藁しべ長者 前編

昔々、あるところに、何をしても旨く行かなくて困り果てていた若者がおりました。  

若者は世に聞こえた観音様に祈願を凝らして、お堂に籠もったのだそうです。  

すると、「何でも最初に掴んだ物を大切にしなさい」との、有り難いお告げ。  

何日もお堂に籠もっていた若者は、もうへとへとで、お寺を出た途端。  

スッテンコロリン。  

気が付くと若者の手には、何故か藁が一本。  

ひつっこく虻がまつわるので捉えて、藁の先に付けると、それを見た子どもが欲しがって、蜜柑と交換して貰いました。  

今度は、道ばたで苦しんでいる旅の女人が水を欲しがっているのを知り、そばには生憎と水がないので持っていた蜜柑をあげると、その喜びに高価な絹織物を三反も頂きました。  

それからも次々と、絹織物が立派な馬に化け、その馬が田畑や屋敷に化けて、とうとう藁一本から、若者は長者様に迄なってしまいました。これは昔から伝わる、あまりにも有名な、藁しべ長者のお話です。      

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所変わって、ここは現代の日本。  

日本の医学界を担って立つ、医学界のパイオニア。

その未来をまたまた担う、南里大学の付属中等学校。    

季節は天高く馬肥ゆる秋。  

銀杏の葉が哀愁を帯びた秋風に乗って、黄金色の舞いを舞いながら、ヒラヒラと踊るなか。汚れを知らぬ天使のようなあどけなさを、ふっくらとした桜色の頬に残した、紅顔の美少年、南里雅之が授業を終えて、今まさに校門へと向かっているところであった。

「お〜い!雅之!」  

彼の背後から、大きな声で雅之を呼び止めたのは、まだ寒風とまではいかないものの、時折吹く秋風がかなり冷たくなってきているにも関わらず、褐色の肌も露わな、逞しいランニング姿の笠井和巳。  

呼び止められ足を止めた雅之の幼なじみである。  

バスケット部の主将を務める和巳は自称雅之の保護者で、長身で屈強な体格とキリリと引き締まった面差しから、とても中学三年生には見えない。

小柄な雅之と並んで歩けば、まさに、誰が見ても立派な保護者である。

「あ、和巳!今からランニングに行くの?」 

ふんわりと艶やかな黒髪を揺らして振り返った雅之は、えも言えぬほど清楚で可愛らしい。  

和巳がずらりと背後に引き連れているバスケット部員達も、もう随分と雅之の笑顔など見慣れているはずなのに、軒並み足を止めて、天使のような雅之の笑顔に、デレンと頬の筋肉を緩め、一斉に見とれてしまっている。  

どこの誰だろうが、それこそ老若男女を問わず、邪気の無い、ピュアな雅之の微笑みに、心を動かされないものはいないのだ。

「ああ。言い忘れてたけど、俺が帰るまで、絶対にハニーの散歩一人で行くなよ。あの公園夕方になると、痴漢が出るって昨夜お袋が言ってたからな」  

常にないほど真剣な顔をした和巳に、

「嫌だなぁ。痴漢が狙うのは女の子でしょ?僕は大丈夫だよ」  

僕、男の子だもん。  

一抹の警戒心も持たずに微笑む無邪気な雅之に、総勢、二十人近くいるバスケット部員達が、和巳の後ろから顔を覗かせて、今度は一様に眉を顰めた。

「おまえなぁ<

・・・んっとに・・俺が帰るまで絶対に行くな。いいな?」  

痴漢が狙うのは何も女の子に限らないんだぞと怒鳴りたい気持ちを、すんでの所で押さえ込んだ和巳は、溜息を吐いて、雅之の肩をポンと叩いた。

「わかった。待ってる」

「よしよし、いい子だ」  

不思議そうな顔をしながらも素直に頷いた雅之に、和巳は一見きつそうな切れ長な目元を、優しげに和ませた。

『雅之は清らかな天使なのだから、不浄な世界など知らなくていい。俺が一生守り通してやる』  

心の中で、和巳は今までに幾度となく繰り返してきた言葉を呟いた。  

和巳はまだ知らない。和巳が長年、真綿にくるむようにして守って来た、それはそれは大切な手中の珠である雅之に、今日という日を境にして、運命(さだめ)に導かれた美しい魔物が忍び寄ってくることに。     

