Crystals of snow story
*ANGEL*
7
一定の距離を保ったまま、季節だけが過ぎていく。
数日と開けず、図書館や校内のテラスで短い時間を共に過ごし、助教授が出張の夜などはやはりセルを1人にしておくのが心配で、レストランに連れて行くことも有れば、手料理をセルのマンションで一緒に食べることも少なくなかったし、長期の休みの時はお互いになにか口実を見つけては連絡を取り合っていた。
黄金色の木の葉が落ち、白い雪が舞い、木立の蕾が膨らみ暖かな春がやってきても、眞一とセルの関係は、進むことも後退することもなく、年の離れた兄弟のような親密さに終始していた。
しかし、2人が知り合って、半年が過ぎた頃からセルの表情に微かな翳りを帯びることがあった。
六年生へと進学したセルは背も数a伸び、元々伸びやかな四肢はさらにすらりとし、鼻のあたりにあった微かなそばかすも影を潜め始め、子供から思春期の少年へと少しずつ変貌を見せ始める頃だったので、眞一はその翳りにまだ気づいてはいなかった。思春期にさしかかったセルの輝きに拍車をかける変化から、あえて眞一自身が目を逸らしていたためかも知れなかったが・・・・・・・
☆
「まったかい?あ、ちょっとごめん」
セルと待ち合わせていた校内にあるカフェテリアの椅子に腰を下ろすなり、眞一の携帯にEメールの着信メロディが流れた。取り出した携帯にはスワロフスキーのクリスタルビーズで作られたストラップがつけてあり光を乱反射しながら揺れている。
おそろいなんですがよかったらと、セルが恥ずかしそうに渡した手作り品である。
編み物は冬の趣味らしく、近頃はあれやこれやと本を見ながら細かな物を作っているようだった。
いわゆる特別なお友達からのお誘いメールへの返信を打ち終わり、パチンと携帯を閉じた眞一は、丸いテラステーブルの向かい側に座り、それまで黙ってアイスティーを飲んでいたセルに視線を戻す。
屋外に設置されたテラスには気の早い初夏の日差しが木漏れ日になってセルの髪に後光のような輝きを加えている。
「相変わらず、よくメールが来るんですね。」
ほんの少し不機嫌そうな口調でセルはグラスの中のレモンスライスをストローで突っついている。「ふふ、気になるかい?」
距離の保ち方を数ヶ月かけて体得した眞一はこうしてセルのかわいいやきもちを上手に受け流すことが出来るようになってきていた。
常に心の奥で、あくまでもこの子の好意は、憧れ以上ではないのだと、自分自身に言い聞かせながら。
眞一には5歳年下の弟がおり、その弟の幼なじみであり弟の思い人でもある少年が、眞一にそんな憧れをずっと持ち続けていることを知っていた。
憧れと恋は違う。
それが証拠に、利発で美しいその少年は眞一への憧れは憧れとして、今は弟にちゃんと恋心を持っていることを眞一は知っていた。
セルの気持ちも、鈴矢くんの憧れとなんら変わらないはずだと眞一は常に言い聞かす。
たとえ、眞一の気持ちがどうであれ、憧れは憧れに過ぎない、純真な幼い憧れを踏みにじってはいけないのだと。
「別に、気になりません。それにぼくが気にしてるって言ったって、眞一さんが気にしないのを知ってますから」
大人びた口調でそう言うと、つんっと、あごを尖らせた。
「あはは・・・・・・どうしたんだ、セル?」
笑い声を上げていた眞一の眉が僅かに寄せられる。
「え?何がですか?」
問われたセルがキョトンと目を見開いて、さらに問い返した。
「そこだよ、打ったのか?内出血してるじゃないか」
Tシャツの襟元から覗く青い痕に、心配顔で眞一が指先を伸ばすと、セルは椅子を鳴らしながら、あわてて躯を後ろに引いた。
「あはは、これですね。ぼくうっかり戸棚にぶつかっちゃって」
肩をすくめ、そそっかしいんですよと笑う。その時のセルの微かな強張りに、眞一はまだ気付くことが出来なかった。
☆
「あれ?鈴矢くん、来てるのか・・・・」
ガラガラッと昔ながらの引き戸の玄関を開けると、二つ並んだ櫻綾学院の制靴。
いかにも履き込んだ大きめの靴は、弟の研二の物で、もちろんもう一つあると言うことは友人が来ているのだろうが、新学期でもあるまいし、おろしたてに見えるほどピカピカに磨かれた靴を型くずれすらさせず履いているのは、友人が多い研二とは言え、1人しか思い浮かばない。
