act6

「・・・・舞ちゃん。おおい!舞ちゃん!」 土曜日の午後ダイニングのテーブルの上に宿題のプリントを広げたまま、ぼんやりしていた僕の顔の前で岩本さんがひらひらと手を振った。

「え?なに?」

「器用だなぁ。目開けたまま寝てたの?」

 ブリーチした茶色い髪をシルバーの指輪を填めた指で掻き上げながら、んっ?と僕の顔を覗き込んだ。

「ち、ちがうよぅ」

 フッと気が付くと大矢さんや尊さんまで僕を見ていた。思わずカッーと血が昇る。さっきまで僕一人だったのに。

「相変わらず可愛いな舞ちゃんは。今度、俺とデートしない?」

「もう、やだな。岩本さんは、忙しくて僕なんかとデートする暇なんかないでしょ。ところで何か用じゃないんですか?」

「俺じゃないんだ。淑貴(よしき)が用があるらしくて、さっきから何回も呼んでるのに、舞ちゃんが気が付かなくて困ってたからさ」 

 困ったような顔で岩本さんの横に立っている大矢さんに改めて顔を向けた。

「ごめんなさい。僕ちょっと、考え事しちゃってて」

「いいんだよ。悪いんだけど戸塚さんの部屋の電話番号教えてくれないかな?もうバイトに出ちゃったみたいなんだ」

 大矢さんは相変わらず少しはにかむように僕に訊いた。

「戸塚さんの?」

 きょとんと聞き返した僕に、言い訳でもするように大矢さんは急いで言った。

「俺、今から秋葉原に用事で行くんだけど、夕べそう話してたら、買い物を戸塚さんに頼まれたんだ。でも、間違うといけないから後で確認の電話を入れようと思って」

「ん・・ちょっと待っててね」

 隣の椅子に置いてある制服のポケットから手帳を取り出してぱらぱらめくる。

「コレなんだけど」

 戸塚さんの番号を指さすと大矢さんは即座にメモに写し取った。

「有り難う。舞ちゃんはなにか買ってくる物ないかい?」

 僕は手帳を仕舞いながら首を横に振った。 その僕の後ろから岩本さんが口を挟んだ。

「珍しいな。一人でお前が繁華街に出かけるなんて」

「一人じゃないさ」

 大矢さんはまるで岩本さんから視線を逸らすようにしたまま出ていこうとする。

「じゃあ誰と行くんだよ?」

 追いかけるようにしてきつい口調で尋ねる岩本さんを振り返った大矢さんは、少し首を傾げて言った。

「いい加減、保護者ぶるのはやめてくれないか。俺はお前が居なくてもちゃんとやっていけるんだから」

「淑貴・・・」

 信じられないって顔をしている岩本さんをそこに残したまま、大矢さんは出ていってしまった。

「岩本さん?」

 今度は僕が岩本さんの目の前でひらひらと手を振って見せた。

「ねえ?岩本さんてば?」

「俺、ちょっと出かけてくる」

 イライラした様子で誰に言うともなく『畜生!』と呟くと、岩本さんも出かけてしまった。

 

「なにか飲む?」

 僕と一緒にポツンと、とり残されてしまった尊さんに笑い掛けながら、椅子から立ち上がってキッチンに向かう。

「コーヒーか紅茶どっちにする?」

「楽な方でええわ」

 テーブルに座った尊さんは僕のプリントに目をやりながら応えた。

「あの二人、高校も一緒やねんて?」

 キッチンの中でコーヒーメーカーをセットしている僕に尊さんが質問してきた。

「うん。二人とも金沢なんだ。家もすぐ近くなんだって。初めは岩本さんの方は繁華街に近いワンルームマンションに決めてたらしいんだけど、大矢さんが此処に決めたのを知って、付いてきたって感じかな。さっき大矢さんも言ってたけど、同い年だって言うのに、遊び回っている自分のことは棚に上げて大矢さんには不思議なほど厳しいんだから」

