5万HIT記念連載小説

******アウトドアの勧め ******

 

(最 終 話)

 

山は登りより下りの方が大変だと聞いたことはあったけど、今の今まで俺は信じちゃいなかった。

ちゃんとしたスタッキングシューズを履いているのに、俺は何度も灌木やシダの葉に足を取られ、躓き転びそうになりながら、山を下りた。 

その度に相澤は俺を見事にフォローしてはくれるけど、まるで昨日までの俺のように、体勢を立て直した俺から触れたくなかったと言わんばかりに慌てて手を離した。    

「バスって後何分で来んだよ?」  

2時間近くかけて、ようやくバス停に着いた俺は荒い息をあげながら、難しい顔つきで木の棒に板を打ち付けただけのちゃちな時刻表を眺めている相澤に訊いた。

「あと、40分程かな」

「えぇ〜!後40分?」  

少しでも早くうちに帰りたい俺は、40分と聞いた途端、へなへなとその場にへたり込んだ。  

初夏の山は朝晩は凄く冷えるのに、今はカンカンと頭上高く昇った太陽が砂利道に照りつけてとても暑い。

体中痛いし、埃っぽくて汗でべとべとだし、正直、相澤さえ見てなかったら、泣き出したいほど俺は消沈していた。   

太陽に晒されながしゃがみ込んで項垂れている俺の場所がフイに影になり、アレ?と見上げたら照りつけるお日様を遮るように相澤が俺の東側に立って影を作ってくれていた。

気温はまだそう高くなく、影にさえなればさわやかな山の心地よさが一気に疲れ切った身体を優しく包み込んでくれる。

まるで、それは相澤の優しさを代弁するみたいに。

でも、相変わらず、相澤の態度は冷たいままで・・・・

これだって、きっと、特別な意味合いなんかないんだろうな・・・・・・・

俺なんかは決してしないけど、紳士的な所作っていうのが相澤には身についているんだろう。

ここへくる道中だって、ごくごく自然に、重いものは持ってくれたし、並んであるけば危険な車道側に自分は廻り、乗り物にのるときには必ず俺を先に乗せ、自分は後から乗り込んで、空いている場所を見つければその席に俺を座らせた。

でも、それは俺だからじゃない。

二度目に乗り換えた列車の空席に俺が座ろうとしたら、さりげない仕草で相澤に遮られたからだ。

俺は気がつかなかったけど、斜め前のドアから乗ってきた破裂寸前の大きなお腹をした妊婦が少し離れたところに立っていて、相澤は空いてますよと、その、俺が座ろうとしていた席を彼女に勧めた。

より弱いものを守る、ただそれだけのこと・・・・・

弱いって事を認めるのは癪だけど、相澤に勝てる体力なんて、そうそう誰も持ち合わせてなんかいないだろう。

だから、相澤はいつも自然に守る側に徹している。今ここに俺より弱い奴がいたとしたら、躊躇せずに、そいつに影を作ってやるんだ。

俺だからじゃない・・・・・・俺が相澤の特別ってわけじゃないんだ・・・・・

折角の心地よさも、相澤に染みついている紳士的な優しさも、今の俺にはかえって辛かった。

特別じゃないなら、昨夜のあれはなんだったんだろう。

一回なら気の迷いや過ちだって思うこともできる。でも、二度目は・・・・・つい、出来心なんかじゃ出来ないはずだ。

相澤の本当の気持ちが知りたかった。

俺のことをほんの少しでも思ってくれているのなら、もっとわかりやすい形で優しさを示して欲しかった。  

きっと相澤に聞かれても素直に応えることは出来ないだろうけど、俺は・・・相澤が・・・・相澤の事が ・・・・・・・

 

「俺さぁ、キャンプ場で大学生にナンパされちゃった」  

気持ちが知りたかった。だから、逆光で表情の読めない相澤に妬かせたくて、俺は軽いノリで言ってみた。

「ああ、そうみたいだな」  

黒い大きなシルエットが微動だにせず、俺に応えた。

アア、ソウミタイダナ・・・たったそれだけ?