幼なじみの鈴矢は弟の研二と同級生で昔はよく泊まり合いをお互いに家でしていたが、流石に中3にもなればそう言うことも減って、こんな遅い時間に鈴矢がまだいるのは珍しく、夕飯を済ませてきた眞一だが、玄関からそのままあがれる、自室への階段には向かわず、台所に立っていた母にただいまと言った後、居間に顔を覗かせた。
和室の座卓の脇にキチンと膝を正して鈴矢が1人で座っていた。パジャマ姿の所をみると、今夜は眞一の家に泊まるらしい。
なにか考え事でもしているのか、かわいらしい顔に神妙な色を浮かべている。
相変わらずな、美少年ぷりだな。
廊下と繋がるふすまは開いているのだが、考え事をしている鈴矢をおどろかせないように、眞一は柱に拳を二度当てノックをした。
「あ・・眞一さん。おかえりなさい。おじゃましてます」
ぴくりと身体を震わせて、廊下側に顔を向けた鈴矢は眞一をみとめると、頬を微かに染めてにっこりと微笑んだ。
「やあ、ひさしぶりだね。研二は?」
「研くんはお風呂です。僕、先にお湯もらっちゃって、ごめんなさい」
「ああ、いいんだよ。俺は外ですましちゃったし」
「お風呂をすましちゃったんですか?お外で?」
座卓のはす向かいに腰を下ろす眞一に、鈴矢が不思議そうに尋ねた。
「あ、ああ・・・・えーーと」
困ったように、一瞬言葉に詰まった後、
「ジムでさ、汗かいたから。シャワーをね。最近は、運動不足でね」
極上の笑みを浮かべながら眞一は鈴矢に言った。
もうこれは、ずっと昔からなのだが、鈴矢は眞一が微笑むと恥ずかしそうに俯いてしまうので、それ以上の追求もなく、作り話をせずにすんだ。
幼い頃、あまりの見目の良さと育ちの良さが災いし、周りのやんちゃ坊主にからかわれていた鈴矢を何度か助けた事があった。
そう、何時の世も男なんてのは馬鹿な生き物で、気になる子の気が惹きたくて、ついつい虐めてしまうものなのだ。
そんな鈴矢にとって、5歳年上でもあり、年齢以上に大人びてフェミニストな眞一は王子的存在に映った様で、ずっとあこがれの人だったのだ。
長い時を経て、子供が大人になり、憧れが恋に変わることもあれば、憧れは憧れのまま終わることもある。
今も、眞一への憧憬には変わりのない鈴矢だが、いつしか鈴矢の真摯な眼差しは、弟の研二を見つめているのを眞一は知っていた。
もちろん、研二が幼い頃から、鈴矢1人を思い続けていることも。
教えてやる気はないがな、と眞一は心の中でふふっと笑う。
たしかに、鈴矢はそのへんの女子中学生などより、うんと上品だし、最近ではかわいいを通り超して、文句なく綺麗だと思う。
男同士だのなんだという偏見も、さほど眞一にはない。
眞一自身、どちらかと言えば、女性が好きだが、気が合い、見目も好みならば、肌を合わせるのに性別などそう重要ではないように思うからだ。座卓に広げたアルバムを、パジャマ姿で楽しげに見ている鈴矢は、幼さが抜け、微かに大人びて、ほっそりとした首筋からは匂い立つような色香を漂わせ始めている。
ほんと、かわいいよな。
大事な弟の思い人でなければ、とっくに俺が口説いているんだがなと、冗談半分で小さく笑った。
いったい、何故、何年もうじうじと片思いをしているのかと、時々、一途で不器用な弟を揺さぶってやりたい衝動に駆られる。
恋なんてのは、錯覚だ。
愛してるだの、大切にしたいだのと恋をしている連中はいうが、結局、することは変わらないだろう。
抱きしめて、キスをして、ベッドに入り一つになりたい。
単なる欲求と何が違う?
何年も思い続け、ただ指を銜えて見ているだけの恋なんてものに眞一は興味などなかった。
正直、弟として研二を愛してはいるが、心底馬鹿なんじゃぁないかと思っている。
その時を、楽しめればいいじゃないか。
洒落た会話を楽しみ、お互いの気を引き合うゲーム。
強制や強姦などもってのほかだか、たとえ相手に恋人が居ようが、人妻だろうが、お互い合意の上、ベッドインするのなら、それでいいと眞一は常に思っていた。
肌を合わせ、睦言を囁き合い、極上の快楽を得るためにメイクラブをする。
もちろん、相手にも充分なサービスを怠りはしない。
ただの錯覚に、苦しんだり泣いたりするのは、研二みたいな馬鹿のすることだ。そう思っているはずなのに、ここ半年の間、それまでの信念が壊れていきそうなことに、眞一自身は怯えていた。
そんな物思いに耽り、しばらく黙り込んだ眞一に、一通りアルバムを見終わった鈴矢は、戻ってこない研二の様子を見てくるといい残して、客間を出て行った。