「あ、それから、会社から岩城って人が来てると思うんだけど、その人に俺は帰ったからって伝えて貰えませんか?俺の義兄なんです」
きっと姉貴のことだから岩城さんに俺を乗せて帰ってくるように言っておいたんだろうし。
「待ってよ、正臣くん!どうして帰るなんて言うんだよ?!光一朗に会っていってやってよ」
慌てて、紳司さんが俺の腕を掴んだ。まっすぐに見つめる真剣な表情が本気で俺を引き留めてるんだってわかる。
心が素直に表情に表れるタイプなんだろう。素直で表裏のない人なんだろうなってことが今さっきあったばっかりの俺にもわかるんだから。
天の邪鬼で、素直に感情を表せない俺なんかよりずっと、ずっと素敵な人だ。
俺に顔立ちや雰囲気は確かに似てるけど、俺よりずっとまっすぐで俺よりずっとかわいいや、この人は。
なんで、こんななんの取り柄もない俺なんだろうってずっとおもってた。
本音を言えば、紳司さんにしても写真を見たとき俺に似てるってことはショックだったけど、俺が十人並みでどこにでもゴロゴロしてるタイプっていうんなら、俺にそっくりな紳司さんだって、決して光一朗に釣り合うような美少年ってわけじゃない。
だから、光一朗が選んだ相手がなんで、こんなふつうっぽい人なんだろうって心の中ではずっと、不思議におもってたんだ。
だけど、取り立てて美形じゃなくても、なんとなく、今目の前にいるこの人なら、光一朗が好きになったのがわかるような気がした。
「光一朗から聞いてるんでだろ?俺が紳司さんの身代わりだったってこと」
つい、本音が迸って、敬語を使うことも忘れて再び話し出した俺を、怒るでもなく、紳司さんは、言いよどみながらも俺の問いを肯定した。
「そのことか・・・・うん。確かに最初はそうだったって聞いてるよ。だけど、今は違う。そうだろう?」
「今は違うって、どういう意味だよ?紳司さんと光一朗はその・・・・」
「正臣くん、俺がここにいるからって、変に勘ぐらないでおくれよね。俺と光一朗は親友なんだよ。
たしかに、昔、遠い昔に俺はその領域を越えたいって思ったことはある。それを俺は否定しない。
それに、俺によく似た人に恋をしたって光一朗から聞かされたときは正直言ってほんの少し胸が痛かったよ。
俺はそんな風に光一朗が思ってくれていたなんて、全然しらなかったんだから。
ずっと叶うことのない片思いをしてたんだって、長い間思いこんでいたんだ。
だから、ほんの少しだけ、思ったよ。なんで、あの時ちゃんと言葉にして伝えなかったんだろうって。なんで、あの時俺たちはあの手を離してしまったんだうって、ほんとに、ほんの少しだけね」
ぐいっと俺を掴んでいる紳司さんの指に力がこもる。
その時放してしまった、光一朗の腕を取り戻すかのように。
「だったら、今からやり直せば良いじゃないか!
お互いの気持ちが10年って月日を越えてやっと分かり合えたんだろう?」
自分で吐き出した言葉の凶器が俺の胸をザクザクと斬りつける。
目に見えない赤い血が傷口からあふれ出して、こうやって立っているのが辛いほどだ。
「現実はね、そうそう、おとぎ話のようにはいかないんだよ。
俺の上にも光一朗の上にも10年って、とんでも長い時間が流れて、俺はもうあの時の俺じゃないし、光一朗だってあの時の光一朗じゃない。
俺には守るべき大切な家族があるし、光一朗には君がいる。
そのことを俺は後悔してないし、光一朗だってそうだと思うよ」
「家族?家族って・・・・・し、紳司さん結婚してるの?」
言われてみれば、俺を掴んでる左手の薬指にプラチナの細い指輪が光っている。
「うん。札幌に妻ともうじき一歳になる娘が一人いるんだ。さっき電話してた相手が俺の奥さん。
この間、光一朗があっちに来たときに紹介したんだ。
真理恵の奴、光一朗に紹介した途端、中学生みたいにぼーっとするんだから、まいちゃったよ」
さすがに、俺の初恋の相手とは言えなかったけどと紳司さんは爽やかな笑顔で笑った。
「だけど・・だけど・・・俺・・・」
この人になら、光一朗を渡してもいいって・・・・・・・・
やっとあきらめがつくって、どこかで納得しようと思っていたのに、突然の話の展開に俺はついていけない。
どうしたらいい?
