Crystals of snow story

My Princess Prince

常春の小さな王国ラベンダーバレイ。
ホンの短い冬季を除けばほとんど一年中薄紫色のラベンダーリーフが王国を守るようにそびえ立っている渓谷の裾野を覆い尽くしている。

機械文明が入り込んでいないこの世界は空の果てまで青く澄み、暖かい南風が谷に心地よい清らかな空気を満たしていた。

渓谷の反対側には豊かな緑の森が拡がっており、うららかな午後、草木は歌い、小鳥が囀り、森はかれらの主人の訪れを待ちかねていた。

「えへっ。やっと衛兵の目を盗んで抜け出してこれたね、オズワルド。このまま夕方まで森にかくれてよっと」

白いレースの胸元がふりふりと際だつ明るいローズ色の綺麗なドレスに身を包んだ愛くるしい少女が真っ白な馬にまたがって、森の中を奥へと向かっていた。

彼女の行く先々に小さな森の生き物たちが顔を覗かせ、オズワルドの馬体にひょっと小枝から飛び乗ったやんちゃな子リスがちょこまかとした動きで、彼女の肩までやってきた。

「やぁ、小リスくん、元気だった?」

花が咲くように笑った少女の名前はハーティ、こののんびりとした小さな王国のお姫様。

ハーティが鞍に付けて置いた巾着からお菓子の欠片を取りだして、肩の乗ってる子リスに与えると、小リスは頬袋一杯に詰め込んで、小枝へと帰っていった。

「バイバイ、またね〜♪」

次々と訪れる小さな友達に、ハーティは同じようにお菓子やら、ナッツを与え、時折動物たちの仕草に笑い声を上げながら木漏れ日の中を進んでいった。

午後の光に甘く溶けそうなはちみつ色の長い髪、濃い睫毛に覆われラベンダーリーフを映したような紫色の大きな瞳、思わず誰もがキスしたくなるようなぷっくりしたピンク色の唇。

今日もお姫様は愛馬のオズワルドにまたがって、窮屈なお城を抜け出してきたのだが、のんびりゆっくりお気に入りの木立の中をオズワルドに乗って散策していると、

「姫ー!アンジェリカ姫!お待ち下さい」

後ろから駆けてくる蹄の音に続いて、聞き慣れた音楽的なバリトンがハーティの耳に届いた。

姫の正式な名前はアンジェリカ・ハロルド・ダリル・ビンセント・ラベンダーリーフと言う、なんだかごちゃ混ぜのような長い名前なので〈事実サードネームとフォースネームは父方母方の祖父二人の名前を付ける習わしなのだ〉公の場ではアンジェリカ姫、側近や両親からはセカンドネームの愛称『ハーティ』と呼ばれている。

「ちぇ・・・・また、見つかったんだ・・・」

忌々しげに舌打ちをして、振り返るとそこにはハーティの側近中の側近、幼い頃からの遊び相手として育ったブレンダがいつもの苦笑を浮かべていた。

整った顔立ちに加え、夜の闇を思い起こさせるほど真っ黒な髪と黒瞳の所為かなにもかも見透かすような聡い印象を与える思慮深い青年。

ハーティより3歳年上のブレンダは幼い頃から姫を守るために数々の英才教育を受けてきたためか、19歳と言う年齢も関わらず、ずいぶん大人びた男でもある。

加えて影では宮中一の女泣かせとの異名も持っているらしい。

「アンジェリカ姫・・・・・午後に隣国のシャルル王子とのお茶会があることをよもやお忘れではありませんね?」

ブレンダはオズワルドの手綱をハーティの手からやんわりともぎ取って自分の愛馬、トレイシーの鞍に結わえ付けた。

「お茶会なんか出ないって言っといたじゃないか!しってるだろ?ぼくがシャルルのにやけた顔を見ると虫ずが走るって・・・・」

条件反射なのか『シャルル』と口にした途端、ハーティはブルブルっと小刻みに身体を震わせた。

「アンジェリカ様・・・・『ぼく』はおよしください・・・・」

本題には応えずにブレンダは困ったように眉を顰めた。

「良いじゃんか、どうせここにはぼくとお前しかいないんだしさ。
それに最近町娘の間では『わたし』っていうより『ぼく』っていうのが流行ってるんだよ」

「いけません、何処で誰が訊いているか・・・壁に耳あり障子に目ありです。
それにアンジェリカ様は町娘ではありませんよ。そのあたりきちんとご自覚なさっていただかないと」

ブレンダはきつい口調でハーティを諭した。
余談だが、この国に障子があるのかと、突っ込まないように。

「もう、うるさいなぁ・・・・ブレンダは・・・怒ってばっかりいると直に女の子たちがきゃーきゃー騒ぐ自慢の黒髪が抜け落ちて禿げちゃうよ」

「別にわたしは女性にもてたくて髪を伸ばしている訳ではありませんし、うちの家系には代々禿げはおりませんので」

たとえ禿げても自分は十分もてますからとでも言いたげにブレンダはにっこりと微笑んだ。

「ふううん。ま、いいけどね。よっと!」

そんなブレンダに肩を竦めて、ハーティはヒョイッと馬から飛び降りた。

「姫!!!」

「逃げやしないって、ちょっと、用を足すだけだよ」

大木の横まで歩いていったハーティはかかとまである上品なローズ色のふりふりしたスカートの前をかぱっと腰まで持ち上げて・・・・・・・

「ひ、姫!およしください!!」

男前なバリトンが目の前の状況にひっくり返っている。

・・・・・・・・・・・・・〈のどかな森に水音が木霊する〉

「うーーーー、すっきりした〜」

「姫・・・・・」

額を押さえたブレンダが、しっかりと目をつぶったまま情けなさそうな声で続ける。
年には不似合いなほどあまたの美女のスカート中を知り尽くしているブレンダだが、ハーティのスカートの中だけは苦手なようだ。

