〜七月七日浪漫〜 第二話

雑誌としてはかなり大判で贅沢に多色刷りされた〈フェロモン〉は、如何に男らしく、美しくなるかをベースにした情報雑誌で、俺から言わせれば、その全てからぷんぷんと秀太郎の匂いがする。  

別段購読しているわけではないが、この雑誌を見る度に、俺はいつも秀太郎の自慢の種である端正な顔を思い出し、苦笑を漏らしてしまう。

秀太郎は自分の顔も然りだが、周りのものすべてにおいて、かなり美醜に拘るほうなんだ。  

あいつの審美眼は相当なもので、あいつが言う美人はいつも紛れもない美女だったし、あいつが雑誌で使う男性モデルも、一体何処で見つけてくるのかと首を捻りたくなるような美男ばかりだった。  

(フェロモン)は紛れもなく男のためのメンズ雑誌なのだが、美形モデルのおかげで女性ファンも多く、購買部数をかなり稼いでいた。  

その場所に立って、しばらくすると、確かに雑誌に目を向けていたはずなのに、俺の視線が何かに吸い寄せられるように、ホームの先へと向いた。  

ざわざわとした人混みの間を擦り抜けるように、数メートル先から一人の青年が、いや、まだ少年なのか?こちらへ向かって、ゆっくりと歩いてくるのがみえた。  

あまりにも唐突に、彼の秀麗な姿を目にした途端、俺の脳裏から完璧に消え去っていた秀太郎のあの日の言葉が、突然フラッシュバックを起こして一気に蘇ってきた。

『涼一君の特徴?特徴ねぇ・・・強いて言えば彼そのものかな。まあ、行けば解るよ。ホームの中に居る奴で一番目を引く男の子が彼だから』  

お前の言葉に嘘偽りがなければ、間違いなく彼が百瀬涼一だ。

本当にお前の言うとおりだよ秀太郎。どんな雑踏の中で待ち合わせたとしても、誰もが彼を見失うことはないだろう。  

まだ俺に気づいてはいない様子で、制服姿の青年はこちらに向かって優雅に歩を進める。

むんむんと蒸し暑く、陽炎さえもゆらゆらとのぼる熱気に満ちたホームの中で、目の前に迫る美青年は、まるで彼の周りだけ暑さが消えるかのようにさわやかで、清涼感さえ漂わしていた。  

白いカッターシャツに、きっちりと紺地に細く赤いピンストライプの入ったネクタイを締め、同じ紺色の制服のズボンを履いていた。  

歩くたびに微妙に毛先が肩先に触れるか触れないかの、ほんの少し長めのストレートな黒髪に囲まれた卵形の顔は、歴史に名高い名工が作った日本人形のように整い、色が白いとはいえ、青白くはなく程良い象牙色の艶やかな肌には、黒く光るつぶらな瞳がとてもよく似合っていた。  

彼の唇の色は艶やかなサクランボを連想させた。くどいアメリカンチェリーの赤ではではなくて、上品な山形産のサクランボ。その下唇の中心には、彼がこの世に生まれ落ちる瞬間に、天使が祝福のキッスをしたような小さな可愛らしいくぼみがあった。  

流石にこの年になれば、いくら秀太郎に堅物呼ばわりされているこの俺にも、美しい女性を値踏みするように眺めた経験ぐらいは何度もあるが、同じ性をもつものにこれほど惹かれた経験は未だかつてなかった。  

もちろん美形の男性モデルを多く使う〈フェロモン〉の様な雑誌ではないにしろ、ちょっとでも業界に足を踏み入れて俺も毎日仕事をしているのだから、そこらへんにいる女の子なんかより、美しい男がこの世に大勢いることは十分知っていた。  