このままじゃ俺・・・・・
「昨夜さ・・・意識が混沌としてるとき、光一朗、俺のことが正臣くんに見えたんだろうな、俺の方に手を伸ばしながら、ほんとにあれが光一朗かってぐらいに頼りなげに微笑んで『正臣、ごめん。正臣、ごめん』って何度も言うんだ・・・・・・・・・・
光一朗って飄々としてるようで結構プライドも高いからあんな風に謝る姿なんて俺みたことなくて、だから、あんまり光一朗が不憫で、君のふりして『もう怒ってないから、安心しろよな』って光一朗の手を握ってやった。
それでも何回も何回も『正臣、ごめん・・・』って・・・・・
君と何かあったんだろうなっていうのは一昨日の会議で半月ぶりに会った光一朗の消沈ぶりでわかってはいたけど、ほんの半月ほど前はあんなにも、君の話を嬉しそうに俺にのろけてくれてたのにって思ったら、俺、光一朗が可哀想で・・・・・・
どういう、いきさつで、君と光一朗が揉めちゃたのか俺は聞いてないけど、光一朗の雰囲気から察すると、俺が原因なんだよね?
確かに好きになった相手に、実は昔好きになった相手に似てるから好きになったなんて言われて、正臣くんがいい気持ちじゃないってことは俺にもわかる。
ましてや、仕事とはいえ、俺と光一朗がこんな形で再会したりその後も会ってたら、君が怒って光一朗と喧嘩するのだって気持ちは良く分かるよ。
だけど、今、光一朗の中にいるのは誰でもない、正臣くん、君だけなんだよ」
「信じらんないよ、そんなこと・・・・」
信じたいよ・・・・・
今、紳司さんが言ったことが本当だって・・・・
だけど、だけど・・・・・・・
「行こう、正臣くん。
光一朗、君が来てくれるのを待ってるから。言葉にしないけど、さっきだって、面会が会社の人だとわかったときの落胆した顔、君に見せてやりたいくらいだよ」
「紳司さん、俺・・・」
縋るように見つめた紳司さんは、本当に心からの気持ちをこめて俺を見つめ返した。
「正臣くんは間違わないでおくれよね。
つまらない意地で光一朗の手を離しちゃいけないよ。
ほんとうは、年上の光一朗がちゃんと君の手を握っていなくちゃいけないんだけど、なんていうか・・・・光一朗はあんなだからね」
紳司さんは、君ならわかるよねと、クスリと苦笑をもらす。
紳司さんに連れられて、向かった光一朗の病室には4人ばかりスーツ姿の男の人がいて、その中の一人である義兄が俺の姿を認めると、ニヤリと笑いながら、他の三人を追い出すように部屋から出ていった。
すれ違いざまに、下の喫茶室にいるから、ゆっくりしておいでと俺の肩を叩きながら、紳司さんにも『今度ゆっくり呑もうぜ』と声を掛けていった。
真っ白な部屋の中、窮屈そうな小さなベッドの中に、俺の大好きな光一朗が座って俺をじっと見つめていた。
割れたフロントガラスで切ったんだろう、所々に張られた絆創膏が痛々しい。
それでも、俺を見つめる薄茶の瞳は翳りもなく、優しい微笑みを浮かべている。
俺の真横に紳司さんがいるのに、光一朗が見つめているのは、俺だけ。
光一朗の綺麗な琥珀色の瞳に映っているのは俺だけだった。
それだけで、今までのわだかまりも、誤解も嫉妬もすべて溶けてながれていく。
もう、二度と光一朗が見つめているのは俺じゃなくて紳司さんの影だなんて思わなくて良いんだよな?
