Crystals of snow story
*ANGEL*
4
裏門の横手にある駐車場に愛車を滑り込ませると、眞一はエンジンを切りドアを開けた。愛車は赤のスカイライン。
幼稚舎から高等部までは櫻綾学院などという、東森家には些か敷居の高いお坊ちゃま学校で育ってはいるが、決して金銭的に甘やかされて育ちはしなかったため、いくつかのバイトを掛け持ちして頭金を貯めローンを組んで買った最初の贅沢品だった。
「急に冷え込んだなぁ」
車から降り立つなり、白い息と共に呟いた。
最近では秋が無いとよく言われるように、つい先日までのポカポカ陽気は何処へ行ったのかと思うほど急激な寒波が北から降りてきて、昨夜からは真冬並みの寒さだった。
そんな急激な寒さも子供にはあまり関係ないのか、道路を挟んで斜め向かいに立つ花咲小学校に登校する児童の元気な声や翔る足音が聞こえている。
いつもより、早く着いた眞一は、初めて子供達の登校時間に遭遇し、ここに小学校があったことを改めて認識した。
ここに通ってるって言ってたよな。
赤や黒のランドセルを背って、沢山の子供達が大きな門の中に吸い込まれていく。
皆が同じ制服を着ていた上品で大人しい櫻綾の初等科の子供達と違い、普段着の子供達は色彩もカラフルで走る子もいれば、わいわいと大声で話しながら歩く子供もいて、何だか凄く元気そうに見えた。
眞一が車から離れようとしたその時、セルが2人の友人と共に、数百メートル先のコンビニの角を曲がって学校の通りに出てきた。
やはり朝日に輝く金の髪が、遠くにいてもセルの存在を知らしめる。
まっすぐ前を向いているセルに、通りを挟んだ駐車場に立っている眞一は見えてはいない様子で、楽しげに歓談しながら段々と近づいて来る。
友人の1人は中学生に見えるほど背の高い少年で、もう一人はその子の妹だろうか、低学年の長い髪を二つに結んだ可愛い女の子だ。
今日もオリーブグリーンの暖かそうなセーターを着たセルは、他の子達と同じように黒いランドセルを背負って、眞一には気付かずそのまま、友人と校門へ向かう。
表情が分かるほどの距離になると、大学で見せる落ち着いた大人びた表情とは違う、朗らかに笑うセルの笑顔に眞一は惹きつけられる。
五年生らしい、子供っぽい無邪気な笑顔。
可愛いな・・・・道路越しに、じっと凝視していた眞一の頬もゆるむ。
心の底から、初めて誰かを可愛いと思った。
生まれて初めて、誰かを愛おしいと感じた。
この感情がなになのか眞一には分からなかったが、いつも、あんな風に笑わせてやりたいと思った。
☆☆☆
「いいよなぁ、ヨーロッパ研修かよ。
俺も、とっとけばよかったなぁ、ヨーロッパ史」
第三講義室への移動途中、横で櫻綾からの友人、石渡康明が言った。
石渡の視線を辿って、壁に貼ってある校内ニュースの前で立ち止まると眞一もサッと目を通した。
「ヨーロッパ研修か・・・・1日からって、もう過ぎてるな」
「そそ、一昨日から10日間行ってるんだと」
「いいなぁって言っても、実費だろ?」
「そりゃ、そうだろうけど、秋のヨーロッパ。ロマンスが産まれそうじゃないか」
「ロマンスねぇ」
「そりゃ、お前みたいに年中ロマンスに取り囲まれてる奴には関係ないだろうけどな。
俺なんか、彼女居ない暦・・・・うぅ・・・世の中不公平だよなぁ」
石渡が、顔を腕に埋め、鳴き真似をする。
あははと笑いながら、眞一は下の方に記載された同行職員の名前の欄に目を向ける。
数名の名前の中に、やはり加勢助教授の名前がある。
「あ、そうそう。これ結構旅費かかるだろう?だから例年30人募集しても、なかなか定員まで集まらないらしいんだけどさ、今年はハンサムな加勢助教授が一緒だからって、女子学生がわんさか応募して、40人枠に増やしたそうだ。
いいよなぁ・・・顔がいいってのは」
もう一度鳴き真似をする石渡の背中をぽんぽんと叩いて、眞一は歩き出した。
あんな子供が1人で10日も過ごすのか・・・・
今朝もあんなに明るく笑ってたのに、朝も1人で起きて、1人で支度して、ちゃんと学校へ行って。
父親がいる日だって夕飯当番なんかして・・・・
なぜ、ほったらかしになんかするんだよ。
知能がいくら高くたって、まだたったの10歳じゃないか。
女子学生に囲まれてヨーロッパになど行っている加勢助教授に眞一は苛立ちを覚えた。
☆☆☆
「やあ、セル。今日は寒かったね」
眞一には読めない、フランス語の分厚い本を熱心に読んでいたセルに声を掛けた。
返事を待たずに、弾かれたように顔を上げたセルの横の椅子を引いて腰を下ろした。
「こんにちは・・・・眞一さん」
少し躊躇うように名前で呼んだセルは、照れたようにまつげを臥せる。
「あ、そうだ。母の写真」
横に置いてあった、手提げ鞄を机に置いて、中から陶器の写真立てに入った写真を取り出す。
「ああ、ありがとう。見せて貰うね」
