Crystals of snow story

*ANGEL*

2

 

かわいらしい少女のような声の主・・・・・・・

ポカンと、文字通りポカンと、普段なら決して人前で間の抜けた表情など見せることのない眞一が見下ろしたのは、自分の胸の下あたりにある、金色の巻き毛。

堆く積んだ書物の横から首を覗かすと、なんとか救世主の全貌が目に入ってくる。

ざっくりとした濃紺のアラン模様のセーターの上にちょこんとのったそれは、まるで教会の礼拝堂に描かれているような天使の顔。

まだ、中学には上がっていないであろう目の前に立つ少年は幼いとはいえ黄金律と呼ばれる最高のバランスで目鼻立ちのすべてが整っているような美しさだ。

近寄りがたいほど崇高な美しさの中で、微かに愛嬌を感じさせるのは透き通るような美しい肌ながら白人の子供にはありがちの鼻のあたりに散った微かなそばかす。

あまりにもポカンと見惚れてしまっている眞一に向かって、天使はまさに降臨した。

「どうかされましたか?」

まだ、子供特有の少し濡れたような桜色のふっくらとした唇が眞一に向かってにっこりと微笑んだ。

途端、眞一の胸がズキリっと大きな音を立てて、微かな痛みが走る。

え?

経験したことのない不可思議な痛みに、数度、目を瞬かせ、整った眉を訝しげに寄せた眞一に、

「重そうですね?僕、少しお持ちしましょうか?」

少年は心配そうに続けて問いかける。

「あ、いや ・・・・・大丈夫だ」

何故か口腔は微かに乾き、たったそれだけの言葉を発するのにささやかな抵抗を感じる。

まだなにか言いたげな少年に、眞一はいつもの優しげなフェミニストの表面をあわてて取り繕い、心配いらないよと柔らかな笑みを少年に向ける。

「そうですか?では、僕は少し調べものがありますので」
小鳥が小首をかしげるような仕草でもう一度にっこり微笑むと、少年は広い図書館の中へと去っていった。

早足で書物の森の中へ行ってしまう少年の後ろ姿を見つめている眞一の胸は再び鈍い痛みを感じていた。

☆☆☆

入り口近く、数名の司書の座っている受付に近づいていくと、壁から室内に向かって半円を描いるオーク材のカウンターにたどり着いた眞一はドサッと音を立てて山のような書籍を置いた。

「あら、珍しいわねぇ。東森君が図書館に来るなんて」

時々お茶程度のお付き合いのある、司書の山添夏生が新規購入リストの整理をしていたパソコンから離れて眞一の方へくるりと椅子ごと身体を回した。

眞一も、やれやれとようやく開放された腕を軽く回している。

「前原教授からいいつかっての返却ですよ」

と、夏生に言った後、斜め後ろ歴史書の並ぶ書架の奥にに視線を流しながら小声で続けた。

「で、夏生ちゃん、あの子誰よ?」

眞一が視線をやった先には、先ほどの金の髪をした少年が、大きな書架に挟まれて立っていた。

真上に腕を伸ばし、めいっぱいの背伸びをしながら、分厚い本に指を滑らせながら、捜し物をしている。

もちろん、ここは大学のキャンパス内に有る図書館で、一般には開放されていない。聴講生などの利用は認められてはいるものの、原則学生証兼用の入館カードが必要なのだから、少年の姿に眞一が訝しむのももっともである。

ところが、周りにいる学生や、何人かいる常駐の司書官は取り立てて彼に注視するわけでもなく、すぐ側に居た学生などは届かない棚にある書籍を親切に『どれ?』と尋ね、少年に渡しているのだ。

今時の子供にしては珍しいくらい、礼儀正しく、受け取った本を胸に抱き、少年はペコリと愛らしく頭を下げる。

その仕草に少年の周りの空気がふんわりとした柔らかさを帯び、思わず誰もが知らず口元を綻ばせるような、そんな愛らしさだ。

「え?ああ・・・・セルちゃんね。
そっかぁ、眞一君、図書館になんか教授のいいつけでも無い限り来ないものねぇ。
知らないはずだわね
あの子は、ここの常連さんよ。
すごく勉強熱心なの」

誰かさんと違ってねっと、小さな声を立てて可笑しそうに夏生は笑った。

たしかに、眞一の成績は決して悪くはないが、図書館なんて柄ではない。

おしゃれで女子学生と言わず職員との色恋沙汰も少なくない眞一はプレイボーイとして皆に認知されているし、司書の夏生と知り合ったのも校内のカフェだったのだから、笑われるのも仕方ないのだが。