「い、いい加減にしてください。今さっきもいったでしょう。何処で誰が見ているかわからないんですよ?もう少しご自分の現状を理解していただかないと」

ハーティには両親と、極僅かな側近しか知らない、秘密があるのだ。
そう、賢明な読者はもうお分かりだろうが、彼女は立ちションが出来る。

つまりお姫様は男子なのである。

何故、それでは姫として育てられているか、それはよくある話だった。

ハーティの実母は王の寵愛を一身に受けたそれは美しい娘だったのだか、残念なことにただの町娘、宮廷に出入りする仕立屋の娘だった。

ルビーと言う名のその娘はそれは宝石のように美しい娘で、王は一目で恋に落ちてしまったのだが、すでに王は隣国の姫を正妻に迎えた後だったし、もし、王が独身だったとしても町娘を正妃に迎えるわけには行かないのが身分と言うものだ。
そこで、王は大切な娘を宮殿に迎え入れて苦労をさせるに忍びなく、城からも町からも離れた、湖の傍に小さな宮殿を建てて、娘を住まわせ、自分は公務のない日にせっせと通い詰めた。

やがて愛し合う二人に愛の結晶が誕生するのはごくごく当たり前のこと、アンジェリカ・ハロルドの誕生となったのだ。

だが・・・・・何故か愛し合っていないはずの正妃との間にも愛の結晶が誕生したのは男の不誠実の現れか、ただ単に王が好色だったのか、アンジェリカの生まれる一ヶ月前のことだった。

嫉妬深い正妻の毒牙から守るため、ハーティの性別は女の子と王宮に伝えられ、時折、母とともに宮殿に顔を見せるときはきちんとドレスを着せられた。

たまの女装はお芝居をしているみたいで、楽しかったし。
女の子としての立ち振る舞いは母から教わっていたハーティはたまに着る、綺麗なドレスが嫌いじゃなかったようだ。

それに、鏡に映る、自分の姿は、我ながら可愛いと思っていたし。
普通ならこの年まで性別をごまかすこと自体、難しいのだろうが、母ルビーから譲り受けた、美しく愛らしい顔立ちが誰の目も簡単にごまかしてくれたのだ。

このまま、義兄のライアンが結婚し、男子を設けてくれさえすれば、ハーティの王位継承権も順位が下がるために新王子出生を機に性別を開かすことが出来るはずだったのに、そうは旨くことは運ばなかった。

母、ルビーの突然の死によって、急きょ半年前、王宮に引き取られたのだ。

それまでは宮殿に出るときだけっだった女装が日常となり、ハーティーは一日中姫として振る舞わなければならなくなった。

いくら、ドレスを着るのが嫌いじゃ無いとは言え、16歳の健康な男子にとって、毎日ともなれば窮屈と言うものだろう。

半年間なんとか秘密を死守してきたものの、今や、ハーティの秘密を守るのは至難の業だった。

それでも、何とかごまかせてきたのは、宮殿に上がったその日から、遊び友達で剣の練習相手でもあったブレンダが完璧な従者の立場をとるようになり、ハーティを愛称で呼ぶこともやめ、日々影のように寄り添ってはハーティの秘密保持に努めていたからなのだ。

時折、后によって送り込まれた女官たちが姫の行動などに不信感を持ちそうになったときは、その美貌と甘い言葉で巧みに誤魔化したりもしているらしいが・・・・・・


「ああ、もう、うるさいなぁ・・・・立ちションくらいどーってこと無いだろ。ブレンダだって立ったままするんじゃないか・・・・・」

ちっこい頃は、一緒に飛ばしっこしてたくせに・・・・

ぶつぶつ言いながら、スカートの裾をポンポンと直すと、ハーティは退屈そうに前足で土を掻いているオズワルドの元へ戻った。

「子供の頃とは違います、姫。騎士たるもの、誰かに無防備な背中など見せません。お手を・・・・」

すでに馬上からおりているブレンダはハーティの横に跪き、鐙を踏みながら鞍に登るハーティの腰に腕を掛けて、横向きになるように鞍に載せた。
放っておくとドレスのままでも鞍にまたがってしまうからだ。

たしかに、背中を向けるのは騎士らしくないか・・・・

「ふううん?そう言われればそうだね。じゃあ、今度からは前を向いたまますることにするよ」

鞍に載りしっかり手綱を握ったハーティはまじめな顔をブレンダの眼前に付きだして答えた。

しばらく、ホケッとハーティの顔を眺めていたブレンダは、

「・・・・・・い、今の話は忘れて下さい・・・」

珍しく顔を真っ赤にして踵を返すとサッと愛馬トレイシーの黒光りしている美しい馬体にまたがった。

「ねぇ?なんで忘れるの?後ろ見せちゃいけないんでしょ?」

「前を向いたらもっとダメなんです!」

「だから、なんで??」

「ご、ご自分でよおく考えてください・・・・・」

噛み合わない押し問答をしながら、二人を乗せた二頭の馬は森を後にした。
二人の行く手にはラベンダーキャッスルが淡い紫の城壁に囲まれて、いくつも三角錐の塔を悠々とそびえ立たせていた。

その中の西の塔の窓から望遠鏡が一つ、じいぃーーーーっと陰険な眼差しで二人を見つめていることにハーティはともかくブレンダさえも気づいてはいなかった。

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