藁しべ長者 後編
両手がふさがっているために、改札のところで手際よく定期券を出す事が出来ず、下を向いて悪戦苦闘していると、人待ち顔で券売機の横に立っていた高校生らしい青年が、躊躇いがちに近づいてきて雅之に声を掛けた。
「ねえ、君」
「え?」
さっと顔を上げた雅之のあまりの可愛らしさに、一瞬言葉を無くした青年は、再び気を取り直して、
「もしも、もしもだよ。君さえ良かったら、その花、僕に売ってくれないか?」
「これは頂き物ですから・・・お花なら、すぐそこの花やさんに売ってますよ」
「花屋がある場所は知ってるんだけどね。彼女が来るから、ここを離れるわけに行かないんだ。折角やっとの思いでデートにこぎ着けたのに、彼女の誕生日プレゼント家に忘れて来ちゃってね。手ぶらって訳にいかなくて困ってたんだ」
本当に困っているらしい青年を見かねて、
「僕も貰った物だから、お売りするわけにはいかないけど、良かったらどうぞ。差し上げます」
またしても天使の微笑みを、麗しい顔に浮かべた。
彼女を待ってるとは言え、可愛らしいものはしょうがない。
目の前の少年の笑顔にドキドキしながら、
「あ、イヤ。いくらなんでも、ただって訳にはいかないよ」
「でも、僕も頂いた物で、お金を貰うわけにはいきませんから」
青年の前に花籠を差し出しながら、きっぱりと言った。
優しく、シャイな雅之だが、一度言ったことは滅多なことでは翻さないほど、頑固な一面もあるのだ。
「お金の変わりになるものねぇ・・・」
青年は、財布の中を頻りに覗いて、
「あ!あった!ね、君。駅の裏手に有る第三中学知ってるかい?」
嬉々として雅之に尋ねた。
「ええ。確か公立の中学校ですよね?」
「そう。僕はそこの出身で、昨日と今日。文化祭やってるんだ。これ余り物のチケットなんだけど。そんなに遠くないから、食べてきてよ」
「ええ?」
青年の差し出したチケットを無理矢理握らされた雅之は、乗りかけていた電車に結局乗れずに、とぼとぼと駅の裏手に続く高架下のゲートをくぐる羽目になった。
「捨てるのも悪いものね・・・でも、僕一人で知らないとこ行くの嫌だなぁ・・・」
ガンガンと派手な音楽が鳴り響き、賑々しく飾り立てられた学校の中に入った雅之は思わず目を大きく見張った。
お坊ちゃんばかりの温室のような南里中学と違い、真面目そうな子も居る事は居るが、紅い頭や金髪の子もそこここにいて、文化祭の出し物のためか、ばっちりとお化粧をした女の子までいる。
雅之のように他校の制服を着ている子達もちょろちょろいるし、むろん父兄の姿も多いのだが、常日頃、和巳という逞しい保護者に守られているだけに、あまりにも場違いな場所に足を踏み入れたようで、いかんとも心許ない。
「え・・と」
でかでかと張り出された案内板によると、貰ったチケットは、どうやらパティオ風の中庭に作られた、お店の物らしい。
・・・・・・早く食べちゃって、お家に帰ろうっと。
案内板の地図通りに校舎の中を抜け、木立に囲まれた店に近づくにつれ、女の子の黄色い声が特定の人物の名前らしき物を何度も呼んでいるのが漏れ聞こえてきた。
「澪!あたし。クリームソーダ!」
「澪さま!こっちの注文取りに来てぇ」
「いやよ!わたしは澪君に持ってきて欲しいの!」
パティオの木立の中に設えられた、急場作りのカフェテリアの真ん中辺りで、三本の指を立てて器用にトレーを捧げ持った一人の少年が、きつい口調で彼女達に怒鳴り返している。
「てめぇら!いい加減にしろ!俺以外にも暇な奴が腐るほどいるだろうが!」
確かにさっきからパティオの中を忙しく走り回っているのはスラリとしたこの少年だけで、他のボーイ達はぼんやりと突っ立ったままで至極暇そうである。
「あたし達は澪がいいの!」
「ね〜!」
個々のテーブルに座っている女の子達も共同戦線を張って、負けじと応戦していた。
本気なのか遊びなのか解らない彼らのきわどいやりとりに、どきまぎしている雅之は、目立たないようにソオゥと一番端っこのテーブルの席に腰を下ろした。
「いらっしゃ・・」
「ハイ!」
へえ?可愛いじゃん。
めざとく雅之を見つけた澪は、素早い動作で注文を取りかけた同級生を通路まで押し戻して、トレーを持ったまま雅之のテーブルに肘を突いた。
間近に迫る澪の顔は、恐いほど整っていて、薄い唇に微かに笑みが浮かんでいなければ、逃げ出したくなるほど凄みのある美しさだった。
