」
「東京の方の学校にしょうかと思ってます」
家が茶道の家元という涼一のことは、この高校で知り合う前から知っていた。
家同士のつながりが少なからずあるからだ。
だからこそ、涼一の家の事情を多少なりとも知る俺は彼は地元で進学するのではないかと思っていたが。「そっか。じゃあ来年また会えるな。……頑張れよ」
言葉だけじゃなく、なんとなく本当に受かるといいなと思った。
1年前、ここで俺と圭吾の関係が変わったように涼一の中でもきっと何かが変わろうとしているのが分かったから。涼一は目元を少し和らげると、静かに小さな礼をして正門の方へと立ち去っていく。
「なんか、あいつ変わったな」
どんどん小さくなって薄闇に紛れていく涼一の背中を見送って、圭吾はぽつりと言った。
「好きな人でも出来たんじゃないのか。なんか……そんな感じだった」
「ふーん……、でもそれなら上手くいくだろうな」
「何だよその自信は」
「だってここは恋愛関係にはうってつけの場所だろ?」
圭吾は楽しそうに口元をつり上げる。
ここは、俺と圭吾の二度の春を乗り越えた想いが成就した場所だから。
その意味をくみ取った俺も、笑みを浮かべた。
去年俺達の想いが叶ったように、きっと涼一の気持ちもその人に届きますように……、そんな祈りを桜の木に託す。
了承のサインか、その瞬間吹雪のように真っ白い花びらが舞い散った。暗闇に浮かび上がる白い花びらは、春の訪れを感じさせると共に冬の名残を儚んでいるようでもある。俺達は顔をつきあわせ、どちらともなく軽く唇を合わせると吐息が触れる距離で笑い合って、新たな季節を迎えるこの学校に別れを告げた。
あさき様からとっても素敵なお祝いを頂きましたv
春の別れとこれから芽吹いていく新たな人生の門出を真っ白な桜が祝福してくれている、そんな、勇気の出る素敵なお話でしたv
涼一まで出してくださって、本当にありがとうございましたv。
桜の木の下で、きっと宗志のことを想っていたんでしょうね。。。