**未来への予約**

 

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俺が街中を歩けば時折俺を盗み見る奴が居る。

東京では外国人など珍しくもないだろうに、俺の風貌は何故か人目を引くらしい。日本人の父と、かなり多国籍な血を持つアメリカ人の母の間に生まれた俺は、類を見ない美貌の持ち主なんだそうだ。(日本人から見れば、だろうが)   

俺の唯一の女友達の小枝子曰く、たとえどんなに綺麗でも外国人は作りが大きすぎるが、俺の場合その具合が絶妙なんだそうだ。  

俺は今その小枝子に頼まれて、嫌々ながら、お金持ちの子息や令嬢の通うことで有名な桐生学院の高等部で英語の産休講師をさせられている。

元々はフリーで通訳や翻訳の仕事をして細々と暮らしているのだが、『家にばっかり籠もってないで、たまには他人とも付き合いなさい』とほぼ事後承諾の形で押しつけられた。  

慶吾は働かなくとも生活ぐらい俺に見させろとひつこく言うがそんなつもりは更々ない。 

さっきも言った通り、俺と慶吾はドライな関係で、かれこれ三年は続いている。  

彼奴は大企業の跡取りで三二歳と言う若さにもかかわらず、既にご大層にも副社長とやらの肩書きを持っている。   

さっきの白澤は慶吾の秘書で個人的な用件にも駆り出されることが多く、俺ともかなり前からの知り合いだった。

そんな白澤と関係を持ったのは、つい二ヶ月ほど前の事だ。

半年の長期出張とやらで慶吾がアメリカに飛んだすぐ後、何かと俺に白澤がまとわりついてきた。

慶吾に操をたてる義理もない俺は、極々軽い気持ちで白澤を受け入れた。

小枝子にはルール違反だとかなりきつく怒られてしまったのだが。  

いくらそんなことを言われても、俺にも僅かだが性欲とやらがあるのだから仕方がない。  

さて、慶吾が帰ってくるまでの四ヶ月間、どうしたものかな?

白澤さえ血迷ったことを言わなければ結構楽しくやれたのに・・・・・・

俺と暮らしたいなんて、ガキじゃ有るまいし馬鹿な奴。

そう言う俺も嘗て夢見たことが一度だけ有ったっけ。

 そう、遙か昔に一度だけ・・・    

 

 

「高城せんせ!ここがわかんないんですぅ」

「ん?どこ?」  

引きも切らずに休み時間になると、女子生徒達が講師室にやってくる。

「ああ、これは直訳すると意味が違ってくるからね」

「せんせ!この発音が分かんないんですけど」

「rの音をちゃんと発音しなきゃだめだよ。rとlは違うんだからね」  

俺の周りに群がる女子高生達に、惜しみなく最高級の笑顔を振りまいてやると、講師室中に黄色い声が充満する。  

俺はその気にさえなれば最高のペテン師にだってなれるんだ。  

本気で人を好きになれない俺は、その分誰にだって偽りの愛情を示そうと思えば示せる。

一番が無ければ後はみんな同じだろう?  

そのせいで色恋沙汰のトラブルに巻き込まれることも少なくないが、俺がニッコリ微笑めばたいていの奴がころりと参るんだから、初対面の人間と旨くやるには笑い掛けるのが一番てっとりばやいんだ。  

おかげで毎日俺の机の上にはラブレターやプレゼントの山・・・・・・・・

ここが金持ちの子の通う学校なだけに、時折とんでもないプレゼントが混じってることもあって、幾ら面倒でも全部目を通して高額なものは返さなきゃならない。

時折本来の仕事よりこっちの方が大変だなと思うことも有るぐらいだ。  

小枝子は一体ここで俺に何をさせたかったんだろう?