元々全体的に色素が薄いせいで、髪こそ染めていないが、左耳に彼の氷の美貌を際だたせる、青碧のサファイヤのピアスが冷たく光っていた。
当然シャイな雅之は、澪の顔が直視できずに真っ赤になって俯いてしまった。
「どしたのさ?俯いちゃって。この制服は南里中学だよな?」
澪の瞳が獲物を狙う野生の獣のようにすぅ〜と細められた。
澪は若干一五才にして、人も羨むほど異性にもてるのに、いや、だからこそなのか、天の邪鬼な性格故に異性に心を惹かれることが全くと言っていいほどないのだ。
澪が心惹かれるのは、同じ性を持つもの。 しかも、決して男臭くてはいけない。あくまでも美少年のみなのだ。
まあ、滅多に澪の審美眼に適う少年など存在しないのだが・・・
澪曰く、簡単に手には入るものなど欲しくはないらしい。
「俺は結城澪っていうんだ。澪って呼んでくれればいい。君は?」
「・・・・・南里・・・」
パイプ机を並べた上に白い布をかけただけの貧相なテーブルに視線を落としたまま、今にも消えてしまいそうなほど小さな声で雅之は答えた。
「中学は制服で解ってるよ。名前きいてんだぜ」
ふんわりとした柔らかな前髪に隠れて、半分しか見えなくなった顔をよく見ようと、澪は雅之の顎に人差し指をかけてツィと持ち上げた。
震える睫毛が影を落とす、雅之の天使の面差しに、澪の食指は未だかってないほど激しく動く。
すっげえ。可愛い。唾つ〜けた。
「なあ、何食う?チケットないんなら、俺奢ってやるよ」
「こ、これ」
澪の指から逃げるように、雅之は慌てて顔を逸らし、さっき貰ったチケットをテーブルの上に置いた。
「なんだ、チケットあるじゃん。
お〜い!ここに、あんみつ一つ!」
衝立で仕切られただけの厨房に向かって、大声で注文を済ますと、
「あんみつ好き?」
雅之の横の椅子を引いて、至極当然と言わんばかりに堂々と腰を下ろした。
「・・・え?」
どうして?どうして、この人ここに座るの?
呆気にとられた雅之は、誰かに助けを求めるべく辺りに視線を泳がせた。
所が周りの人々はただ興味津々で雅之達の様子を窺っているだけで、誰も助け船を出してくれそうには無かった。
さっきはあれほど威勢の良かった女の子達さえも、澪の好みは重々承知しているし、まして雅之はかって例の無いほど澪の理想の恋人像にどんピシャリなのだから。
自分たちの出る幕ではないと悟ったのか、大人しく出された物を食べながら、時折視線をチラチラと雅之に向けて事の顛末を見守っている。
「何だよ?別に俺は取って食ったりしないぜ」
あまりにも落ち着かなげで不安そうな雅之の様子に、澪が可笑しそうに声を上げて笑った。
華やかな明るい笑顔が、澪の蝋人形の如く綺麗な顔立ちに暖かい人間味を加えたので、雅之はほんの少しホッとする。
「なんで君みたいな子がこんな所に一人で来たの?」
まるでオオカミの群に紛れ込んだ、幼気(いたいけ)な子羊ちゃんの風情だね。
「それとも、知り合いがここの生徒にいるのかい?」
「いいえ。ちょっとしたアクシデントで・・・チケット貰って・・・その、捨てるのも悪かったから・・・」
膝の上に両手を載せたまま、視線をその手に落として雅之は応えた。
「ふ〜ん。三中には誰も知り合いいないんだ?じゃあ、俺が光栄にも君の知り合い第一号ってわけだ」
すんなり雅之に差し出された澪の右手。
その手を怪物でも見るように上目使いに凝視する雅之。
澪はからかうように鼻先で笑って、
「シェイクハンズ。すなわち握手をしようって言ってるんだけどな。それとも南里のお坊ちゃんは三中みたいな柄の悪い学校の生徒とは握手もできないって訳?」
「そ、そんなこと・・・」
困って、顔を上げた雅之は仕方なく目の前に出された澪の手に右手を滑り込ませた。
「よろしく」
「ぼ、僕こそ・・・」
離す寸前に指先をスッと指の腹で意識的に撫でられて、雅之はまたカッと頬を紅く染めた。
運ばれてきた、あんみつを食べている間も、傍に座ったままの澪にじっと見詰められて、ほとんど味など解らない始末だ。
どうして、この人僕をずっと見てるんだろう・・・ああ、早く、帰りたい。
「ありゃりゃ?あんた、笠井の天使だろ?なんでこんな場違いな所にいんの?」
澪の横で立ち止まった、図体のでかい少年が雅之の顔を訝しげに覗き込んだ。
「なんだ?その天使ってのは?」
振り向きざまに澪が咎めるように訊き返した。
「前に話しただろう?南里中学にお前好みの超美少年がいるって」
「ああん?
