Crystals of snow story
純白の花衣
もう一度だけ、ささやいて第二部
( 1 )
ピィイイイイイ〜!
抜けるような初夏の青空の下、ホイッスルは高らかに鳴り響いた。
ばらばらと、グランドのセンターに集まった俺達は、勝敗に拘ることすら忘れ、互いの好プレーをたたえ合い、いつかまた同じグランドに立とうと熱く誓い抱きしめあった。
本当に良い試合だった。
技術的には、まだまだ未熟ではあるものの、悪質な駆け引きを良しとはしない正義感が、大人のプレーには見られない、清涼感を見る者に与えたとのちに滅多に誉めることしないコーチがにこやかに言ってくれたのだから。
けれど肝心な結果はと言うと、櫻綾の負けだった。
最後の最後まで、熱い戦いを繰り広げたものの、サッカーの名門である、白峰中学にはあと一歩及ばず、一点差での敗退だったのだ。
しかし、誰も、不満などなかっただろう。
出せる力はすべて出し切った。
サッカー推薦で選りすぐりの選手が入る白峰とは選手も練習も土壌自体が違うのだ、ここまで食いついていけたことが何より嬉しかった・・・・・・・・
そう。にぎやかにメンバーと歓談しながら自分たちの控えの場所に戻ってくるその時まで、俺は浮かれたように昂揚した気分だった。
俺の瞳がコート脇に立つ鈴の姿を映す、その瞬間まで。
俺は大バカだ・・・・・・・間抜けだ、あほうだ。
あれほどこの一週間というもの、俺の心を占めていたあの約束をすっかり失念していたんだから。
「しまった・・・・・・・・・やっちまったよ」
それまでの喜びが一気に下降線をたどって降りていく。
『この間の誕生日・・僕・・・研くんに何もあげられなかったから。
試合に勝ったらご褒美あげるよ。
お金で買えない大事なものを・・・研くんが欲しければだけど・・・』
鈴は1週間前、俺にそう言ってくれたんだ。
鈴だって、おいそれと俺達が白峰に勝なんて思ってはいなかっただろう。だから、それはあくまでも勝てるように頑張ってねと言う、鈴のエールだったはずなんだ。
勝敗には関係なく、頑張ったらご褒美をくれると言う約束のはずだった・・・・・・・・・
約束の是非よりも、鈴『が』俺『に』そう言ってくれたと言うことが、桜色に頬を染め、並大抵ではないであろう決心をしてくれたことが何より嬉しかったし、俺はそのためにも〈実行して欲しいってことじゃく、いや、もちろんそうしたいんだけど・・・・じゃなくて!きっと死ぬほど恥ずかしかっただろう鈴のために〉あらん限りの実力をだしきったんだ。
なのに俺は・・・・・・負けたことを悔しがりもせず、よろこんじまってた。
ああ、俺ってなんてバカなんだ・・・・・・・・
おそるおそる、鈴に視線を戻すと、みんなにいつものように冷たいおしぼりを配りながら、満面に笑みを浮かべて、まけちゃったよ〜と、泣きまねをしておどけている孝太郎にとっても良い試合だったじゃないと、労いの言葉をかけていた。
カクンと膝の力が抜ける音がした。
なんだ・・・・・・・
鈴の奴も喜んでるじゃん・・・・・・・
いつもと変わらない鈴の様子に、一抹の寂しさを感じたものの、俺は内心ホッと溜息をついた。
この安堵感はなんだろう。
そうなりたいそうなりたいと、いつも思ってたはずなのに、約束が遂行されないことに俺は安堵しているのかな。
ずっとずっと、手に入れたいと願い続けていた鈴の心を手に入れることが出来て、まだ幾日も経っていない。
だから、俺は不甲斐なくもそれ以上先に進むことを恐れているのかもしれない。
第一、俺にはそんな経験なんかないし、実際の所、何をどうすればいいのかなんて分からないんだから・・・・・・・・・
あんがい、鈴の言ってた、大事なものって・・・・・・子供の頃の宝物とかそんなのだったのかもしれないな。
両想いを確認してからと言うもの、そっちにばかり思考が行ってしまう己を笑った。
そうさ、鈴だって、まだそこまで関係を進めようなんて思うはずないよな。
俺達、まだ中学生だし・・・・・・・・
焦る必要なんかないじゃんか。
にこやかに鈴が皆におしぼりを配り終えると、いつものごとく最後に俺の所にやってきた。
鈴の中でも最大限に魅力的な笑顔に、体力を使い果たして軽いトランス状態に陥っている俺はいつも以上にクラクラする。
「お疲れさま、研くん。良い試合だったよ」
「ああ、ありがとう。でも、まけちまった」
笑顔につられて、俺もニカッっと笑い返した。
笑い返した途端、笑顔のまま鈴の瞳がキラリと光ったような気がした。
「そうだね。試合の勝ち負けなんて、研くんにとっては、どぉってことないよね」
研くんにとっては、ってとこがやけに強調されてるような気がするんだけどな・・・・
サッと、笑顔を消してしまった鈴はくるりと踵を返すと、白いスケルトンの籠におしぼりの回収を始めた。
