スターライト・セレナーデ
1話
鉛灰色の空を映す窓に、冷たい霧雨のもたらした幾筋もの水滴が透明なガラスの上を流れ落る。 まるでそれ自体が意志を持つ物で有るかのように、小躍りしながら不思議な縞模様を描き出している。 僕は雪が嫌いだ。 それは僕の最愛の人“朝倉智也”その人を昨年の暮れに冷たく凍えるような真っ白い雪が僕から奪って逝ってしまったからだ。 もう既にこれは、僕のトラウマと呼ぶに相応しい物に成りつつあった。 しかし、幾ら梅雨とは言え、こう何日も雨が続くと『雨も嫌い』と言いたく成ってくるよな。まるで体中が湿気て全身にカビでも生えてきそうだ。 僕は、薄い水色のカッターに紺色に緑のチェックが入った涼しげな夏の制服に身を包み、学生鞄と傘を持つと、そぼ降る雨の中に意を決して出ていこうとしていた。 途端、僕の目の前の玄関ドアが唐突に開いて、 「おっと。おはよう舞ちゃん。今からか?気いつけていきや」 前髪から雨の滴を小麦色に焼けた額にしたたらせ、目の下に翳りを帯びた尊(たか)さんが立っていた。 「あれぇ?尊さん。朝帰りなの?」 僕の声が僅かに尖る 「ああ、ちょっとな。野暮用や」 照れくさそうにはにかんで、トレードマークの白い歯を僅かに覗かせて笑った。 朝帰りという行動が癇に障っているはずなのに、翳りのせいか、はたまたしっとりと濡れた髪のせいか、初めてみる尊さんのアンニュイな風貌に僕は思わず見とれてしまう。 僕のほんのりときめいた気持ちも知らずに、尊さんはぽんと肩を叩いて、香ばしいベーコンの香りが漂うリビングに入っていった。 ここは私設の学生寮〈ムーン・ライト荘〉 僕は家主の息子だが、僕と母さんのほかに6人の大学生が住んでいる。 玄関は一つだけど、個別に簡易キッチンとユニットバスも付いた部屋が二階と三階、それぞれに三部屋づつ有って、食事は自炊でも構わないのだが、よほどのことがない限り母さんの作る食事を大きなリビングの奥にあるダイニングテーブルで取っている。 夜も揃って食べることなんか滅多にないんだけど、朝はもっとバラバラだ。 みんなは徒歩でも行けるぐらい、ほんの近くに有る有名大学に通っているので、高校生になってから電車通学をしている僕とは朝に顔を合わすことなどほとんどない。 時折朝に顔を会わすと言えば、朝帰りする人ぐらいなんだけど・・・。 朝帰りする人はたいてい決まっていて、研究室に泊まり込むことの多い、院生の日野さんと立松さん。それについこの間まで朝帰りの常習者だった、遊び人の岩本さん。 もっとも岩本さんは長い間お互いが片思いだと思っていた、同じくここの住人である大矢さんとの恋が成寿しばかりなので最近はとっても真面目なのだ。 とにもかくにも、たまに飲みに行くことぐらいはあっても、尊さんの朝帰りなんて今まで一度も無かったのに。 それも目の下にご大層にも隈まで作ってさ。 もっとも女子学生を預かっていないせいもあって門限などはないし、各人が玄関の鍵を持っているんだから、母さんや僕の起き出す6時以前にそっと帰ってくれば誰にも朝帰りしたなんて解らないのだけれど。 しょぼしょぼと降り続く雨と、同じくらい僕の心もモヤモヤとしたまま、どんよりとした一日が始まった。 家から十分ほどの距離にある駅に着いた僕は濡れた傘と重い学生鞄を何とか持ったまま、四苦八苦しながら定期券を出して込み合った自動改札を抜けた。 改札を抜けてホームで息を付く暇もなく人の波に押されながら、朝の通勤通学ラッシュでほとんど動けない状態の電車に乗り込んだ。 いつも同じ時間の電車に乗っているクラスメートの谷川さんを見つけた僕は、押しつぶされそうになりながらも彼女に笑顔を向けた。 谷川さんは僕のクラスの副長を務める才女なのだが、そんなことを鼻に掛けたりしない可愛い女の子なのだ。 僕の駅より2つ手前の駅から乗ってくる谷川さんも、いつもなら僕に微笑み掛けてくるのに今日は何故かいつもと様子が違う。 白い肌を紅く染めて俯いたまま、頻りに身体を左右に捩っているし。時折僕に向けられる視線が痛々しくて、鈍感な僕にでも彼女が痴漢行為に逢っているのが解った。 素早く彼女の周りにいる男達に視線を巡らしてみたが、どいつもこいつもシラっとした顔で誰が犯人なのかわかりゃしない。 「ちょっと、すみません」 満員の乗客の中を肩を差し込むようなかたちで押しのけて、無理矢理彼女の横までたどり着いた僕は、ちょっと躊躇したものの谷川さんを抱き込むような形でほかの乗客から彼女を遮った。 「ありがとう。香月(こうづき)君」 そんなに大きくない僕の腕の中にすら、すっぽりと収まった小柄な谷川さんは、ホッと息を付き、消え入るほど小さな声で僕に礼を言ったんだ。 さてさて、久しぶりの連載です。 ムーンライトで辛い経験をした舞ちゃんは、新しい恋を始めることが出来るのでしょうか・・・・・ まだまだ序章ですね。 引き続き見守ってやって下さいね |