 しばらくしてコーヒーカップを僕から受け取るときに尊さんはポツリと言った。

「それだけ岩本さんにとって大矢さんが大切や、言うことなんや」

「またぁ、すぐ変に勘ぐるんだから。岩本さんは根っからの女好きなんだよ。見る度に違う人連れてるんだから」

「いっつも、違う相手を連れてるって言うのんは、その女の子の中に本命はおらへんいうことやろ?」

「え?」

 そう言われれば、そんな気もしてきた。

 首を傾げて悩んでいる僕に、いかにもさりげなく尊さんが訊いてきた。

「ああ、そうや。俺この間自分の部屋の電話番号書いた紙、まちごうてほかしてしもたんや。もう一回此処に書いてくれへんか?」

 僕の目の前に、いつの間にリビングに置いてある新聞の広告から取ってきたのか、紙片を裏返して置いた。

「まだ憶えてなかったんだ?」

 くすくす笑いながら、素早く書き込んだ僕の手を、やけに真剣な顔をした尊さんが掴んだ。

「俺、どうしたら、ええんや?」

 痛ましそうな色を浮かべた瞳が僕を見詰める。

「な、何するんだよ!」

「戸塚さんが相手やったら、きっといつか舞ちゃんを俺の方にむかせたるって思うとったんや」

「尊さん?」

「今の今まで、恋敵が天国に住んではるやなんて、思いもせんかったわ」

「な、なに・・・」

「電話番号を聞いたんは、確かめたかっただけや。あんだけ親しい戸塚さんの部屋の番号は手帳を見なあかんのに、俺の部屋の番号はすらすら書ける。時々舞ちゃんが誰かに想いを馳せるように遠くを見詰めてるんは、その人のせいやったんやな」

「すごいね、僕と智也さんのことは戸塚さん以外は誰も知らないのに」

 捕まれていた手を解いて動揺を隠すために、まるで何でもないことのようにやりかけのまま置いてあったプリントの続きをし始めた。

「舞ちゃん。俺とのこと考えてみてくれへんか?」

「考えるって、なにを?」

「何をって・・そんなん、わかってるやろ! こないだの晩のことも、何にもなかったみたいな態度取るのんはやめてくれへんか!」

 詰め寄る尊さんを真正面から捉えて睨み付けた。

「わかんないよ!いったい尊さんは僕にどう言って欲しいのさ!僕の恋人は死んだので、新しい恋人になって下さいとでもいえって言うの?あいにくだけど僕の心も身体も全部、智也さんの物なんだ。尊さんの気持ちには応えることなんか出来ないよ!これ以上僕に変な事言ったり、この前みたいなことするつもりなら、もう口も訊かないから」

 鞄の中にプリントを無理矢理突っ込むと、上着を取って立ち上がる。

「舞ちゃん・・幾ら想っても、死んでしもた人はもう、帰ってこうへんのや!」

 僕の背中に尊さんの残酷な言葉が突き刺さる。

「そんなこと、わざわざ言われなくても解ってるよ!」 

 大声で怒鳴り返した僕の前に、沢山の荷物を抱えたまま、びっくりした様子で買い物から帰ってきた、母さんと日野さんが現れた。

「どうしたの?大声出して」

「え、あ、ごめん。何でもないから」

 滅多に大声なんか出さない僕に母さんが心配そうに言った。

「すいません。俺がいらんこと言うて、舞ちゃん怒らせてしもたんですわ」 

 いつもの明るい関西弁で尊さんが母さんを安心させる。

「喧嘩はいやよ。ね?」 

 僕たち二人を交互に見た母さんはそう言うと、荷物を持った日野さんを連れてリビングを抜けるとキッチンの中に入っていった。

 大所帯の買い出しは半端な量じゃないので、荷物持ちに駆り出された日野さんも無言のまま、買い物袋に埋もれそうになりながら母さんに続いた。

 

 