「W大なんだって、帰ったら電話くれってさ」 

これ見よがしにニコニコと笑いながら胸ポケットから紙片を取りだして、そびえ立つ影に、ピラピラと振って見せた。

どうなんだよ、なぁ?

眩しい閃光が不意に俺を襲う。

再び影に遮られたとき、俺の手にあった紙片は相澤の手に渡っていた。

「よっちゃん。これを破り捨てるか、俺と二度と会わないかどっちかを選んでくれ」

仁王立ちのままの相澤は苦々しげな口調で俺に問う。

「返せよ。相澤には関係ないじゃん」

「関係ない?」

やっぱり、妬いてくれるんだ。だからさっきから怒ってるんだよな。

「なんだよ。まさか恋人だとでもおもってんの?たった、二回寝ただけじゃん」

ホッとするような甘い期待が、俺の胸によぎった。だから嬉しくなって、俺はいつものように、ツンとそっぽを向いて憎まれ口をきいた。

ああ、そうだよ、と言って欲しかった。俺のものだと思っていると言って欲しかったんだ。 

そんなもの、相澤が破り捨てればいいんだ。 『誰にも渡さない』と一言言ってくれればそれだけでいい。

好きだとか愛してると言ってくれなくても、今は構わない。  

昨夜俺は間違いなく自分の意志で相澤に抱かれたんだから。

俺の体中の全てが叫んでいる。俺は相澤のものだと・・・・

「よっちゃんがもてる事ぐらいよく分かっている。俺のことが好きで寝てくれたんじゃないことも、朝の態度を見れば幾ら朴念仁の俺でもわかるさ」

ばっかだなぁ、相澤、何いってんだよ・・・・・好きでもない奴と何回もあんな事出来るわけないっての。

「騙して無理矢理連れてきたんだ、昨夜のことだってよっちゃんにとってはただのアクシデントにすぎないんだよな。雨さえ降らなければ何も起こらなかったんだから。卑怯な俺はまたちょっとしたチャンスにつけ込んでしまった」

そ、そりゃ、たしかに・・・・・雨が降らなきゃ、してないけどさ・・・・

だけどきっと・・・・俺・・・・・だから、もう良いんだよ、相澤。

「あのさ・・・俺」

照れくさくて頬が熱くなるのを感じながら、俺が昨夜のことは相澤だけのせいじゃないと言おうとしたのに、相澤はそれを遮るように言葉を続けた。

「わかってるよ。もう二度とよっちゃには触れない。
これから先、昨夜の俺みたいにちょっとしたチャンスにつけ込んで、あわよくばよっちゃんを抱こうとする奴はそれこそ腐るほどいるんだろう。そしてきっと・・・・・・・・・・何人もそんな奴が俺のあとに続くんだ。
俺は墓穴を掘ってしまったんだな。
どんなことでも、一度経験してしまえば、初めての時ほど、抵抗も罪悪感も人は持たないものだ。
何もかも俺が悪かったんだ、あの日も、昨夜も、俺が・・・俺さえ、あんなことしなければよかったんだ。
よっちゃんはあの日、あんなにやめてくれと言ったのに。
俺は今、よっちゃんを抱いてしまったことを・・・・とても後悔している」  

後悔していると言った相澤の声は見知らぬ人の声のようにあまりにも白々と聞こえた。

今のはどういう意味?・・・・・
も、もしかして、昨夜簡単に寝たから、蔑まれてるのか?俺・・・・・・

熱くなっていた胸の中にうすら寒い風がすーっと吹き抜けた。

「へぇ・・・・・・そう。
・・・・昨夜、相澤は俺に止めてくれと言ってほしかったんだ?そりゃあ悪かったね」  

俺の声は信じられない言葉を聞いて怒りと悲しみにぶるぶると震えた。  

優しい言葉を掛けて欲しいなんて、なんてお門違いのことを考えてたんだろう。
相澤は昨夜簡単に受け入れてしまった俺を軽侮してるんじゃないか・・・・・・・・

俺、今、相澤に、お前なんか誰とでも寝るお気軽な奴だって言われたんだよな?
2回も3回も同じだから、次からはどんな奴とでもお前は寝るんだって・・・・・
だから、だから・・・・・・俺にはもう二度と触れたくないって・・・・・・・