「相変わらず、おもてになるわね?」  

放課後、閑散としてきた講師室でコーヒーでも飲みながら、可愛い生徒達のくれたラブレターにでも目を通そうかなと思っていた俺に、音楽講師の野山先生が話しかけてきた。 

彼女は三二歳だと聞いているがまだ十分二〇代に見えるスレンダーな美人だ。

「毛色が変わってて、俺みたいなのは珍しいんでしょう」

「ご謙遜。私に絵が描けるならきっと高城先生にモデルをお願いするわ」

「光栄ですね。先生みたいな美人にそんなこと言われるなんて」  

インスタントコーヒーを入れていた手を止めて、得意の営業用スマイルを彼女に向けた。

「ふ、ふ、ふ。でも実際はあまり女性にはおもてにならないでしょう?高城先生は」

「何故です?」

「だって、女は傲慢ですもの。自分の彼氏が自分より格段に綺麗だなんて許せないものよ」  

以前に同じ事を俺に言った女が居た。

かの小枝子である。

「まあそんな所ですね。
野山先生はさぞかしもてるでしょう?
男って奴は中身はともあれ綺麗な女を周囲の男に見せびらかすのがとても好きだから」

「あら?」  

辛らつな言葉をお互いに掛け合った後、顔を見合わして吹き出した。

「もしかして、小枝子が頼まれた知り合いって野山先生の事?」

「大当たり。小枝子とは高校の時からの友人なのよ。
顔だけは最高に綺麗だけど、かなり性格はねじ曲がってるからよろしくねって言われちゃったわ」

「それは酷いなぁ」  

わざと思いっきり顔を顰めてみせて、窓際に置いてある電気ポットまで行き、カップに湯を注いだ。  

 

窓から見えるグランドでは、そろそろ六時になろうというのに、まだ陸上部の生徒が数人練習を続けている。

「彼、早いでしょう?」  

俺の肩越しに野山先生が覗く。

「さあ?俺はあんまり陸上のことはよく解らないから」  

たぶん彼女が言っているのは、何度も同じコースを繰り返しタイムを計りながら走っている生徒の事だろう。

全く素人の俺から見ても、均整のとれた身体で綺麗なフォームを保ちながら走る姿は他の選手とは比べ物にならない。  

ちょうどコースの終わりの位置と一直線のライン上にある窓に向かって、膝に手を突き荒い息をしたまま、そいつが顔を上げた。

へえ、ハンサムだな。  

日に焼けた意志の強そうな顔が驚きの表情を浮かべたことで、窓から覗いていた俺達に気づいたのが解る。

「荻野君〜!がんばってるわね!」  

野山先生が大きく手を振って声を掛けた。  

荻野君か・・・・・・・例に漏れず、そいつにも俺はニッコリと笑い掛けた。  

途端、そいつは憮然とした態度でコースの出発点に戻っていった。

なんだ?あいつ・・・ ・・・

「高城先生の笑顔は曲者ね?いかにも体よく騙されてるような気になるわ」

「痛いとこ突くなぁ野山先生は。
俺の話を何処まで小枝子に聞いてるんです?」  

たいして背丈の変わらない長身の美女をチラリと横目で見ながら、手に持っていたコーヒーを啜った。

「そうね・・・昔悲しい恋をして、依頼、人間不信に陥っている可愛そうな子猫・・・・・・・可愛い声と姿をしていても無理矢理近づこうとすれば容赦なく引っ掻かれるわよ。
なんてことを言ってたわ」  

ふむふむ。小枝子は俺の事をそんな風に思ってたのか。

相変わらず俺の分析は完璧だね。

「それじゃあ、また明日ね。高城せんせ」

「もうよしましょう。そこまで知られてる相手に高城先生なんて呼ばれるのは堅苦しすぎますよ。
それに、僕の方が八っも年下なんだから『未来』でいいですよ」

「いやぁね。年を持ち出さないでちょうだい。
なんだか、おばさんの気分になるじゃないの。
それじゃあ、私のことは茉莉って呼んで貰って結構よ。
ただし二人のときだけね。
折角思春期まっただ中の訳の分かんない生徒達とそれなりにうまくやってるのに、思い詰めた生徒から剃刀でも送られちゃ堪らないもの」  

肩を竦めて、色っぽく長い髪を払うと、艶やかなウィンクを残して、茉莉は講師室から出ていってしまった。      

一人になった俺はパイプ椅子に腰掛けて窓枠に頬杖を突きながら、手紙を読もうとしていたことも忘れて、がむしゃらに走ったり飛んだりしている生徒達をぼんやりと眺めていた。

真夏になるにはまだ少し間があるが、彼らは体中ビッショリと汗にまみれ、土埃にどろどろになりながら何の為に走っているんだろう?さわやかと呼ぶにはあまりにも不似合いな、泥にまみれた姿で。

 

不意に講師室のドアが開かれ、一人の男が入ってきた。  

一部の隙もないほどピッタリと均整のとれた身体に添った見るからにオーダーだと分かるサマースーツに身を包み。

高級なコロンの香りもなんのその、嫌味なほど自信と言う名のエッセンスをその身体全体に振りかけて東堂慶吾が俺の目の前に立っていた。

えっ?  

