〜七月七日浪漫〜 第一話

初夏の空の色によく似た、空色のリクライニングシートに凭れ、小さく四角い密閉された車窓から、情緒も何もないほど早く流れる外の景色を眺めているうちに、同じ車両の幾人かが、落ち着かなげに、ごそごそと動き出した。  

十年以上も前の話だが、俺が中学の修学旅行で関西に来たときは、三時間も掛かったのに、今や鉄道界の先鋭を誇る、東海道新幹線ののぞみは二時間三十分をうたい文句に、東京大阪間を猛スピードで走る。  

まして今回の目的地の京都には、その十五分前に着くのだから、今から十年も経たない内に二時間を切るのかも知れない。  

今と全く同じ事を、俺は一年前にも新幹線の中でぼんやりとシートに凭れて、考えていたような気がする。  

去年の俺と今年の俺とでは、全く違う目的で夏の古都を訪ねるというのに。    

俺の思考は期待よりもむしろ微かな不安に苛まれ、時の彼方へと逡巡(しゅんじゅん)する。  

あの夏・・・

遙か昔のことのようにも、つい昨日の事のようにも思える。この一年間というもの、俺はこの日の為だけに過ごしてきたのだから。   

七月七日・・・

七夕の夜・・・

夜空の向こうの天の川で、織り姫と牽牛が一年ぶりの逢瀬を許される日。  

俺は果たして一年ぶりの逢瀬を許されるのだろうか・・・・・・・    

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「京都へ行くんだって?取材って今からなら祇園祭のか?」  

親友兼悪友の垣畑秀太郎が、憎たらしいほど格好良くスチール椅子に腰掛けて、小指に指輪を填めた左手に水割りのグラスを持ちながら俺に尋ねた。

「いや、祇園祭じゃなくて、〈古都と茶の湯〉ってのが今回の取材のテーマなんだ」   

俺も背もたれのない椅子に座り、疲れた身体を支えるためにカウンターに頬杖を付いて、ちびちびとウイスキーのロックを舐めながら応えた。  

毎度のことだが、毎月二十日を過ぎると、雑誌社の仕事に加え、唯一お義理に近い状態で貰っている連載小説の〆切に追われて、ろくに眠る暇もない有様なのだ。

「なんだぁ?それ?お前んとこも一応はメンズの雑誌だろ?それとも、あんまり部数が伸びないから、レディスに宗旨替えでもしたのか?」

「ハハ。お前に言われると耳が痛いな。だけどなんとか今のところ廃刊せずにやっていけてるらしい。何でも、わび・さびってのは、このごろは若い娘さんより、若い男に人気があるらしいぜ。まあ、千利休だって男だしな」

「まあ、確かに家元はだいたい男みたいだけどな。お前んとこ、相変わらず地味なものばかり扱ってるんだな。今時流行んないぜ。  

一概にメンズと言ったって男はヌード写真の無い雑誌なんかそんなには買わないからな。ある程度女性の購買意欲も駆り立てないと部数は伸びないよ。  

わび・さびねぇ・・・結構特殊な世界だぜ。取材先の当てはあるのかよ?」

「全然無い。俺みたいな庶民には無縁の世界だからな。だからブルジョワのお前をわざわざ殺人的なスケジュールの合間をぬって、呼びだしたんじゃないか。  

お前確か前に、京都の家元に知り合いがいてるって言ってたよな?紹介してくれないか?」  

俺は開いている片手を顔の前に上げて拝み、秀太郎のハンサムな顔をチラリと見上げた。

「おかしいと思ったぜ。この忙しい月末に、なんの下心もないお前が二人で飲もうなんて言うはずないもんな。そ〜ゆ〜事か?」  

明るい茶色に染めた前髪を後ろに撫で上げて、俺の顔をにやりと覗き込んだ。

「そ。そ〜ゆ〜ことだ」  

ハンサムで優男の典型のような男だが、生まれついてのお坊ちゃんであるこいつの交友関係は果てしなく広くて、尋常じゃない人脈を持っている。  

出来るだけ対等な友人でいたい俺は、秀太郎に滅多なことではこうして泣きつくことはないのだが、生まれ持った環境だけはどうしても変えることが出来ないので、時折こうしてこいつの人脈に恩恵をこうむったりする。  

