Crystals of snow story

*ANGEL*

10

 



薄ぼんやりとしたベッドランプをどのくらいの時間眺めていただろうか。

頬にかかる吐息が、深い寝息へと移行したのを確かめてから、さらに15分ほどそのまま、腕の中でじっとしている。

ようやく、そっと、ほんとうにそっと、腕の中から抜け出すと、セルはヒンヤリとしたフローリングに裸足の足を降ろした。

見下ろした端正な寝顔は、ここ数ヶ月で幾分老け込んだような気がする。

そう思うと、セルの胸は苦しくて、切ない・・・・・

ぼくのせいだ・・・・・・

ゆっくりと寝室からリビングへ続く扉を静かに開けて、足音を忍ばせながら散らかったままのキッチンへと向かった。

部屋の電気は付けずに、システムキッチンの手元明かりだけを付け、なるべく音を立てないように、食器を洗う。

グラスに残っていた飲み残しのウィスキーを流しに流すと、きついアルコール臭が鼻につき、セルは泡の付いた手の甲で鼻を擦る。

テーブルの上に置いたままになっているスコッチウィスキーのボトルは昨日封を開けたはずなのに、もう殆ど残っていなかった。

お酒など、家では殆ど飲まない人だったのに・・・・

泡立てたスポンジで、グラスを洗いながらセルは思った。

気はついてはいた。

少しずつ、現れ始めた父の異変に。

家では飲まなかったお酒を飲むようになり、セルの行動を常に監視するような気配を見せ始めたのは半年ほど前からだった。

父の変化は、大学の引率でヨーロッパから帰国した直後からだった。

眞一へのクリスマスプレゼントにセルがセーターを編んでいると知った頃からだった。

眞一と親しくすることに父は最初からいい顔をしなかった。

同年代の少年と話しているだけではどうしても物足りなさは感じるだろうが、あの男はお前の友人として相応しくないのではないかと、何度か諭された。

言葉を濁しながらではあったが、色んな女性と浮き名を流しているような男だと・・・・・

出来ることなら、大好きな父が望まない相手とたびたび会うことは避けたかった。

しかし、一度芽生えてしまった気持を消し去ることは出来なかった。

シャボンの泡と同じように、洗い流せるものならどんなに楽だろうかとセルは思っていた。

なんど、お前には相応しくない友人だと言われても、会いたかった。

会いたくて会いたくてたまらなかった。

たとえ、眞一にとって自分が恋愛の対象になることが永遠になくても、自分が彼を好きでいられることが幸せだったのだから。

常に頭の片隅には父を裏切っているという思いはあったが、自覚すらしてしまった恋心を抑えることは出来なかった。

そして母親譲りの美貌が思春期の初恋で花開いてゆく様子に父が気付かぬはずもなかった。

単なる友人としての付き合いですら、いい顔をしなかった父がセルの気持が恋だと気づいたとき全てが大きく変わってしまったのだ。

穏やかで、優しかった父は、酒量が増え、酔った勢いで眞一との付き合いを詰ったり時には声を荒げ、指の後が付くほどの強さでセルを捕まえて揺すぶることさえあった。

そして、あの日。

決して口にしてはならない、あの一言すら父は発してしまったのだ。




もう・・・ぼくは眞一さんには会えない。

今朝、もうすでに昨日の朝になってしまったが、あの人が見せた表情が忘れられない。

何日も連絡しなかったぼくを心配して、きっと何十分もあの場所に立っていてくれたはずなのに・・・・

噛みしめた唇から小さな嗚咽が零れる。

望んじゃいけなかったんだ、とセルは思った。

人並みに誰かに恋をするなんて、ぼくには贅沢なことだったんだと。

こんなぼくをこれまで愛して慈しんでくれた父をこれ以上傷つけてはいけない。

眞一さんは、時々ぼくのことをふざけて『ANGEL』と呼んでくれることがあったけれど、ほんとうのぼくは『悪魔の子』なのだから。


ほんとうは、父に言われなくとも、随分以前からセルは気が付いていた。

生まれついての高い知能は、時折、まだ知らなくてもいいことを悟らせるという、辛い能力でもあった。

そのことに気がつき始めたのは、イギリスの高校に通っていた頃だった。

生物の授業で遺伝について学んだからだ。

セルの父は生粋の日本人で血液型はA型、母は生粋のフランス人のB型だったと聞いていた。

最初に習う血液型の遺伝の方式では、AB型の血液型をもつことに何の疑問も起きなかった。

その後、外見にも優性遺伝と劣性遺伝があることを学んだとき、セルの中に納得のいかない疑問が起きたのだ。

日本人の黒髪、黒瞳は優性遺伝。

セルが母から譲り受けた金髪碧眼は劣勢遺伝だ。

それでなくても、天然の金髪自体、全人口の2%に満たないほど実際は少ないと言うのに。

なぜ、自分は、母の容姿のみを色濃く譲り受けたのか・・・・・・セルはその後、色んな文献を調べてみた。

まだ、その頃のセルはわずか7歳だった。

調べれば調べるほどありえないことだった。

黒髪と金髪の夫婦の中に、金髪の子供が生まれる事例は数少ないとはいえ、あるにはあった。

ただし、その場合は、黒髪の親の方に潜在的に金髪の劣性遺伝子が組み込まれている場合だけだ。

その点、セルの父方である加勢家は生粋の日本人の家系であり、どこかで遠い他民族でにしかない金髪の遺伝子など入るはずがなかった。

調べれば調べるほど、セルは不安になった。

自分は父の子ではないことに気が付いてしまったのだから。

誰よりも自分を愛してくれている父。

写真でしか見ることは出来なくても、生き写しと言われるほど似ている母は紛れもない実母に違いないのだから、自分は母とほかの誰か・・・・との間に出来た子供なのだ。

日本以上に欧米では離婚や再婚など周りにいくらでもあるのだから、養父母のどちらかが実の父母でない場合も多い。

だが、結婚後にセルを身籠もり、産んですぐ亡くなった母に、そんな可能性がないこともアルバムを見れば明らかだった。

誰かの子を身籠もったと知ったまま、父は母と結婚したのだろうか?
それとも、自分の子供だと信じていた父は産まれてきたぼくを見てはじめて事実を知ったのだろうか。

自分に金髪碧眼の息子が産まれるはずなど無いことを、知らないような無知な父では無いはずだ。

だが、その事を怖くて、恐ろしくて、セルは父に訊くことなど出来なかった。

ずっと、ずっと封印していた。

父にその事実にセルが気づいていると言うことを気づかれないように。

しかし、あの日、パンドラの箱は開かれてしまったのだ。

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