 部屋に戻ってしばらくするとドアが軽快にノックされた。

「だ、だれ?」

 ピリピリと神経が尖り、身体が強張る。

「俺だけど、開けてもいいか?」

「あ、ちょっと待ってて。すぐ開けるから」

 日野さんの声に安心して、ほっと息を付き鍵を開けた。

「オオカミ防止か?」

 銀縁の眼鏡の奥でいつもは少しきつい感じのする目が優しげに笑った。

「そんなんじゃないけど・・・」

 何もかも見透かされそうな日野さんの瞳から顔を逸らす。

「・・・?」

 三越の包装紙に包まれた小さな箱が日野さんの手のひらに載せられて僕の前に差し出された。

「智也のボールペン、ダンヒルだからこの辺りじゃ、なかなかインク売ってないだろ?」

「戸塚さんに訊いたの?」

 唖然としたまま聞き返す僕の頭を日野さんはいつものように、くしゃっと撫でた。

「祥平はそんなことは言わないさ」

「じゃぁ・・・どうして?」

「見覚えのあるボールペンを宝物みたいに扱ってるのを見れば解るさ。 

 もう何年も一緒に暮らしてるんだ。智也が舞ちゃんにとって、俺達とは違う存在だった事も随分前から俺は知ってたしね。まあ中には、祥平と舞ちゃんの仲を勘ぐってるのもいるにはいるけど」

 日野さんは僕の学習机の椅子をくるりと回して座りながら話した。

「日野さん、知ってたんだ。僕と智也さんのこと」

「毎日見てれば自ずとわかるさ。

 舞ちゃんは智也が側に来ると急にそわそわし出すし、智也は智也でいつも目の端で舞ちゃんを探してた。 

 そんな二人がある日を境にやけに幸せそうにしっくりと収まったのを見て、小学生の頃から舞ちゃんを見てきた俺にとっては、ちょっと複雑な気持ちが無くはなかったけど、まあこんなのも有りかなって、俺なりに納得してたんだけどな」

 日野さんは長い足を組み直しながら、ニッコリと微笑み、昔話でもするように言った。「僕が6年生の時だったよね。日野さんがここに来たの」

 貰ったインクの箱を机の引き出しに仕舞いながら日野さんを見下ろした。

「ああ、6年生には見えないくらい小さくて可愛かったなぁ。あの時は椅子に座ってても俺より小さかったのにな」

「今だって、僕の方がずっと小さいよ」

 子供の僕を構いたい時だけ構って後はほったらかしにする大学生の多いなか。元々べたべたするタイプじゃない日野さんは時折僕の勉強を見てくれたり、なにか有ると的確なアドバイスをしてくれる頼りになるお兄さんだった。

 ここ一〜二年で急に大きくなってきた僕は体つきも段々みんなとそんなに変わらなくなってきたけど、それでも長身の日野さんとは15センチ以上も差が有るんだから。

「舞ちゃんはまだまだこれから伸びるさ。成長期なんだから」

 言葉を区切って、笑顔を消した日野さんは眼鏡の硝子越しにしっかりと僕の目を見詰めて再び口を開いた。

「よけいなお世話だと、よく解ってはいるつもりだ。これが舞ちゃんのことじゃなかったら、俺はいちいち他人のこんなプライベートなことに口なんか挟まないさ。だけど、舞ちゃんも祥平もタカも、今のままじゃ辛いだけだ」

「どういうこと?」

「まずは、祥平だな。舞ちゃんは祥平のことをどう思ってるんだ?」

「戸塚さんのこと?そりゃ・・大好きだよ」「智也みたいにか?」

「違う!」

 あわてて、否定する。

「じゃあ、少し離れてやってくれ」

「え?」

「祥平の奴、ここのところだいぶ混乱してきているんだ。あいつ自身、親友の智也の死を受け止めかねてるところに舞ちゃんまで抱え込んで、智也の大事な舞ちゃんを智也の変わりに守ってやろうとする気持ちが強すぎて、それが同情なのか愛情なのか解らなくなってきてる」

「そんなこと」

「もしも、祥平の気持ちが愛情に変わったときに舞ちゃんが受け入れてやれるなら別に今のまま甘ていればいい。だけど、そうするには二人の中の智也の想い出があまりにも大きすぎるだろう?」

 確かに一方的に甘えているのは僕だ。頭の中では戸塚さんも僕と同じくらい辛いはずだと解っているのに、まるで僕一人が悲しんでいるみたいに戸塚さんの優しさにべったりと甘えてしまっていたんだ。もし日野さんが言うみたいに戸塚さんの僕に対する同情が、万一愛情に変わるようなことが有ったら、僕は・・・智也さんとの想い出を語れる大切な人まで無くしてしまうことになるんだ。