号令をかけながら、砂煙を上げて校外へと走り去る和巳達に大きく手を振った雅之は、再び彼らが走り抜けていった校門へと、のんびり歩き出した。  

雅之の足下でカサコソと音を立てているのは、銀杏の葉で紡がれた、黄金の絨毯。  

優しく美しい顔立ちと、それに見合うだけの優しく美しい心。

その上頭まで良くて、おまけに大層なお金持ちのお坊ちゃんと来ているのだから、ちょっと、いや、随分出来過ぎの少年である。  

所がそんな雅之にも、一つだけどうにもならないほど深刻な短所が有った。  

雅之はウンチなのである。  

いやいや、もちろん御下劣な方でなく、運動がからきし出来ないほうのウンチ。  

幾ら大金をかけ個別指導の水泳教室に通っても、ほんの僅かな間すら、浮くことすら出来ないし、和巳に手取り足取り親切に教えて貰って、バスケットのドリブルでもしようとした日には、跳ね返って来た球が、すかさず自分の顔に激突する始末。

『雅之の特技は、何もないところで転ぶことだもんな』   

と和巳に常々からかわれるくらいなのだ。  

ん?何もないところで、こけれる程器用な雅之なのだから、滑りやすい落ち葉の上を歩いていては、危険では無いのだろうか?

「いっ〜たぁい!」  

ああ、ほら。いわんこっちゃない。

世にもまれなる美少年が、蛙が潰れたような無様な格好で転ぶ様なんぞ、誰も見たくはないんだよ雅之君。  

普段なら、先を争って助け起こしてくれる信奉者がわんさかいるのだが、たまたま転んだ場所が大きな銀杏の木の陰になっていて、べっちゃりと潰れた雅之に、気づいた奴は幸か不幸か誰一人いなかった。  

まあ、他に欠点らしい欠点が無い雅之なので、この鈍くささがかえって愛嬌になり、なおさら雅之の好感度を高めてはいるのだが。  

半べそをかきながら、のっそりと起きあがった雅之が、クスンと小さく鼻を鳴らし、ズボンに付いた落ち葉を払うとすると、何故か手に一本の短いロープが握られていた。

「あれ?転けたときに思わず掴んじゃったのかな。

ダメだなぁ、こんな所に紐なんか放しちゃって。ちゃんとゴミはゴミ箱に捨てなきゃね」  

超が付くぐらいの優等生である雅之にとっては、ゴミのポイ捨てなどもってのほかなのである。  

下足箱から直線距離にして僅か200メートルほどの校門に、やっとの事でたどり着いた雅之が門を抜けると、

「おおい。南里!そのロープ俺にくれないか?」  

校門の横で、南里中学恒例の今月の標語をくくりつけていた風紀の米田先生が、雅之の手にしていた紐をめざとく見つけて呼び止めた。

「いいですよ。どうせゴミ箱に捨てるつもりでしたから。それより僕もお手伝いしましょうか?」  

何とも、模範的なお答え。

「悪いな。じゃあそっちをその紐で括ってくれないか?」

「は〜い!」  

元気よく返事を返した雅之は、ベニヤ板の端に開けてある穴に、さっき拾った紐を通して門の横にしっかりとくくりつけた。  

板には大きな文字で『十一月の標語。物を大切にしよう!』と書かれてある。

「ご苦労さん。ああ、そうだ。はい、ご褒美」 

ちらほらと白いものが混じりだした顎髭を蓄えた米田先生は、ジャージのポケットからごそごそと飴玉を三個とりだして、踵を返しかけた雅之に手渡した。

「有り難うございます。さようなら」  

普通の中学生なら、『飴なんかいらねえよ』と、こんな子供だましのご褒美には見向きもしないのだろうが、そこは雅之の素直なところで、貰った飴をしっかりと握りしめて、ペコリと教師に頭を下げた。    

 

南里中学は駅から歩いて十分ほどの場所に建っている。  

電車通学をしている優等生の雅之は寄り道などするわけもなく、当然の事ながら真っ直ぐ駅に向かっていた。  

道路に沿って、水捌けのよい多色ブロックを敷き詰めた歩道を歩いていると、一台の路線バスがバス停にとまり、若いお母さんが、幼稚園ぐらいの子と赤ん坊と荷物を抱いて、四苦八苦しながらステップをよたよたと降りてきた。  

