★☆★いつか見た夢★☆★

 

( 最終話 )

 

三津浦の悲しげでそれでいて、虚勢を張ったままの強ばった背中が部屋から出ていく様を敦は呆然と見送っていた。

なぜ、こんなにもあっさりとひきさがっちまうんだ?

憎っき、恋敵のはずなのだから、一人でも減れば、それはそれで嬉しいはずなのに、敦の心はすっきりとしない。

もっと、修羅場になるのだと思っていた。

三津浦の言い分は、納得いかないものの、神谷が最後に言ったように、三津浦は三津浦なりに神谷との未来を築こうとしていたのだと言うことが、薄ぼんやりとした形でしかないけれど、少しは理解できて来ていたからだ。

それなのに、どうして・・・・・・・

ゆらりと漂ってきた薄紫の紫煙がそんな敦の視界を横切り、今まで三津浦に向けていた視線を引き寄せられるようにその主へと巡らせた。

いつの間にか、朝永が用意した灰皿に、灰を落としながら、高瀬川は何かを問うような表情で、ジッと神谷を見つめたままだった。

「課長・・・・・」

そんな、高瀬川を神谷が静かに呼んだ。

「神谷・・・こんなときに、課長はよしてくれ」

うっすらと苦笑いを浮かべ、手にしていた煙草をゆっくりともみ消す。

捨て置かれた吸い殻のなかで、消しきれなかった名のこりの火種が縋るようにしばらく赤く光っていた。

「色々、すみませんでした。あなたにはご心配やご苦労ばかりを掛けてしまって・・・」

まるで、これで終わりだとでも言うように、神谷はキュッと唇を噛みしめて言葉を切る。

「辞める気か?」

辞める・・・って、まさか?

敦の理解の範疇を越えた、高瀬川の問いに、阿吽の呼吸で、頷いた神谷が返事を返した。

「ええ、考えてみれば、正式な入社ではなかったわけですし、このまま居座るわけにはいきません」

「そうか」

「ありがとうございました」

今までのすべての気持ちこめて、深々と下げた神谷の頭を、まるで、親が子供を見つめるような優しげな顔で見つめながら、ぽんぽんと叩いた。

「再就職のことはいくつか心当たりをあったてみる。見込みのあるベンチャー企業にいくつか当てがあるし、お前なら、うちのような組織よりもそういった場所の方が研究室ぽくて自由な開発もさせてもらえるだろうしな」

「課っ・・・・いえ、高瀬川さん。すみません、最後の最後まで・・・」

驚いたように顔を上げて、神谷がそう言うと、気にするなと笑い掛けた高瀬川はそのままスクッと立ち上がり、それまで、忘れていたのを思い出したように朝永と敦のほうへ向き直る。

「ああ、そうだ。分かっているだろうが、椎名も朝永も今夜のことは、他言無用だからな、いいな?」

「ええ、もちろん、わかってます。さぁ、椎名、俺たちも帰るぞ」

即座に応えながら慌てて立ち上がった朝永はどっしりとあぐらをかいたままの敦の腕を引っ張り上げた。

「な、な・・・・何だよ、急に!帰るって、話なんかまだ、全然、ついてないじゃないか!!」

だいたい、会社を辞めるだなんて、なんでそんな話になっちまうんだよ。

「良いから、行くぞ。神谷さん、じゃぁ、俺たちも失礼します。ほら、椎名、早く!!」

むずかる敦をみて笑った高瀬川課長の後を、朝永が、敦を引っ立てながら、引きずっていくと、神谷が目線でありがとうと朝永に会釈を返した。

まだ、白く蒼ざめてはいるが、ずっと心に引っかかっていた付き物が落ちたように、神谷の顔は柔らかな笑みを湛え、ホッとしているように見えた。

敦だけが蚊帳の外に出されているが、まるで、この三人の中では、言葉など必要ないとでもいわんばかりに、すべてが理解しあえているのか、もう、これで話は付いたと言うことらしかった。

