「やだ〜!なんて若くてハンサムなパパなの?」
「ホント!赤ちゃんもパパそっくりね。とっても可愛いじゃない?こんな美形の赤ちゃんなんて、あたし、初めてみるわ」
「え?どれどれ?私にも見せてよ!きゃ〜!かっわいい!この子のこの髪、天然なの?」
2ブロックほど離れた生活用品売場で、パンパースとフォローアップミルクの缶を買い物カートに突っ込んでいる僕の所にまで、化粧品コーナーのお姉さん達の甲高い嬌声が聞こえてきた。
「大きくなったら、ピカ一の美人になること間違いなしね」
「きゃ!きゃ!」
無邪気に嬉しそうな笑い声を千波があげているのまでしっかりと僕の耳に届いてくる。
「いやぁ。そうでしょう?俺も常々そう思ってるんですよ」
千波以上に嬉々とした、秋人の嬉しそうな声が、買い物客で賑わっているにもかかわらず、店内に凛と響く。
「俺にそんなに似てますか?いやぁ嬉しいなぁ」
あ〜あ、また出た。
端正な顔の目尻をこれでもかと下げ、デレデレになっている秋人の姿が、ハッキリと僕の瞼に浮かぶ。
本当に千波の事となると、秋人は親ばか以外の何者でもないのだ。
普段は近寄りがたい雰囲気すら感じさせる超美形だって言うのに・・・
諦めの境地の溜息をひとつ吐いて、ムンズとお尻拭きを掴んだ僕は、秋人達の声が漏れ聞こえてくる化粧品コーナーへと、山盛りの荷物を載せたカートを押し進める。
「秋人!こっちの買い物は終わったよ」
僕はお姉さん達に取り囲まれながら情けないほど相好を崩している秋人に、心持ち眉を顰めながら言った。
そんな僕の様子に気づいたのか気づかないのか、茶色い巻き毛にピンクのリボンをつけ、レースのドレスを着た可愛らしい千波を、軽々と片手で抱き上げている秋人は、溜息が出るほどカッコイイ。
『まるで、ベビー雑誌の表紙から抜け出してきたみたいだな』
嫌っていう程見慣れている姿の筈なのに、思わず見とれてしまう自分が我ながら情けない。
「渚。ちーちゃんのベビーフードまだあったっけ?」
ポートレートのような二人の姿を、不機嫌な気分も何処へやら、うっとりと見詰めている僕に秋人が訊いた。
「あ、うん。確かフリーズドライパックのを買ってあるって、母さん言ってたから」
「そう?それなら大丈夫だな」
彼が腕の中に抱いている、僕とは似てもにつかぬ天使のような赤ん坊は僕のかなり年の離れた妹なんだ。
麗しの彼は、僕のたった一つ〈厳密に言うと十ヶ月しか離れていない!〉年上なのだが、僕が〈自分でも十二分に自覚はしているが〉子供っぽいのか、彼が異様に大人ぽいのか、とても一つしか変わらないようには見えない。
ここで誤解の無いように。彼は決して僕の義理の父親では無い!
