Reminisent2

 

「あ、明菜ちゃんのタンゴ・ノアールですね。ミーハーっぽいけど僕、好きなんです」  

性別判断不能な、パステルグリーンの華やかなセーターを着ている松野君が映画を見た後に入った小さな喫茶店で、音楽の流れ出る方にハート型の小さな顔を向けて言った。  

映画を見ている最中も、そして今も僕は彼の姿から目が離せなかった。  

目が離せないのは何故なのか、認めたくはないが僕は彼のアラをさがしているんだ。 可愛い顔に、声まで可愛いと来ている。性格まではまだ分からないが、今日一日朝から過ごしていて、決して嫌な相手じゃない。

「嫌だなぁ・・・真壁先輩」  

目の端をほんのり桜色に染めて、松野君が急にモジモジし出した。

「どうかした?」

「だ、だって・・・ずっと僕のこと見てるんだもの」  

恥ずかしそうな微笑みが、またさらに可愛らしくて、松野君の少女っぽい顔に良く映えていた。

「女の子みたいに可愛いんだなと思ってね」 

フッと苦笑いを漏らした口元に、コーヒーカップを運んだ。

「真壁先輩はきらいですか?女の子みたいな顔・・・」  

不意に松野君が真顔で聞き返す。

「どう言って欲しいの?」

「どうって・・・いつも速水さんと一緒にいるから・・真壁先輩は速水さんみたいな人がタイプなのかなって・・・」

「え?」  

食い下がる松野君の眼差しが冗談で訊いてるんじゃないんですよと僕に語っている。  

だけど、僕には彼の真意が測りかねた。紳司が僕のなんだって?

「好きなのかなって・・・ずっと、思ってました」

「もちろん好きに決まってるじゃないか」

「その好きは、どの好きですか?」

「どのって・・・?」

「ぼ、僕とどっちが・・・好き・・ですか・・・・」   

セーターから覗いている襟足まで真っ赤になって俯いてしまった松野君の言葉は、まわりの話し声に掻き消されてしまうほど小さな声だった。

「どっちがって・・・」

極自然に紳司に決まってると、言いかけた言葉を、僕は慌てて飲み込んだ。  

目の前で頬を紅潮させ恥じらいながら俯く松野君は、半端じゃなく可愛かったからだ。  

案外、手強いかも知れない・・・・  

焦燥感がジワジワと僕を残酷にしていく。  

そのうえ、どうしてこの子はこんなに可愛いんだ?今日は朝から一日一緒にいたのに、これといった欠点も見つかりそうもない。  

紳司は小学校以来一度も泣いた顔なんか見せたことなかったんだ。

確かに感情の起伏が激しくて、笑ったり怒ったりしてはいても、あんな風に臆面もなくボロボロ涙を零して泣くなんて・・・・  

僕の腕の中で『泣くほど、好きなんだ』って、紳司は・・・・・それほど、この子が好きなんだ。  

だから、どんなに卑怯な手を使っても、僕は紳司がこの子を嫌いにならない限り、この子の気持ちを惹き付けておかなきゃならないんだ。

決心した後、僕はつぃと松野君のちょんと尖った顎先を、指で押し上げ微笑み掛けた。

「バカだなぁ。松野君に決まってるじゃないか」   

この子の歓心を得ることが、その時の僕には何よりも最良の作だと思えたんだ。  

覗き込んだ松野君の瞳がパッと輝くのを見て僕は心底ホッとした。  

松野君に申し訳ないという気持ちが全くないわけじゃない。だけど、それ以上に無くしたくは無かった。  

紳司だけは誰にも譲れない。      

 

一週間も経たないうちに、湊学園の中で僕たちは公認の仲だと認められてしまっていた。 

僕には相変わらずよく分からないが、何故か先生方までもが、松野君に僕の居所を尋ねたり、僕の話題に触れると、真っ赤になる松野君で遊んだりしていた。  

水面下での公認カップルは他にも数組いたが、ここまで全校レベルで認められると、もしかして、松野君だけ実は女の子なんじゃないかと疑ってしまう。  

その上、眼前に所狭しと拡げられたお手製のお弁当・・・今時女の子でも、こんなもの作らないだろう?