俺・・・・バッカみえてぇ・・・・好きだなんて、お前も俺のことが好きなんじゃないかって、本気で・・・俺・・・おれ・・・・・・ 

ふらりと立ち上がった俺は、くるりと相澤に背中を向けるとバス通りの端を坂の下に向かってスタスタと歩き出していた。  

もう、ほんの少しも俺は相澤の側に居られない。この道がたとえ地獄に続いていたって構わない。

キャンプなんかに来なけりゃよかった。

相澤となんか来るんじゃなかった・・・・・・・・

唇を噛みしめて、見開かれた俺の両目からは、ボロボロと涙が零れて止まらない。

「よっちゃん!何処に行くんだ?」

「来るな!!」  

涙でぐしょぐしょになった顔なんか絶対に見られたくない。

そんな俺の気持ちなんかお構いなしに、後ろから相澤が足早に近づいてくる足音が聞こえた。

相澤のために泣いてるなんて死んでも知られたくなくて、俺は疲労困憊している身体に鞭打って、必死になって走り出した。  

アスファルトと違い、砂利がひかれたバス道りは思った以上に走りにくかった。それでも俺は闇雲に走り続けた。

遠くに、遠くへ、相澤から見えない場所を求めて、俺は走っていた。

ところが涙に霞む目を擦りながら砂埃を舞上げて走っていた俺は、曲がり角の砂利に足を取られて、無様にも派手にスッ転んだんだ。  

ザザ−ザァ−!!!ゴロゴロロ!!っと砂利が派手に鳴り、斜面を転がり落ちていく小石が山に響く。

肘を派手に擦り剥いて、膝をしこたま打った俺は、道の端っこで痛さに唸って縮こまる。

「痛ぁ〜い!も、もう。俺ヤダァ〜」  

俺は恥も外聞もなく、膝を抱いた格好でおいおいと泣き出してしまった。  

だからキャンプなんて来たくないって言ったのに!何でこんなとこにいなきゃなんないんだよ!  

足は痛いし、肘も痛い。昨夜のせいで変な所も痛い!それに何より深く抉られた胸の奥が一番痛い!

相澤の馬鹿野郎〜!!

「ハァ、ハァ・・・・よっちゃん!!!!大丈夫か?!はぁ、よかった・・・・・派手な音がしたから谷に落ちたかと思ったよ・・・・・・・・・・
何処が痛い?あぁあ〜、酷く擦りむけちゃって・・・」   

息を切らしながら大荷物を担いで俺の横までやって来た相澤が、荷物を地面に置きながら心配そうに俺の顔と傷を覗き込む。

「ほ、ほっ、といてよ」   

しゃくり上げながら、何とかとぎれとぎれに言葉を口にする。

「お、俺の、俺のこと、い、いやん、な、なったんだろ?
さっ、さっさと、ど、どっかに、い、いっちまえ」

「よっちゃん・・・」   

俯いて、ポロポロ涙をこぼしていた俺は、唐突にギュっと抱きしめられた。

「俺を困らせないでくれ・・・よっちゃんに泣かれたら、俺は・・・」

「い、いや!!は、離せよ!」

「嫌か?俺に抱かれるのはそんなに嫌か?それならどうして・・・」

間近に迫る相澤の顔が、苦しげに歪んだ。

「あ、相澤なんか嫌いだ!!
こんな所に俺を無理矢理連れてきたくせに!
そのあげくに昨夜のことを後悔してるだって?
冗談もたいがいにしろよな!!
俺にとってはただのアクシデントだったって?そんな簡単に俺が誰とでも寝ると本気で相澤は思ってんのかよ!!」