「お休みなさ〜い」

小さな声を部屋の中に残しながら、朝永ががちゃりとマンションの白いドアを閉めたところで、三人は左右に分かれることになった。

「朝永、帰るのなら、送って行くぞ?」

高瀬川はエレベーターへ続く左へ身体の向きをかえながら朝永にどうする?と促した。

朝永はしばらくどうしたものかと思案していたが、納得のいかない顔をして、二人を睨んでいる敦を置いていくわけにもいかず、やれやれと高瀬川の方に向き直った。

「今夜はこのまま、椎名んとこに泊まります。俺が見張ってないと、こいつ、案外ひつっこいから、このまま神谷さん所に舞い戻りかねませんからね」

「ははは、そうか。じゃあ、また月曜日にな」

軽く手を挙げて、歩いて行きかけた背中に、朝永が謎めいた声を掛けた。

「課長。問題はこれからですからね、俺のためにも頑張ってくださいよ」

「ああ、言われなくても、わかってるよ」

任しとけと笑った、高瀬川は敦から見ても相変わらずほれぼれするほど絵になっていた。

「スーツが多少皺になってても、格好いい男は格好いいよな」

高瀬川の姿が、エレベ−ターのなかに消えると、朝永がほれぼれしたように、呟いた。

滅多に誰かを誉めない朝永にうっとりとした目でそう言われると、自分もそんな風に感じていたくせに、敦はなんだか、面白くない。

「ちぇ・・・なんだよ、お前まで」

「まぁ、妬くなって、お前だって、そう、悪かないよ」

「うるさい!」

むっすりと、したまま部屋に戻った敦は、朝永に、買置いていた、新の下着とパジャマを出してやると、さっさと先に浴室に向かった。

 

「もう寝たのか?」

ベッドの横に、予備の寝具を敷いてそこにゴロリと横になっている敦を風呂から上がった朝永がのぞき込むと敦は無言のまま首を振った。

敦にはそれでも丈が足らないだろうが、ロングサイズのベッドは朝永のために開けてあるのだろう、まだ、柔軟仕上げ材の香りが微かにかおる、綺麗なシーツがその上に掛けられてあった。

「あんな風に、神谷さんの部屋から連れ出して怒ってるのか?」

キシリとスプリングを軋ませながら、腰を下ろすと、塗れたままの髪を片手でタオルドライしながら、朝永は滅多に外さない銀縁の眼鏡を外してベッドの枕元にコトリと置いた。

「お前らだけ、話が通じてるんだろうけど、俺にはなんだか、さっぱりわからないよ・・・・あの三津浦さんの引き下がり方も、神谷さんが会社辞めるなんて話も、それを止めようともしない高瀬川課長もさ」

悶々とした怒りが治まらないのだろう。敦は朝永のほうを向かずに話を続ける。

「結局、何だったんだよ?三津浦さんを追い返して、高瀬川さんと今までみたいな関係を続けるって事だろ?会社も移れば、噂もなくなるしさ・・・・・・
だけど、高瀬川さんさっき、三津浦さんが、ちゃんと離婚とかして神谷さんを迎えにきたんなら、それでもいいなんて言ったんだぜ?そんな簡単なもんか?
それとも、高々それだけの気持ちなのか?
だから、俺と神谷さんが寝たって知ったって、平気なのかよ?!」

「おまえ・・・・・神谷さんと、寝たのか?」

押さえた静かな声の中にも驚きを隠せない朝永に聞き返されて、敦はハッと息をのんだ。

あの夜のことは誰にも言うつもりなど無かったのに、怒りにまかせて、今、自分が何を言ったのか理解できていなかったのだ。

「そっっか・・・・・・それなら、お前が拘るのもむりないか・・・・・・・でもな、椎名、さっき神谷さんは高瀬川さんも振ったのがわかんなかったか?
お前が言うところの大人な関係も、終わったんだ。さっき神谷さん自身が断ち切ったんだよ」