「お口に合えば良いんですけど・・・」

「これ、君が全部?」  

屋上の灰色のコンクリートに不似合いな、赤いギンガムチエックのランチマットの上に、軽く4人前はあるだろう、お弁当が拡げられている。

「あっ!速水さん!速水さんもいかがですか?」  

なにかの歌を口ずさみながら、非常階段を上ってきた紳司を松野君が大きな声で呼んだ。

呼ばれて、顔を僕たちの方に向けた紳司が笑顔を作る瞬間、辛そうな色が、黒い瞳をよぎるのを見てしまった。  

それなのに、紳司はニコニコと僕たちの所へなんでもないように歩いてくる。  

僕と松野君を二人だけにしたくないのか、あの日以来、僕が一人の時は僕を避けるくせに僕がこうして松野君と二人で居ると、どこからか嗅ぎつけて、やってくるんだ。

「おおっ!美味そう!松野君のお母さん料理上手なんだ?」

「教えて貰って、作ったんですよ。速水さんもどうぞ。一杯ありますから」

「ほんと。サンキュー」  

嬉しそうに、卵焼きを指で摘んで口にほおりこんだ紳司は、うん、うまいよと呟いて。松野君にだけ笑い掛けた。  

憎たらしいことに、紳司は僕なんかに眼中にないといわんばかりに、一瞥もくれやしない。

「それは、僕のだろ!食べるなよ!」   

怒鳴った僕に二人が同時に顔を向けた。

「真壁先輩・・?」

「勝手に食べるなよ!松野君も松野君だ!僕のために作ってきたんじゃなかったのか?

どうして紳司にどうぞ、なんていうんだ!!」

こんな感情を八つ当たりっていうのか、と僕は初めて知った。

だけど、なぜかやり場のない怒りがこみ上がってくるのをどうしても止められなかった。  

僕が、松野君と付き合えば、紳司が松野君への思いを諦めるんじゃないかなんて思ってた僕の愚かさに、怒りは執拗に募っていく。

「ご、ごめんなさい・・・」  

突然、仁王立ちになって怒りだした僕に、松野君は大きな瞳をうるうるさせて、今にも泣き出しそうな風情だ。

「なんだよ!そんな事ぐらいで怒なんなよ!  

松野君、ああ、泣かないの。気にしなくていいからね」  

僕を睨み付けた紳司は、よりにもよって、口唇を噛みしめて啜り泣きだした、松野君の肩を優しく抱いて慰めだしたんだ。

行き場のない、憤怒に身体がふるふると震え出す。

「勝手にしろ!」  

捨てぜりふを吐き出した僕は、二人を残して4階に続く非常階段を下りた。  

見たくはない、紳司が僕以外の誰かに優しく接している所なんて・・・  

何時までも僕だけの紳司で居て欲しいのに何故、僕だけの紳司で居てはくれない?

一ばん近くにいたはずなのに、ずっと傍に居続けれると信じていたのに・・・・そんなのは僕の愚かな妄想ににすぎなかったっていうんだろうか。  

紳司が松野君に恋をしたように、僕もこの先誰かに恋をして、紳司よりその人の傍に居続けたいと思う日が来ると・・・・? 

・・・・僕が誰かに・・・・  

そもそも、恋ってなんなんだ?

・・・誰にも渡したくないっていう、傲慢な感情が恋だというのなら・・・  ぼ、僕は・・・まさか・・・  

そう思った瞬間、ゾクリと僕の背中に戦慄が走った。  

僕は紳司に恋をしているのか・・・?  

螺旋を描いて下に延びる非常階段の踊り場で、僕の足が、沸き上がった疑念に凍り付いた。

僕は・・・・・・・

「光一朗!」  

茫然と立ちすくんでいた僕は、おもむろに後ろから肩を掴まれた。

「し、紳司・・・」  

高鳴りだした激しい動悸に後ろを振り向くことが出来なかった。

顔も今にも燃え出すように熱い。

「なんなんだよ!さっきの態度は!ちゃんと、こっち向けよ」  

肩に手をおいたまま、紳司がしびれを切らして僕の前に回り込んだ。

「だいたいなぁ〜!!お前が・・あれ・・?・・・・・光一朗?どうしたんだよ」   

僕の顔を見るなり、紳司の怒りモードが消えて、不思議そうに僕を見詰めた。

「な、なんでもない。さっきは、悪かった。怒鳴ったりしてごめん」 

紳司から顔を出来るだけ背けて、ボソリと呟く。

「具合でも悪いのか・・・?」  

紳司にまで聞こえるんじゃないかと、心配になるほどの胸の鼓動を必死になって押し隠している僕に、ますます、顔を寄せて、

「真っ赤じゃないか?保健室、行く?」  

間近に寄った紳司の口唇がゆっくりと動いた。  

とたん、僕の頭が真っ白になって、力一杯、腕の中に紳司を抱き込んだ。

口唇がふれ合いそうな程近くに寄ったとき、紳司が驚いたように僕の名を呼んだ。

その声にハッと我に返った僕は・・・・事も有ろうに紳司を突き飛ばしてしまったんだ。

金属製の耐熱ドアに派手な音をたてて、ぶつかった紳司を気遣う余裕なんかなかった。

「ご、ごめん・・ど・・うかしてた・・・」  

僕自身の感情さえ掴み切れずにいた僕は、驚愕に大きく見開かれた紳司の黒い瞳から逃げださずにいられなかったんだ。      

 

ど、どうしよう・・・  鞄も持たずに学校を飛び出したのはいいけれど、夜になっても、家に帰るのがこわかった。  

紳司が、あれはどういうつもりなんだと、詰め寄ってきたら、僕はなんと答えればいいんだろう・・・

「好きなんだ」と、友だちとしてではなく好きなんだと答えたら・・・  きっと、失ってしまう。  

そんなこと僕には耐えられない・・・      

 

