〜七月七日浪漫〜 第6話

「はぁ〜・・・・」  

ポンポンと座卓でタバコを叩いて、火を付けた俺は、溜息と共に大量の紫煙を吐き出した。  

さっきから座卓に座り、原稿をノート型パソコンに打ち出そうとしても、ちっとも内容がまとまらない。  

俺は何度も自分に言い聞かす。俺は百瀬涼一に会いに来たんじゃない。仕事でここに来て居るんだと。

ことある毎にそう言い聞かしでもしなければ、俺の頭から涼一の麗しい姿が片時も消えてはくれなかったからだ。  

火のついたタバコを唇にだらりと銜えながら、ガシガシと頭を掻いた俺は、今日見た京の風景と、茶室での出来事だけを客観的に、パソコンのボードに打ち込んでいく。

まだ取材の途中なのだから、キチンとした文ではなく箇条書きの形で見たものや聞いたことを書き綴っていけばいいのだが、ふっと気づくと手を止めて違うことを考えてしまっていた。  

広い敷地のせいなのか、街の喧騒は全くこの家には届いては来ない。  

シンと静まり返った母屋とは対照的に、ぼんやりと灯籠に照らし出された庭では、ジィジィと耳鳴りのような音を出すオケラと、錦鯉と共に橋の架かった池に住んでいる何匹もの蛙が、夏の宵のシンフォニーを奏でていた。    

『楓香姉さん。また、夫婦喧嘩したんやて?』 

俺を誘ってから、夕餉の席に赴いた涼一は、先に食卓テーブルに着いていた、俺と同じ歳ぐらいの女性に話しかけた。  

決して器量は悪くないが、さほど美人でもない。

いや、これも相対的なものなのか?籐子と涼一が同じ部屋にいればたいていの女性は霞んで見えるんだろう。  

彼女もきっとよそであったなら、ちょっとした美人には見えたかも知れない。   

瓜実顔の古風で上品な顔立ちなので、着物を着ればかなりの美人に見えるかも知れないが、体調が悪いのか余り顔色が良くないようだ。

『涼ちゃん。うち・・高見沢と別れようかとおもてるんや』  

後ろに立っている俺など目に入らないのか、思い詰めた目をした楓香は真っ直ぐに涼一を見上げた。

『今更なんでや?』

『なんでて・・・涼ちゃんが、一番よう知ってるやないの』  

楓香は神経質そうに、片頬を引きつらせて笑った。

『姉さんは、なんもかも承知で高見沢と結婚したんや。そりゃ姉さんが別れたい、言うんやったら僕は止めたりせえへんけど、高見沢がうんとは言わんやろ。

高見沢は楓香姉さんと結婚したんやない。百瀬の名と結婚したんや。

姉さんはそれでもかまへんて言うたやないか?』  

涼一は冷たいほど淡々と話ながら、自分の席に着き、俺をその横へと手招いた。

『愛してもらえん辛さが、あんたには分かれへんのや』  

小刻みに身体を震わしだした楓香に、

『もう、勘弁して。お客さんの前で、みっともないやないか。僕にはもう関係のないことや。夫婦の愚痴なんか聞きとうない<』  

バンと食卓を叩いた涼一は、声を尖らせてきつく言った。

『涼一』  

それまで黙っていた籐子が楓香の側に寄り、前に座っている涼一を小さな声で窘めた。

『ごめんやで、宗志さん。ごたごたしたとこ見せてしもて』

『いや・・・何処の家でも問題の一つや二つは抱えてるよ』  

俺は楓香さんたちに聞こえないように、小声で答えた。  

表面上落ち着きを取り戻し、若いお手伝いさんに給仕をして貰いながら、4人で食事を始めたのだが、10分もしないうちに気分が悪いと言った楓香は、籐子に付き添われて部屋を後にした。    

家督争いか・・・時代劇みたいだが、今でもあるところにはあるんだな・・・  

さっきの涼一と楓香の言い争いを思い出し、俺はボードを打つ手を止めた。  

実子でないからと家督を継げない涼一。

愛してくれていないことを承知で、家督を欲しがる男に、惚れて嫁いだ楓香の苦しみ。  

しかし何故・・・姉の夫婦喧嘩に涼一があんなに神経を尖らすんだ・・・?

