Crystals of snow story

Broken Heart〜小さな痛み

「純白の花衣」Suzuya's Story

( 6 )

 


試験休み、春休みと学校のお休みが続く間に、僕が引き受けた花衣の撮影は、思っていた以上にスピーディにことが運ばれていった。

着たことはもちろんなかったけれど、スカートの膨らみを形よく整えるために何枚も生地を重ねたペチコートや、華燭の宴のライトアップで華やかに映えるための金糸や銀糸、数々のスパンコールや、ライトストーンで彩られた華やかなドレスは思っていたほどの重量があるものでもなくて、緊張して引き受けた仕事にしては案外体力的には楽なものだった。

メンタルな部分でも、人気モデルである靖史さんが、二人で一緒の撮影の時はもちろん、僕一人のショットのときでも撮影所にいてくれて、モデル業界の専門的なことなどさっぱりわからない僕とカメラマンさんの間にたってうまく意思の疎通を図ってくれた。

おかげで、最初は、明らかに素人の僕をうさんくさそうな目で見ていたいかにも頑固そうなカメラマンの常磐さんすら、最後の撮影に入る頃には、正式なモデルとしてやってみる気はないかなどと、誘ってくれたほどだったんだ。

もちろん、僕はそんな気はさらさら無いので、靖史さんがうまくそのあたりも話をつけてくれていた。

実は、冴子さんが提示してくれた多額の報酬の代わりに、花衣のプロダクツには一切帰属しない一枚のポートレイトを例のノスタルジックな衣装で撮ってほしいとわがままを言って、この仕事を受けたのだけど、冴子さんはそのことを快く承諾してくれた上に、あのドレスは僕だけのためにプレゼントしてくれると言ったのだ。

そんな破格の申し出にもかかわらず、僕は靖史さんの心配りのおかげで思いの外気軽にこの仕事を楽しんですることができたんだ。

だって、彼は仕事現場だけではなく、本社でのちょっとした打ち合わせのときにも常に僕に付き添ってくれて、矢継ぎ早に交わされる、外国語のような専門用語を僕にわかるように、説明してくれたりしたんだから。

研君との終わりがすぐそこにきている袋小路な関係に神経をすり減らしていた僕はそんな靖史さんの優しさに徐々に惹かれ始めていた。

それに彼は僕の初恋の人であり、研君のお兄さんでもある眞一さんに雰囲気がとてもよく似ていた。

 