バスの中で眠っていたのを無理に起こされたからだろう、お姉ちゃんの方が、酷くむずがって、

「ねえ。真紀ちゃん。真紀ちゃんが歩いてくれないと、お母さん困るのよ。庄ちゃん抱っこしてるでしょう?」  

まだ首もすわり切っていないような小さな赤ん坊を抱いたまま、若い母親がぐずぐず泣いている娘の前にしゃがみ込んで、途方に暮れていた。

「あの・・・」  

とってもシャイで人見知りの激しい雅之だが、とかく子どもと動物には弱く、思わず親子の傍らに立ち止まり、声を掛けてしまった。

「は、はい?」  

若い母親は、溜息が出る程の美少年に突然声を掛けられて、目をパチクリさせた。

「良かったら、これ」  

さっき教師に貰った飴玉を三個、親子の前に差し出した。

「まあ。良いんですか?有り難うございます。真紀ちゃん良かったわねえ。お兄ちゃんが飴くれるんだって」

「あめ?」  

子どもという生き物は憎ったらしいほど現金な奴である。

飴と聞いた途端、文字通り女の子は鳴いたカラスが何とやらで・・・

「お兄ちゃんに有り難うって言いなさい」

「お兄ちゃん。有り難う!」  

まだ濡れたままの睫毛をしばたたかせて、早速、雅之に貰った飴の一つを、小さな口に頬張った女の子は、嬉しそうにニッコリと笑った。  

雅之もその子の目線までかがみ込んで、

「真紀ちゃん。ちゃんと歩ける?」

「うん」

「そう。いい子だね。お母さんを困らせちゃダメだよ」  

幸せを運ぶ暖かな天使の微笑を浮かべて、女の子の小さな頭を優しく撫でた。  

親子にバイバイと手を振り、立ち去りかけた雅之に、

「あの。これ良かった召し上がってくださいな」  

母親が持っていた袋から慌てて、何かを取りだした。

「え?気にしないでください。飴は貰い物ですから」  

目の前に差し出された、葡萄に戸惑った雅之は、とんでもないと首を横に振った。

「実はこの葡萄も頂き物なんです。まだ沢山袋の中に有りますから」  

しっかりと手の中に持たされてしまい、これ以上無下に断るのも悪いかなと思った雅之は、じゃあ、遠慮なくいただきますと微笑んで、葡萄を頂くことにした。   

ビニール袋に入った、紫色の葡萄を下げて、今度こそ駅に向かって歩いていると、ランニングに出ていた和巳達が出ていったときと同じように、規則正しく号令をかけながら緑地公園から帰ってきた。  

