Crystals of snow story

Broken Heart〜小さな痛み

「純白の花衣」Suzuya's Story

( 9 )

 

史郎君がそっと、僕を残して行った非常階段にカツンっと、金属音が響いた。

ハッとした僕は腕の中に埋めていた顔をあげた。

明るい春の日差しに、一瞬、目がくらんで、目の前に立った人影はグレイのシルエット。

だけど、僕には研くんだってことがわかる。

見間違えることなんか決してない、僕の、大切な人。

だけど、研くんは・・・・・・僕じゃないもう一人の僕しか見てはくれない・・・・・・

そしてまた、繰り返してしまう。

昨日とおなじ、不毛なやりとり。

わかってないんだ。

研くんはなんにも、わかってない・・・・・・・

僕が、君の理想の鈴ちゃんなんかじゃないってこと。

「これは僕じゃない。
これはね、研くんがずっとずっと好きだった、鈴ちゃんだよ。すごく、可愛いよね」

そう、研くんの手の中で微笑んでる僕は、僕から見てもとても可憐だ。

僕の中に渦巻き巣くう、欲望の醜さ。

そんなものはかけらも感じさせない、真っ白なドレスの鈴ちゃん。

僕が、君であれたなら、僕は研くんに愛してもらうことが出来たのにね。

「研くんはずっと、その子が好きだったんだよ」

ゆっくりと、研くんから後ずさり、研くんに真実を語る僕の声が微かに震える。

時折吹く春の風に、八重桜の花びらが音もなく舞った。

もういい、これで、僕たちは終わるんだから。

 

 

「降りないのか?」

勝手口の近くに横付けされた、靖史さんの車から、降りようとしない僕に、彼は、優しく声を掛けてくれる。

僕の背中と凭れた座席のシートの間にある、暖かい腕が心地いい。

「うん・・・・そうだね、そろそろ、帰らなきゃね」

僕がそう答えると、小さく頷いた靖史さんが先にドアを開け、僕も彼に続くように、助手席のドアをあけ、後部座席に置いておいた、通学鞄に手を伸ばす。

ドアを閉め終わると、スッとのばされた腕に、肩を抱かれ、

「おやすみ、鈴」

優しいささやきと同時に暖かい唇が触れる。

ずっと、ずっと憧れていた風景がここにある。

お休みの言葉と一緒に、訪れる、優しいくちづけ・・・・・

あの頃、僕は毎日どれだけそれを望んだろう。

望んじゃいけないことだなんて知るはずもなく。

僕はどれだけ・・・・・・・・・・

小さくなって消えていく、アウディに向かって、手を振っていた僕が、勝手口の方に、くるっと向き直り、インタホンに指を載せた瞬間。

「鈴・・・・・・・」

闇の中から愛しい人の声が、僕の名を呼んだ。

ビクリと僕の身体が引きつる。

研くんに、今の靖史さんとのキスを見られてしまったことがすごく怖かった。

終わったはずなのに・・・・・・・・

ずいぶん前から裏切っているのは僕の方なのに・・・・・・・・知られたくないと、まだ、僕は、思っているんだ。

研くんの中ではいつまでも、綺麗なままでいたいと、願ってるなんて。

「なにか、僕に用事でもあったの?」

自分の浅はかさにあきれ果てた笑みをたたえながら、僕は、研くんに尋ねた。

「よ・・・・うじ?」

研くんが、かすれた声で聞き返す。

「うん。用事があったから、わざわざこんなところで待ってたんでしょ?違うの?」

「用事なんかじゃ!」

「そう?用事はないんだね?じゃ、もう遅いから、僕はこれで」

サッと顔色を変えた研くんを制するために僕は言葉を遮るように、片手をあげる。

このまま、ここにいたら、僕は心の丈をすべてぶちまけてしまいそうだから。

やっとの思いで貼り付けている冷静ぶった仮面が、今にもぽろりとはがれ落ちてしまいそう。

だから、お願い、僕をこのまま・・・・・・・

「それだけか?俺に言うことは、それだけなのかよ?!」

「今更。研くんに僕が言うことってなに?
さっき、僕が靖史さんとキスしてるところ見てたんでしょ?
研くんだって、認めてたじゃない?僕が今あの人とつき合っているんだってこと。
そうでしょ?
僕を毎日靖史さんが校門まで迎えに来てくれてるのを、僕の背中越しに黙って見てたものね」

言っちゃ駄目だ。

これ以上、もう・・・・・・・

なのに、感情がセ−ブ出来ずに、僕の唇は言葉をはき出していく。

「それで?これ以上何が聞きたいの?
彼との関係がどこまでいったかってことが聞きたいの?
僕は高2で、靖史さんは見ての通りの大人だよ。
そんなこと、聞くだけ野暮なんじゃない?
靖史さんはね、つき合ってるなら当然のことを僕にしてくれる。
研くんが決して僕にはしてくれなかったことも何もかも・・・・・・
やだな・・・・・・・なんて顔してるの?
僕が、こんなことを言うのがショックだとでも言うの?
そうだね・・・・・・研くんの大好きな鈴ちゃんは絶対にこんなこと言わないよね?キスされただけで、恥ずかしくて、何にも言えなくなっちゃうような鈴ちゃんが好きなんだものね。
いい加減、目を覚ましてよ。
研くんの好きだった、鈴ちゃんなんて、本当はどこにもいないんだ!
本当の鈴矢は、今目の前にいる、僕なんだよ。
研くんの望む、純情可憐な鈴ちゃんなんか、最初っからどこにもいやしないんだ・・・・・・・・・