「アクシデントなんかじゃないって言ってくれるのか?」

「他の奴にとられたくないんなら、俺のこと大事にすればいいじゃないか!」

「違うと言ってくれるのか?よっちゃんにとって、俺はよっちゃんに言い寄るほかの奴らとは違うって」  

「違うに決まってんだろ!そんなことも分かんないのかよ!!」

大きく目を見開いていた相澤は次の瞬間、俺がビックリするほど、パッと大輪の花が咲いたように明るく顔を綻ばせた。  

俺はハッとするほど眩しい相澤の嬉しそうな顔を見るのが恥ずかしくて、視線を擦り剥いた肘に落とした。

「相澤!ん!!」  

俺は擦り剥いて血の滲んでいる肘を相澤の顔の前にぬっと突きだした。

「バンドエイド!!肘痛いの!!!」

「あ、ああぁ!?」  

相澤はあまりにも脈絡のない話の展開に、呆気にとられながらも、俺の肘に財布からとりだしたバンドエイドを張る。

擦り剥いた面が結構広いので俺の肘にはバンドエイドが筏みたいに帯状に並んだ。

「擦過傷は結構傷跡が残るからな・・・帰ったら、ちゃんと手当しような」  

最後の一枚を張り終えると、相澤は俺を抱きかかえるようにして立ち上がらせ、俺の服に付いた砂を払いながら他には怪我がないか確かめはじめた。

「せ、責任取れよな!」  

俺は確認するために触れる相澤の手がやけに気になって、プイッと横を向いた。

「責任?なにの?」  

相澤は屈んだまま、キョトンと俺の目を覗く。

「なんのって、俺が怪我したのもみい〜んな、相澤のせいじゃないか!俺を傷もんにしたんだから、責任とれっていってんの」

「クスッ。よっちゃん。傷もんっていうのは、普通違う意味だろう?」  

相澤は可笑しそうに顔を綻ばせて笑った。

「取るのか、取らないのかどっちさ」  

そっちの意味でも、相澤が俺を傷もんにしたんじゃないか!

「責任ってどうしたらいいんだ?」  

嬉々として相澤は俺に尋ねた。

「そ、そんなことぐらい、じ、自分で考えろよ!」  

真っ赤になって叫んだ俺の目の前に、サッと吹いた風に乗って、ピンクの綿埃がふわふわと舞い落ちてきた。

「な、なに?」  

思わず上を見上げると、頭上に枝を伸ばした大きな木の上に、一杯ピンクの綿埃が付いていたんだ。

「ああ、合歓の花な」

「は、花?あれが?綿埃かと思った・・・・・・」

「わたぼこり?相変わらずよっちゃんの発想って変わってるよな。
確かに花としてはかなり異形だと俺も思うけど・・・山奥にピンクの綿埃なんてのは、もっとあり得ないんじゃないじゃないのか?」   

相澤もそういいながら遙頭上に咲く不思議な花をゆったりと見上げた。  

とってもキュートなピンク色の、花とは思えない不思議なディテイルをしている合歓の花を相澤と二人で並んで見上げている内に、俺のハートにも、たっぷりとピンクの綿埃が降り積もる。   

ブッ。ブッブ〜!

「よっちゃん!バスだ!!」  

静寂を破る突然のクラクションの音に慌てて振り向いた相澤が、俺に叫ぶなり、バスに向かって大きく腕を振り上げた。  

ほとんど利用客のいない山道で、2時間に1本ほどしかないバスは、有り難いことにバス停からかなりずれた場所に俺達がいるにもかかわらず、気安く停車してくれた。      

人の良さそうな運転手が数人の乗客と共に俺と相澤を乗せて深い山を抜け、砂利道をガタガタと進みながら都会へのアクセスポイントへと向かう。     

キャンプもそう、悪くないかもな・・・・・・・・また来てやっても良いけどさ。

相澤となら。また・・・・・・・ 

たった一両日の出来事が余りにも照れくさくて、何を話していいのか解らずに、眠ったふりをして相澤の広い肩にさり気なく凭れた俺も、あと2時間ほどで住み慣れた街へと帰り着く。  

疲れ切った身体に、バンドエイドだらけの傷ついた肘と、ハート一杯のピンクの綿埃を持ったまま。            

〈終わり〉

 

五万HITから1万ごとの連載をさせていただいていましたが、当初の予定通り十万で、最終回を迎えることが出来ましたv

もっともっと、時間が掛かるかとも思っていたんですが、私的には早く最終話を迎えることが出来たと思いますv

Crystals一番の強気受け、よっちゃん、いかがでしたでしょうか(^^;)