act3

「遅れて申し訳ない。俺は戸塚祥平。よろしく」 

 ようやく落ち着いた僕と供にテーブルに付くと、戸塚さんは後藤さんに右手を差し出した。

「俺の方こそよろしくお願いします。俺、後藤尊仁言います。気軽にタカって呼んで下さい」

「関西人にしては、この季節に良い色だな?いつもそんなに焼けてるのか?」

「俺、海が好きですねん。バイトして小金ためてはあっちこっち潜りに行ってますから年中真っ黒。実は三日前にサイパンから帰ってきたとこですねん」

 小麦色の肌に真っ白い歯を覗かせてさわやかに笑う。

「スキューバかぁ。青い海原、赤い珊瑚。日本海の暗い海とは違うんだろうな。俺も一度行ってみたいなぁ」 

 岩本さんが会話に加わる。

「お前は海が好きなんじゃなくて、水着姿の女の子が好きなんじゃないのか」

 その横から大矢さんが辛辣に言う。この二人は子供の頃からの友人らしいけどタイプがかなり違う。岩本さんは渋谷界隈が似合いそうなちょっと軽い感じがする優男で、実際連れてくる女の子もころころ変わる。それに引き替え大矢さんはどちらかというと寡黙で、パッと目を引く岩本さんといつも居るせいであまり目立たないが、じっくり見れば見るほど日本人形を思わせる整った顔立ちをしている。 

 たおやかな独特の雰囲気を漂わせる大矢さんはとってもシャイで僕と話すときすら赤面することが有るくらいだ。

「誰だって水着姿の女の子は好きさ。なあタカ」

 ムッとした顔で大矢さんに言い返すと後藤さんに話をふった。

「そりゃ、そうですけど」

 何故かそう言いながら、後藤さんは僕の方をちらりと見た。

 

「俺の部屋にいた人亡くなりはったって聞いたんですけど。病気かなんかですか?」

 母さんがオーブンまでデザートの出来具合を見るために席を立つと、後藤さんがみんなに聞いた。

 その一言で申し合わせたように、みんなの箸が一斉に止まった。

 僕や戸塚さんだけでなく、智也さんの突然の死は、寝食を共にしたみんなにとっても痛ましい出来事に代わりはなかったんだ。

「事故だったんだ。美人薄命ってよく言うけど、男ながらこの言葉がピッタリくるような奴だったよ。俺は無神論者だが、もしも神様って奴が居るとしたら、きっと智也に惚れちまったんだろうな」

 いつもクールな日野さんがやけに神妙に話す。智也さんは日野さんとあまり言葉は交わさないものの、好きなクラシックを聴きながら静かな時間をよく共有していた。感性が合うとでも言うのか、この二人はどことなく似た雰囲気を持っていたんだ。

「俺、いままで誰にも言ってないんだけど・・・」

 きまじめな顔をした大矢さんが柳眉を顰めて躊躇いがちに言葉を続けた。

「俺の部屋智也さんの隣だろう?智也さんが亡くなってからも時々夜中に物音がしたり、誰もいない部屋の電話が鳴ったりするんだ」

「馬鹿なこと言うなよ!」

 それまで黙々と食べていた、大男の立松さんが怯えたように言った。この人は熊のような見かけに似合わず気が小さくて、こういう話にはめっぽう弱い

「嘘じゃないんですって!」

 普段は大人しい大矢さんがムキになって言い返している。

「お前そんなこと一度も言わなかったじゃないか?」

 岩本さんは、その事よりも大矢さんが自分に隠し事をしたことが気に入らないと言わんばかりに隣に座っている岩本さんの肘を掴んでいる。

「お前にそんなこと言ったら、また訳のわかんないこと言い出すに決まってるからな」

 蒼い顔をした立松さんや今にも揉め出しそうな大矢さん達を後目に後藤さんが明るい声で笑い出した。

「そやぁ楽しみですわ!神様に見初められるほどの超美形の幽霊にご対面と行きましょうか」

 重くなった雰囲気を吹き飛ばすように後藤さんが朗らかに言うと、みんなもつられて笑い出した。

 僕を除いてだけど・・・

 智也さんの幽霊なんて出てきやしない。だって、物音も電話も犯人は僕なんだから。

 夜中に寂しくて辛くて何度も智也さんの部屋に電話をかけた。もちろん幾ら辛いからといっても電話に出てくれる人が居ないことぐらいは十分僕にだって解ってる。それでも、声が訊きたくて、何もかも悪い夢だったんだよと優しい声で言って欲しくて、何度も何度も泣きながら電話をかけた僕。

 母さんに見つからないように何度か夜中にそっとマスターキーで部屋に入ったこともある。智也さんのご両親が荷物をとりにくる前は、智也さんの匂いの残るベッドで泣きながら眠ることもできたのに、今夜からは部屋に入ることも電話をかけることも、もう二度と出来はしない。 

 

 俯いたまま、テーブルの下で堅く握りしめていた両手に戸塚さんの大きくて暖かい手が重なり、全部解っているからと言うようにポンポンと叩いてくれた。

 おずおずと戸塚さんに笑顔を返す僕を、またじっと後藤さんが見詰めていた。

 

 