「うん。僕、戸塚さんに心配掛けないようにちゃんとする」

「そうか」

 日野さんはそう言うとおもむろに立ち上がった。真横に立つと180センチを悠に越える日野さんは流石に威圧感がある。

「舞ちゃんとこんな大人の話をするなんて、五年前は思いもしなかったな」

 僕の肩に手を置いて、しみじみと呟いた。「なあ舞ちゃん。智也のことを忘れろとは言わないけど、ちょっとづつ想い出に変えていかなきゃいけない。いくら辛くても生きてるんだからな。それから今の舞ちゃんには迷惑かもしれないけど、タカの気持ちも少しは理解してやってくれ。舞ちゃんだって片思いの間は辛かっただろう?」

「う、うん」

 こくりと素直に頷いた。

「しかし、何だな。どうして男にばっかりもてるのかね?舞ちゃんにとって一番いいのは可愛いガールフレンドでも作ることなんだけどな」

 パフパフと僕の頭を撫でて日野さんは笑った。

 

 

 日野さんが行ってしまってからしばらくして、僕は尊さんと話をするために二〇三号を尋ねた。

「あいてるで」

 僕のノックに尊さんが応えた。

 ドアを開けたのが僕だと気づくと、ベッドに寝ころんでテレビを見ていた尊さんはあわてて飛び起きた。

「ちょっといい?」

「何言うてんねんな。はよ入って」

 たいして散らかってるわけでもないのに尊さんはその辺を落ち着かなげに片づけている。「その・・・よかったら外に出ない?」

 僕には尊さんの部屋になってしまった智也さんの部屋に入って、冷静なままでいるいられるだけの勇気がまだないんだ。

「そうか?ああ、そうやな」

 僕の気持ちが通じたのか納得したように頷くと上着を羽織り廊下に出て来た。

 

「どこいくんや?」

「べつに、どこでもいいんだけど」

 家を出たところで尊さんが訊いてきた。

 行き先なんか考えてなかった僕はフッと思いついて、斜め後ろから付いてくる尊さんを振り返った。

「公園、行こうか?天気もいいし暖かいから」「俺は舞ちゃんと一緒やったら、何処でもええわ」

 家から五分ほど歩いたところにちょっとした緑地公園がある。昼間は小さな子を連れた若いお母さんが多いけど、もうじき夕飯の支度をする時間なのだろう、今はポツリポツリと犬の散歩をしている人がいるだけだった。

 咲き始めたツツジや五月の垣根がいい匂いを漂わせているし、ソメイヨシノは既に散ってしまって緑の葉が茂っているけど、所々に八重咲きの桜が見事な花を付けている。

 

「舞ちゃん。缶コーヒー飲むか?」

 自動販売機の前で立ち止まった尊さんが僕に声を掛けた。

「うん」

「暖かいのんか?冷たいのんか?どっちや?」「暖かいのがいいな」

「よっしゃ!」

 本人は至って真面目なんだろうけど、つい笑ってしまう。

「なんか、可笑しいか?」

 尊さんはコーヒーを渡しながら首を傾げる。「ううん。座らない?」

 首を横に振って、近くのベンチに向かった。「なんか話があるんやろ?」

 ベンチに座ってどう切り出せばいいか解らずに缶コーヒーを手の中で転がしている僕の前で、まじめな顔をして立ったままの尊さんが言った。

「謝りたかったんだ。もし僕が尊さんを傷つけちゃったんなら、ご免なさい」

「何でや?何で舞ちゃんが俺に謝るんや?」「あの時。僕、気が動転してて・・・ちゃんと話せば良かったんだ」

 自分の事で手一杯で、他の人の事なんて考えられなかったんだ。尊さんの事なんてどうでもいいって本気で思ってた。

「動揺して当たり前や。あんなことしてしもた俺が悪いんや」

 僕の目の前にある尊さんの拳がきつく握りしめられた。

「僕、智也さんの事、今でも愛してる。ううん、これからもずっとこの気持ちは変わらないと思う。尊さんの言うように智也さんは帰ってきてはくれない。僕がどんなに泣いても叫んでも帰って来てはくれないんだ。それでも僕はずっと、ずっと、これからも智也さんを愛してる。決して誰も智也さんの代わりになんてなれないよ。智也さんは智也さんだもの。 

