Crystals of snow story

*ANGEL*

14

 

「えっ?!」

小さく驚きの声を上げた鈴矢の脇を、靴箱を開くこともせずに玄関に置いてあった母親の小さなサンダルをつっかけて眞一が表へと飛び出して行った。

「うぉっと・・・・・なんだあ?」

飛び出す際に眞一がぶつからないよう、とっさに二人の間に腕をいれて庇った研二は開け放たれたままの玄関先から差し込んでくるまぶしい光に眉を潜めた。

「変な奴・・・・・・母さんのサンダルなんか履いて、どこいくんだ?」

「眞一さん・・・・知り合いだったのかな・・・・・・あの子と・・・」

大きな瞳をしばたたかせたあと自分自身に問うように小さくつぶやいた鈴矢に、

「俺たちより下っぽかったんだろ?」

まあ、あがれよと、背中に回した腕で促しながら研二は尋ねた。

「う、うん・・・・・・・たぶんね」

「俺たちより年下で・・・・・外人の男の子だったんだろ?
俺よりそりゃ英語だって出来るだろうけど、兄貴の奴、鈴みたいに普通に話せるわけでもないしさ・・・・・・・・金髪のお姉さんならまだわかるけど、まさか、そこまで手広くないだろ、いくら、兄貴だって。
たまたま、なんかこのへんに用事でもあって、家とか道とか思い出したんじゃねーの」

「そうかなぁ・・・・」

午前中とはいえ、初夏の照りつける日差しの中、じーっと、研二の家を見つめて立ちつくしていた少年の姿と、普段は絶対に見せることがない眞一のあわてふためいた様子に、つややかな黒髪をさらりと揺らしながら鈴矢はもう一度、既に研二によって閉ざされた外へ続くドアを振り返った。

 

絹糸のような綺麗な黒髪だった。

黒曜石のような、澄んだ大きな黒い瞳だった。

透き通る少女のような可愛らしい声。

滑らかな英語で話しかけてきた少年は、ほんのりと薔薇の香りを纏って・・・・・・

この家に、用があるのかと、セルに尋ねた。

自分も遊びに来たところだから、用があるなら一緒に行こうと・・・・・

綺麗で優しげな笑顔で、流ちょうな英語を話す少年は見た目の儚げな美しさより内面はずっと大人びていることをセルに感じさせた。

突然声を掛けられた事に驚いたが、なにより、その少年の姿にセルは驚いてしまった。

返事もせずに、ただ走り去ってしまったことを、心の隅で申し訳なく思うものの、つい、眞一の家の前まで行ってしまったことよりも、少年に出会ってしまったこと深く後悔していたのだ。

かなわぬ思いなのは百も承知していた。

父の事を別にしても、眞一への思いは永遠の片思いでよかったはずなのだ。

自分など、眞一から見れば、ただの子供、まして同性の子供でしかないことぐらい自覚していたからだ。

幼い恋心を自分は確かに眞一に抱いているにしても、決して眞一は自分を恋の対象として見てくれることは無いことぐらいわかっているのだから。

眞一の相手は、沢山居るようだが、少なくとも構内で見ている限り、眞一の好みは大人っぽくて、異性慣れしている女性ばかりのようだった。

大学生といえど、まだ女子高生のような幼い雰囲気をもつ女性達が眞一に寄ってきても、やんわりと距離を置いているようにセルには見えたからだ。

どちらかというと、司書の夏生のような、年上の女性が眞一の好みだと思っていたし、そう思うことによって、自分自身の思いを心の中だけに留めることも容易に出来ていた。

年上の大人びた綺麗な女性が好きな眞一からすれば、ずっと年下の自分など、ただの可愛い弟のような存在に過ぎないのだと。

でも・・・・・・・・・・

今のさっきの、少年は?

セルの心に、生まれて初めての感情が沸き上がってくる。

眞一が他の女性達とメールや電話をしたり、セルと一緒にカフェでお茶を飲んでいるときに、親しげに女性達が寄ってくるときに感じる、幼い妬きもちや羨望のような感情とは格段に違う。

もっと、苦しくて、苦い・・・・・・・・・・・・

あの綺麗な少年はなんと言った?

自分も遊びに来たところだから、用があるなら一緒に行こうと、少年は言ったではないか?

さらりと流れる漆黒の髪と薔薇の香りが苦痛を伴いながら脳裏に蘇る。

一度確かに自分も眞一の家へ誘って貰ったことはあった。

それは、でも、セルが何日も一人で過ごすことを知った眞一が、幼いセルを心配して、眞一の家でその数日を過ごさないかという、あくまでセルの身を案じてのことだった。

そのあと、個人的にいつでも家に遊びにおいでなどとは、言われたことはなかった。

第一、この住所にしろ、セルが自分自身で調べだしたものなのだから。

ぼくは駄目でも、あの子ならいいの?

あの子なら、あなたの恋愛の対象になれるの?

自分から眞一を遠ざけてしまったくせに、沸き上がってくる怒りに、セルは睨み付けるような眼差しで眞一の家の方向を振り返った。

 

 

睨み付けていたはずの青い瞳が、呆然と信じられない人影を見つめた。

閑静な住宅街には休日の午前中のせいか、人影はまばらで閑散としているのに、照りつけるまぶしい光の中をセルに向かって、矢のように駆けてくる一人の男がいたからだ。

乱れた髪に、白っぽい部屋着のような服、ぺたんぺたんと音を立てて、走るたびに飛んでいきそうな小さなピンク色のサンダル。

サンダルのせいで、時折、つんのめりそうになりながら、決して格好いいとは言えない走り方で、それでも賢明に眞一はセルに向かって走ってくる。

いつものおしゃれな眞一とはかけ離れた姿は、さっきまで心の中で渦を巻いていたもやもやを吹き飛ばす程のインパクトがあった。

「セル!!!」

息を切らしながらも、大きな声で名前を呼ばれて、泣き笑いのように一瞬顔を歪めたセルの視界は虹色に霞むと同時にぐにゃりと揺らいだ。

ぼくは、やっぱり、あなたが好きです

声にならない声でそういうと、駆けつけた眞一に向かってセルは両手を前に差し出した。

 

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