「もちろん、下ごころがあるからさ」

どうして、こんなに親切にしてくれるの?と家まで送ってくれた車の中で訪ねた僕に、靖史さんはさわやかな笑顔を向ける。

「下心ってへんなの。靖史さん自分で言ったじゃないですか、僕はもう来年にはどう見ても男の子にしか見えないよって」

「それと下ごころは関係ないだろ?」

とまどっている僕の質問がおかしかったのか、靖史さんはハンドルに手をかけたままくすくすと声を出して笑った。

まだ肌寒い春の宵は、漆黒とはいえないまでも、薄墨色から紫黒に車窓の向こう側をしっぽりと包んでいた。

「やだな、靖史さんったら、何で、笑うの?」

「鈴ちゃんが、かわいいからさ」

すっと、靖さんの指先が僕の頬をなで上げて、いつもよりほんの少し低めの声が、息のかかるほど近くで聞こえた。

と、僕の鼓動が不規則に跳ね上がる。

「か、かわいくなんかないでしょ、だって・・・僕は・・・・」

靖史さんは知ってるくせに・・・・・僕がレンズ越しに微笑んでる鈴ちゃんとは別人だってことを・・・・

「だって、なんだい?もうじきドレスなんか似合わなくなるからかな?」

研君とすら、こんなにまじまじと至近距離で見つめ合ったことなどないのに、僕の目の前には、ほんの少しからかうような靖さんの栗色の瞳。

「まったく・・・・だれに、そんなことを言われたの?」

「だ・・・だれにって・・・靖史さんが言ったんじゃないですか」

上目使いににらみ返すと、

「僕に言われて気にする君じゃないだろ?」

はじめっから、僕の人当たりの良さは作り物だって知ってるよと言われているような気がした。
そうやって、いい子ぶってるのは君の本性じゃないだろうと・・・・

「もっと素直になった方がいい、時々、君を見てると辛くなるよ」

なのに、猫をかぶっている僕を責めることなどしない、心に染みいる深く慈愛に満ちた声。

何もかも見透かされてしまいそうな瞳と視線を合わしていられなくて、ためらいがちに睫を伏せると、ゆっくりと、暖かくて柔らかなものが、一瞬、僕の唇に触れた。

「鈴ちゃんは、鈴ちゃんだからかわいいんだよ。ドレスなんかじゃまなだけだ。大人になった君はもっともっと素敵になるんだから」

大きな手のひらに包まれた僕の頬。
再び近づいてきた靖史さんの唇は、もう一度僕に触れ、口づけは深さを増した。

暖かいキス。
僕を僕として、認めてくれる、やさしい口づけ。

だめ・・・・・と、否定の言葉を口に出して言ったはずなのに、僕はいつしか拒絶するためにのばした腕で靖史さんにしがみついてうっとりするような口づけに身を任せていた。

こんな官能的なキスは初めてだった・・・・・・

時折通りすぎる対向車のヘッドライトが閉じているはずのまぶたを赤く染め、浅ましくあがる吐息にいつしか頬を熱い涙が濡らしていた。

もう・・・・鈴ちゃんのままで、いられない。

二度と研君の元へは戻れない。

靖史さんなら僕を僕として好きになってくれるのだと思えるうれしさと、そうすることで、研君と特別な間柄ではいられなくなってしまった悲しさは僕の心の中の二律背反となって、それまで何とか張りつめて保っていた僕の心の均衡を大きく揺り動かすことになった。

春休みが明けて、高等部二年に進学した頃の僕は、ずいぶんと研君に嘘をつくのがうまくなっていった。

小さな嘘を塗り固め重ねるたびに、僕の心は堅く冷たく凍っていく。

相変わらず、何の汚れも知らない鈴ちゃんのふりをして、研君のそばにいることの反動が、靖史さんとの逢瀬でわがままへと変わる。

いままで、無理矢理自分を殻の中へ閉じこめて、踏み込もうとしなかった大人の世界へと僕をどんどん駆り立てていく。

「お酒ぐらい僕だって飲めるさ、子供扱いしないで連れて行ってよ」

「ねぇ、たばこ吸ってみたいな、ちょっとかして」

研君の前で無邪気な少年でいる反動なのか、むやみに背伸びをし、無理を言って色々な場所へつれて行ってもらった。

今夜も僕のような子供が入れるはずもない静かなバーのカウンターに並んで腰を下ろしている靖史さんの指先から、蓮っ葉な口調でたばこをかすめ取ったものの、なれない煙を吸い込んでコホコホと咽せる僕に、まったく、仕方ない子だねと言いながらも優しく背中をさすってくれる靖史さんの優しさが僕にはとても心地よかった。

彼になら違う自分を演じることも辛くなかった、背伸びをしていることを見透かされていても平気だったんだ。

そんなこともすべて包んで僕と一緒にいてくれるだから。

研君なら、きっと、僕がたばこを吸う姿を見ようものなら、真っ赤になって怒るだろう。それ以上にきっと僕の気が違ってしまったかのように心配するかもしれない。
だって、研君にとって、僕はそういった不浄のものとは無縁の世界に住んでいなきゃいけないんだもの。

その夜、何度か目の口づけを薄暗い車中で交わした後、靖史さんが僕に言ったんだ。

「鈴矢、GWに俺と旅行にいかないか?」

「え・・・・?」

広い胸に頬を寄せて、リズミカルな心臓の鼓動に耳を傾けていた僕は、とっさに返事が返せない。

「うん、ちょうど撮影の合間で休みが取れそうなんだ。学校はカレンダー通りだろうから、2泊3日ぐらいじゃ、そう遠くにはいけないけどね。沖縄にでもいかないか?もう十分泳げるしね」

提案をしながらも、靖史さんは決して僕に無理強いはしない。
はっきり言ったことはないけど、僕に意中の人がいることもそのことで僕がずっと悩んできているのを靖史さんはちゃんと知ってるから。

「今度の日曜にでもホテルとか飛行機とか取りにいかないか?そろそろ取っておかないと、GWはどこも混むからね」

二人っきりの旅行が何を示唆しているのかは僕にだって十分わかってる。
だって、靖史さんは研君とはちがって、僕がありのままの僕が好きだといってくれてるんだもの。

「・・・・いいよ」

小さな声で頷いた僕は、今にも、背反する気持ちが表に出てきて、やっぱり僕には無理だよ、ごめんなさい!と言いそうで、嘘つきな唇をふさぐために、靖史さんの頭を引き寄せた。

いいよと言った言葉が嘘なのか、だめだと言いかけた言葉が嘘なのか、その後一晩寝ずに考えても僕は自分の心にちゃんとした答えを出すことができなかった・・・・・・・・・

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