今、こうやって紳司さんが横にいても、俺だけを見つめてくれているんだから・・・・・・・
「もう、何、お見合いしてるんだよ、二人とも・・・・・
光一朗は正臣くんに言うことがあるんだろ!」
見つめ合う、二人の静寂を呆れたような声音で紳司さんが破る。
その声に促されるように、光一朗が紳司さんに視線をやってから、またすぐに俺に戻すと、僅かに顔を赤らめながら口ごもりながら何かを呟いた。
「ほら、正臣くん。大きな声ではいえないらしいから、側に行ってあげてよ。まったく大きな図体してるくせに、相変わらず光一朗は手がかかるんだから。後は、君に任せたからね」
紳司さんの手で俺の背中がゆっくりと、部屋の中央の押し出され、ベッドから延ばされた光一朗の腕に捕まえられるのと、病室のドアがパタンとしまったのはほとんど同時で・・・・
「正臣・・・・ごめん・・・・・」
染みいるような光一朗と声に、言葉も無く頷いた俺の視界はいっぺんにぼやけた。
ごめん・・・・・
うわごとの中で何度も言ったという。謝罪の言葉。
きっと、きっと、光一朗も俺と同じくらい苦しんで・・・・・
俺と同じくらい寂しかったんだよな?
だから、俺もごめんって言おう。
疑ってごめんって・・・・・
信じられなくて、ごめんって・・・・・・
俺は言葉を紡ぐために、唇を動かした。
「ば・・ばか・・・・俺がどれだけびっくりしたかわかってんのかよ」
ところが、相変わらず俺の口から出る言葉といったら・・・・・
「だいたい、なにボーっとしてたんだよ。突っ込んで来た車ぐらい避けろよな」
ああ、もう、俺のバカ・・・・・・
「ごめん・・正臣・・びっくりさせて悪かったね」
「し、死んじまえばよかったんだ・・・光一朗のバカ・・・」
「ごめん・・・ごめん・・・」
相変わらずの俺の暴言に、光一朗もいつもの感じで、笑い出した。
「光一朗のばか・・やろ・・・」
真っ白な病室の中で、しっかりと光一朗の胸に抱きしめられた俺の力無い罵倒は光一朗の柔らかな唇と舌に全部絡め取られて無くなってしまった。
何度も何度も重ねられる暖かな唇はほんの少し消毒液の薫りがした。
☆★☆
その日の夕方、岩城さんに家まで送ってもらった俺は、その足で類さんの家に向かった。
向かうって言ったって、斜め前なんだから、くるりと向きを変えただけなんだけど。
インターホンを鳴らした俺を玄関で出迎えた瞬間に、類さんは呆れたようにはははっと声をあげて笑ったんだ。
「え?なに?俺の顔になんかついてる?」
光一朗の絆創膏でもくっついてんのかな?
あわてて、ごしごしと顔を服の袖で拭っていると、
「嶋村正臣。たったいま、恋人、真壁光一朗と復縁してきました!って書いてあるよ」
「ええ〜???」
飛び上がるほど驚いた俺に、
「まあ、立ち話もなんだから、お茶でもいれるよ。
ゆっくりどうなったのか聞きたいしね。
しかし、残念だったぁ・・・・こんなことなら、聖人ぶってないで、さっさと、美味しくいただいとけばよかった」
来客用のスリッパをラックから下ろして俺の方差し出しながら、類さんは意味ありげにふふんっと笑った。
あっけらかんとそんなことを蒸し返す類さんに俺もつい、つられて、
「だから、あのとき、類さんがしたいなら良いよっていったじゃんか」
と言葉を返し、今からでも良いのかと?笑う類さんとじゃれ合いながら奥にある、キッチンに向かった。
光一朗には類さんとそんなことになりそうだったなんてことは内緒にしとこうと、深く心に誓いながら。
END
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