 これから先もしかしたら、また誰かを好きになることが出来るかもしれないけど、その人にもちゃんと言うつもりなんだ。智也さんを愛してる僕ごと好きになってくれますかって」

 尊さんを見上げて話す僕の声が、少し震えている。

「俺にもいつかそう訊いてくれるって、思ってもええのんか?」

「ごめんね。今はまだ僕にも解らないんだ。もう少し時間が欲しい。考える時間が」

「時間やったら、舞ちゃんにも俺にも仰山ある。もう俺もあせらへんから」

 尊さんは全身の力が抜けたみたいに、ドサッと僕の横に腰を下ろした。

「さっき、舞ちゃんが部屋に来たときは、てっきり。金輪際話し掛けんといてって言われるんかとおもたわ」

「僕そんな酷いこと言うように見えるんだ?」「そりゃもう。たま〜に恐ろしいほど恐い顔するやんか」 

 頭の上に指を二本突きだしてニカッと笑う。「ばか!」

「バカ言うたな。関西人にバカ言うほど失礼な言葉はないんやで」

「へ〜そうなの?じゃあ、あほ!」

 くすくす笑いながらそう言った僕を尊さんは目を細めて愛おしそうに見詰めている。

「ほんまに、あほやなって自分でも思うわ。こんだけ近くにおんのに、怖うて、なんにもでけへん。ほんまにあほらしいわ」

 苦笑を浮かべて肩を竦めると、缶のプルトップをパコッと開けた。

 僕も温くなったコーヒーを黙ったまま飲んだ。所折り、隣に座っている尊さんの日に焼けた横顔に目をやりながら。

 

 

 その夜、夕食が済んで片づけの手伝いも一段落した後で、僕たちは立松さんのかりてきたビデオを見ることになっていた。本人が見たくて借りてきたエイリアン物の映画なんだけど、怖くて自分の部屋では見れないらしくてみんなに声が掛かったんだ。

 珍しく大矢さん以外全員が揃っている。怒って出ていったはずの岩本さんも僕と尊さんが出かけていた間に戻っていた。

 

「母さん見ないの?」

「遠慮しとくわ。ぐちゃっとなるのは嫌なのよ」

 綺麗な物が好きな母さんは本当に嫌そうな顔をして部屋に入っていった。

 本当は僕もあんまり得意じゃないんだけど

女の子じゃ有るまいし、逃げ出すわけにもいかない。

 仕方なくソファに座ると、いつの間にか尊さんが僕の横にちゃっかりと陣取っていた。

「こういうの好きなの?」

「う〜ん・・べつに嫌いや無いけど、アクション系の方が好きやな。舞ちゃんは?」

「ほんとはちょっと苦手なんだ。血がドバッと出る奴」 

 顔を寄せて小さな声で言った。

「怖かったら、俺に引っ付いとり」

 尊さんもみんなに聞こえないように小さなな声でそう言って微笑んだ。

 そんな僕たちを複雑な顔をして戸塚さんが見ているのに気が付いて、まるでなんだか悪いことをしているのを見つかったような気分になった。 

 思わずシュンとなった僕に気が付いたのか、大きな立松さんの影になって、戸塚さん達からは見えない僕の背中に尊さんが腕を廻した。

 結局映画の間中、背中に廻された尊さんの腕と、時折僕に向けられる戸塚さんの視線が気になってよく内容が解らない。まあ、どっちにしろ大して内容なんて無いんだろうけど。

 ガバッとエイリアンが出てくるたびに立松さんが大きな巨体を揺らしながら『ひ〜』とか『ぎゃ〜』とか僕の横で叫んでいた。

 そんな僕と同じように、全く上の空でビデオの前に座っていたのは岩本さんだった。

 岩本さんは画面さえ見てはいない。ただじっと玄関の方を見ていた。映画が終わり一人、二人と上がっていっても、そんなことにも気づかないのか黙ったままじっと座っている。

「ほっとくしかないやろ」 

 どうしたらいいのか解らなくて困ってる僕を促すように尊さんが言った。

「うん。そうだね。お休み」

 部屋に戻って、ベッドに入ると一二時を少し回っていた。

 うつら、うつらしかけた僕の耳にリビングの方から言い争うような物音が聞こえてきた。 あわててパジャマの上にカーディガンを羽織ると僕は部屋を飛び出した。

 

