**未来への予約**
( 6 )
俺だけでも人目を引くのに、背の高い荻野にしっかりと手を掴まれている姿に道行く人々が振り返る。
俺は人目を避けるように荻野を連れて、薄暗い路地へと入っていった。
「俺先生の言ってること可笑しいと思う。確かに先生が泊まりになんか来たら、俺だってどうしていいか分かんないぐらい舞上がちまうと思うけど。
同じ男から好きだって言われるとそんなに嫌なの?
でも先生はその綺麗な顔も何もかも全部ひっくるめて高城未来って人なんだから、目立つって言うけどみたい奴には見せてやればいいんだ。
そんな視線ぐらいで先生は減りも汚れもしやしない。
自分にもっと自信持つべきだよ。
俺だってなりたくてこんなにでっかい身体になった訳じゃない。
だけどこの身体のおかげで俺は人よりちょっと足が速い。
このからだが無かったら俺は桐生学院なんて有名校に入ることも出来なかったし、大学なんて絶対に行けないと思う。
それに桐生に入れてなかったら先生とこうして話すことも出来なかった。
確かに先生程じゃないにしても良い意味でも悪い意味でもでかいだけで目立つし、それで嫌な思いをした事が何度もあったけど、俺、この身体で良かったと思ってる。
みんな何かしら人とは違う何かを持ってるんだ。みんな同じじゃつまらないよ。
たまたま先生は俺が人より足が速く生まれついたように、人より綺麗に生まれただけなんだから、そんな風に自分を否定したりしちゃいけない。
先生は綺麗だよ。
誰よりも綺麗だ。それがどうしていけないんです?」真剣な瞳が俺の目を食い入るように見詰める。
「お前みたいな事言う奴、初めて・・・・・・」
暗がりの中で頭一つ上にある荻野の顔を俺もしっかりと見詰め返した。
綺麗な顔もただの個性だと言われて、心の中に堪っていた何かがフッと軽くなるような気がした。
背の高い奴、力の強い奴、生まれつきの金持ち、そして俺は他に何もないけれどたまたま綺麗な顔に生まれただけ。
たったそれだけのことだったと言ってくれるのか?
裕征達が並はずれた家に生まれたばかりに周りは敵ばっかりなんだと言っていなかったか?
みんな誰でもプラスが有ればマイナスもあるたったそれだけのことに俺は何をいじけていたんだろう?
俺の顔が目当てで言い寄ってくる奴ばかりだなんてそれこそ俺の思い上がりだったってことじゃないか。
偉そうに言いながらもこの顔の恩恵を今まで十分受けてきたくせに。
「先生?ごめん。俺、偉そうに言いすぎたかな」
惚けたように立ちすくんでいた俺を心配したのか荻野は心細げに謝った。
「ううん。なんか嬉しいんだ。
俺ずっと年上とばっかり付き合ってきてたから。
いつもやたらと甘やかされててさ。それにみんな大人すぎてお前みたいにストレートに胸の内を話してくれないんだ。本音と建前の建前の方が遙かに大きくて、相手の気持ちが全然分からない。だからどんどん俺も自分の周りに壁を作っていってたんだな。
俺やっぱ教師なんか無理だよなあ。
生徒に人生教えられるなんてサイテー」小汚いビルの壁に背中を預けて、大げさに肩を竦めて見せた。
「先生に人生教えるだなんて、そんな大袈裟なこと言わないで下さいよ」
笑顔になると普段は大人びて見える荻野の顔が急に17歳の少年に戻る。
笑い顔っていいものだなぁなんて思わせてくれる、そんな笑顔だった。
「先生。ごちそうさまでした。次は僕の番ですからね」
マンション迄送ると行って訊かない荻野を説得して、荻野の乗る地下鉄の駅の階段で別れることにした。
「うん。ああそうだ、お前、教養で美術取ってる?」
「はい。取ってますけど?」
「鹿川先生だよな?」
「それが何か?」
「いや、何でもない。じゃね」
「やだなー。気になって今夜眠れ無いじゃないすか。教えて下さいよ」
長い腕を伸ばした荻野は帰りかけた俺の髪を一房摘んで、つんつんと引っ張った。
肩越しに振り向いた俺は、 「モデルやんの」 さりげなく言った。
「え?鹿川先生の?絵のモデルですか?」
にこやかな顔が瞬時に曇る。
「違う、違う。個人的にじゃないよ。
授業で人物デッサンするからって頼まれたんだ。
お前ちゃんと綺麗に描けよな俺のこと」「俺達が先生描くんすか?」
「そう。後でちゃんと見せろよ」
「やばっ。俺・・・・・・・・どっちかって言うと抽象画の方がいいんだけどな」
名残り惜しそうに指を絡めていた俺の髪からゆっくりと手を離した。
「なにいってんの。こんな綺麗なモデルそんじゃそこらにいないんだぜ。ありがたく思えよな」
「ハイハイ。ありがた〜く描かせていただきます」
「じゃな!」
笑いながら軽やかな足取りで階段を下りる荻野に手を振って、マンションに戻った俺の目の前に、見慣れたグレーのボルボが止まっていた。
車体には洒落たスーツ姿の男が寄り掛かるように立って、俺をじっと見詰めている。
「随分と若いんですね。今度の相手は」
「そんなんじゃ無いよあの子は。一体何の用だ?」
構えるように訊いた。
「ボスからの伝言です。
離婚成立の連絡が入り次第、このマンションを引き払って自宅に越してくるように準備を整えておいてくれと言うことです」りこん・・・・・?
