〜七月七日浪漫〜 第7話

壬生寺を後にした俺達は幾つかの名所に有る主だった茶室を回った後、京都随一の繁華街である、四條河原町の喫茶店に入った。

「なあ?なんか僕、気にいらへんことした?」 

クーラーの効いた店内で、涼一はベルガモットの香りがするアールグレイのアイスティーに、ガムシロップを綺麗な指先で注ぎながら、俺を上目使いに見上げた。  

つぶらな瞳には、ほんの少しだが戸惑いの色が浮かんでいる。

「どうして?」  

不意にそんなことを尋ねられた俺は、ノーマルなブレンドコーヒーにフレッシュを入れて、スプーンで掻き回していた手を止めて聞き返した。

「壬生寺からこっち、ほとんど話もせえへんし、僕をまともに見ようともせえへんやん。元々無口なんは分かってるけど・・・なんや宗志さん変や」  

涼一は拗ねた仕草で、ガシャガシャと音を立てながら、水滴の付いたグラスの中の氷をストローで突っついた。

「そんなことないよ。俺は親切にしてくれてる君に感謝してる。ただ、君が言ってたみたいに秀太郎とはタイプが違うんだ。一緒にいて楽しい相手にはなれない」  

彼から目を逸らしたまま、ロイヤルアルバートの華やかなコーヒカップを口元に運んだ。

「なんでいちいち僕と宗志さんの話に秀太郎さんがでてくるん?  

本気で僕と秀太郎さんの間になんかあるて思てるんか?」  

涼一がきつい口調で聞き返した。

「絡まないでくれ。誤解してた俺が悪かったよ。君が何もないと言うのならきっと何もないんだろう。それに、君が誰と付き合おうが、他人の俺が口を挟む事じゃない」   

胸の痛みを悟られないように、シャツの胸ポケットから取りだしたタバコに火を付けた。

「そうやね・・・大人の宗志さんから見たら僕なんか何の利用価値もないただの高校生のガキにすぎへん・・・

僕が誰とどないなっててもどうでもええことやもんね。つまらんこと聞いてしもたわ」  

傷ついた顔をして項垂れた涼一に、そんなことはないと言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。  

明日には東京に帰るんだ。  

確かに俺はこの子に尋常じゃないほど惹かれてはいる。

だが、普段の生活に戻りさえすれば、彼のことも直に想い出に変わるだろう。  

もちろん時々は秀太郎から彼の話を聞くことがあるかも知れないが、俺がこの子に会うことはおそらく二度と無いのだから。

「俺は不器用だし、楽しい話し相手には成れないから、涼一君に嫌な思いをさせたのなら謝るよ。俺は明日東京に帰る。   

一期一会って言うけど、きっともう君と会うこともないだろう。君には迷惑かも知れないが、せめてここにいる間は、仲良くやっていきたいんだ」 

「迷惑やなんて・・・おもてへん」  

それだけ言うと、涼一は長い睫を伏せて、アイスティーに差し込んだストローを銜えたまま、プイと横を向いてしまった。      

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夕方になって涼一と俺が百瀬の家に帰り着くと、前庭にある大きな笹の木に、女性陣が賑々しく飾り付けをしている最中だった。  

昨夜は、思い悩んで暗い感じだった楓香も籐子や若いお手伝いさんと一緒に、楽しそうに短冊や折り紙で作った飾りをくくりつけていた。

「涼ちゃん。瀧川さん。おかえりやす」  

籐子は、昨日とは打って変わって、夏物のブラウスとスラックスという軽装で、脚立に昇り、折り紙を細く切ってチェーン状につないだ飾りを高いところに付けていた。

「お母さん。落ちたらどないするんや。そんなんは若いもんにまかせな」  

慌てて走り寄った涼一を見下ろして、

「ほんなら、涼ちゃんが変わりにつけてぇな。みっちゃんは足捻挫してるし、楓香さんは昇られへんのえ」  

ニコニコしながら籐子は脚立から降りてきた。

「みっちゃん足挫じいたんか?相変わらずおちょこちょいやなぁ。楓香姉さんはどないしたん?」  

お手伝いの女の子と楓香に交互に尋ねた涼一の背後から、

「楓香さん、どうやら、おめでたみたいなんや」  

籐子が応えた。 

「え?」  

訳が分からないといった表情をした涼一が、籐子の言葉の意味を悟って、とってつけたような作り笑いを浮かべるまでの僅かの合間に、俺は涼一の綺麗な顔が、ほんの一瞬苦痛に歪むのを見てしまった。  

今のはいったいなんだったんだ・・・・?  

