Crystals of snow story

ある夜の出来事

前編

【光の中で微笑んで】番外編

 

コツンっと、硬質な音がどこかでした。

真っ暗な中で、ふと目を開いた洋一は、今なぜ自分が目覚めたのか理解できないでいた。

そのまま、じっとしていると、再びコツン、コツンっと、堅い音が静まり返った静寂を破った。

なんだろう・・・・・

いぶかしく思いながらも、体を起こした洋一は月明かりの差し込む窓際に歩いていくと、コツンと音をたてて、窓硝子が僅かに揺れた。

サッとカーテンを引いて、階下を覗くと見間違えることのない人影が心細げに立ってこちらを見上げていた。

「はるか・・・・・・・?」

洋一が覗いたことに、遙は夜目も分かるほどハッキリと驚愕の表情を浮かべ、くるりと身体を反転させ、庭を横切って通りに出ていこうとした。

洋一は、慌てて、階段を下り勝手口から庭に出ると、たった今、そこにあった遙の姿を追った。

 

「まてよ」

通りに出てすぐ、洋一は遙に追いつき、荒い息のままその腕を取る。

「ご、ごめんなさい・・・・・」

俯いてしまった遙は叱責されて泣き出す寸前の幼い子供のように消沈している。

「怒ってないよ。でも、どうしたの?こんな時間に」

洋一は、小さな子供にするように、遙の華奢な身体を抱き寄せて、優しく髪を何度も撫でた。

「なんでもないの・・・・・・ごめんね。僕帰る・・・」

「なんでもなく、こんな時間に来ないだろう?ちゃんと話してごらん。でも、部屋に戻ろうか?僕は、ほら、パジャマのままだし」

軽く笑って、洋一はまだ強張ったままの遙の手を握ると、遙は小さく頷いて歩き始めた。

 

「はい。ホットミルク」

「ありがとう・・・・・」

台所でホットミルクを作ってきた洋一はベッドに座っている遙の横に並んで腰を下ろした。

「姉さんと何かあったの?」

「ううん・・・・・・でも、黙って出て来ちゃったから、怒られる?」

不安げに見上げてくる遙に、

「大丈夫、今、下で電話かけておいたから。明日の昼頃には帰るって言って置いたよ」

明らかにホッした様子で、遙は両手に持った、マグカップに唇を寄せた。

「怒らないから、何があったのか話してご覧。何か嫌なことでもあったの?」

「あのね、洋一・・・・・・・僕が嫌い?」

カップに遮られて、ほとんど聞き取れないほど小さな声で遙はいった。

「どうしたの?急に。嫌いなわけないだろ」

「洋一・・・・最近ちっとも会いに来てくれなくなった・・・・」

「それは・・・・」

確かに遙にずいぶん会いに行っていない。

この春から社会人になったことを言い訳にしてはいるが、本音は別の所にある。

遙も洋一も22歳になった。

だか遙の心はまだ14歳にしかならない・・・・・・大学に通い始め、昔と違って、親しい友人も出来てきてはいるが、洋一や里佳子に見せる表情はまだまだ幼い子供のままだった。

洋一の心の葛藤は複雑になるばかりだ。

守ってやりたいと思う。

昔の遙を愛しているのと同じように、今、なんの疑いもなく全身で信頼を寄せている遙が愛しくて可愛くて堪らない。

しかし、自分の望んでいるものを遙はまだ理解できないだろう。

洋一に来て欲しい、優しくして欲しいと望んではいても、それは洋一の望む恋愛感情ではないのだから。

会うたびに、触れるたびに、沸き上がる衝動を抑え続けることが困難になってきていた。

その上、里佳子のマンションに行けば、遙に友人から電話が掛かって来るのを間近で見ることもあった。

分かっている、友人を持つことは遙にとって、とても良いことなのだ。

なのに、洋一の心の奥で、笑いながら話している遙の手から受話器をもぎ取ってたたき切ってやりたいという衝動が沸き上がってくるのだ。

自分以外に、笑い掛けてほしくなんかない。

そんな傲慢な欲求は、今まで、心にやましい考えなど持ったことのない洋一にとって、暗澹たるここちさせることだったのだ。

ふたりっきりになるのを避けたかった、せめて遙が自分の気持ちを、本当の気持ちを受け止めれる年齢に達するまで。

あと、2年か3年か・・・・・・そうしたら告げようと思っていた。

二人で暮らそうと。

ずっと一緒にいたいと。

遙のすべてが欲しいのだと。

 