「え・・・・?だけど、高瀬川さんはなんにも・・・」

「課長はちゃんとわかってるよ。
俺も今までの経緯はよくしらないけどな、あの二人の関係って、三津浦氏の存在があって初めてなりたってたんだとおもう。だから、神谷さんが三津浦との呪縛を取り払ってしまったからには今まで必要だった、関係もいらなくなったってことは、俺にも分かるし、高瀬川さんもわかってる」

「じゃぁ・・・・・神谷さんはフリーに成るって事だよな?」

ガバッと、タオルケットをはね除けて、敦は現金なほど嬉しそうに跳ね起きると、朝永の両腕をがしっと掴んだ。

「い、いたいって!
ああ、確かにお前にも、チャンスはなくはないさ。だけど、さっき課長言ってたろ?たぶん、あの二人の本当はこれから始まるんだと俺は思ってる」

「あの二人の本当ってなんだよ?」

「課長、きっといままで、自分の気持ちを神谷さんに伝えたことなんか無いんだとおもうんだ。
上司と部下なんて関係からも離れて、神谷さんのトラウマだった、三津浦氏の存在も無くして、まっさらの状態で、これからきっと本気で口説くんだろうな。
考えても見ろよ、あの課長に真剣に口説かれるんだぜ?俺なんかコロっといっちゃいそう」

終わりには冗談めかしてわらう朝永の言うことが本当だとしたら、二人の間に今度こそ入る隙などないのかもしれないなと、敦ははぁっと大きなため息をついて項垂れた。

でも、それならそれで、神谷さんは今度こそ幸せになれるかもしれないな。

俺からみてもたしかに、課長はちゃんとした大人で、いい男だし・・・・・・・

「椎名に、勝ち目があるとおもう?」

初めてみる朝永の眼鏡を外した顔は、思った以上に綺麗で、ほんの少し眇めた唇で、くすくすと笑う笑顔はなんだか、ちょっと小憎らしくて、そのくせやけに色っぽく見えた。

そのまま、ニッと笑って、思いもしない言葉がその唇から飛び出してきた。

「だからさ、俺辺りで、手、打たない?」

「な、何いってんだよ、お前・・・・・」

突然の朝永の申し出に驚愕しながらも、どこか奥深いところで、それほど以外に思っていない自分がいた。

「まぁ、嫌ならいいんだけどさ」

そう言いながら、至近距離で見つめ合っていた視線をすっと、先に逸らしたのは朝永だった。
笑顔を浮かべたままの頬はわずかに強ばっているようで朝永の言葉が、思いつきや冗談ではないことをうかがわせる。

俺なら、同性を好きになっても上手く隠せるすべを知ってると、朝永は言っていた。

もし、今言った言葉が冗談などでないのなら、朝永が自分に寄せてくれていた、好意はずっと以前から、友人としての範疇を大きく越えていたのかも知れない。

このまま、冗談ですませてくれるのなら、それはそれでかまわないのだと、選択権を敦にゆだねて、ゴロリと誰もいないベッドへ、朝永は身体を横たえた。

唐突に向けられた華奢な背中は神谷よりも小さく見えて、敦は弱みを見せることを極端に嫌う、朝永のそんな背中に優しい声を掛けずにはいられなかった。

「俺、まだ、神谷さんのこと、忘れられる自信なんかないけど・・・・朝永のことも、嫌なんかじゃないよ。
だからさ、ゆっくり寝て、明日の朝から始めてみないか?俺たちも、真っ白な状態から、一歩一歩」

背中を向けたまま、朝永の頭が小さくこくりと頷いた。

 

★☆★

ながい、ながい、夢を見ていたような気がした。

夢が現実だったのかそれとも現実が夢だったのか。

しっかりと瞳を開きさえすれば、もっと早く夢から覚めることが出来たのに。

自分にとって一番大事な物がなになのか、もっと早く知ることが出来たのに。

 