楓香の側に歩み寄った涼一は、今のは俺の目の錯覚かと思うほど、朗らかに話し出した。

「おめでとうさん。喧嘩ばっかりしてんと元気なややこ産まなあかんで」

「おおきに。立派な跡継ぎ産むつもりや。あの人もえらい喜んでくれてはるんや」  

傲慢さすら漂わせて、楓香は涼一に向かって微笑んだ。

「もう高見沢には言うたんか?」

「さっき、連絡した。今晩迎えに来るていうてはったわ」

「ふ〜ん。よかったやないか」   

ひょこっと肩を竦めた涼一は、籐子から飾りを受け取ると脚立に昇り、黙々と飾り付けを手伝い始めた。

「瀧川さんも、どうぞ。せっかくの七夕さんや、願い事書いておくれやす」  

籐子がこよりの付いた短冊と筆ペンを俺に手渡した。

「願い事ですか?」  

笹に願いを吊すなんて、こんな事をするのは一体何年ぶりだろう?  

俺の願い事・・・?  

白い短冊をしばし眺めた後に、『あの人が幸せになりますように』としたためた。  

そう願わずにいられないほど、涼一の美しい姿は、不幸せと紙一重の危うい場所に居るように俺には思えてならなかった。  

目の前に立つ綺麗で幸せそうな姿の裏に、深く傷ついたもう一人の涼一がいる。

「あら?よろしいなぁ若い人は。瀧川さんの恋人やったら、きっとステキな人どっしゃろなぁ」

籐子は、俺の手元を覗き込んで無邪気に笑った。笑顔が涼一にとてもよく似ている。

「嫌だなぁ。恋人なんかじゃ、ありませんよ」

「ほんなら、愛しい人。いうことにでもしときまひょか?」 

「愛しい?さて、どうなんでしょう?俺にもよく分からないな」   

サラサラと風に鳴る笹の葉に短冊をくくりつけながら、俺は苦笑いを籐子に向けた。

「風流やわぁ。今時片思いやなんて」  

みっちゃんと呼ばれているお手伝いさんが、挫いた足を庇うように引きずりながらも、俺が結わえた短冊を嬉しそうに覗き込んで、横から口を挟んだ。

「片思い?・・・ハハ・・そうですね。その言葉が一番近いかな。永遠の片思い。絶対に叶わぬ想いってやつですよ」  

俺の想いなど届かなくていい。

いや、むしろこんな想いは消えて無くなればいい。  

ただ、彼が幸せでありさえすればいいのだから。  

もしも本当に、星降る夜空にかけた俺の願いが、たった一つでも叶うならば、彼がいつも微笑んでいられますように。      

*************

その日の夕餉の席はやけに賑やかだった。  

名前だけは何度も聞いていた楓香の夫、高見沢とやらも席に着き、驚くほどテンションの高い涼一がその場を仕切っていたからだ。  

高見沢は如何にも次代の宗家に相応しく、凛とした雰囲気を持ちながらも物腰は柔らかく、整った顔立ちをした良い男だった。  

確かにいい男ではあるな。  

如何にも女性には優しそうで、宗家が目当てなのを承知の上でも、楓香が結婚したがった気持ちも分からなくはない。  

俺の横で涼一はずっと話題がとぎれないように話し続けていた。  

まるでこの部屋に、沈黙が訪れるのを恐れてでもいるかのように。  

周りから浮き上がってしまうほど、朗らかに涼一が振る舞うたびに、俺には何故か涼一の切り裂かれるような心の叫びが聞こえてくる気がした。

笹の葉に短冊を、今年吊しましたか?

今年もお天気が悪く、天の上の恋人たちは無事に逢瀬を果たせたんでしょうか・・・・・・・・・

さて、涼一への想いを断ち切ろうとしながらも、なおも惹かれていく宗志なんですが・・・・・・・