Crystals of snow story

*ANGEL*

6

 


広いとは言えない空間の中、オレンジ色の室内灯に照らされ、セルを凝視したまま眞一の息が止まる。

息が止まると同時に、熱いものが喉元に込み上げてくる。

見つめ上げてくる、蒼い、蒼い瞳がまっすぐに網膜を通り越して、脳髄まで届くようだ。

刹那、目の前にある小さな身体を抱きしめたい激しい衝動に駆られたが、眞一の中にいる、理性という名のもう一人の自分がその行為を制止した。

『ぼくは、あなたが好きです』

セルの言葉をもう一度、澄み切った蒼い瞳に貫かれた脳内で反芻する。

好きだなんて言葉は、それこそセルの年頃から聞き飽きるほど聞き慣れていた。

人並み以上に見た目もよく産まれついていたし、悪戯盛りの腕白な少年達の中で、天性のフェミニストに生まれついた眞一は弱いものや女性に優しく、子供の頃から女の子達の憧れの存在だったのだから。

たしかに五年生と言えば、誰かに特別な気持ちを抱くのに早すぎるわけではないだろう。

恋のような気持ちの表れの『好き』だろうか?

それとも、大人として信頼していると言った意味合いの『好き』なのだろうか・・・・・

眞一は心の中で自問する。

万一、セルの気持ちが恋だとしたら?

そう考えると、今まで経験したことのない、甘酸っぱく切ないような陶酔感が体の中を翔抜けた。

そうしたらどうするんだ、俺は・・・・?

抱きしめたいと、強く願っている自分がいる。

この天使のような少年を愛しいと思っている自分がいる。

抱きしめて、口づけて・・・・抱くのか?

いくら、知能が高いとはいえ、たった、10歳のこの子をか????

そこまで思考が飛躍したとき、眞一は空恐ろしくなった。

あまりにも飛躍しすぎな思考のようだが、プラトニックラブなどというもの自体、眞一の考えの中には存在しない。

思春期を過ぎた頃からは、好きと言われ、自分にも異議が無ければ、ワンツースリーのスリーステップで事は簡単に運んだ。

眞一にとっての恋愛とは、こ洒落たデートスポットで遊び、夜の埠頭で口づけをし、暖かなベッドで戯れる。

たったそれだけの簡単な物に過ぎなかった。

そんな後腐れのないドライな関係が眞一にとっての恋愛そのものなのだから、思考が飛躍してしまっても仕方がないのかもしれない。

「眞一さん?」

微かに頬を上気させ狼狽の色を浮かべ始めた眞一を、セルは不思議そうな声で呼んだ。

「いや、そ、その。なんだ・・・」

コホンと、空咳をして、眞一は平静を装った。

「君の気持ちは嬉しいよ。
だけど、ほら、まだ君はその・・・・・ほら・・・小さいし。
それに、ほら?そ、そうだ。男の子だろ?
いや、この際、男の子だって言うのは別にどうでもいいんだが・・・ともかく・・・・」

「???」

あーでもない、こーでもないと、眞一が言葉を探しあぐねている間、セルは子犬が一生懸命人間の言葉を理解しようとしているかのように、徐々にかわいらしいく首を傾げていく。

必死に自分の中に一線を引こうとしている眞一の目にも、無垢な子犬のようなセルの姿があまりにも可憐に映る。

「つ、つまりだな。俺も君のことは好きだ。だから・・・・・・」

眞一の言葉に、オレンジの光の中でセルはパッと花が開くように微笑んだ。

ああ、もう。
そんなに可愛くて、どうするんだよ。

息が詰まりそうなほど胸が苦しい。

紳士らしく、保護者と被保護者として、ふたりの関係を明確にする言葉を探していたはずなのに、口から零れ出たのは、

「き・・・キスだけ、いいか?」

おいおい、ちょっと待て、俺・・・・・
違うだろぉぉぉ・・・・・・

「はい、もちろん」

にっこり笑って、セルは背伸びをすると、左の頬を眞一へ向けた。

心の叫びとは裏腹に、身体はセルの動きに連動しながら自然に動く。

上体を屈め、そっと、本当にそっと、頬へと唇を寄せる。

ビロードのように滑らかな頬は、ほんのり甘いミルクのような香りがした。

それ以上にも進めなくて、だからといってすぐに離れたくなくて、眞一はしばらくそのまま息を止める。

瞼を伏せじっとつま先立ったままのセルの両肩へと廻された腕は、ほんの少し油断すると、力一杯この小さな天使を抱きしめてしまいそうで、肩から僅かに離れた場所で微かに震えていた。




ハンドルを握る指先が白い。

逃げるようにして後にしたセルの部屋から、今こうして自宅への道を走る車へどうやって向かったのか覚えていないほど眞一は動揺していた。

あのまま、あの、小さな躯を一瞬でも抱きしめてしまったら・・・・・
何をしでかしたか分からない・・・・・

またしても背筋がゾクリと震えた。

今日味わった、目の眩むような甘い陶酔感と幸福感は、初めて感じたものだったが、それ以上に、その後に襲って来た、自分に対する恐怖感が信じられないほど恐ろしかった。

こんなにコントロール出来ない自分など知らない。

まだ、たったの10歳だぞ?

セルのことを考えるとき、いったい何度こうやって彼の年齢を自分に言い聞かせていることか。

冷静になり落ち着いて考え直してみればみるほど、セルの「好きです」は眞一のことを信頼しているといった『好き』に間違いないのだと思えてくる。

だから、あれほど無防備に頬を差し出してくるのだろう。

眞一のことを兄とでも慕っているかのように。

知り合ってまださほど無い眞一を心から信頼してるからこそ、部屋にも招き食事まで用意してくれたあの子に、万一手ひどいことをしてしまったら・・・・

もう一度そこまで考えて、脳裏に浮かび上がりかける妄想を眞一は大きくかぶりを振って消し去った。

対向車線のライトが眞一の罪深い心を暴くかのようにまっすぐに顔を照らし行き過ぎていく。

もし、セルに対するこの気持ちが『恋』だと言うのなら、俺は『恋』などしない。

第一、研二の馬鹿じゃあるまいし、純愛なんてものは俺には似合わないさ。

眞一は、何度も自分に言い聞かせた。

胸の奥深くから、大きく一つ息を吐き出すと、眞一は車をUターンさせ、閑静な住宅街へ向かう道を後に、高層ビルが遠く摩天楼のように浮かび上がっている虹色に輝く光の海の方向へとスピードを上げた。

つづきを読む?