時折、国道を通る車のライトが俺の心を照らすように過ぎていく。
このままじゃいけない、俺も慶吾も藻掻けば藻掻くほど、絡み合って落ちて行くだけだ。
「彼奴今どこ?もう日本にいないの?」
「いつもお二人が会われているホテルに滞在しておられます。明日の昼頃にはまたニューヨークに戻られますが」
「そう・・・・・・・・・・・白澤、あんたさえ良ければホテルまで乗せてってくれないかな?
あ、ちょっと待って。なぁ、裕征の連絡先解る?」「裕征って・・・桜庭物産の桜庭裕征専務の事ですよね?」
「そうなんだ?今、裕征って専務なの?連絡付く?」
「もうこの時間だと本社には居られないでしょうから、個人的な携帯か自宅に連絡しないと・・・」
白澤は腕時計に目を遣り、内ポケットから携帯電話を取り出した。
「ちょっと、待っててくださいね。自宅ならすぐに調べられるんですが。プライベートな携帯の番号となると時間が掛かりますから」
「俺、別に自宅でも良いんだけどな。連絡がつくんなら何処でも」
軽く言った俺を、きつい目で一睨みした白澤が、
「解ってるんですか?桜庭専務にも家庭が有るんです。
未来さんが気にしなくても俺が気にしますよ」「そうだったね。悪かった」
風の便りに女の子が一人産まれたと訊いている。
裕征なら、さぞ優しいお父さんなんだろうな。そう思うと胸に小さな痛みが走る。
俺に少し背を向けて、白澤は手際よく数件の電話をかけた後、コール音の響く携帯を俺に渡すと、会話を聞かぬように配慮したのか、運転席に乗り込みドアをバタンと閉めた。
『もしもし』
懐かしい声が響く。
裕征の声に軽い目眩を感じて、ボルボの車体に凭れた俺は深く目を閉じた。
『もしもし?』
怪訝そうな裕征の声に、
「ごめん。突然電話なんかして・・・」
震える声で謝った。
『未来?未来なのか?どうした?何か有ったのか?』
驚いたような声で、立て続けに裕征が訊いてくる。
「ちょっと、話がしたくて・・・。
小枝子にも裕征と一度もきちんと話をしないからいけないんだって言われたから・・・」『小枝子からは時々未来のことを訊いてるよ。
一番悪いのは俺だっていつも詰られてる』大好きだった柔らかい笑い声が聞こえてくる。
「会ってくれる?」
『今から?』
「出来れば」
『いいよ。何処に行けばいい?』
「裕征、今どこ?」
微かに電話越しに聞こえてくるざわめきが、自宅ではないことを告げている。
『さっき、クライアントとの打ち合わせが済んだ所なんだ。
いまRホテルのロビーにいる』「ちょうどいいや。俺、裕征と話した後にRホテルに行くつもりだったから。そのままロビーで待ってて」
『解った』
助手席に乗り込んだ俺は黙ったまま窓の向こうを見ていた白澤に携帯を返して、
「Rホテルまで送っててくれる?」
もう一度尋ねた。
「俺が送って行かなくても、どうせタクシー拾って行くんでしょ?」
チラリと俺を見て、投げやりに言うと白澤は、差し込んだままのイグニッションキーを廻してエンジンを掛けた。
「この前は酷いこと言って悪かったと思ってるよ」
「もういいんです。俺未来さんのことはすっぱり諦めますから。
俺がボスより自慢できるのは唯一独身だって事だけでしたから。
そのボスが離婚してまで未来さんを取るなんて言われたら諦めるしかないですよ。
俺本気で未来さんに惚れてますけど。
男としてボスにも惚れてるんです」ハンドルを握る手に力を込めて、真っ直ぐ前を向いたまま白澤が言った。
「白澤は、頭も切れるし、顔も良いんだから、何も俺になんかに惚れなくてもよかったのに・・・」
年の割に童顔だが頭の良さそうな横顔を改めて見詰めた。
さっきの電話にしてもほかのことにしても、瞬時に頭や気を回すのを何回も目にしている俺は、秘書としての白澤の手腕を高く評価している。
それに何よりも秘書としての第一条件である口の堅さは類を見ない。
あの慶吾がこの年若い秘書を、古株達よりも信頼している大きな要因だ。
「未来さんって、俺が未来さんの顔だけに惚れてるって思ってるでしょう?