「僕、一人で行きたいんだけど」

 突然春が来たかの陽気に、家に閉じこもりがちだった僕が、久しぶりに本屋にでも行こうかなと思い立って、出かける用意をしていると後藤さんがひょっこりと現れた。

 明るくていい人なのは認めるけど、ちょっと図々しいくらい僕にまとわり付いてくる。

「そんないけず言わんと。俺も連れてってえな」

 僕の拒絶に全く怯む様子もなく勝手に付いてくる。

「誰にでも、そんなに強引なんですか」

 ついきつい口調になってしまう。

「そんなことないで、ただ舞ちゃんと一緒に居たいんや」

「どうして、僕なんかと居たいんです?」

「どうしてて・・・いややなぁ恥ずかしいこと訊かんといて」

 一人で照れながら、なれなれしく僕の肩に手を置いた。

「気安く触らないで下さい!」

 馬鹿にされてるみたいな気がして、パシンと後藤さんの手を払った。

「舞ちゃんの怒った顔も可愛いなぁ」

 全くこれだから始末に負えない。

「後藤さんって僕が本気で怒ってても気にしないんでしょうね」

 ため息を一つ吐き出すと、怒っているのが馬鹿馬鹿しくて諦めることにした。

「なぁ、その後藤さんて言うのいい加減止めへん?なんや他人行儀な気がして嫌やねん」 急にまじめな顔をして僕を見る。

「嫌って、言われても・・・」

 僕はずっと〈ムーン・ライト荘〉の人たちを名字で呼んできた。

 別に意識してたわけじゃないけど、小さかった僕には大学生は立派な大人の人に見えたからだ。

 ここ数年でやっとそんなに年は離れていないのだと思うようになったけど、名前で呼んだのは智也さんただ一人だった。

 僕が朝倉さんから智也さんと呼び名を変えたときに日野さんだけがおや、と不思議そうな顔をしたけれど他の人は別に気にすることもなかった。みんな年がバラバラな事もあって、これと言った呼び名が決まっているのは【美恵子さん】と呼ばれている母さんと【舞ちゃん】と呼ばれている僕だけだからだ。

「タカが言いにくかったら、尊さんでも尊ちゃんでも良いから。な?」

 そう言えば僕とこの人は三つしか離れていないんだものな。そうそう、堅苦しく呼ばれたくないのも解らなくはないけど。

「そうだね、尊さんもいいかもね」

 僕がそう言うと、例の歯磨きのC・Mのようなまっ白な歯を覗かせて、嬉しそうに尊さんは笑った。

 

 

「ケーキ好きか?舞ちゃん」

 本屋の帰り道、唐突に尊さんは訊いてきた。「え?」

「ケーキ、好き?」

 もう一度繰り返す。

「うん、まあ」

「そしたら、入ろか」

 僕の肘を掴むと人通りをかいくぐって、少し離れたパーラーに引っ張っていく。

「僕、ケーキ食べに行くなんて言ってないじゃない」

「好きや、言うたやんか」

 尊さんの強引さに引きずられたまま、店に入ってしまった。

 この店には智也さんと何回か来たことがある。僕がケーキを頬張っている真向かいで、いつも静かにブラックコーヒーを飲みながら優しい琥珀色の瞳で僕を見詰めていたっけ。

「俺はチーズケーキとブレンド。舞ちゃんは?」

 ウエイトレスさんに注文しながら僕にも尋ねる。

「えっと、苺タルトとミルクティーお願いします」

 僕はいつも智也さんと座っていた奥の席に目を向けながら、直接ウエイトレスさんに頼んだ。

「奥の方がよかったんか?」

「え?」

「さっきからあっちばっかり、見てるやん」「なんでもない」

「そうか」

 何かを見透かすように、尊さんの瞳がスゥーと細まる。

 

「尊さん。兄弟はいるの?」

 気を取り直して無難な話題を持ち出した。「弟が一人、おったんや」

「居てたって?どう言うこと?」

「3年前、十歳の時に病気で死んでしもた。 俺に似んと色白で可愛い子やったんやけど、小さい頃から身体弱ぁてな。ろくに学校にも行けんと入退院のくり返しやったんや。

 何遍も『お兄ちゃん、退院したら海に連れててな』って言うとったんやけど。こればっかりはしゃあないわ」

 あっけらかんと話す尊さんがよけいに寂しそうに見えて、気が付くと熱いものが頬を濡らしていた。この所やけに涙腺が緩んで、情けないほどすぐに涙が零れてしまう。

「ごめん。舞ちゃん。泣かす気やなかったんや。辛気くさい話してしもて、堪忍な」

「ううん。僕の方こそごめんなさい。変なこと訊いちゃって」

 手の甲でぐいっと涙を拭くと、オロオロしている尊さんに笑いかけた。

 僕にやたらと付きまとっているのも弟さんの事が有ったからなんだな。これからは邪険にせずに付き合ってあげよう。大切な人を亡くした悲しみは相手が誰であれきっと同じだもの。

 

「さっきは何を買ったの?」

 尊さんの椅子に置かれた本屋の包みを見ながら訊いた。

「ん?これ?」

 ケーキ皿とコーヒーカップを脇に寄せて、がさごそと、袋からテーブルの上に取り出したのはバリ島の海を写した本だった。

「綺麗だね」

 沈む太陽に真っ赤に染まる水平線も、チョウチョウ魚が戯れる珊瑚の海の底も見とれるほど綺麗だ。

「今年の夏はここに行ってみようと思ってるんや」

 きらきらと目を輝かせて海の魅力を話す尊さんはなんだかカッコイイ。

「いいな、僕も行ってみたい・・・」

「俺と一緒に行かへんか?」

 ケーキを食べながら呟いた僕の言葉を捉えて尊さんが即座に言った。

「無理だよ、お金ないもん」

 笑いながら首を横に振る。

「お金の心配がなかったら、一緒に行ってくれるんか?」

 真剣な顔でなおも食い下がる。弟さんの代わりに僕を連れていきたいのかな?

「そうだね、行けたら楽しいだろうね」

 僕の言葉に尊さんの顔がパッと綻んだ。

act4へつづく