Crystals of snow story

*ANGEL*

 


小さな手を握ったまま、どうしたものかと眞一は言葉を探す。

初冬の西日が飾り窓のステンドグラスから差し込み、柔らかな色合いの光が握りしめた拳の上で眞一の心を表すかのように揺らめいている。

当人にきっぱり断られたのだからうちに連れて帰るわけには行かない。

しかし、ここへ1人、置いて帰るなと引き留められている状態なのだ。

「そろそろ閉館時間だろう?俺、今日車で来てるんだ。家まで送っていくよ」

なんとか現状の解決策を見つけ出し眞一がそういうと、セルは神妙な顔つきでコクリと頷いて立ち上がると、さっきまで読んでいたフランス語の本を急いで片付けに行った。

「いこうか」

戻って来たセルに声をかけると、再びコクリと頷いた。

さっきシャツを握りしめ眞一を呼び止めた時から、硬く結ばれた唇は言葉を失ったかのように黙り込んだままだった。

「あら、眞一くん、今日はセルちゃんとアフター?」

無言のまま並んでカウンターの前を通るとき、返却書籍の整理をしていた夏生が2人に気付き顔を上げると、作業の手を止めてからかった。

「車で来てるんでね、送って行くだけだよ」

アフターって、ここは飲み屋かよ・・・
まさか、意味はわかってないよなと些か心配になり、チラリとセルの顔を伺うが、さっきからずっと何かを考え込んでいるままで、表情は変わらない。

「ふーん。幅広いのもここまでくると、流石ねぇ。
ね、セルちゃん。送り狼に気を付けるのよ」

つややかに赤く塗られた指先を口元に当て、セルにウィンクをしながら、くすりと夏生が笑った。

「ばかか、おまえは・・・・」

呆れたように、眞一がそういうと、夏生の後ろにいたふたりの司書もクスクスと声を殺して笑っていた。

 

☆★☆

 

図書館の建物から出て、駐車場のある裏門へ向かう小径は、駅側にある表門側とは違いひっそりとしている。

他に人影のない並木道を歩き出すと、小さな手がそっと眞一の掌に滑り込んで来た。

小さな手を握ってやると、さっきからずっと黙り込んでいたセルが、小さく息を吐くのが聞こえた。

暮れなずむ薄墨色の中、手を繋いで無言のまま銀杏並木の静かな小道を歩く。

セルの歩幅に合わせ、ゆっくりと歩を進める。

小径には沢山の金色の落ち葉が重なり、歩くたびに、しゃりしゃりとふたりの言葉の代わりに音を紡ぎ出す。

薄闇に包まれ始めた色のない世界に、時折舞い落ちる木の葉とセルの巻き毛だけが金の色を放っていた。

急速に冷え込んでいく空気の中、繋いでいる手が温かかった。
その温かさがとても心地よかった。

このまま小径がずっと続いていればいいのにと眞一は思う。

セルになにか話そうとすれば、いつもの自分ではなくなり、上手く言葉を見つけることが出来なくなってしまうのだから。
こうしていれば、なにも言葉などいらない。

小さな手をずっと握っていたかった。
うまく伝えられない言葉の代わりに。
ずっと。

☆★☆

 

「あ、そこです。その、角をまわって下さい。二つ目の青いマンションです」

ほんの5分ほどで、セルの住むマンションに着いた。
ターコイズブルーのような色合いが目を惹くが、いくつかのビルに挟まれた、一棟建てのこじんまりとしたマンションである。

マンションのエントランス側にはほどよい駐車スペースが無かったため、そのままセルのナビゲーターで普段は加勢助教授が停めている駐車スペースに誘導され、マンションの駐車場に車を止めた。

渡欧している間は、空港の傍の駐車場に預けているので空いているのだとセルが言った。

「ついたよ?」

シートベルトをつけたまま、降りようとしないセルに眞一は顔を向けた。

「あ、あの」

「ん?」

「あの、よかったら夕飯。食べていってもらえませんか?」

膝の上で両手を握りしめ、勢いをつけてそう言った。

「あの・・・さっき、眞一さんがおっしゃったように、ぼく1人だし。
夕飯を、ひとりで食べても美味しくないし・・・・だから、あの・・・・その・・」

勢いをつけたものの次の言葉に困り、声が尻すぼみに小さくなっていく。

拳はさらにぎゅっと握られ、ピンク色の手の甲が色を失っている。

どうやら、二人っきりになると、うまく言葉が出てこなくなるのは眞一だけではないようだ。

「ああ、1人じゃたしかに味気ないよね。じゃあ。どこかへ食べに行こうか?」

「ち、ちがうんです!」

再びイグニッションキーに手を伸ばし、エンジンを掛けかけた眞一をセルが運転席に乗り出すように上半身を伸ばして制止する。

「もう、ほとんど出来てるんです。ぼく簡単な支度をしてから
出てきましたから。眞一さんも降りてくれますよね?」

急いで助手席に身体を戻すとカチャリとシートベルトを外し、ドアを開けた。



どうぞと招き入れられた室内はシンプルだが、2人暮らしには十分な広さに思えた。

玄関からすぐ、掃除の行き届いた15畳ほどのリビングダイニングが広がり、そこからいくつかの部屋へ続くドアがある。

リビングには、あちらこちらに写真があった。

セルの小さな頃や、今日見せて貰った母親の写真が数多く並べられている。
撮る側にまわっているためか、助教授の写真は殆どなかった。

キッチンには 四人がけのダイニングテーブル。

用意は出来ていると言っていたとおり、すでに形成の終わっていたハンバーグをマンションに帰り着くなり冷蔵庫から出してセルは焼き始めた。

キャセロールに出来上がっているポトフは温められ、サラダはカトラリーと同時に出来上がった状態でテーブルにてきぱきと並べられる。

無駄のないセルの動作に手伝う必要もなさそうだなと、リビングの写真を一つ一つ眺めていた眞一を、ほとんど待たすこともなく準備できましたよとセルが呼び、2人で食卓の席に着いた。