やばっ!!!!やっぱり怒ってるじゃん。
「怒んなよ・・・」
情けない声で、鈴の背中に話しかける。
「怒るわけないでしょ。なにいってるの」
「そーいうのを怒ってるって言うんだろ」
薄い肩をそびやかせて、鈴は背中を向けたままだ。
なんだか雲行きが怪しいぞと感じ始めたチームメイトは触らぬ何とかにたたりなしとばかりに、そそくさと鈴の籠におしぼりを入れていく。
すべて回収し終わって、足早に部室に向かう鈴のあとを俺は慌てて、ついていく、浅野たちのからかうような視線は自覚してはいたが、この際気になんてしていられない。
「鈴・・・・・・・なぁ・」
我ながら情けない声が出る・・・・・俺って完璧に尻に敷かれてるよな。
部室横の洗濯機におしぼりと、洗剤を入れ、スイッチを入れた鈴は黙ったまま部室の中に入ってしまった。
パタンと目の前で部室の扉が閉まる。
慌てて、俺も中に入ったら、鈴が机に突っ伏して肩を振るわせていた。
「鈴・・・・・・・・」
そっと、肩に手を載せたら、
「イヤ!!!見ないで!」
きつい拒絶の言葉が返ってきた。
「悪かったよ。俺が約束守れなっかったからおこってんだよな?でも、俺一生懸命・・・・・・・」
「わかってる!わかってるから出ていって!!!」
わからなかった、どうしてここまで鈴が荒れるのか。白峰に勝可能性がほとんどないことなど、鈴にもわかっていたはずなのに・・・・・・・
「わかってるって・・・・俺わかんねぇよ。なぁ、鈴どうしたんだかちゃんと言ってくれよ、頼むから」
無理矢理腕を引っ張って顔を上げさせると、鈴は涙に濡れた顔を俺から思いっきり背けた。唇を悔しそうに噛みしめながら。
堪らなくなって、俺は鈴をぐいっと抱き寄せて胸の中に抱き込んだ。
「泣かないでくれよ・・・・・俺どうしたらいいのか、わかんねぇ・・・」
泣かせたくなんかないのに。
守ってやるって、誓ったはずなのに、俺は鈴にこんなにも悲しげな顔をさせちまった。
「放してよ!」
抱きしめた腕の中で、鈴が闇雲に暴れ出す。
「放さねぇよ!ちゃんと話してくれよ」
どんなにあらがっても逃さぬくらいきつくきつく抱きしめると、鈴はやっと大人しくなった『研くんなんか、研くんなんか、だいっきらい・・・』と何度もなきじゃくる、鈴を俺はどうすればいいのかわからずに、ただじっと抱きしめていた。
「ごめん・・・・放して」
10分ほど経ったろうか。鈴が落ち着いた声で言った。
「鈴・・・・?なぁ」
「わかったから、もういいの。僕が間違ってた。ごめんなさい」
少し緩んだ腕からするりと身体を抜いた鈴は、真っ赤に泣きはらした目を俺から逸らして微笑んだ。悲しそうな笑顔で。
「す・・」
ピーピーピーッ
気まずい空間に微かな電子音が響く。
「洗濯終了!僕おしぼり干してくるね。ごめんなさい、みんな、早く着替えたいでしょ。ごめんね」
扉を開け放った鈴は、少し離れたところでたむろしている部員達に大声で謝っている。
外にでる鈴とは入れ替わりに、ドタドタと部員達が流れ込んできた。
とたんに廻りを取り囲まれる。
「東森先輩!なに鈴先輩を泣かしてんですか!今度こそマジで貰っちゃいますよ」
不機嫌そうな顔で光輝が俺に詰め寄る。
俺だって、泣かしたくて泣かしてるんじゃねぇよ、バーカ!
「珍しいよね、鈴ちゃんがあんなに感情を表に出すなんて、なにしたのさ、東森くん?」
心配そうに部室の窓からおしぼりを干している鈴を覗いてから孝太郎が俺を振り返った。
「たしかにな、鈴矢は、お前みたいに感情丸出しのお天気小僧とは違うからな」
フンと鼻で笑った史郎に、
「何だよ〜、今僕のこと話してる訳じゃないだろ!」
はいはい、今、お前達の痴話喧嘩を始めないでくれよ、俺、今脳内錯乱状態なんだから。
なんだかんだ、俺を叱責するきゃつらを後目に、とっとと着替えを済ませた俺は、鈴の鞄も持って表にでた。
ちょうど鈴も干し終わったところで、籠を洗濯機の横のスペースにしまっている。
「もう帰れるの?」
鈴が普段通りに俺を見上げる。僅かに赤みの残った目元ににっこりと笑顔さえ浮かべて。
「お、おう」
何をどう切り出したらいいのかわからずに、俺は鈴を伴って家路についた。
さっきの事など何もなかったように振る舞う鈴に、何も言えないまま俺達は別れてしまった。
その日以来、二人の間に暗黙の禁忌が出来てしまった。
ふれあうのは優しいキスまで。
それまでの関係は変わらない、恋人であることに変わりはない、だけど、それ以上のことは口にするのもタブーだと。
これ以上ない雰囲気の時に俺がなにげに匂わしても、鈴はやんわりと、ごまかしてしまう。
それは2年たった今も変わらない。
俺達はプラトニックのまま、高校2年の春を迎えた。