恋人シリーズ

***想い出の恋人***

[7]

真っ白だった。
頭の中も心の中も。

車窓の外に晩秋の町並みが流れて行っても、運転手さんがなにか世間話を話しかけてきても、なんだか、それが全部夢の中の出来事のように現実味を帯びずに世界のすべてのものが俺の廻りに漂っているだけだった。

まるで幽体離脱でもしているかのように、客観的に眺め下ろした俺は、何事も無かったかのように機械的にテキパキと病院の場所をメモを見せて指示し、タクシーは迷うこともなく、南里大学病院の総合エントランスに横付けされた。

タクシーから降り立ったそこは見上げるほど大きな病院だった。

その大きさに、俺の足は竦む。

タクシーから降りて、1分も経っていないのに、けたたましいサイレンを鳴らし、赤いランプを点滅させながら救急車が緊急用の出入り口に入って行った。

担架で搬送される人影と光一朗が重なって、俺の心拍数は一気の高まっていく。

なんで・・・事故なんか・・・・・

実際には病院は今目の前に建つ二棟だけで、向こうの方に見える建物は大学らしいけど、その時の俺はそこまで頭が回らない。
病院の前には大きな駐車場があり、タクシー乗り場のロータリーまであって何台ものタクシーが病院からでてくる利用客を待っている。

俺を乗せてきたタクシーも数台並んでいる列の最後尾に止まったみたいだ。

ともかく病院の大きさに圧倒されながら、俺は2重になっている、でかい自動ドアを通り抜け中にはいった。

受付は一般診療とか初診とか、書かれたプレートでいくつものコーナーに別れていて、俺はどこに行って良いのかがわからずに、キョロキョロと見回してたが、やっぱりどこで聞けばいいのかがわからない。

入院受付って書いてあるのも見つけたけど、今から入院する人が手続きをするところらしくて、大きなボストンバックを提げた男の人が事務のお姉さんに教えて貰いながら、書類に文字を書き込んでいた。

ともかく、びょ・・・病室、捜さなきゃ・・・・・

気温は随分低いのに、いくら拭っても額ににじみ出る、イヤな汗を拳でぐいっと拭いながら、俺は受付の左側にちまちまと並ぶ緑色の公衆電話に向かった。
姉さんに訊けば、きっと光一朗の病室番号を知ってるだろうと思ったからだ。

岩城さんが先に来てるって確か言ってたよな。

5台並んでいる電話機は真ん中の電話を使ってる人がいるだけで、他は誰も並んでいなかった。

ペースメーカーに悪影響を及ぼすから病院内は携帯禁止らしいけど、たいていの人は、わざわざ公衆電話に掛けにくるより、ちょっと表にでてでも携帯を使う人が今はきっと多いんだろう。

開いている左側の受話器を取って、ポケットから取りだした100円玉をほおりこんだ。
公衆電話から携帯にかけるのに10円玉を入れたんじゃろくに話もできないくらい10円玉を入れつづけなきゃからだ。

うろ覚えの姉貴の携帯番号を思い出しながら、ピ・ポ・パっと数字を押していると、真ん中の電話で話していた男の人の言葉が耳にダイレクトに入ってきた。

「そう、まだ病院なんだ。光一朗の意識がハッキリするまでもうちょっと、こっちにいるから」

光一朗?
今、光一朗って言ったよな?

受話器を耳に当てたまま、身体を右側に捻ると、ほっそりとした青年がまだ何か電話機に向かって話し続けていた。

カチャンと受話器を下ろすと、青年は俺の視線に気が付いたのかいぶかしげにこっちに振り向く。
受付の照明に照らされて青年の顔がハッキリと見えた途端俺は思わず息を呑んだ。

紳司さんだ・・・・・・・・

な、なんで、ここにいるんだよ。

「もしかして、正臣くん?」

いぶかしげだった表情が、ホッと力を抜くように微笑むと、目の前の人は俺の名前を呟いた。

「なんで、俺の名前なんか・・・」

「やっぱり、正臣くんだ。光一朗から色々訊いてるよ。見舞いに来てくれたんだね?事故だなんてきいて、びっくりしただろう?」

嫌味にさえ取れるセリフなのに、俺とよく似たこの人は、俺にはない柔和な優しさを暖かな微笑みに変えて、さあ行こうと、俺の肩に腕を廻す。

紳司さんに促されるままに、病院の奥に向かって歩いては行ったものの、ここに俺のいる場所なんて無いんだってことを痛いほど感じていた。

『見舞いにい来てくれたんだね』
『光一朗から色々聞いてるよ』

紳司さんが放った言葉のひとつひとつが俺に俺がもう部外者だってことを思い知らしめる。

「こ、光一朗は酷いの?」

足を止めて、さほど身長の変わらない紳司さんに尋ねた。

「え?ああ、車はね、もう乗れないほど酷いらしいんだけど、悪運強いのかな、光一朗はかすり傷程度なんだ」

おかしそうに笑って、紳司さんは続ける。

「居眠り運転の対向車が正面から突っ込んで来たらしいんだけど、エアバックっていうやつ?あれが働いて、助かったらしい。
だけど、衝撃で結構頭を打ったらしくてね、脳しんとうを起こして意識がハッキリしなかったこともあって、検査をしてるんだ」

「い、今も意識がないんだろ?」

さっき、電話でそう言ってたじゃないか?

「光一朗?ううん。昨夜駆けつけたときは確かに意識が混迷してたみたいだけど、もう本人はピンピンしてるよ。なんか首とかはちょっと痛いらしいけどね。たいしたことはないから心配しなくていいよ」

昨夜駆けつけた?社に連絡が入ったのは今朝だったって・・・・・
紳司さんにはじゃぁ直接連絡がいったんだ・・・

俺が驚いたような顔をした所為か、紳司さんも困ったような顔で、

「なんかね、救急車が着いたときに、ほら、連絡先とか名前とか本人に聞いたらしいんだけど、光一朗頭打ってぼんやりしてただろ?だから、最初に言った携帯番号がいくらかけても繋がらなかったんだって。
それで、もう一度、救急車の中で光一朗に尋ねたら、俺の泊まってるホテルの名前と俺の名前を言ったらしいんだ。
それで慌てて、俺がここに来て、おばさんに連絡入れたってわけさ。
おばさんは朝になってから会社に連絡したそうだね?さっき会社の方々がお見えになってたよ。
今は、しばらく検査入院しないといけないから、おばさん必要なものを買いにでてるけど、全く、最初っから実家の電話番号を言えばいいのにさ」

事故に遭って、咄嗟にでた、会いたい人・・・・・・・
両親よりも誰よりも、いつも心の中にいるのは、やっぱり紳司さんなんだよな。
よかったな・・・光一朗・・・・紳司さんが来てくれて・・・・
最初ッから勝負になんかなってないけど、改めて、負けたんだって実感した。

「正臣くん?」

くるりと今来た方に踵を返した俺を紳司さんが、不思議そうに呼び止めた。

「俺、帰ります。光一朗が無事かどうか確かめたかっただけだから。それに、俺が行ったって光一朗にイヤな思いをさせるだけだし・・・・」

きっと、光一朗だって、苦しんでるはずだから・・・・・

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