正直言って顔なんかどうでも良いって言えるほど俺は高尚な人間じゃないけど、顔が綺麗だからって理由だけで男の未来さんを抱く気になんかなりませんよ。
俺、ノーマルですもん。
未来さんがここまで綺麗じゃなくてもきっと好きになってたと思う。
確かに初めは綺麗な外見に惹かれたけど、その下にある本当の未来さんを知るたびに、幾らブレーキをかけようとしても未来さんにどんどん惹かれていく自分が止められなかった。
未来さんとボスはよく似てる。
一見完璧なほど綺麗なだけに冷酷に見えるけど、ほんとは優しくて思いやりがあって情熱的で・・・」「止してよ。そんなに褒めても何にも出ないんだからね。
俺も白澤のことほんとは好きだよ。幾ら節操なしでも嫌いな奴なんかと出来ないよ。
俺が考えなしにあんたと寝たのはかなり反省しなきゃならないんだろうけど」「誘った俺が言うのも何なんですけど、まさかyesと言って貰えるなんて思ってませんでしたよ。
玉砕覚悟だったんですからね」からからと笑う。
「へえ?俺には自信満々に見えたけど?」
「冗談でしょ?緊張して手のひらに汗ビッショリかいたのなんか生まれて初めてでしたよ。
ボスの秘書に任命されたときだってあんなには緊張しなかったんですから」高層ビル群の中を巧みなハンドル裁きで滑るように進んでいる内に、Rホテルのオブジェが見えてきた。
「送ってくれて有り難うな白澤。
俺絶対にあんたとのこと慶吾に言わないから。
あんたも仕事やめるなんて事考えちゃだめだぜ」「良いんです。俺この仕事好きだし、ボスにも憧れてますけど。そのボスの信頼を裏切ってまで、大事な未来さんに手出したんだから覚悟は出来てますよ。
俺をニューヨークに連れていかなかった理由を知ってますか?
口にこそ出されませんが、未来さんが心配だったからなんですよ。
それなのに俺はボスを裏切ったんです。
明日、ボスが立つ前に、きっちり始末はつけるつもりですから」「だめだよ!」
俺は白澤の左腕を強く掴んだ。
「幾らもう未来さんと個人的に付き合わないにしても、ボスに秘密を持ったままじゃ秘書なんかつとまりませんからね」
車がホテルの前に横付けされて、ドアボーイが駆け寄ってきた。
「俺が許さない。そんなことでやめちゃだめだ!」
「ほら。ドアが開きましたよ。未来さん」
寂しげな笑顔が俺を見詰める。
今日限りですねと俺に向けられた白澤の瞳が揺れた。
「白澤・・・」
「後悔なんかしてません。
最初から分かっててしたことなんですから。
それでも、俺の持ってる総ての物と引き替えてでも、甘い夢を見れて幸せでしたよ。未来さん」
白澤の車が走り去るのをただ呆然とたたずんだまま見送った。
俺なんかをほんの少しの間抱くためだけに、初めから三十年近く生きてきた人生そのものを棒に振るつもりだったというのか?
俺の何処にそんな価値があるっていうんだ?
それも最初から自分のものになるはずがないと知りながら・・・