案の定、僕の部屋のベッドの上で腕を組んだまま苦虫を噛みつぶしたような表情の紳司が座っていた。

「説明してくれるんだろうな」  

僕が好きな紳司の印象的な黒い瞳。

その、きつい眼差しが僕をしっかりと見据えた。

「何が、どうなってるんだよ?俺はこのごろ光一朗が分かんないよ。だいたい、取り乱したり怒りだしたり、光一朗らしくないだろう!」   

そんな僕は嫌いなんだね?僕は怒ったり感情的になったりしないから・・・・・・

「俺はヤダよ、あんな光一朗、見んの。だいたい可哀想じゃないか、松野君が一生懸命作ってくれてたのに」  

もう、二度と感情的になったりしない、だから、だから紳司・・・

「俺のこと抱きしめたり、突き飛ばしたり、わけわかんないや」  

キツイ眼差しをフイッと逸らして、吐き捨てるように紳司が言った。

ごめんよ、これからは、指一本触れない。だから・・・・・・

「黙り込んでないで。何とか言えよ!何、でくの坊みたいに突っ立ってんだよ!

松野君が好きだからつきあってるんだろ!だったら泣かすなよな」

好きなのは紳司だよ・・・・

心が今にも叫びだしそうだ。 

松野君を好きなのは紳司なんだろう・・・

僕が好きなのは紳司だよ。

そう言ったら・・・どうなるんだ?そんな僕をきっと、紳司は嫌いになる。

「ごめん。もう泣かさないから」

僕に言えたのはそれだけだった。 

彼が泣くのがそんなに辛いなら、決して泣かしたりしない。約束する。

「ほんとに・・・松野君が好きなのか?」

「ああ、どうして・・・?」

「お、俺よ・・・ううん。それならいいんだ」

ゆっくり横に首を振って、紳司は立ち上がった。

「大事にしてやりなよ。あの子凄くいい子だからさ」

「分かってるよ」  

僕の側を通り過ぎかけた紳司が、僕の肩にコツンとおでこを載せて小さく呟いた。

「俺達、ずっと親友だよな?」

「当たり前じゃないか」

「これからも、ずっと、俺のこと忘れたりしないよな?」

「なにいってるんだよ。紳司は僕の一番大切な・・・・

友だちだよ・・・」  

抱きしめそうになる衝動と戦いながら、心の中で『愛してるんだ』と呟いた。  

そのまま、しばらくじっとしていた紳司が顔を上げて、吸い込まれそうな黒い瞳で僕の瞳を覗き込んでから、ふわっと笑った。

何かを吹っ切るかのように、ふわっと。

「光一朗。俺も大好きだよ。これからもずっと・・・・」 

咄嗟に、行きかけた紳司の手を握ってしまったものの、その手をどうしていいか解らずに、そのままスルリと離してしまった。    

 

 

どうしてあの手を離してしまったんだろう。

今でも、一二年経った今でも、悔やまずに居られない。  

それから数週間後、紳司は僕に行き先も告げず転校していってしまったからだ。  

担任にどれほど聞きただしても、本人の意向で教えることは出来ないと却下されてしまった。

噂では、紳司は北海道にいったと訊いたけれど真実は今も分からない。

そんなことを考えながら、あの頃読んだ「ノルウェーの森」を手にとってパラパラと読み返しているとき一枚の紙片がパラリと膝の上に落ちた。  

既に長い年月によって黄ばんだ紙片には、紛れもなく紳司の筆跡で、

『光一朗へ

こんなこと、顔見て言えないから・・・・他のヤツみたいに書いてみた。

俺、どうもお前のこと、愛してるみたいなんだ。

返事はいらないよ。わかってる。わざわざ振られたくはないからね。

でも気持ちだけは知っていて欲しかった。俺んちもうじき引っ越すんだ。今までみたいに傍にいられないって思ったら、自分の気持ちに気がついた。

気持ち悪いだろ?でも、どうか俺を嫌わないで欲しい。友だちのままでもいいから、ずっと、傍にいたかった。

好きだよ、これからもずっと』  

いったい、何時この紙をこの本に挟み込んだのか。紳司は僕がこれを読んで紳司の気持ちを知ってると思っていたんだろうか・・・・

もしかしたら・・  紳司が涙を見せるほど、好きな相手は・・・最初から無理だとわかっているといった相手は、この僕だったのか・・・  

青いインクで「嫌わないで」と書かれた文字が零れた涙で悲しげに滲んだ。    

 

なぜ、あの時この紙片に僕は気づかなかったのか。

なぜ、僕は、あの時、紳司の手を離してしまったんだろう。

過ぎてしまった時は戻らない、どれほど恋いこがれても、決してあの日に戻れはしない・・・・・              

                                                 〈END〉