「飲めない酒まで飲んで、一体今何時だと思ってるんだ?」 

 大声を出さないようにしながらも、きつい口調で岩本さんが責めているのが聞こえる。

「ほっといてくれよ!尚志(ひさし)はいっつも遊んでるじゃないか」

「俺とお前は違うだろう?」

「なにが?」

 あまりにも緊迫している雰囲気にこれ以上出ていけない。

「なにがって・・・淑貴、おまえ」

「もういいよ。尚志があのことが有ってから部活までやめて、ずっと俺のこと守ってくれた気持ちは嬉しいけど、あれは事故だったんだ。一度あんな事が有ったからってそうそう同じ事なんか起こる訳じゃない。それに俺はもうあの時の子供じゃないんだから」

「だめだ。あの後も何度もお前にちょっかい出そうとした奴がいるじゃないか」

「俺が何をどう言ったって、あんな場面を目撃したお前には俺がそんな風に見えるんだろう? お前がそうやって何か或度に、俺にあのことを思い出させるんだ」

「淑貴・・・お前、今までそんな風に思ってたのか?」

「そうだろ?お前はとっかえ、ひっかえ、女の子と付き合ってるくせに、俺が少しでも親しい友達を作ろうとするとすぐにあのことを持ち出して。まるで、まるで・・・俺が・・誘ってでもいるみたいにこうやって責めるんだ。一度男に強姦された俺はもうまともな男じゃないって、お前は思ってるんだよ!」

 信じられない言葉が悲痛な叫びになって僕の耳に飛び込んでくる。これ以上立ち聞きしちゃいけないって思っているのに身体が金縛りにあったように動かない。

「ちがう!そんなんじゃない!」

「俺がここに住むって決めたときだって、他の男と一緒に住むなんて危なくてほっとけないって言ったじゃないか!お前はあの時から守ってやるって言いながら、ずっと俺のことを軽蔑してるんだ。

 今日だってそうさ、いつ俺が男と出かけるって言ったんだ?俺が女の子と一緒だったかもしれないなんてお前は考えもしないんだ!」

 

「ひっ!」

 不意に背後から肩を掴まれて飛び上がりそうになった。

「しっ〜!」

 後ろから尊さんが大きな手で僕の口を押さえてそのまま僕の部屋の方に引きずっていく。

 物音をたてぬように僕の部屋に入ると、二人ともそれまで無意識に止めていた息を大きく吐いた。

「はぁ〜・・・びっくりした」

 僕が呟いたときに、どちらかが階段を駆け上がる音がしてきた。もう少しあのまま、あそこにいたら見つかるところだったんだと思うとゾッとする。

「もうちょっと此処に居てもええか?今上がっていくのんは、ちょっとヤバイやろう」

 後ろ手にドアを閉めたままもたれ掛かっている。

「うん。そうだね。ただの喧嘩ならとめなきゃって思って出ていったんだけど・・・」

「俺もや、岩本さんが怒鳴ってるだけやのうて、普段大人しい大矢さんの怒ってる声まで聞こえてきたから、見に降りてきたんやけど、こんな話の展開になるやなんてな」

 一応、みんなを起こさないつもりだったんだろう。三階まで筒抜けになる玄関じゃ無くて、リビングの中に入って言い合っていたものの、ちょうどそこは尊さんの部屋の真下で怒鳴り有ってた事になるんだ。

「尊さんそんな所に突っ立って寒いんじゃない?」

 少し落ち着いてドアの所に立っている尊さんを改めて見てみると、ちゃんとしたパジャマじゃなくて、半袖のTシャツにジャージのパンツを履いている。幾ら直に5月になるとはいえ真夜中にこの格好では寒いだろう。僕なんかご丁重にもカーディガンまで着込んでいるんだから。