「文化学科、ヨーロッパ史の加勢助教授の息子さんでね。
なんでもイギリスで飛び級をして、8歳で高校は卒業したっていう天才児らしいわ。
今10歳だったかしらねぇ、ここには特別聴講生って名目で在籍してるのよ。
だかられっきとした、我が校の生徒なの。
とは言え、日本では義務教育年齢の子の飛び級を承認してるわけじゃないから、一般の小学校へ通ってるみたいよ。
学校が終わってから来ても、ほとんど聴講する時間もないわよねぇ。
で、結局ここに放課後勉強しに来るってわけ」

「へぇ・・・・・」

天才児・・・・漫画やテレビドラマでは時々みかけるけど、本当にいるんだ・・・・

眞一は大人用の椅子にちょこんと座り、大きな本を広げて熱心に読みふけっている『セル』と言う名前らしい少年の、非の打ち所の無い横顔を食い入るように見つめた。

大きなページを捲るたびに、黄金の巻き毛がふわりと微かに持ち上がる。

吹き抜けた図書館の天窓には、一部ステンドグラスを配してあり、
天窓から降りてくる光の中に座っている少年は、本物の天使のように清らかに美しい。

ふっと、不思議な思いが眞一の中に沸き上がる。

少年の存在になにか合点がいかない・・・

加勢助教授は知っている。

学科もなにも共通点は無いので授業を受けることは無かったが、まだ30そこそこで、初老の教授軍の中では軍を抜いて若いし、ヨーロッパ仕込みの身のこなしが洒落たハンサムだといって、同じゼミの女の子達にも人気があるからだ。

「さっき、加勢教授の息子って、言ったよな?」

「ええ、そうらしいわよ。
独身って聞いてたから、離婚か死別か・・・父子家庭ってことかしらねぇ」

手早く、前原教授から戻ってきた書籍の返却手続きをしながら、夏生は世間話をするように続ける。

「二年前に助教授の職に就かれる前は、イギリスやフランスにお住まいだったそうよ。
セルちゃんもイギリスで飛び級って話だけど、セルジュって名前からすると、お母さんはフランスの女性なのかもね。
謎があるだけに、色んな話があっちこっちで出てきてるみたいだけどね。
実際の所、助教授に付いてる教務担当事務の友達がいるんだけど、あんまり、ご自身の話はなさらないから、彼女も詳しいことはわからないって言ってたわ」

「俺も遺伝的な事は分野外だからあんまり詳しいことは知らないけど、イギリス美人にしろフランス美人にしろ、いくら金髪美人を奥さんにしても、日本人との間にはあんな綺麗なブロンドなんてのは生まれないんじゃないのか?
黒髪、黒瞳が優性遺伝だから金髪碧眼がまるまる、ハーフの子供に出ることは無いって聞いたような・・・・」

クォーターならどうなるのかは知らないが、ハンサムだとは思うが、加勢助教授は眞一のような甘いマスクではなく、どちらかと言うと、きりっとした武士顔だ。

どう見ても、教授自身がハーフには見えないしと眞一は微かに首を傾げた。

「あら、そういうものなの?
残念ねぇ、私もあんなに綺麗なブロンドの子供が出来るなら、金髪の外国人とでも結婚しようかなぁとか思ってたのに」

冗談なのか本気なのか、そろそろ結婚も考えなきゃいけないのに、選択肢が一つ減っちゃたなぁと夏生はほんの少し落胆の色を滲ませてふふっと笑った。

「まあでも、IQが200だとかだそうだし。
とんでもない天才児自体希有な存在だもの。
珍しく、めったに出来ない金髪碧眼のハーフだとしても有りなんじゃない?
それより、わたし、今日は早番でもう帰れるの。
久しぶりに、食事でも行かない?お姉さんがご馳走するわよ?」

話題を変え、夏生はさっさと身の回りを片付け、眞一ににっこりと微笑みかけた。

まだ、少年の横顔から視線を外すことが出来ない眞一が

「ああ、そうだな」

と、生返事を返すと、夏生は半円のカウンターを回り込り込み、じゃあ行きましょうよと眞一の腕に細い腕を絡めた。

夏生に引っ張られるようにして、出口に向った眞一が、もう一振り向くと、一瞬顔を上げた少年と目があった。

パッと笑みを浮かべた少年は、眞一に向かって小さく会釈をする。

刹那、眞一の胸がまた小さく痛んだ。

俺・・・どっか悪いのか?

左手で胸を押さえると、トクトクと早鐘の様に鼓動が踊っていた。

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遅い初恋なんですよね、まだ本人気がついてませんけど(笑)