お 猫 さ ま

 

昔々、そのまた昔から人を化かす生き物に、狐、狸がおりまする。中でも狐は年を重ねると妖狐となり、九尾の尾を持つ妖怪となるのでございます。

しかし、それは山里深く、物の怪や妖怪がけものたちと共存している所。

町中では、その狐の血縁、猫が人々を化かしておりました。

猫も齢二十年を超えると、その尾が二つに割れるともうします。

妖狐のように、その尾が九つに分かれる事はなくとも、二股の尾を持つ猫は立派な物の怪。

縁より語り継がれてきた名を【猫また】ともうします。

★★★

所変わって、ここは現代の日本。  

日本の医学界を担って立つ、医学界のパイオニア。

南里大学付属病院の、通用門を少し出たところである。

一人の可愛らしい青年が時折なにもないところで、ほへっと、躓きそうになりながらも、楽しげに家路を急いでいた。

「あれ・・・・?」

明日からのGWを控え、心うきうきの南里雅之は、微かな音に、緑に燃えている植え込みを覗き込んだ。

雅之は名前からも分かるように、この大学の創設者の曾孫である。未だ新入社員のように紺色のリクルートスーツがよく似合いはするが、すでに美少年と言うには少々とうが立った、27歳の青年で、経理課の課長という役職にまで就いているのだ。

「ど、どうしたの?君!!!」

どうしたのと言っても、茂みからは返事はない。

君と呼んだところで、答えようがない。

なぜなら、そのうす灰色の物体は微かに「にゃーーーーーー」と鳴けるだけだから。

 

「大橋せんせ〜!!!!」

「れ?どーしたんですか?南里さん」

血相を変えて、診療室に入ってきた雅之に、のんびりと雑誌を眺めながら紙コップに入っている自販機の薄いコーヒーを飲んでいた大橋は、驚いたように顔を上げた。

午後の診療も終わり、あと一時間もすれば夜間診療の始まる僅かな休憩時間である。

「こ、このこ観てやってください!」

「え・・・・どの子?」

必死の形相の雅之に、普段はおちゃらけた風体の大橋もイスから飛び上がるように立ち上がると、雅之の入ってきたドアの向こうをキョロキョロと、見渡した。

ところが診療時間外の廊下はガランとしていて、それらしき人影はどこにもなかった。

「どこです?クランケは?」

「こ、ここです。先生!」

大きな瞳をウルウルさせて、大橋を見上げた雅之はそっと、三ボタンのスーツの胸元を開こうとした。

「み、南里・・・っさん!」

なにやら勘違いをした大橋はガバッと雅之を腕の中に抱き込んだ。

この男、かねてより雅之に懸想しているのだから、うるうるおめめで見つめられ、スーツをはだけられそうになったと来れば、気持ちは分からなくないが・・・・・・

ぽふ。

え・・・・・?

なにやら、胸のあたりが柔らかい。

「こ、こんどは女になるクスリでも飲んだんですか?!」

「なに言ってるんですか!放してください!早くこの子をみてやってくださいってば!」

珍しく怒りモードの雅之はスーツの胸元に入れていた、その物体を大橋の前に差し出した。

「ね・・・・・ねこぉ〜!!??」

★★★

「ね、もう泣かないでくださいよ・・・・・この子は外傷もないし、髭が全部白いところをみると老衰ですよ。天寿を、全うしたんです」

「う・・・うん・・・・」

まだべそべそと泣きながら、雅之は銀杏の根本に大橋が深く掘ってくれた穴へと、猫の亡骸を弔った。

そっと、上から土をかける。かつてはさぞ美しかっただろうグレイの毛並みがふわっと揺れた。

土から覗く長い尾は、事故にでも遭った名残りだろうか、さきっぽが2cmほど、裂いたように割れていた。サラサラと遺体は深く土中に埋まっていく。

さらさと柔らかい毛並みの上を流れていた土もしばらくするとすべてを覆い尽くしてしまった。

ぽんぽんと土を大橋は押し固めた。ここまで深く埋めれば、野犬に掘り起こされることもないだろう。まぁ、都会のど真ん中に野犬などそうそう出没することはないのだけれど。

「ここは毎年、秋になると綺麗な黄金の葉が積もりますから、猫もきっと喜びますよ」

猫を埋め終えた大橋は跪いていた雅之を抱き起こし、子供のようにしゃくり上げている背中を優しく撫でた。

「何か、言いたそうだったんだ・・・・・」

「なんですって?」

「あの子、僕が見つけて・・・抱き上げたとき・・・・何か言いたそうだった・・・」

雅之は泣きはらした真っ赤な目で大橋を見つめた。いたいけな仔うさぎちゃんのようにいたいけな風情に、大橋はまたしても抱きすくめたい衝動と戦いながら、

「きっと、南里さんにお礼を言いたかったんですよ。ありがとうって」

堪らないほど可愛い人に、大橋は柔らかく笑った。

まったく・・・・自覚のないところが罪作りだよな。大橋がそうひとりごちていると、

「ほう・・・・なんの礼かな?」

二人の背後から、白いものが揺れ、不機嫌そうな声が突如響いた。

この不機嫌そうな白衣の男は、雅之の長年の恋人〈悪意を持っている人間は腐れ縁とも呼ぶ〉若干27歳という若さで先頃、南里大学の助教授に就任した、結城澪、その人である。

「澪・・・・・・澪ぃ〜!!!」

泣きモードにしっかり入っている雅之は突然現れた恋人の不機嫌さに気づくこともなく、広い胸に飛び込んで、シクシクと泣き出した。

『何をした?』とばかりに、雅之を抱き留めながら形の良い眉を引き絞って睨み付けられた大橋は、真っ青になりながら慌てて両手をホールドアウトの形に掲げ、首をぶんぶんと横に振った。

だ、抱きしめなくてなくてよかった・・・・・・大橋は冷や汗をかきつつ、ごくりと固唾を飲み下すのだった。