「神谷さん、後これだけですか?」

家具もカーテンも取り払い、ガランとした部屋の中央にたち、長年住み慣れたマンションを離れる感慨に耽っていた神谷に、玄関のたたきで大きな段ボールを抱えた敦が聞いた。

「あ、うん、ありがとう。それを積み終えたらおわりだから」

HAZAMA電子は先月付けで退社し、9月からは新しい、小さな会社に就職の決まっている神谷の今日は引っ越しの日だった。

あの日を境に、いくら断っても、神谷のマンションに花束やプレゼント持参で日参して来ていた高瀬川の部屋に移るために。

あの夜、今までの関係の解消になんら意義を唱えることなく帰って行った人が、まさか翌日から人が変わったように熱烈に通ってくるなどとは思っていなかった神谷は初めて見せる高瀬川の本音らしい、内面に触れ、いつの間にか一からの出直しに頷いてしまったのだ。

課長があんな人だとは知らなかった。

それは、神谷にとって、嬉しくもある驚きだった。

あれほど、お互いのプライバシーに干渉せずにいた人が、一からやり直すことに同意した神谷の前では別人のように、片時も神谷を放すのをいやがった。

今では朝永とつきあいはじめた敦にさえ、あからさまにやきもちを妬く。その様はある意味見ていてほほえましいほどに。

もう、別れを恐れまい。

もう、ひとり、置いて行かれることに怯えまい。

愛する人といっしょにいることを望むのなら、自分だけ夢のような幸せの中にぬくぬくと包まれることを望まずに、苦労を分かち合い共に生きていくことを選ぼう。

愛さえることだけを望まずに、信頼を勝ち得る存在になろう。

「じゃぁ、あとは俺たちで片づけておきますから、神谷さん早く課長のところへ行ってあげて下さい。さっきから、上見てそわそわしてますよ」

共有部分の手すりから頭を乗り出して高瀬川の様子を見て笑っている朝永を、敦が危ないぞと引き寄せる。

微笑みながら見つめていた神谷は、

「敦も、朝永も元気でね。また、4人で飯でも喰いにいこう。高瀬川に奢らすよ」

初めて、敦がこのマンションと来たときと同じように、白い綺麗な右手を差し出した。

「お元気で」

パッキンを運んだ手のひらの汚れを慌てて、ジーンズの腿にこすりつけて払うと、敦はそっと、神谷の手のひらを握った。

柔らかくて、華奢でほんの少しひんやりした感触はあの日のまま。

ああ、あれから、まだ半年しか経っていないのに・・・・・

敦の心の中に走馬燈のように半年間の神谷との想い出が浮かんでは消えていく。

「そろそろ、放してくれないかな。わたしは朝永に恨まれたくないからね」

「え・・・?」

またしても、あの時と同じように真っ赤になって、パッと手を離した敦の前に、大輪の花が咲いたような明るい笑顔があった。

 

「いっちゃたね」

「ああ、そうだな・・・・」

「なんだよ、やだねーーー、振られ男のくせに、感慨にふけっちゃって」

「振られ男ってなぁ・・・ああ、そうか、朝永妬いてんだろ」

部屋にもどって扉を閉めると、靴を脱いでいた朝永を、後ろから抱き込むと小柄な身体はすっぽりと敦の腕の中に収まる。

「妬くわけないだろ、ばぁ〜か」

フンッと、横を向いた普段はちょっと冷たそうな横顔に敦が笑いながら優しく唇を寄せると、白い肌がほんのり、赤く染まった。

 

〈END〉

22話、長いお話にお付き合い下さってありがとうございました。

このお話は氷川が初めて書いたリーマンものです〈ほんとです^^;〉なので、書き上げた後もあっちいじりこっちいじり。もともと、この二組の話を書こうと思って書き始めたんですが、主人公は神谷と敦なだけに、難しかったですぅ・・・・・・・これも初めての経験ですね・・・・ふう・・・

至らないところや、読みづらかったところ色々あったとおもいますが、最後までお付き合いありがとうございました。この二組の短編もまた少し書きたいんですが、とうぶん、リーマンものは、あはは(^^;)