「仕事がね・・・忙しいんだ、だから・・・・・」

遙かを安心させるために、唇は偽りを紡ぐ。

「うそ・・・・・・」

「嘘じゃないよ」

「キス・・・・・・」

「え?」

「キスだって・・・・・ちっともしてくれなくなった」

確かに、以前はよくしていた。

遙が退院したときは本当に態度も表情も幼い8歳の子供で、洋一もことあるごとに、ためらいなく額やほっぺにチュッとキスをした。

いつ頃からだろう、それもできなくなったのは。

遙の反応が少しずつ変化していることに気づいたからだ。

くすぐったそうに笑っていた遙がいつ頃からか恥ずかしそうに頬を染めだしたのだ。

そんな顔を見せられたら、我慢できなくなる。

もっと、もっと触れたくなる。

まだ触れたことのない、柔らかな唇を奪いたくなってしまう。

だから・・・・・

 

「遙がイヤだと思ったんだよ。恥ずかしそうに俯いちゃうし・・・」

「イヤじゃない・・・・・洋一のキスは嫌いじゃないよ」

「なんだよ、他の人と比べてるみたいないい方だな」

からかうように聞き返した洋一に、遙はカッと頬を染めた。

「他の人のキスはいや・・・・・」

真剣な瞳がじっと洋一を捉えた。

「他の人となんか、しないだろう?遙は」

洋一の胸に不安が広がる。

昔の記憶が残ってるのだろうか?

僅かな記憶が蘇って来てるんだろうか?

「昨日、された・・・・・・・」

「え?」

「友達がふざけて・・・・、僕・・・イヤだった・・・・」

「なにされたんだ!!」

「い・・・痛いよ、洋一?」

激しい怒りが身体を襲う。華奢な細い遙の両腕を掴んで洋一は激しく前後に揺すっていた。

遙の持っていた、マグカップからミルクが僅かにこぼれ落ちる。

「ミルクが・・・・零れちゃう」

「ミルクなんかどうだっていい!何をされたんだ?何処にキスされた!?ああ、チクショウ!!」

初めて聞く洋一の罵倒に、遙はオロオロと瞳を潤ませた。

「ごめんなさい・・・・・・・・怒らないで、もう絶対にしないから・・・だから・・・」

「唇にキスされたのか?」

ずっと、ずっと、僕は触れることすらしなかったのに。

「どうされた?抱きしめられたのか?!」

過去のことは仕方ないと思ってきたし、今更消し去ることは出来ない。

いつか遙の記憶が戻っても、関係ないよと言える自信が洋一にはあった。

それでも、今は許せない。

僕以外の誰かが触れるなんて。

洋一の胸に激しい嫉妬が沸き上がる。

笑顔すら本当は独り占めしたいのだ。

触れるなんて・・・・・許せるはずなどないではないか。

「ごめんなさい。ごめんなさい。嫌わないで・・・」

泣きじゃくり始めた遙を洋一は力いっぱい抱きしめた。

「遙は僕のだ。誰にも触れさせたりしない・・・・」

もう待ってなんていられない。

早すぎるのは分かっている、でも遙が分かってくれるまで、ずっとずっと伝えていこう。

愛していることを、これからもずっと愛していくことを、こうやって何度も何度も・・・・・

抱きしめていると遙の胸の鼓動が、洋一の胸に染み込んできて、今までの躊躇いを自然に解いていく。

「僕ならキスしても良いかい?遙かの唇に・・・・・・」

「うん・・・」

涙で濡れたまま、はにかんで頷いた遙の唇をそっと啄む。

「キスだけじゃなくて、遙の全部を僕にくれる?」

「え・・・・?」

「大切にするよ。ずっと、ずっと・・・だから・・・・」

戸惑っていた遙はやけに神妙な表情そう言った洋一に、コクンと頷いて見せた。

何処まで分かっているのだろうか?過去の記憶がなくとも14と言えば漠然とした知識は持っているのだろうか・・・・・・・

洋一は沸き上がる疑問を口することなく、ただ、きつく遙を抱きしめた。

「愛してるよ、遙・・・・・・」

マグカップをそっと指からもぎはなしてサイドテーブルに置いた洋一は、ゆっくりと、遙の身体をベッドの上に押し倒した。

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10万記念だったと思うので、随分前ですね。「光の中」があまりにも暗く終わってしまったので、その後のふたりをーと沢山リクエスト頂いて、書いた作品です。で、珍しくこの後(。-_-。)ポッ・・・が(笑)

企画時は探して頂いたんですよね、隠して。今回はそのまま載せますので後編をお楽しみに♪