ああ、思い出した。たしかお前がバスケの遠征に行った後にそんなこといってたよな?」
この子のことだったんだ?松本のいう美少年なんて高々知れてるって、あの時は気にも留めてなかったからな。
それに確かその子にはバスケ部の主将ってのが付いてるって・・・ああ、なるほど・・・
「君は笠井って奴の天使なわけだ」
天使ってのはまさに言い得て妙だが、どの程度の関係なんだ?まあ、どうであれすごすごと引き下がるつもりはないがね。
テーブルに付いた手に顎を乗せて、澪は雅之に確かめた。
「和巳は・・・」
「へぇ?和巳ねぇ。お互いファーストネームで呼び合う仲だとすると、差詰めそいつの片思いでは無いわけだ」
「へ、変なこと言わないでください!!ごちそうさまでした」
気色ばんだ雅之は、そのくせご丁重に深々と頭を下げて椅子から唐突に立ち上がった。
足早にパティオを後にして立ち去る雅之を、じっと見送りながら、
「あの子の名前は?」
横に立つ松本に、澪は大様に尋ねた。
「驚くなよ。南里雅之。
あのお坊ちゃん学校の創設者の孫だそうだ」
「ふ〜ん」
さっき、ちゃんと俺に本名を教えてくれてたんだ・・・
南里雅之ねぇ・・・・
澪の琥珀色の瞳がキラリと強い光を帯びた。
ほとんど人気もなく、森閑とした広い公園の枯れ始めた芝生の上を、和巳は雅之の話に時折相づちを打ちながらゆっくりと歩いていた。
ポツ、ポツと暗がりの中を街灯は照らしているものの、目を凝らさなければ見えない茂みの陰などもそこここにあり、確かに和巳の懸念通り、ここに雅之一人が来るには、ちょっとばかり危険そうである。
幾ら大型犬を連れているとはいえ、雅之の愛犬のハニーは大型犬の中でも一番気性の優しいゴールデンリトリバー。
その上、齢(よわい)16才という超高齢なのだ。
「まるで、平成版藁しべ長者だな」
首輪から外した、ハニーの散歩用の鎖をクルクルと手首に巻きながら、和巳が屈託無く笑った。
「でも、藁しべ長者って最後に長者様に成るんでしょ?僕の紐は巡り巡って、あんみつになっただけだもん」
遮る物のない広い公園の中を吹き渡る冷ややかな夜風に、身体をブルッと震わせた雅之は、白いダッフルコートの襟を寄せた。
二人の周りでは雅之の愛犬のハニーが、既に辺りが暗くなっていることなどお構いなしに、あちらこちらの匂いを嗅ぎながら、のんびりと散歩を楽しんでいた。
「いいじゃないか、あんみつで。雅之は今更金持ちに成る必要なんかないんだから」
「あんみつはいいんだけどね・・・」
でもね、
「あんみつ食べたときに、すんごく綺麗な人に会ったんだよ」
とっても綺麗で、なんだかおっかない人に・・・
「綺麗?へえ、珍しいこというなぁ?お前に綺麗なんて言わせる程の美人が三中にいるとはねぇ?」
良くも悪くも、雅之は他人の評価というものをほとんどすることがない。ある意味、雅之は実社会から浮いた存在なのだ。
「ああいう人のことも、やっぱり美人っていうのかなぁ?」
雅之はふっくらとした頬に手を置いて、『ん?』と首を肩につくほど大仰に傾げて見せた。
「・・・かなぁって、お前の場合、綺麗な人と美人ってのは意味合いが違うのか?普通は大抵一緒なんだがな」
和巳も雅之の胸中が掴みきれずに、眉を寄せて困惑気味に首を傾げた。
三中での出来事を思い返していた雅之は、傍にいるだけで頼もしい和巳をハタと見上げて、
「ねぇ?和巳」
「なんだ?」
「僕って和巳の天使なの?」
