かわいい恋人

前編

恋人シリーズ・澪&雅之


「おはようございます真壁さん、検温の時間ですぅ」

にこやかに、白衣の天使がドアを開けて入ってきたけれど、午後を少し過ぎたばかりだと言うのに検温なら今朝からもう5回はしているような気がする・・・・・

「また・・・・ですか?」

枕を立てベッドの背もたれにして座っていた僕の膝から、ノートパソコンを取り上げた看護婦さんは、にっこりと笑いながら、ええ、そうですよとにこにこしながら僕に電子体温計を渡した。

「熱は全然ないんですが・・・・・」

おととい、飛び出してきたネコに驚いたトラックが大きく反対車線に飛び出してきたために交通事故に巻き込まれた僕は、奇跡的な外傷の軽さを侮ってはいけないと、一週間の検査入院を言い渡されて、ここにいるのだけれど、ほんの少し、割れたフロントガラスで額や頬や腕を切ったほかは、身体の節々が痛む程度の打撲しかなく、熱なんか頻繁に計る必要もないはずなのだが。

なぜか、今日はこうして何度も看護婦さんが検温に訪れるのだ。

「真壁さん、交通事故を甘く見てませんかぁ?案外数日たってから、熱が出たり、体の不調が出てきたりするんですよぉ。
検温ちゃんとしてくださいねぇ〜」

看護学校を出てすぐくらいだろうか?
女子高生のように少し語尾をのばして彼女は楽しそうに体温計を挟むために開いた僕の胸元をのぞき込んだ。

なにも・・・・・そうジロジロ見なくても良いような気がするのだけど・・・・何かと様子を見に来てくれる看護婦さんが多くて親切な病院だとは思うが、今朝からやけに注視されているような気がするんだが、僕の気のせいだろうか?

ニコニコと彼女が立っている背中越しにコンコンと開いているドアをノックしながら、担当医の大橋先生が現れた。

「検温ですか?真壁さん。木ノ下さん、真壁さんの方はもう良いから、407号室のお婆ちゃんのガーゼ交換に行ってあげないと」

「はぁ〜い」

ペロッと舌を出しながら、大橋先生に肩をすくめて見せた、看護婦さんはもう一度僕の方を振り返って、ニコっと笑うと、足早に病室から出ていってしまった。

彼女の後ろ姿を見送っているとすぐ側で小さな咳払いが聞こえた。

「すみませんね。昨日から、ナースセンターが真壁さんの話題で持ちきりなんですよ。ナースたち浮き足立っちゃって、みんな真相が聞きたくてどうやらうずうずしてるらしいんですよ」

くすくすと笑いながらも器用に手先を動かして、大橋先生は僕の額のガーゼを取り、処置を施していく。

「真相・・・・?なにのですか?」

「綺麗にふさがってきていますね、これだとほとんど傷跡も残らないでしょう。折角の美貌に傷を残したら申し訳ないですからね。あの、可愛い恋人に泣かれてしまうでしょうからね」

医者らしからぬ軽い感じのする大橋先生はフフッと片目をつぶって見せた。

南里大学病院と言えば、日本でも屈指の病院の一つなのに、スタッフは個性的な人が多いものだ。

「かわいい恋人・・?」

僕が、小首を傾げているところに、コンコンっと控えめなノックの音。

「失礼します」

はにかむようにドアから顔を覗かせたのは見覚えの無い小柄な青年だ。

「あ、大橋先生・・・・治療中なら、僕は出直しましょうか?」

「良いですよ、南里さん、昨日も結局ここに入れずに出直したんでしょう?その話題でナースセンター持ちきりですよ。看護婦たちそわそわしちゃって大変なんですからね」

ニマニマと笑う大橋先生に書類を手に持った南里とよばれた青年はサッと赤く頬を染めて僕の方をチラチラと伺いみている。

白衣を着ていないが病院と同じ名前と言うことは経営者の子息か何かだろうか?

「もう・・・・大橋先生は人がわるいなぁ・・・・どうせあること無いこと彼女たちに吹き込んだんでしょう」

「いやぁ、俺はべつにぃ〜。ただ、夕べ消灯間際に、南里さんが真っ赤な顔をして、この部屋から出てくるのを見ただけですから。たまたまそのとき、中に誰がいたのか、彼女たちに説明しなかっただけですよ」

大橋先生は青年にニマっと笑って見せた後、もう一度僕を振り向いてウインクをした。

「さて、消毒も終わったしお大事にね、真壁さん。
それから、南里さん、澪先生には何もいってないから安心して下さいね。
まぁ、噂って案外早くに大学の方にも伝わりますけどね」

「ちょ、ちょっと、大橋先生〜、それはないんじゃないですか・・・」

ひらひらと、手を振って出ていく大橋先生の背中に小さく叫んだ青年はドアがパタンと閉まると同時に盛大なため息をこぼした。

「もう。すぐに僕で遊ぼうとするんだから・・・・・
あ、すみません真壁さん、僕は経理担当の南里と言います。
交通事故証明書と、こちらにの書類なんですがサインお願い出来ますか?今日中に提出しないといけないので」

困った顔で、苦笑しながらクリップボードの上の書類を僕にわたし、腕は痛まないかと親切に聞いた。

「何か、僕が原因で、困ったことになってるんですか?」

なんだか知らない間に彼の元凶になっているらしい僕は、ボールペンで名前やら生年月日を書類に書き込みながら、尋ねてみた。

彼が困っているのも、看護婦さんが朝から何度も僕を伺い見に来るのもどうやら、根底にある理由は一緒らしい。

「あ・・・・い、いえ・・・・僕が、いけないんです。夕べ、つい、慌てちゃって・・・」

またしても、まだどこか丸みの残る滑らかな頬を朱に染めて、彼は口元に手を押しあてながら口ごもる。

「夕べ、一度きてくださったとか、言ってまし・・・・・」

畳みかけるようにもう一度尋ねながら、僕の方も・・・・・はっっと、口をつぐんだ。

「あ、もしかして、あのときに?」

参ったなと、僕が照れ笑いをすると、彼もホッとしたように、小さく笑った。

「すみません、個室だとみなさん恋人がいらっしゃることも多いから、結構ああいう場面に遭遇することもあるんですけど。
僕、いい年して巧く対処できなくて、いつも動転しちゃうんですよね・・・・
普段ならどうってこともないんですが、真壁さん、ナースたちに凄く人気があるから、僕が赤い顔して僕が出てきたのを見られちゃって、なんだか、夕べから湾曲した噂になっちゃったみたいで・・・・」

昨日、僕の事故を知って慌てて駆けつけてきてくれた正臣が消灯まで側にいてくれたのだが、急ぎの書類を持ってきてくれた南里さんはちょうど、お休みのキスをしているところに遭遇してしまったんだろう。

僕と正臣はいろいろとあった後だけに、端から見れば、お休みのキスって言う感じではなかったからだろうけれど・・・

「それは、申し訳ない・・・・でも、本当のことをいってくれればよかったのに。あなたの恋人も噂を聞けば心配になるだろうし」

「そんな!患者さんのプライバシーを言いふらすなんて出来ません。
大橋先生もそこの所はわきまえて・・・・・るんだと、思います。からかい半分もあるんでしょうけどね」

さっきまでの優しげな風体とは180度違うほどきっぱりと言葉を返した彼は最後にまた、困ったように笑って見せた。

優しそうで、癖のない綺麗な顔立ちの青年だけど、芯は思いの外しっかりしているだろう。
まぁ、これだけの屋台骨を背負っていく経営者の跡取りなら、そのぐらいしっかりしていないと無理だろうけれど。

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