「大丈夫や」

 そう言いながらも、くしゃん!とくしゃみをした。

「ほら。ばかだぁ、風邪引いちゃうよ」

 笑いながら、着ていたカーディガンを脱いで尊さんの肩に掛けた。

「こんなことしたら、舞ちゃんが寒いやろ?」「僕は布団に入るからいいよ」

 ベッドに腰掛けて布団を身体に巻いた。

 カーディガンを貸してあげてもフローリングの上の裸足がやけに寒そうだ。

 気詰まりな様子で立ったままの尊さんに、少しためらった後、思い切って僕は声を掛けた。

「ねえ、一緒にベッドに入る?」

 つかの間の沈黙の後、尊さんが上擦った声をあげた。

「え?」

 意味深な表情を浮かべた尊さんは、大きく目を見開いて、まじまじと僕を見た。

「へ、変な事考えないでよ!たっ、ただ、あんまり寒そうだから!」

 僕は自分でも解るほど顔を赤らめて、あたふたと付け加えた。

「無茶いうなぁ、舞ちゃんは・・・こうやって夜中に同じ部屋におるだけでもかなんのに、一緒のベッドに入って変なこと考えんな、言われてもそんなん無理いうもんや」 

 僕を見る目は笑っているものの、明らかに落胆した様子で言った。

「ご、ごめん・・・」

 つられるように謝ってしまったけど、一体どうして僕が謝らなきゃなんないんだよ。

 一人でぶつぶつ言っている僕を後目に、窓の方に歩いていった尊さんは、水色のカーテンをそっと開けて外を見た。

「えらい明るいおもたら、今夜は満月なんやなぁ」

 尊さんの肩越しに大きくて、まんまるのお月様が見えた。

「南の島に行ったら、お月さんが出てるかどうかで夜の明るさが全然違うんや。満月の時はそりゃぁ明るうて、波頭が月の光にキラキラ光ってほんまに綺麗なんやで。

 反対にお月さんが出てへんときは自分の手ぇもみえへんほど真っ暗で、上見たら満天の星空が広がってる。聞こえてくるんはただ僅かな波の音だけや。そんなとこにじぃっと立っとたら何もかもみんな些細なことに思えてくるんや。俺の悩みや悲しみなんか、ほんまちっぽけなことやて思わせてくれる。

 何万年も何億年も同じようにこうやって星も月も夜空に煌めいて、その下で俺達みたいにみんな悩みながら繰り返し人生を送る。短い人生やった章仁(あきひと)や智也さん達と俺達の人生かて、そんな悠久の時の流れの中から見たらたいして変わりはあらへんやないかて、思えてくるんや。

 誰もがみんな与えられた短い人生を一生懸命生きるしかないんやってな」

 窓枠に両手を置いて、僕に背中を向けながら話していた尊さんが、振り返るなり例の白い歯を見せて照れくさそうに僕に笑い掛けた。 月の光に浮かび上がった尊さんの笑顔に僕の胸はきゅんと鳴った。

「なんか、柄にもないこと、言うてしもたな、ぼちぼち部屋に戻るわ」

 部屋から出て行きかけた尊さんに、よく考えもせずに僕はぽろりと口を滑らせてしまった。

「僕も行く」

「・・・?」

「僕も夏休みに行く。バリ島だったよね?」「ほ、ほんまか?」

 すっ飛んで来た尊さんが僕の肩を両手でしっかり掴むと勢いよく言った。

「ほんまやな?絶対やで!後でやっぱりやめたは無しやからな!」

「う、うん」

 強く肩を揺さぶられて。こくりと頷いてしまった。

「そうか〜。嬉なぁ。お金のことは何とかするから舞ちゃんは気にせんでええからな。ほんなら俺、舞ちゃんの気ぃが変わらんうちに行くわ」

 突然掴んでいた手を離したかと思うと、そそくさと部屋から出ていってしまった。

 尊さんが部屋を出ていった後、白々と夜が明け始める頃まで、なんだかとんでもない約束をしてしまったような気がして僕は眠りにつくことが出来なかった。

act7へつづく