「・・な?」
あんぐりと口を開けたまま、和巳の大きな身体が一瞬にして強張った。
「三中のバスケット部員の人がね、僕のこと『笠井の天使だろ』って聞いてきたんだよ。ねぇ、僕和巳の天使なの?」
強張ったままの和巳に気づかないのか、嬉しそうに雅之は繰り返した。
「嫌じゃないのか?そんな風に言われて」
「どうして?」
「どうしてって・・・おまえ」
まともに雅之を直視できなくなった和巳はおもむろに屈んで、ひっつかまえたハニーの首筋をクシャッと撫でた。
「僕、嬉しいよ。本当に僕のことを和巳がそんな風に思ってくれてるんなら。だって、和巳は僕の守り神だもん。和巳が傍に居てくれるから、僕は笑っていられるんだ」
悲しいときも辛いときも、僕の傍にいてくれたのは和巳とハニーだけだものね。
雅之は和巳の広い肩に甘えるように両手を置いた。
「僕の側にずぅ〜っと居てね。僕は和巳とハニーさえいれば他に何もいらないんだから」
和巳は囁くように呟いた愛しい雅之の滑らかな手に、大きな手を載せて、
「離れたりしない。雅之が俺を必要としてくれる限りずっと」
年老いたハニーの茶色い目を見詰めながら和巳は応えた。
お前と俺は同士だもんな。ずっと俺達で雅之を守って来たんだから・・・・
和巳の心は不穏に揺れる。言われなくとも解っている。雅之にとって和巳が保護者以外の何者でもないことを。
子どもは何時か巣立つのだ。保護者の暖かい腕の中から、生涯の伴侶を求めて旅立つ。
和巳でない誰かの暖かな腕(かいな)の中で眠るために・・・
出来ることなら永遠に俺の汚れなき天使でいて欲しい。
限りなく欲望に近い俺の望み・・・
「ぼちぼち帰ろうか」
まだ来ぬ未来をあれこれ思い悩むのはやめよう。今はまだ、雅之は俺だけのものなのだから。
思いを振り切って、カチャリとハニーの首輪に鎖をつなげてから和巳は立ち上がった。
愛しい雅之の小さな背中に、そっと腕を廻す。
「うん」
いつになくピッタリと身体を寄せる雅之に、
「寒いのか?」
和巳は腕に力を込め、優しく訊いた。
「ううん。大丈夫」
本当はね、なんだか恐いんだよ和巳。
今日を境に何かが変わっていきそうで・・・僕。
雅之の脳裏に昼間会った澪の姿があまりにも鮮明に浮かぶ。琥珀色の何もかもを見透かすような鋭い眼差し。
思い出すだにおっかないのに、胸が波打つようにさざめくのは何故だろう。
彼の僕を見詰めていた瞳が頭から離れてはくれない。
ある人の存在を片時も忘れることが出来ないということが、大抵の場合恋の始まりだということに、雅之自身まだ気が付いていなかった。
雅之を心から想う和巳もまた、いずれ自分から雅之を奪っていく、澪の存在など今はまだ知る術もない。
大人でも子供でもない微妙な年齢。
まもなく青い春を迎えるであろう一五才の少年達を、思春期と呼ぶ名の、色とりどりの紅葉が彩り始めた晩秋の一日であった。
〈終わり〉
これでも、JUNEなんです、一様〈笑〉
前回とは12年も間があいている事になりますね。その間に色々あって、ああ言う〈前回〉様な関係になるわけです。。。
その辺りの過程をまたいずれWEBに載せたいなと思っていますので、よろしくお願いしますね。。。
そう言えば、前回の事後も読みたい〜〈リトルな雅之と大人な澪のその後です・・ショタになるのかしら^^;〉と仰ってくれた方もいるのですが・・・お遊びで書けたら何時か書いてみたいですね(^-^)