「ひとりでこんなに食べるつもりだったのかい?」

豪華ではないものの、テーブルに並べられた2人分に十分な量に眞一が驚いていると、

「つい、いつも父の分も一緒に作るから作り過ぎちゃって」

照れたようにセルが笑った。

「びっくりしたよ。小さいのに大食いなんだなぁって」

「いやだなぁ、ぼくそんなに大食いじゃないですー」

家に帰ってホッとしたのか、緊張していた態度がほぐれ、子供らしく、ぷうっとわざとふくれて見せる。

「あはは、悪い悪い。でもさ、ずいぶん、上手だね。誰かに習ったのかい?」

手の込んだものではないが、柔らかくふっくらと焼きあがったハンバーグも、優しい味のポトフも店で出しても遜色ないぐらい上手に出来ていた。

「えーと、テレビですね。家では1人でテレビを見てることが多いので、お料理番組を見てよく色々作ります。
面白いですよ、熱量や分量とかちょっと違うと味が変わるし化学みたいで」

「きっちり分量通り作るの?」

「最初はそうですね。そうすれば食べれない物にはなりませんから。
でも、味覚には好みがあるので、同じ物を数回作れば、父の好みに合わせて少し変えたりしますけど」

にっこり笑いながら、スプーンを口元にはこぶ。

「料理本どうりに作っても、凄い物が出てくる場合もあったけどな・・・・」

「眞一さんのお友達でですか?」

「あ、ああ、そう・・・かな?」

お友達っていうか、なんていうか・・・と眞一が返事を濁しているのを怪訝そうな顔つきで見つめられて、ああ、そうだと話題をそらした。

「それよりセル。そこにある毛糸は誰が編むんだい?
普段も暖かそうなセーターを着てるなって思っていたけど。手編みなんだな」

向かい合ったセルの横の椅子に、籐籠が載っていてその中に空色の毛糸と編み始めたばかりの何かに数本の編み棒が刺さっているものを眞一は指さした。

「え?!あ、こ、これですか?」

なぜか、みるみるセルの白い頬がバラ色に染まり始めた。

「どうかしたの?」

「去年の冬にテレビ見てたらやってたんです・・・」

もじもじと籠の中に手を伸ばすと糸先を指先に絡ませながら話す。

「なにを??」

「毛糸の編み方・・・」

「じゃあ???君が編んでるのかい?」

驚く眞一に、コクリとセルが頷く。

「今、君が着てる、そのセーターも?」

編み物のことなど眞一にはよく分からないが、セルがよく着ている複雑なアラン模様のセーターはちょっとやそっとの素人が編めるようなものには見えない。

「そのあと、図書館で本も借りたんです。基本は単純なのに糸を編み込むだけで複雑な模様が出来ていくのが面白くて、ここの所のぼくの趣味なんです」

「誰かに習うとかじゃあなく?本とテレビだけ??」

再びセルが照れくさそうに微笑みながらコクリと頷く。

「恥ずかしいなぁ・・・・編み物が趣味なんて女の子みたいですよね」

いあ、驚いているのはそう言う事じゃなくて・・・と、眞一は今日初めてセルが本当に天才児なんだと分かったような気がした。

 

☆★☆

 

「今日はご馳走様。
じゃ、俺が帰ったらちゃんと戸締まりしてチェーンも掛けるんだよ?知らない人が来ても開けちゃだめだからね。
なにかあったら、さっきの番号に電話するかメール入れるように」

「わかってますから、大丈夫です」

ええと、それから・・・と、まだ続けようとする眞一を制して、セルは遅くなりますよと玄関口まで見送った。

「明日」

「あの、明日は?」

眞一がドアノブに手を掛けると同時に2人が言葉を発する。

「あ、なに?」

「いいえ、眞一さんこそ、なんですか?」

顔を見合わせて、お互いに今度は言葉を譲る。

「いや、明日も1人だからさ・・・君が」

「もし、ご迷惑で無ければ明日も来て貰えたら嬉しいなって・・・ぼく・・」

「いや・・・・・・迷惑なんかじゃ全然ないけど、知らない人を簡単に家に入れるのは、良くないんじゃないか?明日はどこかへ食べにいかないか?」

誘われるままに上がり込んで、しっかり夕飯まで食べてから言ってもあまり説得力のない言葉ではあるが。

すると、またしてもセルが神妙な顔で一瞬考え込んだ。

「セル?」

「ぼく・・・・知らない人を家に入れたりしない」

微かに怒っているような声音で呟いた。

「知らない人について行ったり、家に招き入れたりしたら危険なことぐらい、ぼく、知ってます」

再び顔を上げたセルは、蒼い瞳で眞一をしっかり捉えて言った。

「でも、眞一さんは知らない人じゃないし、悪い人じゃないです」

まっすぐ向けられた真摯な瞳に、眞一は言葉が出ない。

数秒間、深閑と静まりかえった空間に天使が通ったあと、セルが喘ぐように深く息を吸い、ハッキリと言った。

「ぼくは、あなたが好きです」

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