僕は・・・・・・・・ちっとも、綺麗なんかじゃない・・・・
本当は研くんだってそのことをちゃあんと知ってるのに知らんぷりをしてるんだ。
だから、だから・・・・研くんは僕をちっとも本気で愛してくれはしない・・・・
研くんは僕とおままごとの恋人ごっこをしたいだけなんだ。
いつかほんとうに研くんの求める、綺麗で可愛い恋人が現れたら、僕は、すぐに研くんに捨てられちゃう・・・・・・・・僕はそんなの耐えられないよ。
だから、僕・・・・・靖史さんと・・・・・」

痛い・・・・・・・

痛い・・・・・・・

胸が痛い・・・・・・・

微妙にバランスを取りながら保ち続けていたはずの僕の心がカラカラと音を立てて壊れていく。

耐えきれなくて、僕は僕自身の腕でギュッと身体を抱いた。

「俺・・・・・・・・ずっとおまえのことが欲しかった」

「あっ・・・・・・」

不意に、研くんの腕が僕を胸の中へと引き寄せて、抱きしめた。

「俺、ずっとおまえのこと抱きたかった。
だけど、おまえに嫌われるのが怖かったんだ。
俺がこんな醜い欲望の対象におまえを見てるって、知られたくなくて・・・・
いつもいつも、俺は・・・・・・・・おまえにもっと触れていたかった」

いま・・・・・・なんて、いったの?

これは、壊れた僕の心が生み出した幻聴・・・・・・・なの?

 

貪られるような激しい口づけに、頭の芯がくらくらする。

これが、壊れてしまった心が見せた夢ならせめて醒めないで。

ベッドに倒れ込み深くなっていく口づけのなかで、もし、これが夢だとしてもどうしても、うやむやにしてはいけないことを思い出した。

そっと、手のひらで研くんの胸を押し返すと、僕の上で、厳しい顔の研くんが首を横に振った。

「ちょっとだけ待って・・・僕、すませてしまわないといけないことがあるから・・・・」

このままじゃだめ。

僕は、靖史さんに対してとても酷いことをしてる・・・・・・・

「あいつに、電話・・・・・するのか?」

電話に視線をやった僕に、研くんが尋ねる。

いい気はしないよね。

もし反対の立場だったら、僕・・・・電話なんてしてほしくないもの。

「うん。こういうことって、ちゃんとしておかないといけないとおもうんだ」

「俺は・・・・ここにいない方がいいのか?」

こっくりと、頷いた僕の瞳を研くんはしばらくじっと見つめて、何かを逡巡しているように、苦しそうに愁眉を顰めた。

「研くん・・・・・戻ってきてくれるよね?」

無言で立ち上がり部屋の外へ出行く研くんに、僕がそういうと、無理矢理作った笑顔で研くんは振り向いた。

「ドアの外で待ってるから、電話が終わったら呼んでくれな・・・」

パタンと扉が音を立てて閉じられた。

また、泣いてしまいそうだった・・・・・・

情けないほど不安で、不安で・・・・・

さっき壊れたはずの心が、またつぶれてしまいそうだったから・・・・・・・

 

 

ルルル・・・・

震える指で押したコールはたった二回で靖史さんのさわやかな声に変わった。

「鈴矢から電話もらえるなんて、うれしいよ」

優しい声が僕の名をよぶ。

彼の存在にこの2月どれだけ僕は依存していただろう。

「どうかしたのか?」

言葉を紡ぎ出せない僕に問う、心配そうな靖史さんの声。

「靖史さん・・・・・・ごめん・・・僕・・・ごめんなさい・・・」

どう説明すればいいのか、わからなくなって、僕はただ、ごめんなさいを繰り返す。

しばらく、受話器の向こう側が沈黙していたけど、帰ってきたのは、怒声でも罵声でもない、優しいいつもの声だった。

「そうか・・・・・ざんねんだけど、旅行キャンセルしておくよ」

「あ、あの・・・・・・」

あまりにもあっけない返事に僕の方が唖然とする。

「今、一緒にいるのかい?彼」

「え?・・・・・・・なんで・・・・」

「さっき、あのまま、帰るんじゃなかったな」

クスっと、電話の向こう側で、靖史さんが笑った。

「しってたの・・・・研くんが、いたこと」

「気づいてたよ。俺が鈴矢にキスしたのも見てたしね、彼」

「え・・・じゃぁ、わざと?」

「いい加減はっきり、させたかったしね、俺も。まあ、俺にとっちゃ、最悪の結果になったみたいだけどね」

そういいながらも、なお、優しい口調で、

「今夜、泊まるんだろ?せっかくだから、あれ、着てやるといい。鈴矢もわかってるだろうけど、もう、来年は着れないからな」

「あれ・・・・・・・って、ドレスのこと?」

その後は、まるで、恋愛相談のようだった。

なんだか、顔の火照るようなことまで、こまかく、教えてくれて、僕は最後は笑顔で電話を切った。

心の中で、深く、感謝と、謝罪を述べながら。

 

ねぇ、鈴ちゃん

鈴ちゃんがおっきくなったらぜったい、ぜったい似合うよね

真っ白なドレス

花嫁さんのドレス

俺みんなに自慢して歩くんだ

世界中でいっちばん鈴ちゃんが綺麗だろって

 

鏡に映った花嫁姿の自分を見つめながら、小さな頃に何度も、繰り返して言ってもらった、研くんのことばを反芻してから、ドレスの裾をひらりと翻した。

あのドアの向こうに、大好きな研くんがいる。

さあ、勇気をだして、扉をあけよう。

 

END

 

ひゃぁ〜長い間おつきあいありがとうございました。

一様これで研鈴の本編は完結です。汗汗

甘い部分は、次回の番外にて〈笑〉