白日夢でも見ているのかと目をぱちくりさせていた俺は、窓に頬杖を突いたままのスタイルで口唇を奪われていた。

「けっ・・・・慶吾!なにすんだよ!」  

我に返って慌てて身体を捩った俺は、窓から見える視界の先に誰もいないことを確かめて、ホッと安堵の溜息を吐いた。

「おやおや、二ヶ月ぶりの再会だって言うのに、冷たいな未来は。俺よりも周囲の目が気になるのか?」   

俺の頬を手の甲で撫で上げながら、憎たらしいほど平然と立っている。  

俺一人のことで済むなら、人に見られようがどうしようがかまやしない。

だけど五ヶ月間勤める約束で俺を紹介した小夜子の顔を俺は潰すわけにはいかないんだ。

「ふん。後四ヶ月は帰れないんじゃなかったのかよ」

「お前にどうしても会いたくてな。と言いたいところだが、どうしても俺の出なきゃならない会議があって、昨夜遅くに戻った」

「あ、そっ」  

わざとそっけなく返事をした。

「昨夜、何度か電話したのに出なかったろう?」  

俺の身体がギクリと強張る。

「あ、ああ、ちょっと出かけてた」

「今からもう一度、俺は本社に戻らなきゃならないが九時ごろには出られる。
いつものホテルを取って置いたから待ってろ」  

まるで、俺からはNOの返事は絶対に帰ってこないと確信しているかのような慶吾の高飛車な言葉が、俺の僅かに残るプライドをチクリと刺激する。  

当の慶吾はそれだけ言うと、現れたときと同じくらい唐突に出ていこうとした。

「俺は行かないからな!」  

広い背中に返事を返す。  

冗談じゃない。

昨夜だけでもかなり疲れてるのに。

ベッドの中でだけ、やおら情熱的になるタフな慶吾の相手なんかごめんだね。

「未来?」  

断られたことが信じられないのか、振り返った慶吾の顔は知り合って随分立つのに、初めてみるような真抜けた面だった。

「なぜだ?」

「疲れてんだよ」  

立ち上がり、両手を上に上げて、ゆっくり伸びをすると、これも慶吾からのプレゼントなのだがコーチのバッグに、机の上に置いてある手紙や荷物を詰め始める。

「バカだな、講師なんて柄にもない仕事を引き受けるからだ。
仕事なんかしなくても金がいるなら俺に言えと、いつも言っているだろう?
疲れなんてすぐに俺が取ってやるさ」  

すぐにいつもの傲慢な慶吾に戻り、笑いながら俺の腕を掴み引き寄せようとする。

「ハッ!なれない仕事で疲れてるなんて誰が言った?昨夜やりすぎたから、今夜あんたとする気は無いと言ってるんだ」  

かなりカチンときていた俺は、軽く慶吾の手を払って、冷たく笑った。

「未来?なんだって?」  

怪訝そうに呟いて、凛々しい眉が僅かに寄る。

「なんだよ?あんたが居ない半年の間、俺が大人しく貞操を守ってるなんて、まさか思ってたんじゃないだろうな?」  

慶吾の不審そうな反応に、俺はわざと戸惑ったふりをして聞き返した。

「そうか。分かった」  

吐き捨てるように言うと、慶吾は優雅に踵を返し講師室を後にした。  

俺に一体何を期待してたんだ、慶吾。

俺が思いがけない再会に歓喜の涙を流して喜ぶとでも思ってたのかよ?

初めから俺に何も求めない約束だったはずだ。

束縛も愛情も何もいらない。

その変わり決してあんたにも何も求めない。

あんたが何処で誰と居ようが俺には一切関係ないし、俺が何処で何をしようがあんたにも一切関係なかったはずだろう?  

空っぽな俺を僅かでも満たしてくれたのは確かにあんただったけど、別にあの時の俺には誰だって良かったんだから・・・あの頃?

・・・今も何も変わっていないじゃないか・・・      

 

 

2 話へいく?