act5
ぼんやりとした灯りが薄く開けた瞼の先に見えた。依然、夢の世界を彷徨っている僕が、それが暗い部屋の中のパソコンの画面の光だと気づくのにそれからまだ、しばらくの時間が掛かった。
僕の部屋にはパソコンなんて物がないことにようやく気づいた僕はゆっくりと上体を起こし、目の前の広い背中に声を掛けた。
「戸塚さん。今何時なの?」
眠い目を強く擦って、意識をハッキリさせる。
「ん?目が覚めたのか?もうすぐ三時になるから何なら、朝まで寝ててもいいぞ」
キーボードを打っていた手を止めて、僕の声に振り向きながらそう言った。
「ううん。そんな事したら戸塚さん眠れないじゃない」
「いいさ。どうせこれ仕上げなきゃならなかったんだから」
再びくるりと机に向かった。
「忙しかったのに、無理させちゃったんだね」 智也さんの写真とボールペンをきちんと服のポケットに納めながら側まで行くと戸塚さんの腕が伸びてきた。
「馬鹿な事言うものじゃない。俺が舞ちゃんと一緒に居たかったんだ。わかったな?」
いつも穏和な戸塚さんがきつく僕の手首を掴んで恐い顔をした。
「ご、ごめんなさい・・・」
「舞ちゃんて以外と重いんだな。ベッドまで運ぶのに苦労したよ」
すぐに笑顔に戻った戸塚さんはそう言うと掴んでいた手を離し、お休みというように手を挙げた。
「やだなぁ、僕そんなに重くありませんよ!」 わざとプクッと膨れて見せて笑いながら戸塚さんの部屋を後にした。
久しぶりにほんわかした気持ちのまま階段を静かに下りていった僕は、リビングから灯りが漏れているのに気づいた。
ちゃんと言っておいたのに、母さんが消し忘れているんだなと思って中を覗くと、膝の上に雑誌を広げたままソファに座っている尊さんが居た。
「あれ?尊さんまだ起きてたんだ。じゃ後で電気消してきてね」
「もうええんや。俺も、もう上がる」
立ち上がった尊さんを見て、すぐ横にあるスイッチに手を伸ばした。
「いいんだね?消すよ。お休みなさい」
尊さんに声を掛けてパチンとスイッチを押した僕は暗闇の中で不意に強い腕に引き寄せられた。
「なんでや・・こんな時間まで一体、何してたんや・・・」
僕の耳朶に触れるほど近くで尊さんが低い声で唸った。
「そんなこと、尊さんに関係ないじゃない。離してよ!」
突然の出来事に驚いた僕が、尊さんの逞しい胸を両手で押し返そうとしてもびくともしない。尊さんの行動そのものよりも真っ暗の中で身動きが出来ないっていうことが僕にはひどく恐ろしかった。
「尊さん。お願い。離して・・・」
無意識のうちに小刻みに身体が震える。
「いやや。離さへん。舞ちゃんのことが好きなんや。俺の独り相撲やて解ってても、舞ちゃんが戸塚さんとふたりっきりや思たら、居ても立ってもおられへんねん」
何度も囁きながら僕の唇を探し求めるように首筋や頬に尊さんの唇が触れる。
「やっ!やだ!」
必死になって身体を捻れば捻るほど、どんどん追いつめられて、壁に押しつけられる形になってしまった。どうにかしようと藻掻いても歴然とした力の差で、僕はどうにも逃げられない。
智也さん・・・
「たすけて・・・」
心の中で愛しい人に助けを求めた。
「俺のことがそんなに嫌なんやったら、もっと大きな声で呼んだらどうや」
暗闇の中でも解るほど苦しげに顔を歪ませた尊さんが僕に迫った。
「さっさと、舞ちゃんの大事な人に助けに来てもらわんと、俺何するかわからへんで」
「助けになんて・・来てくれない・・・」
その事実を認めると胸がキリリと痛んで僕は血が滲むほど強く唇を噛みしめた。
「舞ちゃん・・・?」
「尊さんなんか・・・僕のこと何にも知らないくせに!」
怖いと思う気持ちを通り越して、身体の奥深くから沸々と怒りがこみ上げてきた。
「どう言うことなんや?好き合ってるから、こんな時間まで一緒におったんやろ?」
狼狽えたように僕を掴んでいた尊さんの腕から力が抜ける。
「お願いだから、僕に構わないで。尊さんのこと嫌いになりたくないんだ」
わき上がる怒りを堪えて、努めて冷静に話した。
「一つだけ応えてくれ。戸塚さんのことどう思うてんのや?」
「大好きだよ。さあ、離してよ」
尊さんが僕と戸塚さんの事をどう邪推しようが僕は一向に構わなかった。誰にも僕と智也さんの想い出を汚されたく無かったんだ。「戸塚さんにとって舞ちゃんが特別な存在や無い、いうことなんか?」
「どうとでも、尊さんのとりたいように取ってよ」
どうでも良かった。だれがどう思おうと、僕の愛しているのは智也さんただ一人だけなんだから。
押さえつけられていた壁から身を剥がして、リビングに立ちつくしている尊さんを残したまま足早に自分の部屋に戻ってドアを閉めた。
怒りと不安にがたがたと震えながら、ろくに掛けたこともない部屋の鍵をしっかりと掛けた。
新学期が始まると単調な毎日が何事もなく過ぎて行った。
高校生の僕だけが毎日、朝早くから夕方まで学校に行き、大学やバイト、まあ、人によってはデートにも忙しいみんなとは、そう毎日顔を合わせる訳でもなかった。
尊さんに対しては、まるで何も起こらなかったように別段みんなと変わりなく接していたつもりだ。むしろ出来るだけ愛想良くしていたかもしれない。意識して事態を複雑にしたくないことも有ったけど。僕を見る尊さんの目がいつもとても辛そうだったからかもしれない。
智也さんのことは別にして、冷たいようだけど基本的に僕はあまり人を好きにも嫌いにもならない。此処で暮らしていると、家族同然の人たちがある日突然、卒業という名目で居なくなってしまうのが、小さい頃から身に染みて解っていたからだ。
僕はずっと大勢の中の一人としての自分を知っていた。みんなに好かれ、みんなと仲良くし、笑ってさよならを言える【舞ちゃん】という少年を長い間演じてきたのかもしれない。
懐けば懐くほど、好きになればなるほど、別れの来るのが辛いのを、僕はようく知っていたんだ。
今は僕を支えてくれている戸塚さんにしたって、後、二年もしないうちにここを出ていってしまうんだから。