受け取ると、眞一は感嘆の溜息を漏らす。
「ほぉ・・・・凄い美人だな」
温室の中だろうか、色とりどりの花に囲まれて微笑んでいる金の髪をした美女は、花々の彩りよりも美しかった。
柔らかいウェーブを描いて流れる黄金の髪と優しげな微笑みをたたえたサファイアの瞳がそのままセルに生き写しだった。セルが天使なら、さしずめ女神のような美しさだ。
「ね、綺麗でしょ?」
またしても、胸を張るセルの誇らしそうな声。
「うんうん。それに、たしかに君はお母さん似だよ。
よく似てる。とても、綺麗だ」
写真を持ったまま、セルに視線を移した眞一がじっと覗き込んでそう言うと、
「いえ、ぼくは・・・・」
また、照れくさそうに僅かに頬を染め俯いてしまう。
「ああ、それはそうと」写真を返し、話題を変えた。
「あ、はい?」
「お父さんと2人暮らしなんだよね?」
「ええ、そうです」
「じゃあ、加勢助教授が留守の間は、1人なのかい?」
「ええ、父が研修や出張で留守している間は、1人です。それがどうかしましたか?」
「食事も1人?」
「ええ、ぼくしかいないので、1人ですが?」
「1人で作って、1人で食べて、1人で寝て、1人で起きて、1人で学校に行って、ええと他にも色々全部1人で?」
「あはは、そんなに1人1人って連呼しないでください。世の中にぼくしかいないみたいじゃないですかぁ」
やけに小難しそうな顔になって詰問する眞一にセルが不思議そうに笑う。
「その間、俺の家に来ないか?」
さらっと口から出た言葉に眞一自身が驚いた。おいおい、今何を言った?俺は。
しかし、一度出した言葉を飲み込むことは出来ない。
「はい??」
「1人だとなにかと物騒だろう?
それに食事だとか色々面倒だろうし」
そうだ、こんな子供が夜も1人なんてのは、危ないからだ。だからって、なんで親戚の子供でもないのに俺の家に誘ってるんだ・・・・?
口からはすらすらとセルを誘う言葉が出てきているのに、心の中で眞一は葛藤する。
「と、とんでもないです。
そんなご迷惑はおかけできません」
唐突な眞一の申し出にあきらかにセルは狼狽する。
ほら、ビックリしてるじゃないか、当然だよな。
「それに、ぼくは慣れてますから。
普段も夕飯は大抵ぼくがつくっていますし・・・1人でも平気です、それに・・・」
あわてて断りの言葉を探しているセルに、眞一どうしていいのか分からなくなる。
勢いに任せて家に来ないかと言ってしまったものの、たしかにセルが驚くのも無理はない。親戚でも、昔からの知り合いでもないのだから。
「い、いや、だから俺は・・・君が1人だと危ないとおもって、だから・・・・」
カァーと頭に血が上るのを感じた。何故心配してしまうのか、自分でも納得がいかないのだから、上手く説明出来るはずもない。
「ありがとうございます。心配してもらって、ぼく嬉しいです」
「じゃ、じゃあ?来るかい?」自分でも不思議なほど嬉しそうな声で言った。
「いいえ、いいえ、それは駄目です。
そんなことをして頂く理由がありませんから」
大きくかぶりを振り、理由が無いときっぱりと言われて、眞一は硬直する。
たしかに理由などない。知り合ってまだ、たったの一月ほどだ。しかも時々ここで挨拶を交わす程度。
眞一にとってセルの身元はハッキリしている。
在学先の助教授の息子なのだから。
だが、セルにとって眞一はただ単に父親の教えている大学に通う1生徒に過ぎない。
知っているのはフルネームだけ。
時々会話を交わすとは言え、素性などなにも分からないのだ。知り合ったばかりの素性もしれない人にひとりは危ないと言われたところで、突然泊まりに来いなどと言われて、ほいほいついて行く方が正直とても危険なのだから。
感じのいい青年だからといって、変質者の可能性は否めない。
実際そんな事件は山ほどある。
セルほどの美しい子供なら、今までだってそう言った危険はあったかも知れないのだから。
「そ、そうだよな。
俺、軽率な事を言ったみたいだ。
すまなかった」
机に手を置き、立ち上がると力無く眞一は謝罪した。「眞一さん・・・・謝らないで下さい。
あなたはぼくを心配してくれただけじゃないですか。
ぼく、ほんとうに嬉しいんです。
心配してくださってるのに、理由がないなんて言ってしまって、ぼくのほうこそ、ごめんなさい」
「いや、さっきの話は忘れてくれ。
夜の戸締まりだけはちゃんと確認するんだぞ?
じゃ、またね」
「あ、まって・・・」
まともにセルの顔を見るのが恥ずかしくて、そのまま立ち去ろうとするが、何かに引っ張られて先に進めない。
振り返ると、セルの瞳がうち捨てられた子犬のような表情で微かに潤んでいる。
声には出さないが『帰らないでと』小さな手が、シャツの裾を掴んで離さない。潤んだ瞳に見つめられた、また、わけのわからない愛しさがこみ上げる。
そっと、その手を眞一は掌で包み込んだ。