だけど、目の前に段々と近づいてくる、これほど綺麗な青年を俺は生まれて初めて見たんだ。  

情けないほど冷静な思考が麻痺して、惚けたように彼を眺めている内に、俺が手にしていた〈フェロモン〉に気づいた彼が、歩を早めて目の前に立ち止まった。

「瀧川宗志さん?」  

離れたところにいると、華奢で小柄な印象だった青年が、真側に立つと思いのほか背が高いことに俺は驚いた。  

大男とまではいかないが、決して背の低い方ではない178pの俺とそんなには変わらない。僅か数センチ低いだけだろう。  

返事もせずに、近くにある非の打ち所のない顔を、文字どおり穴が開くほど見詰め続けている俺の前で、青年は不意にパッと花が咲くように顔を綻ばせて笑った。

「いややなぁ。僕の顔になんか付いてるん?」 

ああ、雰囲気にぴったりな声なんだ。  

とうに声変わりも済んでいるだろうに、男の野太い笑い声じゃなく、かといって女性の甲高い笑い声でもない。  

心地よい滑らかな響きで、俺の胸の中にまで染み通る柔らかな声だった。

「ご、ごめん。あんまり君が綺麗で驚いちゃたんだ。涼一君だね?」  

綺麗と言われたことには何のコメントも返さずに、こくりと頷いた彼は、

「僕は?瀧川さんのこと、なんて呼んだらええん?」  

そう聞き返して、唐突にかがみ込んだ涼一は、俺のボストンバックに学生鞄を持っていない方の手を伸ばし、軽々と持ち上げたと思うと今来た方へと歩き出した。

「え?ああ、なんとでも」  

慌てた俺も重いカメラバッグを持って、歩き出した彼の後を追う。

「他人行儀なんは、なんや堅苦しいて嫌いなんや」

「ハハ。俺も堅苦しいのは苦手だ」

「宗志さんて呼んでええ?」

「もちろん。構わないさ」

「なんや剣士みたいで、かっこええ名前やねえ?僕なんか至ってノーマルやからつまらんわ。宗志は沖田総司のそうしって書くん?」

「いや、字が違うんだ。俺のは宗教の宗に志しと書く。オヤジは時代小説が好きでね。特に新撰組が好きだったらしいけど。沖田総司は早死にしてるだろう?だからお袋がせめて字だけは変えようって言ったらしい」

「へぇ?もし、新撰組に興味があるんやったら、こっちにおるあいだに、いけたら壬生寺へ案内しょうか?宗志さん行ったことある?」

「いや。京都には大昔に修学旅行で来ただけだから。そんなマニアックな所には行かなかったよ」

「壬生寺がマニアック?面白いこといわはるなぁ?」  

笑いながら、右手で下げていたボストンバックを、ヒョイと肩に担ぎ直した。

「涼一君、荷物重いだろう?俺が持つよ」

「気にせんとって。僕はこうみえても結構力持ちやから。このボストンより、そっちのカメラバッグの方がかなり重いんやろ?」  

結局タクシー乗り場まで、彼は俺のボストンバッグを運んでくれた。  

昔とはかなり様変わりして近代的になった京都駅のタクシー乗り場には、ずらりとタクシーが並び、俺達の番もすぐにやってきた。

「小型タクシーって珍しいよな」  

何故か並んでいるタクシーのほとんどに小型と書いてある。

「京都人はしぶちんやから、たいていみんな小型に乗るんや。京都の隠れた名物やと僕は思うね。ちょっとしか離れてへん大阪には小型タクシーなんかほとんど走ってへんもん」

「しぶちんって・・・ケチって事だったっけ?」 

「ケチとちょっとニュアンスが違うんやけどな・・・」  

考え込むように、俺の横に立った涼一は顎先に指を置いた。

「たとえば、ほんまにケチで、お金使いとうなかったら、タクシーなんか乗らんのとちゃう?」

「まあ、そうだろうな」

「なんも歩かんかて、バスも電車も走ってるんや。ところがしぶちんはタクシーに乗るんやな、これが」

「よく分からないが?」  

首を傾げた俺に、答えを見つけたとばかりに、顎に置いていた人差し指を振って見せて、

「つまり、お金はあるんやでって、見栄っ張りの体裁はつけたいんや。けど、出来るだけお金は払いとない。出すには出すけど、渋々払うのんがしぶちんなんや」   

すっきりしたと呟きながら、順番の回ってきたタクシーのトランクに機嫌良く荷物を積み込んで、涼一は運転手に自宅の住所を告げた。  

代金を彼に払わせないように、扉が開くとすぐに俺は奥に乗り込んで、

「悪いね。ホテル取るつもりだったんだけど」 

続いて横に座った涼一に改めて礼を言った。  

なぜなら、秀太郎が家元の家に泊まれるように段取りを付けておくと言った言葉に甘えて、俺はホテルを取ってはいなかったからだ。 

幾ら安宿に慣れてはいると言っても、観光地で有る京都の宿泊費はバカにならない。その宿泊代が浮いた分で色んな所へ行く取材費が捻出できるので、俺や極小出版社にとってこの申し出はとても有り難かったのだ。

「ええんや。家は滅茶苦茶古いけど、部屋だけは仰山あるから」

「助かるよ」

「それに、秀太郎さんの親友って言われたら、丁重にもてなさへんわけにはいかへんもん」

涼一は俺の横で、ニッコリと微笑んだ。  

コメント・・・・書けるような展開ではまだないですよね〈笑〉

関西弁、今回は京都弁ですが、やはり何故かホッとします。。。

しばし、お付き合い下さいませ。。。