『もしもの時は、僕が家を出たらすむことや。母さんは何も心配せんかてええ』  

庭で籐子に掛けた、涼一の不可解な言葉の意味は何なんだ?  

いつの間にか、蛙の合奏もやみ。個々の悩みを覆い隠すように、夜の帳は深く深く、この広い屋敷を包み込んでいく。    

************* 

次の日、二条城をゆっくりと見学した後に、涼一は約束通り、俺を壬生寺へと案内してくれた。  

大勢の観光客で賑わう、豪華絢爛で広大な二条城を見た後だからだろうか、それほど観光客の姿もない質素な佇まいに、俺は静かな感銘を受けた。

「駐屯地は寺の北側にある民家やったそうや。新撰組は、この境内で武道の稽古をしたり、子ども好きやった沖田総司は、近くに住む子供達と遊んでたんやて」  

屋根瓦の付いた古びた門をくぐり抜けて、涼一は俺に説明をしてくれる。

「この奥に近藤勇の彫像や新撰組隊士の供養塔なんかもあるんや」  

俺の前をズンズンと歩きながら、ガイドのように説明を続ける。

「詳しいんだな?涼一君も歴史なんかが好きなのか?」

クルッと俺に向き直った涼一は、ペロッとピンク色の舌先を付きだして、びっしりと細かい字の書かれた手のひらの中にある小さな紙片を見せた。

「なんだ?あんちょこ、わざわざ用意してきたんだ?」

「ゆうべ、遅うまで掛かって一生懸命調べたんやで」

「無理しなくても、よかったのに」

フッと目元を和ませた俺から、何故か涼一は照れたように顔を逸らした。

「別に無理してへん。お客さん、案内するのんは慣れてるしな。ただ、今まではここに来たいて言うた人がおれへんかっただけや」

「・・・て言うことは?」

「壬生寺は有名やから名前だけは知ってたけど、こんな所くるのんは実は初めてや。   

たまにお父さんのお客さんに京案内するゆうたかて、たいてい、二条城とか清水さん案内して終わりやろ?

歳いった助平オヤジなんかやったら、それこそ寺巡りなんかせんと祇園か先斗町へ直行やもん」

「ぽ、先斗町?色街まで君が案内するのか?」  

呆れ て聞き返した俺に、

「ほんまは未成年者はあかんのやけどな。一見さんは入られへんとこだけに、常連さんは結構融通がきくんや。

僕はお姉さん達に結構人気あんねんで。いっぺん舞子姿にならへんかて、ひつこう言われてるんやけど、僕の背で鬘被って木履はいたら大女になってしまうやろ?」  

涼一は17才の少年らしく、しんなりと柳腰を作って、おどけて見せた。  

涼一はその時々でクルクルと変わる。

屈託のない明るい少年から、男を惑わす妖艶な美青年に・・・

苦労も何も知らないといった感じの若いぼんぼんから、老成した悲哀すら感じさせる大人の顔に・・・

「ほら、隊士の供養塔やて。宗志さんとおない年ぐらいで、死んでしもた人もおるんやろうなぁ・・・

無念やったやろうなぁ可哀想に・・・

アカン、アカン。青年剣士の霊が僕に惚れてついて来てしもたらあかんから、一応手ぇ合わせとこ」  

石塚の前で涼一は両手を合わせて、真剣な顔で頭(こうべ)を垂れた。

ほんの少し生真面目に柳眉を絞り、睫毛を伏せた横顔すらも、絵に描いたように美しい。  

その真摯な姿に、俺の胸がキュウンと締め付けられる。

俺の中にいる、得体の知れない魔ものがさわさわと俺に何かを囁きかけてくる。  

馬鹿野郎・・・俺はギュッと深く瞼を閉じた。    

                                           To be contined 

京都、今でも修学旅行でこられるのかな?私なんてあんまり近すぎて今では滅多に行きません。マイカーは規制が厳しくてかえって走りにくい所なの・・・・

家督争いなんて、私には全く雲の上のことなのでよく分かっていない〈それなら書くなよ/笑〉いんですが、あるところにはあるんでしょうね〜〜