Reminiscent

 

「よう!」  

背後から、肩をポンと叩かれて、味けのないお決まりの定食から顔を上げると、岩城の見慣れた笑顔があった。

十数年にも及ぶ、学生時代からの長い付き合いの中でも、滅多に不機嫌な顔などしない男なのだが、さっぱりとしたハンサムな顔をデレデレとニヤつかせ、今日は特に上機嫌のようだ。

「やけに嬉しそうだな、盆と正月が同時に来たような顔じゃないか」  

クスリと笑い掛けながら、どうぞと、横の椅子を勧めた。  

まあ、わざわざ僕の横に座らなくても普通の昼食タイムとは大幅に時間がずれた社員食堂は、昼食時間に昼ご飯を食べ損ねたご同輩が、ポツリ、ポツリと、食事しているだけでかなり閑散としているのだが。

「おっ?朴念仁のお前にも分かるか?」  

ガタリと派手な音を食堂に響かせて、椅子に腰を下ろした岩城が、嬉々とした顔で僕に尋ねた。

「ははは、朴念仁とは心外だな。で?その上機嫌の原因はなんなんだ?」  

一口カツの最後の一切れを、口に運びながら訊いた僕に、岩城は金色の縁取りを施した、四角い封筒を差し出した。

「ジャジャ〜ン!お前、もちろん出席してくれるよな?」

「おいおい?なんだよ水くさいな。一体何時の間にそんなことになってたんだ?」  

旧友の脇腹を肘でひとしきり突っついてから、笑いながら封書を開いた。

「相手は?どんな子なんだ?」

「へへ、お前も知ってるよ。ほら、総務にいるだろ、あの優美ちゃん」

「ああ、嶋村優美子って、あの総務の優美ちゃんか?」  

相づちを打ったものの、3、4人いる若い女子社員の名前と顔が瞬時には一致しない。 

ええと、確か、ちょっと派手な子だったよな・・・いや、違うか、あれは真紀ちゃんで、優美ちゃんはセミロングのちょっと目を引く美人のほうか・・・  考え込んでしまった僕に呆れた色の一瞥を投げてよこした岩城は、

「相変わらずだなぁ、真壁は。その顔じゃろくに優美ちゃんの顔も覚えてないんだろう? 彼女をデートに誘うのは、社内でもかなり競争率高かったんだぜ」

「あ、いや、分かってるよ。去年入社した、髪の綺麗な子だろう?」   

訝しげに僕を見ている相棒に、苦笑を返した。

「まあ、お前がそんなで俺達は随分助かってるんだけどな、お前がまめに女の子を口説いて回ってたら、俺達なんて、てんで相手にしてもらえないもんな。

で、どうよ?出席してくれる?」

「あ、ああ。今のところ海外に行く予定は入ってないから大丈夫だと思うよ。おめでとう」

「そうか?サンキュー!お前が来ないなら結婚しないなんていいかねないほど、優美ちゃんの奴、真壁フリークだかんな。全くどっちが花婿かわかってんのかね?」  

苦情を言いながらも相好を崩している岩城は、来たときと同じように、派手に椅子を鳴らして立ち上がった。

「じゃあな、式までに、また行こうな」  

ウインクと共にクイッとグラスを煽るフリをして岩城は踵を返した。  

と、思ったら、不意に振り返り、

「そうだ!真壁。お前、紳司憶えてる?」  

唐突に出された名前に、僕の手元から箸がポロリと零れ落ちた。

「速水紳司さ。お前確か中学も一緒だったろう?高二の時北海道に引っ越しちまった、あの紳司」

「ああ」  

・・・・紳司・・・・

「優美ちゃんに一人弟がいるんだけど、これがなんでだか紳司にそっくりなんだわ。俺、初めて会ったとき、パニック起こしそうだったぜ。何で紳司だけ年取ってないんだってね」

それだけ言うと、岩城は笑いながら、食堂を後にした。  

胸の激しい動悸と動揺を隠せぬまま椅子に座っている僕を残して。      

紳司・・・  どうして僕は自らあの手を離してしまったんだろう・・・・      

 

 

僕と紳司の出会いは小学校の頃。  

父のイギリス赴任から4年ぶりに日本に戻ってきた僕を、物見遊山に囃し立てる学友の中で、唯一普通に接してくれたのが、紳司だった。  

今でこそ、珍しく無くなった帰国子女だが、当時は僕の薄い髪の色なども手伝ってか、遠巻きに見たりからかったりするクラスメートが多かった。  

多感な十代に入ったばかりの僕には、彼の無邪気な性格と屈託のない笑顔が何よりもの救いだったのだ。  

学校だけでなく家も近かったせいで、自ずと一緒に居る時間が増えていった。  

公立の中学校へ進むときはもちろん一緒だったが、高校へ進むときも、僕はほんの少しレベルを落として、紳司の進学先に合わせた。 

もちろん紳司や担任の先生にそんなことは言わなかった。ともかく何を言われても、無理をしてキツキツの状態で入るより、学力の余裕があるところでゆったりと勉強がしたい。その一点張りで押し通した。  