肌寒い秋の凛とした空気の中に、和巳達の発する熱気が、ゆらゆらと陽炎のように立ち上るのが見て取れる。

「はぁ、はぁ・・・雅之?・・・お前・・なにしてるんだ?」

「和巳こそ。その子どうしたの?」  

お互いに大きく目を見開いて、しばし見つめ合う二人。  

和巳が何してるんだ?と問いかけるのも無理はない。雅之が和巳と別れてから既に三十分以上は経過しているのだから、当然普通なら雅之は今頃電車に揺られている筈なのだ。  

また、雅之が驚いたその子とは、和巳の激しく上下している胸にちょこんと抱れている、ぬいぐるみのように可愛らしい小さな黒い子犬。

「可愛いな。ねぇ、僕に抱かして」  

和巳は乱れた息を整えるために、子犬を抱いたまま、しばし天を仰いで大きく数回深呼吸をし、何とか息を整えた。

「迷子なんだ。首輪の飾りに電話番号が書いて有るから、学校から掛けてやろうかと思ってな。ほら、元気がいいから落っことすなよ」  

ヒョイっと雅之に子犬を手渡した。

「ひゃは!くすぐった〜い!」  

雅之に抱かれた子犬は、人差し指ほどの小さな尻尾を夢中で振りながら、雅之の顔中をぺろぺろと嘗め回す。  

和巳の後ろにお行儀よく従っているバスケット部員達の何割かは、生唾をゴクリと飲み込んで、『くそぉ!俺も犬に成りてぇ!』と心の中で叫んでいるに違いない。  

可哀想なことに、幾ら雅之が彼らにとって至極気になる存在でも、主将が側にいる限り、彼らは誰一人、雅之となれなれしく口を利くことすら許されていないのだから・・・  

敏感な耳朶を舐められながら、くすぐったそうに首を竦めた雅之は、子犬の紅い首輪を覗き込んで、

「ねぇねぇ。和巳。電話番号の横に消えかかってるけど『フローラル・ユキ』って書いてあるよ」

「ああ、俺にも読めたんだけど、どっかの店の名前かな?」

「確か駅前の花屋さんの名前だったと思うよ。ほら、学校にも行事の時なんかに、お花卸してるところ。どうせ通り道だから、今から僕が連れてってあげる」

「花屋?そうか!そう言えばそんな店あったよなぁ」

「フフ。和巳がお花買うことなんか無いもんね」

「ちぇ。バカにしたな。お前じゃ有るまいし、俺に限らず花の似合う野郎なんか、そんじゃそこらにはいないよ。なんなら今度の誕生日にでも買ってやる」  

お前の大好きな、白いバラを腕一杯な。

「ほんと?和巳大好き<」  

子犬を抱いてさえいなければ、迷わず抱きついてきたであろう無邪気な笑顔に、思わずドキリとした和巳は、照れくさそうに鼻の上をぽりぽりと掻いた。  

折角納めたはずの動悸が、違うかたちで再度胸に甦ってくる。

「あ!そうだ。これ、和巳達部活の後に食べてよ。さっきそこで貰ったんだ」  

子犬を抱くときに、鞄と一緒に足下に置いた葡萄を、雅之は眼差しだけで指し示した。

「いったい、こんな道ばたで、誰に貰ったんだ?知らない人に物なんか貰っちゃダメじゃないか!」  

ちょっと目を離すと、すぐこれなんだから。  

和巳の太く精悍な眉が険しく寄った。  

親に常々言われている注意を怠った幼子のように、和巳の荒ぶった声にキュッと首を竦めた雅之は、おずおずと和巳を見上げて、

「おこんないでよ、あのね」  

雅之が事の顛末を掻い摘んで話して聞かせると、和巳の顔から険しさが消え、

「なんだ、そう言うことなら、わるいな。遠慮なく俺達が食べちまうぜ」   

子犬の変わりに今度は葡萄を下げて、和巳達は雅之の元から走り去ってしまった。  

走り去る和巳達を見送って、

「僕たちも行こうか、ワンちゃん」  

雅之は黒光りするほど真っ黒な子犬にそう言うと、三度(みたび)、片手で子犬を抱き、もう片方の手で鞄を下げて、店先に冬物が並び始めた商店街の方へと歩き出した。

大型スーパーの入り口を囲むように軒を連ねる個人商店。雅之は子犬を連れて、店の外にまで、色とりどりの鉢植えや切り花が並ぶ『フローラル・ユキ』にたどり着いた。

「ミッキー?」  

雅之の腕の中にいる子犬に気が付いて、ビニール製の青いエプロンに長靴を履いたおばさんが店の奥から駆けだしてきた。

「まあまあ?南里の坊ちゃんじゃありませんか?」

「こんにちは。おばさん」  

南里大学並びに南里病院の出入り業者であるこの花屋とは、雅之は顔見知りなのである。 

なんと言っても雅之は、南里の跡取りなのだから。

「まあ、有り難うございます。ミッキー良かったね。坊ちゃんのような親切な方に見つけていただいて。娘も喜びますわ。今朝散歩の途中にひもが外れて、いなくなってしまったらしいんですよ」  

おばさんは何度も頭を下げて、お礼に可愛らしい籠に入った、白やピンクのコスモスで作られたフラワーアレンジメントをくれた。

「じゃあね。ミッキー。もう迷子になっちゃだめだよ」  

くぅん。と鼻を鳴らす子犬の背中を優しく撫でてから、雅之はやっと駅にたどり着いた。

 

 

あはは・・・・まだ澪でてきませんね。。。

でも、これで謎だった和巳が少し分かったんじゃないでしょうか〈笑〉

今回はちっとも甘くも切なくもないお話なの。ご免なさい〈脱兎!!〉