俺にとって大手出版社の御曹司で、かなりメジャーな雑誌の編集長を、若干二五才という若さで任されている秀太郎は、いざという時にはかなり役に立つ男なのだ。  

俺も同じジャーナリストの端くれなのだが、いかんせんかなりマイナーなメンズ雑誌のライターをしながら、日々の生活をしている。  

本業は(いやいや、こっちが副業と言うべきか?)売れない小説を書いているのだが、なかなかそれだけじゃあ食ってはいけない。

「仕方ない。大事な宗志(そうし)の頼みだ。何とかしてやるよ」

「悪いな」  

何とかしてやるよと秀太郎が言えばたいていのことは何とかなる。  

早速、隣の椅子に掛けてある背広のポッケットから電子手帳と携帯電話を取りだした秀太郎は、手際よく先方との約束を取り付けて、肩越しに俺の方を振り向いた。

「宗志。家元は都合が付かないらしいが、代理人でもいいんなら、7月の6日以降に来て欲しいそうだ」

「ああ、そのぐらいの方が俺も都合がいいよ」 

電子手帳なんて高級な代物を持っていない俺は、横に置いてある鞄からびっしりと予定の書き込まれた分厚い手帳を出して、メモに取りかかる。  

7月6日午後1時、京都駅新幹線のホーム。 

待ち合わせの相手は、百瀬流家元の長男、百瀬涼一(ももせりょういち)

「まだ高校生だって?その子の特徴は?」  

ボールペンでメモを取りながら訪ねる俺に、

「涼一君の特徴?特徴ねぇ・・・強いて言えば彼そのものかな。まあ行けば解るよ。ホームに居る奴の中で一番目を引く男の子が彼だから」  

意味深な一瞥を俺に投げてよこした秀太郎は、幾ら俺がひつこく訪ねても、まるで面白がってでもいるように、それ以上彼については、なにも教えてはくれなかった。  

俺の方も秀太郎がいつも軽いノリで俺とのやりとりを楽しんでいるんだろうぐらいにしか考えずに、まあ行けば何とかなるでしょうといった軽い気持ちで、その話は切り上げた。 

久しぶりに会った気の置けない親友と、その日はしこたま酒を酌み交わし、その夜の記憶があやふやになるほど俺達は泥酔した。    

今思い返せば、秀太郎のいっていた、ホームの中で一番目を引く奴がその子だといった言葉など、彼を見るその瞬間まで俺の記憶の片隅に酒が流し去ってしまっていたんだ。

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うわぁ〜!蒸し暑い・・・  

冷房の効いた新幹線から降り立った俺が、まず最初に感じた京都の印象がそれだった。

ヒンヤリしていた身体から、不快にも一斉に汗がじわじわとにじみ出てくる。  

京都は盆地なだけに、夏の蒸し暑さは近畿の他県と比べても一番酷いかも知れない。  

ライターとはいえ、マイナーな極貧出版社の取材のため、不慣れなカメラまで持たされた俺は、額に汗を滲ませながら、銀色の四角いカメラケースと黒いボストンバックに両手を塞がれて、キョロキョロと辺りを見回した。  

約束の1時にはまだ10分以上もあり、観光客やビジネスマンで賑わうホームには、人待ち顔な高校生など何処にも見あたらない。 

俺は、ちょうどホームの真ん中辺りの四方から見渡せる場所を陣取って、ドサッと荷物を置いた。

額の汗を拭い一息ついてから、秀太郎が待ち合わせの目印にと言って持たせてくれたあいつの雑誌、(フェロモン)を鞄から出してパラパラと捲り始めた。 

 

序章と言った所でしょうか、次回から本編に入ります。連載回数は10回の予定ですので一月半ほどお付き合い下さいませ。

また、描写など知識不足の所が多々出てくると思いますがよろしくね。