〜七月七日浪漫〜 第五話
「宗志さん?はよ、入っておいでよ」
風流なたたずまいの小さな茶室の中から、涼一の特徴のある柔らかな声が俺を呼んだ。 「どこから入れば良いんだ?ドアが無いんだけど」 さっきからぐるりと見回してはみたが、扉がどうしても見つからない。 「堪忍。ちゃんと教えへんかったんやね。このにじり口から入るんや」 小さな雨戸のようなものが開いて屈んだ涼一が俺を手招きした。 俺は窮屈な所をくぐり抜けて、小さな部屋の中へとようやく入った。 見事な書の掛け軸掛が掛けられた部屋の中には、湯気を立てて煮えている鉄釜と茶道具が一式。 それに、たぶん麻織物なのだろう、紺色をした着物姿の凛々しい涼一が一人。 それだけで、もう、十分美しい絵になっていた。 「写真撮ってもいいかな?」 「え?別にかまへんけど」 ほんの少し驚いた涼一に、気にせずにお手前を続けてくれと頼んで、俺は夢中で涼一の姿をカメラに収め始めた。 こんな事なら、プロのカメラマンを連れてくれば良かった。 素人の俺がそう思うほど、ファインダー越しに覗く涼一の姿は魅力的だったのだ。 朱色に金粉で雲を描いた漆塗りの棗を開ける白い優雅な指先。 柄杓 着物から覗く滑らかな象牙色の襟足。 緑色の抹茶が柔らかい泡を立て始め、滑らかになるまで勢いよく茶筅 どれを撮っても全てが絵になり、とても美しかった。 「どうぞ」 畳に両手の指をつき、クルリと膝の向きを変えた涼一が、俺の前に点てたばかりの抹茶を差し出した。 「あ、ど、どうも」 慌ててカメラを置き、座り直した俺は高価そうな茶碗を両手にもったまま、 「何回廻して飲めば良いんだ?」 どうすればいいのか解らずに尋ねた。 「別に何回って決まりがあるわけやないんや。流派によっても違うしな。 目安としては、茶碗の表が解る場合。それやったら、花が描いてあるとこが表なんやけど、僕らお手前するもんはお客さんに表を前にしてお出しするから、頂く側は、正面に口つけんと横へずらして飲んで、飲み終えたらまた、正面に戻す。それだけのことなんや」 涼一はそのほかにも、足が痺れるようだったら別に崩しても構わないとか、難しい決まり文句をいわなくても、美味しければ美味しいと言えば良いんだと、気安く話してくれた。 「『茶は服のよきように点て』あるがままに、相客に心せよというのが利休居士の教えなんや。簡単そうに見えて、実は奥が深いから、よお精進しいやて、お父さんはいつもいわはるけど・・・」 「美味しかったよ。有り難う。涼一君は跡継ぎなんだから、お父さんも力を入れてるんだろう」 「・・・・なんや。秀太郎さんから聞いてへんのん?」 下げた茶碗に再び柄杓で湯を入れ、おしまいの茶筅を通しながら、 「僕は跡継ぎやないんやで。 百瀬流の跡は姉婿の高見沢が継ぐんや」 ふっと表情を消し去った涼一が、感情を押し殺した声で淡々と言った。 「どうして?君は長男なんだろう?」 「僕は母さんの連れ子なんや。百瀬の名を名乗ってはいるけど、僕には一滴も百瀬の血は入ってへん。 お父さんはそれでも僕を跡継ぎにしたかったみたいやけど、外野がうるそうてな。 何処の馬の骨かわからん男と祇園芸者の間に生まれた卑しい私生児に、由緒正しい百瀬流を継がすわけにはいかんのやて」 ふくさで茶道具を拭き、最後にふくさを払うと、涼一は礼儀正しく一礼を済ました。 「はい。おしまい。お疲れさん」 それまでとは打ってかわった、きびきびとした造作で立ち上がった涼一と俺は、さっきの小さな戸をくぐり抜けて、少し日が陰って涼しくなってきた庭に出た。 「何であない窮屈な、小さいにじり口からわざわざ入るか解る?」 出てきたばかりの、草庵風の茶室を振り返った涼一が俺に訊いた。 「いや」 横に首を振った俺に、 「茶の湯の前に座るときは、どんなに偉いお殿様でも、それこそ、う〜んと貧乏な人でもみんな同じ。せやからみんな腰を屈めて、低い姿勢であの戸をくぐって入るんやて。 あほらし。この世は偽善の固まりや。そんなことを言うてるお偉い茶人が、こぞって僕の生い立ちや母さんの事を、下賤やて囃し立てるんやから」 涼一は柳眉を顰め、悔しそうに桜色の唇を噛んだ。 「涼一君?」 「あ・・ごめん。堪忍な。つまらんこと話してしもたね。僕はなんや宗志さんとおると、おしゃべりになるみたいや」 心配げな俺の表情を見とがめた涼一は、急に照れたようにクスッと小さく笑った。 歳の差を感じさせない、涼一の老成した雰囲気は、きっとこんな生い立ちから生まれたのだろう。 ただの綺麗なぼんぼんかと思っていたのに・・・・・可哀想に俺達庶民には計り知れない辛い思いを小さな頃からしてきたんだろうか。 「俺もオヤジの実際の顔を知らない。