〜七月七日浪漫〜 第四話

「ほな、ここ使こうて。家ではベッドで寝てはるん?畳は寝にくいやろか?」  

重要文化財にでも指定されそうなほど、格式の高そうな屋敷の一室に通された俺は、十畳の和室奥にある床の間の横に荷物を置いた。  

一間の床の間には、きっと裏を見れば有名な名が入ってるのだろうと思わせる土ものの花器に、季節を感じさせる紫の露草と夏萩が、慎ましやかに生けられていた。  

襖には誤って破ってしまったら、こりゃぁ切腹ものだなと、冷や汗をかきそうなぐらい見事な雪月花の襖絵が描かれ、その上にある龍の彫り物を施した黒檀の欄間は艶々とした黒光りを帯び、屋敷の持つ歴史の深さを感じさせる。  

日本庭園風の広い庭に面した縁側に続く戸には雪見障子が貼られ、まるで最高級の旅館にでも来た気分がした。

「いいや。俺は何処でもすぐ寝れるのが特技なんだ。〆切前になると、しょっちゅう編集室の固いソファでごろ寝してるから」

「それなら、ええけど。なんか必要なもんがあったら遠慮せんと言うてね」

「ああ、ありがとう。早速で悪いんだけど、誰かに茶室を案内して貰えないかな?出来ればお茶も点ててくれれば嬉しいんだが」  

部屋の真ん中に置かれた座卓の上に、鞄から取りだしたノート型パソコンや取材道具一式を順番に並べながら言った。

「着いたばっかりやのに?」

「ああ、時は金なりさ。明日は街にも出ないといけないからな」

「仕事熱心なんやね。明日どこに行くか今晩決めといてね。僕がちゃんと案内するから」

「悪いね・・・あれ?涼一君、学校は?いいのかい」

「今日で期末終わったんや。明日からずっと試験休み」

「試験休みか・・・懐かしいな。俺も夏休みとは言わないが二週間ぐらい休みが欲しいよ」  

苦笑いを浮かべながら、荷物の整理を終えた俺に、

「ほんなら、僕はちょっと茶室の用意してくるから。しばらくゆっくりしてて」  

雅に蝶が舞い、紅く鮮やかな牡丹の花が描かれた襖絵を静に引きながら涼一が言った。  

どっかりと車座に腰を下ろしていた俺は、出ていこうとした涼一に、思わず『え?』っと声を掛けた。

「もしかして・・君が・・・お茶を点てるの?」  

少し声が裏返っていたかも知れない。  

それほど俺には以外に感じられたのだ。若い青年が茶道に親しむというのが今回の取材のコンセプトには違いないが、まさか目の前に立つ類い希な美青年がお手前を披露してくれるとは思ってはいなかった。  

ますます俺はバカだ・・・彼は次期家元じゃないか。

そんな単純なことまで俺の頭からスコンと抜け去るほど、俺は動揺しているのか?  

涼一は俺の問いに明確な返事をせずに、はんなりとした微笑だけを肩越しに返して、彼に似合いすぎるほど華美な襖戸を、音を立てずに閉めて出ていった。  

彼が部屋から居なくなると、俺は長い間張りつめていた肩の力を抜いて、深い息を吐いた。  

いったい何をこんなに緊張しているのか、自分でも可笑しくなるほどだ。  

たかだか17の小僧じゃないか・・・それなのに彼との年齢差を余り感じないのは何故なんだ?年齢より見かけが大人びているわけではないのに、どこか老成した雰囲気が彼には確かにある。俺が8っも年上だと言う事実が彼と二人で居ると瞬く間にあやふやになるのだから。  