僕と秋人は元高校の先輩後輩と言う、極々ありがちな関係だったり、恋人同士?と言うあまりありがちでない関係だったりもする。
所が何故か千波は実の兄の僕なんかより、秋人にそっくりなんだ。
僕は残念ながら母似なんだけど(ああ。母さんご免なさい)僕の父さんというのがこれまた、あの秋人をグッと渋くしたような超二枚目なんだ。
別に二人に血のつながりは無い。
無いと思う・・・(あったら、ちょっとヤバイかも)そのくらい顔そのものというよりも二人の醸し出す雰囲気はとてもよく似てるんだ。
二枚目ってのは、自ずと似てくるものなのだろうか?フム・・・
ともかく、僕がかなりの、いや、異常なほどかもしんない・・・ファザコンだったのも、秋人とこうなった大きな要因でもある訳で・・・
元はと言えば、こんな意味の〈どんな意味だよ!〉好きとか嫌いなんて感情じゃなくて、僕は秋人に凄く憧れていた。
なんて言ったって、秋人は全校生徒の憧れの人だったし、僕のことをとても可愛がってくれていたんだから。
もちろん、僕は秋人の優しさを、気のいい先輩が可愛い後輩に目を掛けてくれているだけのことだと信じていた。
イヤ、それ以外に僕の貧困な脳味噌は映画や小説じゃ有るまいし、同性間にそんな感情が芽ばえることが有るなどと、思いはしなかったんだ。
僕には当時、可愛い〈性格はかなりキツイが〉彼女もいたし。まさか同姓の先輩から好きだと告白されるなんて、考えもしなかったんだから。
ともかく、ある日、優しすぎるくらい優しくしてくれていた秋人の態度が突然豹変した。
あまりの冷たさに、驚き狼狽えてしまたっ僕を秋人はいたぶるように責め立てたんだ。
『あんな奴が俺よりいいのか!』
と、普段何事にも動じないほど沈着冷静な秋人が、信じられないほど感情的になって。
事の真相は、馬鹿馬鹿しいほどの誤解が原因だったんだ。
秋人は僕と父さんのツーショットを見てしまったらしく、(普段留守がちなこともあって、所構わず僕に愛情を示したがる人なんだな。これが)僕のことを父さんの愛人だと思いこんでしまったんだそうだ。
秋人は、その瞬間こんなおじさんに取られてなるものかと奮起してしまったらしい。
ただの思いこみかもしれないけど、未だに僕と父さんを見る秋人の目には、疑いの色が滲んでいるような気もするのだけど・・・
そんなこんなな誤解があって、僕には晴天の霹靂だったんだけど、
「俺以外の奴に指一本触れさせない!」
と憧れの秋人先輩に唐突に告白されてしまった。
所が訳も分からず、甘い接吻の余韻を引きずっている僕の耳元で秋人が、
「渚。知ってるか?男同士だとキスだけで赤ちゃんが出来るんだぞ」
からかうように僕に囁いたんだ。
バカ秋人。幾ら僕がネンネでも、どうしたら赤ちゃんが出来るかぐらい知ってるさ!
言葉に詰まって俯く僕をさらに強く抱きしめて、
「ん〜?どうした?やっぱりちゃんとしないとだめだと思うか?」
冗談めかした言葉とは裏腹に、秋人の瞳に強い欲望の色を見つけてしまった僕はあたふたと狼狽して・・・
だって、今告白された所だし。僕は今の今迄、単純にあこがれてただけで・・・あ、いや・・そのぅ・・・
「あ、いや。き、き、きっと、キ、キ、キスだけで十分だと思うよ!ほ、本当!」
慌てて秋人から離れようとする僕を少し切なそうに見詰めて、秋人はもう一度、深く甘い接吻をした。
千波の誕生を両親から聞かされたのは、それから僅か数週間後のことだったんだ。
偉く畏まった両親が居間に僕を呼ぶので、怪訝に思って入っていくと、オリーブグリーンのソファに肩を寄せ、しっかりと手を握りあって、頻りに照れながら座っている二人が居た。
僕の両親は十九年の長きにわたり、ず〜と新婚生活を続けている、ちょっと、ん?かなりかな?変わった両親なんだ。
まあ、可愛いと言えば可愛いのだけど。
幾つになっても生活感を感じさせない秀麗なる父さんが、長い足を組み替えて、僕に正面に座るように言うと、
「渚。来年の春、晄(あきら)(母さんの名前である。この名前と、ボーイッシュな外見のせいで父さんは知り合ってからしばらく経っても母さんのことを男の子だと思っていたらしい)に赤ちゃんが産まれる。あんまり家に居られない父さんに代わって、渚はしっかり母さんを助けてやってくれないか?」
整いすぎるほど端正な顔を、もう一つキリッと引き締めて、にわかに信じがたい内容に、ただ唖然としている僕にそう言った。