俺が生まれる前、お袋の腹の中に居るときに事故で死んだんだそうだ」 「え?せやけど、新撰組が好きやて・・」 問いかけるように開かれた、つぶらな瞳がとても可憐だ。 「お袋が沢山はなして聞かせてくれた。こんな人だったのよ。あんな人だったのよって。 写真でしか知らないが、今の俺とよく似てるよ。確かに頑固そうな顔をしている」 「頑固そうな顔の方が好きや。調子のええ事ばっかり言う人は、確かにええ気分にさせてはくれる。 けど、その分、信用でけへん。 結局最後には裏切られるんやないかて、不安になるんや」 背筋を真っ直ぐ伸ばした涼一は、緑燃える青々とした遠い山並みの向こうへ、寂しげな視線を馳せた。 「心配いらない。秀太郎が君に本気だと言ったんなら、あいつは決して裏切ったりしないから」 込み上げてくる、ほろ苦い思いを飲み込んで、俺は涼一に請け合った。 「なんで?突然、秀太郎さんが出てくるのん?」 涼一は肩越しに俺を振り返り、困惑の表情を浮かべて小首を傾げた。 「え・・・今の秀太郎の話じゃなかったのか?」 「へ?今のって? あぁ〜<いやらし・・・僕と秀太郎さんが出来てるておもてたんやろ」 「あ・・いや・・・」 「澄ました顔して、ずうっと変なこと想像してたんやなぁ」 ニヤリと笑った涼一の、艶ぽい流し目に俺の背中がゾクリと波立ち、さっと頬に血が昇るのが解った。 「可愛 言葉に詰まって立ちつくす俺の前で、涼一は袂を口元に当て、如何にも可笑しそうにコロコロと笑った。 純情なんて言葉は遠い昔に置いてきていたはずなのに、・・・若く美しい魔性の青年に悲しいほどに翻弄される・・・ 胸が熱い。 *************** 「涼ちゃん。ちょっと」 さっきの婦人が紫の鼻緒の下駄を鳴らし、母屋から急ぎ足でやって来ると、涼一の袂をツィと引いた。 「どうしたん。母さん。偉い慌てて」 「お母さん?」 てっきり涼一のお姉さんだとばかり思っていた俺は、大きな声で聞き返してしまった。 「何や?自己紹介せえへんかったん?」 涼一は面白そうに尋ねた。 「そうどしたなぁ。涼一の母の籐子どす。どうぞよろしゅう」 改めて彼女は、俺に頭を下げた。 おいおい、冗談だろ?確か家元は七一って言ってたよな? またしても、あんぐりと口まで開いて、婦人を眺めてしまった俺に、 「惚れたらあかんで、若ぁみえるけど、直、四十になるんやから」 「いややわぁ。涼ちゃん。歳のことはいわんとってって、いつも言うてるやろ」 ポッと頬を染めた籐子は、涼一の腕をポンと、はにかむように押した。 藍色の着物姿の美しい青年と、柔らかなピンク色をした薄い下地の透ける絽の着物を着た艶っぽい小柄な女性。 確かに似てはいるが、とても親子には見えない。 「それより、なんか用やったんやろ?」 「そうなんや。楓香さんまた帰ってきはったんや」 籐子はほっそりした頬に指先を置いて、ほぅ〜と溜息を吐いた。 「また?ほんまにしゃあないなぁ。ほっとこ直に機嫌直して帰りはるやろ。な?」 涼一は労るように、低めに紗の帯でお太鼓を作った籐子の背中に腕を廻す。 「涼ちゃん・・・やっぱり、お父さんに話した方がよかったんやろか?」 「アホ言いな。あんな事言うたら、お父さん卒中起こして、泡吹いてしまうわ」 「せやかて・・・」 「なぁんも心配いらん。ただの夫婦喧嘩や。高見沢かて、折角手にした家元の座、みすみす手放したりはせえへんよ。もしもの時は僕がこの家を出たら済むことや。母さんはなんも心配せんかてええんや」 「アホなこといいな。涼ちゃんが百瀬を出るときは、おかあさんかて一緒に出る。大事にしてくれはるお父さんには悪いけど。涼ちゃんの方がうちには大切や」 かなり上背のある涼一の肩口にぴったりと頬を寄せて、籐子は涼一に囁くように言った。 数歩離れて二人の会話を聞いていた俺には何がなんだか分かりはしない。 分かりはしないが、母子密着が強いのは彼らの境遇からも致し方がないのかも知れないが、彼らがやけに綺麗なせいか、それともこの風流な日本庭園に似合いすぎる風貌を持っているせいか、何とも言えない倒錯的な気分に捕らわれた。 「ほら、お客さんがびっくりしてはる。 お母さん、はよ僕から離れ。宗志さんに変に誤解されてしまうわ」 俺の探るような視線に気づいた涼一は、からかいの色をつぶらな瞳に浮かべて俺を見返した。 『また、いやらしいこと考えてるんやろ?』 涼一の紅い唇が声を出さずに、艶めかしくゆっくりと蠢いた。 |
獅子脅し・・・・・・・あの、コンっと響く音って風流ですよね?
え?そんなことどうでもいいって?続き気になって下さいます??
お話はどう転ぶんでしょうねぇ〜次回をお待ち下さいませ〈笑〉