突然、座卓の上にノートや筆記用具ととも載せてあった俺の携帯電話が、シンとした屋敷に響き渡って、俺は飛び上がりそうになった。

「もしもし」

『ハイ宗志。俺だ。どう?涼一君すぐに解ったろう?』  

忍び笑いと共に、悪友のからかうような声が聞こえてきた。

「たしかにな。ありゃあ誰でもすぐに解るわ」

『フフフ。堅物のお前でも、流石にクラッと来たんじゃないのか?』

「バカ言え<」  

パッと頬が上気し、これが電話で良かったと胸をなで下ろす。

『まあ、夏の古都の風情をせいぜい楽しむんだな』  

秀太郎の笑いが、意味深な含み笑いに変わった。

「何のことだ?」

『お前、あの子のこと、魅力的だとは思わない?』

「魅力的って・・凄く綺麗なのは認めるよ」

『な?見てるだけじゃ、もったいないじゃないか』

「よせよ。あの子に対して失礼だ」

『相変わらず宗志は頭が固いな。折角滅多にお目にかかれない程、綺麗な子が一つ屋根の下にいるっていうのに』

「お前ねぇ・・・いい加減、綺麗だからって手当たり次第に手を出すのやめろよな。まさか・・・」  

呆れ返った俺の言葉が止まる。

『さあね。俺が言いたいのは、あの子はただの観賞用じゃないって事だよ。差詰め中身は水蜜桃って所かな。  

あっと、それはこっちに置いてくれ!違うって!こっちだよ。

悪いな宗志。また後でかけるわ』

「しゅ、秀太郎?」  

手のひらの中にある小さな機械に俺は叫んだが、既に電話は切れていた。  

腹の底からモヤモヤと沸き上がってくるこのどす黒い感情は何だ?  

目の前の空間にハンサムな秀太郎の腕の中に、艶っぽい笑みを浮かべて、しなだれかかる涼一の姿がまざまざと浮かぶ。  

止してくれ!俺には関係無いんだ<  

強く頭を振って、幻影を追い払う。  

秀太郎も何故わざわざ俺にそんなことを?今まで一度だってこんなあからさまな事を俺に話したことなど無いのに・・・・もしかして秀太郎は本気なのか?何気ない風を装って俺に暗に手を出すなと言いたかったのか?

それなら解らなくもない。あれだけの魅力のある子だ。仮に関係を持ちお互いに好きだと確認したとしても、遠く離れているだけに不安は拭いきれないだろう。  

あの子と寝たって俺に言いたかったのか? 

秀太郎・・・今の俺にお前のジョークに付き合う余裕は無いよ。たちの悪い謎かけはよしてくれ・・・    

「ごめんやす。開けてもよろしおすか?」  

襖の向こうから、不意に女性に声を掛けられて、俺は居住まいを正した。

「は、はい」  

俺の返事と共に開かれた襖から、ナデシコ模様の可憐な絽の着物を着た美しい人が、しとやかに入ってきた。

「遠いところ、おつかれさんどしたなぁ。ぼちぼち、釜の炭もええ塩梅どすやろ。瀧川さんさえよろしかったら茶室へ案内しまひょか?」  

年の頃は30過ぎぐらいだろうか、背は決して高くはないが、涼一に女っぽさと丸みを加えるとこうなるんだろうなというほど、二人はよく似ている。ただ着物の着こなしがやけにあか抜けて、素人離れしている印象を受けた。

「あ、じゃあお願いします。俺は作法も何も解りませんし、何も持ってきてはいないんですが、それでもいいんでしょうか?」

「へえ。よろしおす。家元も茶は自然体が一番やていつもいうてますから。すんまへんなぁ折角おいでやしたのに、あいにく家元は静岡に出向いてますのや。ほな、うちに付いてきておくれやす」  

婦人についていき、いったん靴を履いて庭に出た俺は、庭の片隅に建てられた小さな茶室へと向かう。  

広々とした庭のどこかで時折獅子脅しが風流にコンっと鳴って、打ち水の打たれた庭に涼しさを漂わせていた。  

前を歩く妙齢の婦人の後ろ姿を眺めながら歩くうちに、この家の中は俺の住む殺伐とした街なんかとは住んでいる人種どころか、時間の流れすらも違うのかも知れないなどと、非現実的な考えが浮かんでは消えた。

「うちはここで。ほな、ごゆっくり」  

藁葺き屋根の草庵風(そうあんふう)茶室の前まできた婦人は、軽く微笑んで会釈を済ますと、母屋へと戻っていった。  

一話ずつ書いているのではなく、書き上げてから区切ってupしてるので、ちょうど良い分量で、ちょうどここで切りたいゾ!って言うところで区切れない辛さがあるんです〈笑〉

今回もちょうど良いところはまだ随分先なので、仕方なく区切らせて頂きました。なので、まだこれと言って、ねぇ〈笑〉

なんだか、十話じゃなくてもう一.二話増えるかもです。。。