「ねえ?渚。母さん達も驚いてはいるのよ。もうずっと長いこと諦めていたんだもの。でも、すっごく嬉しいの。もう一人天使を授かることが出来たんだもの」
父さんに寄り掛かりながら、うっとりと話す母さんは、まるで聖母のように僕には見えたんだ。
この年まで、どうしようもないほどのファザコンで、甘ったれの一人っ子だった僕はなんだか急に大人になった気分で、
「心配しないで。父さんの留守の間、母さんと赤ちゃんはちゃんと僕が守るから」
ドンと大きく胸を叩いた。
その事を知った秋人は、コウノトリが渚の家に赤ん坊を落っことして行ったのは、僕たちの甘い接吻のおかげなんだと真剣な顔で断言したんだ。
それからと言うもの、海外出張の多い父さんに代わって甲斐甲斐しく日々お腹の大きくなる母さんの面倒や、生まれてからの千波の面倒を見ているのは、実質僕より秋人の方が遙かに多かった。
「ねえ?秋人!僕たちの晩ご飯。なんにするの?」
おばさん達で込み合う夕方の大型スーパーの店内で、何とも色気のない紙おむつの入ったカートを押しながら、気持ちを持ち直してにっこりと僕は秋人に話しかけた。
秋人の返事を待ちながらも、すぐ側にある歯ブラシを今夜のために籠に入れる。
『僕のがグリーンだから秋人のはブルーね』
今日から4日間、どうしても父さんの仕事先に同伴しなきゃならなくなった母さんが、僕一人に千波を預けるのが不安だからと、秋人に泊まり込みでうちに来てくれるように頼んだんだ。
そりゃ・・秋人は母さんの大のお気に入りで、僕なんかが足下にも及ばないほどしっかりしてて、頼りになるのは解るけど・・・ああ。母さん!僕の貞操の危機だって分かってるんですか?
分かるわけないよな・・・分かってたら怖いけど・・でも僕、僕。決心したんだから。
そのために顔から火が出る思いでその手の本まで買って読んでみたんだぞ!
ああ、でもあんなの読むんじゃなかった。おかげでよけいに意識しちゃって秋人の顔が側に来ると赤面しちゃうんだから。
当の秋人は僕の問いかけに返事もしないで、僕ですら、足を踏み入れるのに躊躇するような、カラフルなファンシーショップに平気な顔で入っていく。
何処にいても目を引く秋人が、女の子しか居ないファンシーショップに居るのだから自ずと周りにいる女の子達がザワリと色めき立った。
そんなピンク色の視線など全く意に介さずに、
「うん。これがいいな」
ピンクや水色のリボンを空いている右手でひょいひょいとかき分けながら、まっ白なレースのリボンを手に取り、
「ちーちゃんに秋パパがこのリボン買ってあげましょうね」
「あい!」
元気よく返事をする千波に、僕にすら滅多に見せることのない最上級の笑みをその麗しいお顔に浮かべて、秋人は優しく見詰める。
僕も負けじと、(なんだか、悔しい)
「ね、ね。秋人。ワインも一本買おうよ」
ねえ、千波だけじゃなく、僕のことも見てよ。ねえ!
心の中で叫びながら、ざっくりとしたセーターの下からさりげなく出ている藍色のタンガリーシャツを軽く引っ張った。
「ワインっておまえ・・ちょっと飲んだらすぐ酔っぱらうくせに」
千波から視線を外さずにサラリと言ってのけると、さっきのリボンを持ってさっさとレジに行ってしまった。
僕の事をろくすっぽ見てもくれない秋人の背中に、どうせ僕なんか千波の次ですよとふてくされつつも、わき上がってくる切ない思いにキュッと唇を噛みしめた。
折角決心したのに。
初めて二人きりで夜を過ごすっていうのに・・・
僕と初めて夜を過ごすことなんか、経験豊富そうな秋人にとっては、どうでも良いことなのかな・・・
だって、僕は知ってるんだ。時折秋人が僕以外の人と夜を過ごすことを・・・
幾ら僕がネンネでも、秋人の部屋に電話をして夜中に女の人の気配がすれば、おおよその想像は自ずと付く。
そんなのは嫌だと秋人にいえばいいのかも知れないけど、僕はいつも気づかないフリをする。
僕が秋人を受け入れられない限りそんなことも致し方ないのかな、なんて、何となく諦めてしまっていたんだ。
そう言えばここのところやけに秋人が冷たかったっけ?前はふたりっきりになると必ず強く僕を抱きしめてキスしてくれたのに・・・
最期のキスは一体何時だった?
千波に振り回されてあんまり気にしていなかったけど、今日は一度も僕に触れてさえくれない・・・
灰色の不安が不意にわき上がり、僕の心をどんよりと曇らせた。