紳司が選んだ湊学院も決してレベルが低い訳じゃなかったし、校風などはかえって僕が進むであろうと思われていた進学校などよりも僕の両親の好みには合っていたので、誰も僕がただ紳司と同じ所に行きたいという子供じみたことが本当の理由などとは思わなかったようだった。  

誰も気づく筈など無いのが当然だったかも知れない、僕自身がその頃はまだ何も気づいてはいなかったのだから。  

何故僕がそんなにまでして紳司の傍にいようと思ったかなんて・・・・深く、考えはしなかった。  

僕は紳司が好きだった。  

そう、誰よりも好きだったんだ。  

なんの駆け引きもなく、無邪気に。

ほんの少しの躊躇いもなく、好きだと口にすることが出来たんだ。

純粋に友だちとして僕は紳司が好きだった。

 

あの日までは・・・・・・      

 

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大きく眼を開いて、紳司が僕の手元を覗き込む。  

もう、これは毎朝の日課と呼ぶに相応しい恒例の行事。  

僕は興味津々で覗き込んでいる紳司に苦笑しながら、靴箱の戸板を上に押しあげた。

「あっ!今日はすごいじゃんか?3通も入ってる。やっぱ週明けは多いんだな」  

僕宛の手紙を自分のもののように手に取って、紳司は封書を代わる代わる、ひっくり返しては、しげしげと眺め回している。  

さすがに勝手に開封こそしないものの、僕に向ける眼差しが、中も見せろよと語りかけてくる。

「相変わらず、変な奴だなぁ。そんなに気になるなら、紳司が読むといい。僕は別にいらないよ」   

クククッと笑いを漏らした僕は、腰を屈めて、上靴に履き替えながら、いつものセリフを繰り返した。

「また、そんなつれないことを言うんだから、僕はいらないなんて言ったら、書いた奴に失礼じゃんか」  

楽しそうに笑いながら、紳司もまた、同じ言葉を繰り返す。

「もてるってのも、大変だよな」  

上履きを履き終えた僕の前で、紳司は一人、うん、うん!と大袈裟に首を縦に振る。

「こういうの、もてるって言うのかな?」  

またしても、毎度の疑念が沸き上がって、僕は紳司と肩を並べ、ざわざわと朝の喧騒の漂う廊下を教室に向かいながら、深い溜息を吐いた。    

 

そもそも、馬鹿な理由で、ここへ来たことが間違いだったのか、入学した翌日から、下駄箱に手紙が入っていた。

下駄箱に忍ばせた手紙なんて言うのは、大昔から相場は恋文か果たし状と決まっている。所が僕に来るのは全て前者だった。  

もちろん中学の頃にもラブレターを貰った経験は何度かあるが・・・・ここは仮にも男子校なんだ。  

責任転換も甚だしいが、紳司がわざわざ男子校なんか選んだせいだぞ。なんて、つい、思ってしまう・・・  

まったくもって分からない。同性の僕にラブレターなんか書いてどうしょうっていうんだろう?      

 

昼休み、混んだ食堂を抜け出した僕たちは屋上でのんびり日向ぼっこをしていた。  

僕は、ここの所随分話題になっている本、紳司は僕への手紙を読みながら。  

紳司は僕宛の手紙を一通り読むと、いつになく、中の一つをやけに熱心に読み返していた。

「この、松野晴海って、確か一年の凄く可愛い子だよな」  

眉を顰めて低く呟いた。

「松野君から来てるんだ?へえ・・・彼なら委員会で一緒だよ。何度か話したこともあるけど、あの子って可愛かったかな?」  

僕は読みかけの『ノルウェーの森』から、顔を上げて聞き返した。

「へ?かわいいのかって・・・あの子が入学してきたとき、みんな騒いでたじゃないか。誰が見ても、可愛いだろう?」

僕にとってはクルクルと表情の変わる紳司の方がよっぽど可愛いんだけど。

「そうかなぁ・・・紳司の方がずっとかわいいと思うよ」  

暖かな日差しにほっこりと暖まっているコンクリートの上に、分厚い本を持ったままゴロリと寝ころんでいた僕は、紳司の驚いた顔にクスリと笑い掛けた。  

パッと顔を赤らめた紳司は、

「光一朗って、自分の顔を鏡で毎日みてっから、俺達が可愛いって感じる奴でも可愛いと思わないんじゃないの?」  

何故か不機嫌そうに言った。

「そんなことないよ。ただ、男の子相手に特別な意味合いで可愛いとか好きだとか、そんなこと思わないだけさ。

さあ、もう読んだんだろ、紳司のクラスは何か知らないけど、5時限目、僕は体育だから着替えとかないと」 

ガバッと起きあがった僕に、紳司は何故か辛そうな表情を浮かべた。

「冷たいんだな、光一朗は」

「え?」

「だって、みんな真剣なのにろくに手紙を読みもしない。まして送ってきた相手はあの、松野なんだぜ!」

「はぁ?何で紳司が怒るんだよ?」

「光一朗は誰かを好きになったことなんかないから、手紙を書いた奴の気持ちも分かんないんだよ!」  

そう、言い捨てて、ぷんぷんと憤慨しながら先に行ってしまった紳司を僕は呆気にとられながら見送っていた。  

なんなんだ?一体・・・  

紳司が突然何に腹を立ててるのか僕にはさっぱり分からなかった。   

灰色のコンクリートに囲まれた屋上に一人ポツンと残された僕が幾ら首を捻って考えてみても、何故紳司が、僕宛のラブレターを読み、僕が冷たいと言って怒るのか考えれば考えるほど謎は深まるばかりだった・・・・・    

