スターライト・セレナーデ

3 話

僕は一人部屋に戻って窓の側に立つと、ここのところ何日も際限なく降り続いている雨をぼんやりと眺めた。

空はどんよりと曇り、青々しい木の葉をつけた庭の木々も、今は冷たい雨に濡れそぼって、項垂れたように立ちつくしている。    

僕との事を無かったことにしようとする尊さんを責める資格なんか僕には有りはしない。 

幾ら好意を抱き始めてるとはいえ、まだまだ僕は尊さんを受け入れるだけの気持ちにはなっていないからだ。

なぜなら僕が自分の意志で尊さんを受け入れるということは、やはり幾ら自分を正当化しても智也さんへの裏切り行為のような気がしてしまうんだ。   

だからどれだけ昨夜尊さんが何処で過ごしたのか訊きたくても、目の下の翳りに僕の胸がチクリと痛んでも、僕の口から尋ねることは出来はしない。  

僕は確かに嫉妬している。

昨夜帰ってこなかった尊さんに。

今、尊さんが大矢さんと二人きりでいることに。

いくら冗談だと解っていても『淑貴さんに抱きつかれて嫌な気がしない』と言った尊さんの言葉にも。

僕以外の人に向けられる、あのさわやかな笑顔にすら僕は嫉妬を感じているんだ。  

僕はこれから先、誰かを好きになりかけるたびに、こうして新しい想いと智也さんへの想いに挟まれて、身動きが出来なくなるのかな。

日野さんも戸塚さんも新しい恋をしろと僕に言うけれど、智也さん以外の人に向かって素直に『好き』と言える日など永遠に来ないような気がするんだ。  

低く鉛色にたれ込めた、あの雲の向こうに智也さん貴方がいるのなら、どうして僕を連れていってはくれないの・・・

どうして僕一人を置いて逝ってしまったのさ・・・・・

☆★☆

「そう言えば、ここん所、晩飯食ってるタカを見ないな」  

珍しく早い時間に夕食を食べている日野さんが僕に訊いた。

「そうだね」  

僕は焼き魚の小骨をせっせと取りながら、すげない返事を返した。

「バイトが忙しいみたいですよ」  

揚げ出し豆腐の入った腕を上品に持ったまま大矢さんが日野さんに応えた。  

僕たち三人分のお茶を湯飲みに注ぎながら、

「もう何日も家で夕飯食べてないのよね。身体壊さなきゃ良いけど」  

母さんが心配そうに頬に手を置いた。

「心配しなくてもどこかでちゃんと食事位してますよ。もう子供じゃないんだから」  

大矢さんにそう言われた母さんは、それもそうねと急須を持ってキッチンへ戻っていった。

「若干一名、食事もせずに子供みたいに部屋で拗ねくれてるのもいるけどね」  

箸を動かす手を止めて、大矢さんがポツリというと、日野さんがぷっと吹きだした。

「岩本さん部屋で拗ねてるの?」  

優しくたおやかな大矢さんが、嫌味を言う相手は恋人である岩本さんしかいない。

「舞ちゃんさっきまで部屋にいたからな。
尚志の奴、淑貴のベッドでタカが眠ってるのを見てもう大変だったんだぞ」

「え?尊さん、大矢さんのベッドで寝てたの?」  

僕の背中に何かがゾワリと這い上がる。

「さっきCD聞きに上がったろう。
昨夜あまり寝てなかったみたいで、音楽掛けた途端タカったら寝ちゃったんだ。
俺が布団を掛けてやろうと、タカの上に覆い被さってるところへ、尚志の奴がガチャリ。
びっくりして振り返った俺に何も言わずに出ていって、自分の部屋に籠もったきり、何を言っても出て来やしない。
そんなに信頼されてないのかと思ったら、なんだか情けなくなってきたよ」  

肩を竦めた大矢さんは、こっちまでやるせなくなるような溜息を吐いた。

「【Love・is・blind】古い歌に有るよな。
尚志は淑貴のこととなると、ほかのことは何も見えないんだから、許してやれって」   

純和食の献立を食べ終わった日野さんは、香ばしい香りの玄米茶を啜りながら大矢さんを慰めた。  

僕は岩本さんを悪くは言えない。

僕が同じ場面を目撃していたら、きっと岩本さんと同じ事をしただろう。

岩本さんにとって大矢さんは唯一無二の大切な人だけど。僕の場合は単なる我が儘にすぎないんだからもっと始末が悪い。

「戸塚さんも遅いですね?水曜日はいつもこの時間には帰ってくるのに」  

壁に掛かったメルヘンチックなからくり時計が八時を告げると、大矢さんが誰に言うともなく呟いた。

「祥平(しょうへい)なら、今夜はデートで遅くなるそうだ」 

食べ終えた自分の食器をキッチンに運びながら日野さんが答えた。  

戸塚さんがデート?別に驚く事じゃないけど。そんなに頻繁ではないにしろ去年の暮れまでは時折同じゼミの女の子と出かけていたんだから。

ただ、今年に入ってからは悲しみに暮れる僕を慰める為に、取れる時間の総てを戸塚さんは僕のために使っていてくれたんだ。  

これも僕の我が儘に過ぎないことは百も承知だけど。戸塚さんからも尊さんからも一人取り残されてしまったような一抹の寂しさが僕を襲う。  

何となく食欲の失せた僕は、ほぼ半分近く食べ残したまま、キッチンに食器を下げに行った。

☆★☆

翌朝、久しぶりに雲の切れ目から青空が覗いて、雨の上がった道を水たまりを避けながら駅に向かって歩いていると、前方から尊さんが帰って来るのが見えた。

「お帰り」  

歩みを止めた僕は出来るだけなんでもないことのように声を掛けた。

「ただいま。気いつけていっといで」  

尊さんはほんの少し疲れの残る顔に笑顔をを浮かべて僕に手を挙げると、そのまま立ち止まりもせずに行き過ぎていく。  

まるで社交辞令のような、ほんの数秒の挨拶だけで行ってしまうんだね。  

僕は喉元まで出かけた罵りの言葉をグッと飲み込んで再び駅に向かって歩き出した。

朝帰りの続く尊さんが気になる舞ちゃん・・・・

でも、尊さん毎晩どこへ行ってるのかしらねぇ?

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