お 猫 さ ま
チャリン・・・・・
自販機に小銭を投入したまま、児玉はじっと、ディスプレイされた、缶を睨んでいた。
おかしい・・・・・・
どーかんがえてもおかしい。
結城先生があんなになるなんて・・・・・・・
さっき、交代で連休の合間に出てきている事務職員が話していたとことと何か関係があるに違いない。南里さんに連絡が付かないって・・・言ってた。携帯にも繋がらないって・・・・・何が、あったんだろう・・・・・
う−−−−ん。。。。
まさか、痴話喧嘩の果てに・・・・・・・・・・・ま、まさかね。
でも、傷・・・・アレは抵抗した痕?
「児玉ちゃん♪」
「う、うわ!!!!」
暗い思考にすっぽりと填っていた児玉は唐突に声を掛けられて、ぴょこんと飛び跳ねた。
「ど、どうしたの?」
驚かれたことに驚いたのは、夜勤明けで今から帰ろうとしていた、大橋だった。相変わらず、白衣を脱ぐと、派手なTシャツにコットンパンツと言った、医者には決して見えないフリーターのような格好をしている。
「脅かさないでくださいよぉ〜、それでなくても、毎日神経すり減らしてるんですから・・・」
大きく息をつくと、思い出したように、自販機のボタンを押して、リ○ルゴールドの茶色い瓶を受け口から取りだした。
「なに?似合わないもん飲むんだねぇ。結城先生のおのろけに当てられてるわけ?連休はずっといっしょなんだって、南里さん嬉しそうに言ってたからね」
当てられる俺たちは堪ったもんじゃないけどねと、大橋は苦笑いをこぼした。
「のろけなら良いんですけどねぇ・・・・・・・・なんだか、きな臭いんですよ」
児玉の愛くるしい顔が大橋によるなり、ぐっと険しくなる。
「結城先生・・・・・南里さんになんかしたのかも・・・」
「なんかって、何を?」
「あのね・・・・・・」
児玉は大橋に、ここ数日の澪の様子と、さっき事務職員から聞きかじった、雅之の話をかいつまんで話して聞かせた。
「やばいんじゃないか?それって・・・・・・」
深い愛情は時に、激しい憎悪に変わることがある。医者の端くれの大橋の専門は形成外科だが、一通り、精神学も学んできていた。
深く愛するが故に歪んでしまった愛の暴走は時として、取り返しのつかない犯罪をも犯すのだ。
「結城先生は、今どこにいるの?」
「まだ、研究室にいますよ。ここのところ最後まで残ってるから」
「児玉ちゃん、結城先生のロッカーから、こっそり、マンションの鍵取ってこれる?」
「え?ええ、先生はいつもロッカーの内側のフックにキーホルダーごとかけてるから、たぶん・・・」
「じゃぁ、俺、駐車場の出口に車止めて置くから、児玉ちゃん鍵持って、降りてきて」
「結城先生のマンションに行くんですね?」
「ああ、南里さんが心配だ。早く頼む。それから、君はなるべく結城先生を研究室に引き留めて置いてくれ」
緊迫した様子の大橋に、児玉は大きく頷いて、エレベーターの方へと走って行った。
☆★☆
暗い部屋の中で雅之は、丸く、丸くなって眠っていた。
まるで猫が眠るように。
もともと華奢な雅之はすっかりやせて、生彩を欠き。少年のようにふっくらとした頬は、やせこけ、バラ色の頬は青白く透き通っているようだった。
泣きながら眠ったのか、目尻には涙の痕がくっきりと残っていた。
「かわいそうに・・・・・・・」
大橋が、手首の脈を取るために掴んだ腕は折れそうに細く、つい一週間前に診察室で抱きしめた雅之とは別人のようにギスギスしていた。
一通り見た限り、暴行を受けたような外傷はないが、食事を満足に取っていないのか、見るからに衰弱していた。早く、連れて帰って、栄養点滴だけでも受けささないと・・・・・・
大橋が抱き起こすと、雅之はぼんやりと目を開けた。
「・・・・・・おおはしせんせ?」
「そうですよ、もう大丈夫ですからね。俺と一緒にここを出ましょう」
「ダメだよ・・・澪がここから出ちゃいけないって言ったんだ。だから僕はここにいなきゃ」
力無く、雅之は首を横に振った。
「なに言ってるんです?このままじゃ死にますよ!」
「いいんだ・・・・・このまま死んでも・・いい・・・」
「バカなことを言うもんじゃない!」
ぱしっと!!雅之の頬を大橋は打った。正気を取り戻させるために。
「痴話喧嘩の果てに死ぬなんてバカなことするもんじゃない!少し冷静になれば解決策は見つかるはずです、そうでしょう?