 

 

「あ、あの・・・真壁先輩」  

体育がおわり、クラスメート達と教室に戻ろうとした僕は渡り廊下の影から少年らしい可愛らしい声に呼び止められた。  

小さな蕾をつけだした山茶花の深緑の葉を揺らして姿を現したのは、昼の諍いの元凶。例の松野君だった。

「いいなぁ、真壁。晴海ちゃんに呼び止められるなんてさ」  

冷やかす連中の向こう側、かなり離れた場所に偶然か故意かは分からないが紳司の姿があった。  

いつもなら、面白そうに事の顛末を見守る紳司が、見たこともないような悲しげな瞳で突き刺すように僕を見ていた。  

・・・・・・まさか・・・・・・・  

昼間屋上で見せた、紳司の不可解な態度が脳裏に甦る。  

僕は紳司から改めてゆっくりと、目の前に立つ松野君に視線を移した。  

柔らかそうなウェーブの掛かった髪、少し顎の尖ったハート型の顔をほんのり上気させ、印象的な目を持った顔は、確かにいわれてみれば可愛い・・・   

そう思った途端、僕の中で何かがきりりと激しく痛んだ。

「あ、あの・・・お返事今日じゃなくてもいいんです。でも、僕・・・」  

頬を染めて目の前に立つ彼は確かに可愛い・・・・  

いや、かなり可愛いんだろう。  

今はモスグリーンの制服姿だけど、私服を着ていれば女の子に間違えるかも知れないな。  

だから?だからなのか?紳司・・・・・・    

辛そうな顔をして僕たちを見詰めている紳司をもう一度肩越し振り返った僕は、まるで元々、プログラミングされていたかのような言葉が口をついて、すらすらと出てきた。

「返事ならOKだよ。僕も君みたいな子に手紙を貰えて嬉しい。早速だけど、今度の日曜あいてるかな?」

「は、はい」   

ひやかしや嬌声の中、真っ赤になってコクリと頷いた松野君に、僕はニッコリと笑い掛けた。  

ニッコリと最高の笑顔で。    

 

 

「ど、どういうつもりなんだよ!松野君の事なんか可愛くも何ともおもってないって言ったのは、今日の今日だぜ!」  

秋の夕暮れが薄いカーテン越しに部屋を染めだしたころ、宿題の課題に取りかかっていた僕の部屋に、ノックもせずに飛び込んできた紳司が、ドアを後ろ手に閉めたとたんに喚きだした。

「可愛いと言ったのは、紳司だろう?それに、冷たいとも言われたしね。そう言われて僕もそうかな、と思ったんだ」  

真っ赤になって、言葉に詰まる紳司を前にして、僕はなんだかウキウキしていた。  

紳司がたとえどんなに松野君の事が好きでも、松野君が僕を好きで居続けている間は、決して紳司は松野君のものになることはないんだから。

「お、男の子と、つ、付き合う気なんか全然ないっていつも言ってたくせに!」   

ギュッと握り拳を握りしめて、紳司が唸るように言い放った。

「今でも、男の子と付き合う気なんか無いね。相手が松野君だから、付き合うんだ」  

僕がにこやかに答えた途端、堅く口唇を噛みしめていた紳司の瞳から、ポロリと一粒の涙が零れた。

「紳司・・・」  

机を離れ、慌てて駆け寄った僕は、すすり泣き始めた紳司を引き寄せて、すっぽりと腕の中に抱き込んだ。

「そんなに?泣くほど、好きなのか?」  

紳司は無言のまま、腕の中でコックリと頷いた。  

その途端、昼間経験した不可解な痛みがキリキリと身体を走る。  

幾ら好きでも駄目だよ、紳司。

「紳司、諦めろよ、な?」  

僕は大切なものを横取りされないように廻した腕に力を込めて囁いた。

「わ、分かってるよ・・・・」  

肩に顔を埋めてしまった紳司はくぐもった声で答え、さらに強く僕の肩にしがみついてきた。ピッタリとふれ合った身体から、温もりが伝わってくる。  

さっきまでの、言いようのない不可解な痛みが、紳司を強く抱きしめることで、すぅ〜っと薄らいでいく。

「紳司には似合わないよ・・・・・」  

「さ、最初っから、無理なことぐらい分かってたよ・・・・」  

しゃくり上げ、震える背中を優しく撫でながら、

「そうさ、無理なんだよ。紳司には似合わないよ」

安心したはずなのに、なぜか、胸の鼓動が高まっていく・・・・・・

渡さない、誰にも。

・・・・誰のものにもさせない。