・・・・あれ?南里さん、その爪・・・・どうしたんです?!」張られた頬を押さえた手の爪が異常に伸びていることに気づいた大橋は眉をしかめて雅之に尋ねた。一週間前には綺麗に整えられていたのを覚えている。まさか一週間でここまで爪は伸びたりしない。
「おかしいんだ、この爪・・・・・・毎日整えてもあっという間に伸びちゃうの。僕きっと、おかしくなってるんだと思う・・・だから澪を傷つけて・・・・・あんな夢見て・・・・」
「毎日整えるのに、またここまで伸びたっていうんですか???この一週間何があったのか教えてくれませんか?」
ぐずぐず泣き出し始めた、雅之の髪を優しく梳きながら、大橋は雅之に話を促した。
ただの痴話喧嘩から監禁ごっこに発展したのだと思っていたが、どうやらそんなことではなさそうだ。なにかが狂っている、大橋は背中にゾクリと寒気が走るのを感じた。
☆★☆
薄暗い闇の中、土を掘り返す音が、ザクザクと響く。
5月の風は夜になると、まだ冷たい湿り気を帯びていて、足下からヒンヤリと冷たい。まして、猫とは言え墓を掘り返しているのだ、気分だけでも、ゾッとするのは否めないだろう。
大橋に、雅之がおかしくなったのはこの猫が原因かもしれないと言われた澪は、藁にでも縋る思いで手がかりを探すために、銀杏の根本を掘り起こしていた。
理路整然とこうではなかったかと大橋に冷静に言われれば、思い当たる節は沢山あった。澪自身雅之の爪に不審をいだいたのは、ホンの初めのころだったからだ。
食べ物の嗜好すら、普段とはがらりと変わってしまっていたのに、くだらない嫉妬心にほかのことが見えなくなっていたのだ。
そんな自分に澪は腹が立っていた。なにより雅之をあそこまで追い込んでしまったことに・・・・・
さっき、明るい診察室で改めて見た南の姿。あんなにやつれて・・・・・・・
俺の所為だ。俺の・・・・・くそっ!!
ザクッ!と大きくシャベルを起こす。
「ああ、見えてきた」
深い土の中から、グレイの毛が少し覗き初めた。
「や・・・・・・わ・・・う・・・」
「怖いなら、見るな、児玉」
見るなと言われても、闇の中、自分の持っている電灯が照らしているのはその穴だけなのだ。見たくなくとも、どうしてもそこから目が離せない児玉である。
大橋は、点滴を受けさせている雅之について診察室に残っているために、澪の手元を照らす懐中電灯を持たされた児玉は、墓あばきの現場に連れてこられていた。
「手がかりになりそうなものは、この首輪くらいか・・・・・・」
一週間経った猫の遺体は当然かなり腐乱していて、匂いもきつく、見た目はもう猫の残骸と言ったものになり果てていたが、澪は顔色ひとつ変えることなく、金色の鈴のついた首輪を猫の遺体から外した。
その拍子に、腐乱した肉がグズリと嫌な音をたてる。
「ひ・・・ひぃ〜!!先生!早く帰りましょうよ〜」
「うるさいな、俺はまだこいつに話があるんだ。
いいか、猫!!良く聞け!何とかして、お前の会いたい人にこれを渡してやるから、そうしたら、さっさと、南から手を引け!いいな!!さもないと、俺がお前の大事な奴を殺してやるわかったな!!!!」ただの肉片と変わり果てた猫にそう言い放つと、澪は再びシャベルを持ち、土を元通りに猫の上に被せた。
こ、こわっ・・・・・・・・澪先生・・・・猫バケより怖いかも・・・・
懐中電灯でそっと照らして窺いみた、怒りに燃える澪の姿は、昔漫画で見た美しい妖狐の姿によく似ていると児玉は思った。
怖いけど・・・・とても綺麗な妖怪みたいだ。
☆★☆
結局、澪の脅しが利いたのか、事件はあっさりと解決した。
首輪に付いていた認識番号から飼い主が分かり『ケント』と言う青年は南里大学病院の薬剤師をしている23歳の青年だと判明した。
「ありがとうございます。マサは私がこちらに勤めるときに、実家に預けてきた猫なんです。私が一歳の時の誕生日に父が飼ってくれた猫なんですが、私のアパートはペット禁止でしたし、マサは齢20を越す老猫だったので・・・・・・・でも、最後はきっと私に会いに来てくれたんでしょうね・・・・」
兄弟のように育ったのだと、謙斗青年は涙を浮かべながら、雅之たちにお礼を言った。
何度も何度も夢に見た、優しげな青年だった。恋しくて逢いたくて、いつもいつも夢の中で探していた。だから、
「謙斗さん、僕を抱いてくれませんか?」
首輪を手渡すときに雅之はにっこりと微笑んで、謙斗青年に言ったのだ。
「え・・・・・?ええ?」
「なに言ってるんだ!南!!!」
「そうですよ、南里さん!」
病院の職員の中でも密かに憧れているものも多い雅之に唐突に「抱いて」と言われた謙斗青年も顔を真っ赤にして言葉に詰まってはいるが、大きく顔色を変えたのはむしろ澪と大橋の方である。
ん?なぜ君がうろたえるのかね、大橋くん・・・・・・
「だって、だってね。僕の中に入ってまで、マサは謙斗さんに会いたかったんだよ。だから僕知ってるんだ。どれだけ、マサが謙斗さんに会いたかったか。
最後に一目だけでも顔を見たかったんだよ。最後に一度だけ抱きしめて欲しかったんだよ。だから、だから、僕で変わりになるのなら、一度だけぎゅって抱きしめてやって欲しいんだ」僕だって、もう少しで命の炎が尽きると分かったら、きっとどこにいても、澪のところに行きたいと願うもの。
ぎゅっと抱きしめて貰いたい。
最後にきっと・・・・・・・
飼い主に寄せる恋慕だって、僕が澪を思う気持ちに変わりはないはず。
だから・・・・
『謙斗・・・・・・いままで、ありがとう』
雅之はゴロゴロッと、猫のように喉を鳴らして、謙斗青年の胸の中に身体をすり寄せた。大好きな大好きな謙斗の胸に・・・・・・
戸惑いながらも謙斗がぎゅっと雅之を抱きしめると、手の中にあったマサの鈴がチリンっと、幸せそうな音を立てた。
とりあえず、おわり